揺らぐ安寧、近付く破滅
太陽公
ラファエル・ミカエロヴィッチ・リガロフ公爵の異名。世界恐慌の影響を最小限に抑えつついち早い経済の立て直しを図った事、領民のために私財を投じてまで尽くした事、そしてそれらの努力によりリュハンシク州は大きな発展を遂げ、彼の在任中は領民たちが飢えることなく過ごす事が出来た事からこう呼ばれた。
なお父ミカエルは『串刺し公』、息子ガブリエルは『首狩り公爵』と(主に敵陣営から)物騒な異名で呼ばれており、そのように攻撃的な異名を得る事がなかったのは歴代リガロフ家当主の中でラファエルのみである。
絵本の中だけ、あるいは伝承の中だけの存在であると思っていた。
本当にそうであったのならどれだけ良かった事だろう。母親があるいは祖母が、幼い子供に語る遥か昔の伝承であればどんなに安心した事だろう。永い、永い時間に隔てられた旧い存在。不可逆的な時間という概念に隔てられているからこそ、それが決して自分に牙を剥かない存在であると知り安堵できるのかもしれない。聞き手でいる事が出来るのかもしれない。
しかし残念な事に、俺たちは当事者なのだ。
そしてその旧い伝説は、今まさに現実の脅威として目の前に立ち塞がろうとしている。
ID認証、魔力認証、そして指紋や網膜、声紋といった生体認証。十重二十重に求められる認証を次々とパスして立ち入ったリュハンシク城地下区画の最重要機密エリア。求められる認証が多様性に富んでいる事からも分かる通り、ここに足を踏み入れる事が出来る人間は限られている。
クラリスとラファエル、そしてラグエルを伴って足を踏み入れると、巨大な広間を上から見下ろす事の出来る監視室が目の前に広がった。立体投影されたホログラムのキーボードを弾く戦闘人形たちの傍らで佇む愛娘―――シャーロットとの間に生まれた『サキエル』は、入室してきた俺たちの気配を察知するなりぺこりと頭を下げ、再び視線を広間の中で標本さながらに磔にされたサンプルへと戻す。
「お疲れ様です父上」
「そっちこそ、分析お疲れ様」
広間で磔にされているサンプル―――竜の仔の死骸を見下ろしながら、分析に没頭する愛娘を労う。
竜の仔は、こうして見てみると無残な姿だった。KS-23のスラグ弾を頭に受けた結果、3つある頭の全てが上顎から上を吹き飛ばされた状態となっており、普通の飛竜ならば心臓があるであろう胸部にも追加で1発スラグ弾を撃ち込まれている。人間でいうならば頭と心臓に銃弾を撃ち込まれ、生物的な死を約束された状態……と言えるだろう。
磔にされた竜の仔の死骸には真っ白な防護服を着用した戦闘人形の兵士が群がっており、端子を死体にセットしてデータを取ったり、外殻をはぎ取って露出した筋肉繊維や血液を採取したり、計測機器をセットして何かを分析したりと、可能な範囲でデータ採取に勤しんでいるのがここからでも分かる。
どうぞドクター、と抑揚のない声で女性型の戦闘人形が研究データを差し出してくる。サキエルは受け取ったそれとしばらく睨めっこしてから、「ご覧になりますか」と俺にそれを差し出してきた。
一応受け取ってみるが、データに列挙されているのはその手の専門家でなければ理解できない専門用語や数値の数々だった。つまりは何を意味しているのか、専門家の解説がなければ理解は難しいだろう。
母親たるシャーロットがそうであるように、サキエルも研究者の道へと進んだ。幼少の頃から生物工学や機械工学に関心を持ち、論理的に物事を考え、科学的根拠のない話には一切の関心を示さない癖の強い子ではあったが、母親同様に自分の専門分野ではスーパーコンピューターすらも霞んで見えるほどの頭の回転を見せる。
しかし時折、他人も自分と同様の理解度である事を前提に話を進めてしまうので、周囲を置き去りにしてしまいがちなのがネックか。
ひょい、と後ろから音もなく現れた人影に持っていたデータを取り上げられ、ちょっとびっくりした。けれども匂いですぐに来訪者の正体を察する―――シャーロットがやってきたのだ、と。
「非破壊検査の結果判明した外殻はゾンビズメイと同様の単分子構造。堅牢な旧い層が外側に、比較的柔らかく若い層が内側に形成されて、単分子構造の外殻同士で一種の複合装甲のような振る舞いを見せている。堅牢層の厚さはおよそ21㎜、衝撃吸収の役割を担う未成熟層は推定10㎜。幼体なのに合計31㎜の厚さの外殻とはねェ……」
クックック、と笑みを浮かべるシャーロットの顔は、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のような無邪気さすら感じさせられる。
「成分は?」
「微量だけど、賢者の石と同様の有機体が確認されたよ」
「外殻に?」
「そう、外殻に。全く同じではないけれど、外殻の組成と賢者の石の組成には共通する点が確認できる」
まさか賢者の石ってズメイ由来ではないか……そう思ったが、しかし天然の賢者の石は地球上には存在しない物質で、隕石の落下した地域でしか採取できない事から、宇宙に由来する物質ではないかとされてきた。
それと共通する組成が確認できたのは偶然か?
それとも、ズメイは地球外からやってきた生命体だとでもいうのか?
思考が脱線しかけたところで、クラリスが口を開く。
「戦闘データを閲覧しましたが、23㎜級のスラグ弾で外殻の貫通が見込めたところを見るとさすがに成体やゾンビズメイ並みの防御力はないみたいですわね」
「まあ、それはそうだ。幼体だからね」
これで未成熟……未成熟って言葉の定義がとんでもねえ基準に達しているのは何の冗談か。
「他に何か分かった事は?」
「3つの首にはそれぞれ独立した脳があり、自我もそれぞれ分離されているという事さ」
「それって……」
「博士、それは身体を動かす際に枷になるのでは?」
ラフィーの忌憚のない意見に、シャーロットは関心を寄せたようだった。
「続けて」
「はい。例えば3つの頭でそれぞれ右に行こう、左に行こうって意見が分かれた場合、肉体の主導権を握るのは3つあるうちのどの頭なんです? 3つの頭が脳のモジュールみたくそれぞれ別々の役割を果たしているというのならば話は変わってくるのですが……」
「コレは推測だけど、3つの頭はそれぞれ多数決で行動を決めているのではないかな?」
「といいますと?」
「機械を制御するAIと同じだよ。機械には複数のAIを搭載して、仮にどれか1つがシステムエラーを吐いたとしても残りのAIが正常な判断を下していたら、そちらが正確な結果であると判断できる……むしろ自我を3つに分け、その試行結果を多数決で査定にかける事で判断力の精度を上げているのではないか、と私は考える」
「さしずめ”生体AI”ってところか」
「それはちょっと違うかな」
「」
「父上ぇ……」
めっさ恥ずかしい。
コレこうだろ、ってちょっと自信あったんだけどズレてたか……なんで俺の行動には毎回オチがあるんだろうね?
「いずれにせよ、本体も同様である筈だ。それと攻撃力の面についてだが……やはりというか、体内にブレスの発生器官らしきものが確認できた」
そう言い、シャーロットは立体投影されたホログラムのキーボードを弾いて目の前の空間に解剖図のようなものを出現させた。
「特殊な体液……ニトログリセリンに似た性質の体液を分泌、溜め込む器官が胸部にある。この世界のドラゴンがブレスを吐き出すメカニズムは知っているね?」
少なくとも、この世界のドラゴンがブレスを吐き出すメカニズムは以下のようになる。
まず、臓器を収縮して内部の可燃性の体液を分泌する。分泌したそれは肺から吐き出される空気によって排出され、首の筋肉を締め付ける事で更に圧力をかけた状態で口内へと運ばれるのだ。
後は口内にある着火器官を使って点火し、相手に高温、高圧の炎を吹きかける……という流れになる。
資料映像なのだろう、立体映像の別のウィンドウが開いて、ガノンバルドがブレスを吐き出す動画が再生され始めた。
「竜の仔もこの時点で同様だ。成体も、そしてゾンビズメイも同様のメカニズムを持っていたものと推定される」
「だが……ゾンビズメイのブレスの威力はそんなもんじゃなかったぞ」
姉上を最も苦戦させた化け物、ゾンビズメイと戦った時を思い出す。ラフィーたちが生まれる前、シャーロットたちが血盟旅団に加盟する以前の事だった。
変異を繰り返し、やがて本来の姿を取り戻しつつあったゾンビズメイ。その最中に放ったブレスは山を大きく削り、地形を一瞬で変えてしまうほどの威力があった。
大気はプラズマ化して猛威を振るい、掠めただけで木々は燃え、戦車の装甲は融解。直撃なんてしたら戦艦でも一瞬で蒸発するだろう。
首の1つ、それも生物的に死んだ状態でそれなのである。まだ存命中の本体が本気を出したらいったいどれほどの威力になる事か……。
「本体は間違いなくそれ以上だ。もはや単なるブレスではなく、発射されるのは”プラズマブレス”と推定される」
「プラズマ……ブレス……」
もはやブレスという括りに入れるべきではないのではないか―――そう思った。
リュハンシク守備隊を推定10分で壊滅に追いやり、全てを焼き尽くすプラズマブレスを吐き出して、不死に近い再生能力を持つ神話の時代の怪物、ズメイ
俺たちはとんでもない時代に生まれてしまったのかもしれない―――口に出す事は憚られたが、胸の奥底ではそんな思いが渦巻いていた。
3日後
イライナ公国 リュハンシク州 ヴェレロドレスク市郊外
音を立てず、呼吸も押し殺し、自分自身の肉体を周囲の空気に溶け込ませる様をイメージする。ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという個人が空間の一部になったかのように振舞いつつ、しかし手にしたM762(※ベリルの7.62×39㎜仕様)はいつでも発砲できるように備えておく。
ぐちゃ、ぐちゃ……肉を食み、噛み千切るような湿った音。間違いなく敵はこの扉の向こうにいる。
モニカと目配せし、意を決して扉を蹴破ると同時に銃口を向けた。
マウントしたホロサイト『UH-1』のレティクルの向こう、一瞬ばかりの惨劇が映し出される。ぶち破られた廃墟の壁に血の海、そしてその血の海のど真ん中で冒険者の死体を3つの首それぞれで奪い合うように食い千切る竜の仔の姿。
俺たちだけで来てよかった、子供たちにこんな光景を見せずに済んだ―――犠牲者の死を悼みつつもそう思い、躊躇なく引き金を引いた。
ガガガ、と7.62×39㎜弾、その装薬を限界まで増量した強装弾が放たれ、加えてモニカのPKM汎用機関銃も7.62×54R弾の無慈悲極まりない弾幕を竜の仔へと叩きつける。
5.56㎜弾では威力不足という情報から大口径のライフルを持ってきたわけだが、その判断は正しかったらしい。食事中に唐突な近距離射撃を受けた竜の仔は黒い外殻を撃ち抜かれ、金切声を発しながら死体を放り投げて戦闘態勢に入る。
大蛇のように長い首を伸ばして噛み付こうとするが、しかしこちとらジャコウネコ。捕食者から逃げるために発達した反射速度は噛み付き攻撃を紙一重で回避するには十分で、伸びてきた長い首は左肩を掠めて空振りし後方の壁へと突っ込んだ。
無防備となった首に銃剣を突き入れ、そのままゼロ距離射撃。紅い光が漏れる外殻の隙間にナイフ形銃剣の切っ先が潜り込むなり、赤ワインのような血が噴き出した。
返り血を浴びながら発砲。マガジンが空になるまで撃ち込んで首の1つを潰し、ライフルから手を放してKS-23に持ち替える。
劣化ウラン製のスラグ弾を首の1つに叩き込んで上顎から上を吹き飛ばす。もう一つの首を狙―――おうとしたけれど、それよりも先にモニカの張った7.62×54R弾の弾幕が竜の仔の首をチーズみたく穴だらけにしてしまったので、俺は心臓目掛けて引き金を引いた。
ドカン、と大砲みたいな銃声が響き、心臓をスラグ弾で撃ち抜かれた竜の仔から紅い光が消えた。生物的とは思えない、外殻の隙間から漏れる紅い光がまるで電源が切れたかのように消失して、どう、と音を立てて廃墟の床に崩れ落ちる。
「ケガは?」
「ないよ」
刺さったままのM762を引っこ抜き、ハンカチで返り血を拭い去りながらモニカに応えた。
やはりズメイ復活の日が近いからなのだろう―――リュハンシク州で最初の竜の仔が確認されてからというもの、竜の仔の目撃情報や被害情報が急激に増え始めた。
初の遭遇からたった3日で死者15名、行方不明者23名という惨状である。そのためリュハンシク州の領民には不要不急の外出を避ける事を要請し、万一竜の仔や正体不明の飛竜を発見した場合は冒険者に依頼せずリュハンシク防衛軍に出動要請をする事を呼び掛けており、関係各所とも連携して連絡体制を整備している。
が、その努力をあざ笑うかのように犠牲者の数は増え続けている。
「……だからダメだと言ったんだよ」
壁際まで吹き飛ばされ、動かなくなっている冒険者の死体に向かってそう呟きながら、見開かれたままの目をそっと閉じさせた。肩口と両腕、両脚が食い千切られ、内臓も食われたようで腹は大きく裂けている。
竜の仔は危険だから戦わないように、そして竜の仔の駆除は冒険者ではなく防衛軍に要請するようにと厳命していたのだが、それでもこうやって戦いを挑み餌になる冒険者は後を絶たない……15名の死者のうちの12名が冒険者だ。
こうやって魔物を狩って生計を立てなければならない、という気持ちは分かる。そして領内の治安維持強化のせいで彼らの活躍の場を奪ってしまったという負い目もある。が、それは命あっての物種というやつではないか。死んでどうなるというのか。
「……こっちは終わった。犠牲者1名、遺体回収の手配を」
《了解しました領主様》
防衛軍の兵士に通信し、溜息をつく。
西暦1907年―――永久に続くと思われていた安寧は、緩やかに崩壊しつつあった。
竜の仔
ズメイの幼体と目される小型の飛竜。全長2~3mほどの小ぶりな身体で3つの首を持つ。またブレスの発生器官が未発達だからか、ブレスは使えるがただ単に火炎放射をする程度に留まっている。総じてズメイ本体ほどの脅威はないものの、本体同様の単分子構造による堅牢な外殻により5.56㎜弾では外殻貫通は期待できず、最低でも7.62×51㎜級の弾薬が必要になる。
本来、エンシェントドラゴンには”寿命”という概念がなく、一部の例外を除いて繁殖は不要である筈である。しかしズメイの場合は不死に近い強力な再生能力がある事から、本体から切り離された細胞が稀に独立した生命体として変異し竜の仔となる……と実しやかに囁かれているが、発生原理や生態を含めて一切が謎に包まれており、ズメイの仔であるという肯定的な説から、ただの近縁種ではないかという否定的な説まで多くが語られている。
なお、竜の仔は200年前のズメイ襲撃の際もイライナ、ノヴォシア、ベラシア各地で目撃され甚大な被害をもたらしており、『邪竜出現/復活の先触れ』として恐れられている。




