時の流れは平等に
パヴェル「冬のミカエル君の新刊、タイトルは”父搾り”にしようと思うんだけど」
ミカエル「」
「あらあら、みんな大きくなったわねぇ」
紅茶をテーブルの上に置きながら、母さんは笑みを浮かべた。
あれから20年―――時の流れは、誰にも平等に訪れた。
母さんの髪には白髪が増えた。顔には皺が浮かび、体力的にもそろそろキツいとの事で最近は現場仕事はせず、もっぱら受付のヘルプに入るか事務仕事をしているという。
管理局では65歳を定年と定めていて、希望者には追加で5年の契約延長が認められているが……俺からの仕送りに加え、冒険者となったサリーの収入のおかげで資産には余裕がある事を鑑み、あと5年頑張ったら定年退職するつもりなのだそうだ。
もう、母さんも60歳になる。
立派なお婆さんだ。
うふふ、と孫たちの頭を撫でたりしながらニコニコしている母を見て、安堵すると共に少しだけ疑問を抱く。
今の人生で、母さんは幸せだったのかな……と。
きっと、レギーナ・パヴリチェンコという女の生涯を俯瞰して見れば、それは幸せとは程遠いものであったのだろうなと思わずにはいられない。
アレーサから遠く離れたキリウまで出稼ぎに行き、差別されがちなハクビシンの獣人だから、という理由で向こうではひどい扱いを受けていたようだ。加えて妊娠中の妻に手を出せないからと、あの終身名誉性欲暴走レーズンの欲望の捌け口にされて庶子を身籠った……2回も、だ。
女としての、いや、それ以前にヒトとしての尊厳を踏み躙られる思いをして、けれども過去を呪わずこうして笑って暮らしているのだから、きっと幸せなのだろう。
「あら、ラフィーちゃん」
「はい、お祖母ちゃん」
「……前に会った時と身長変わってないわねぇ」
「ィァ゛ァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
パパの前で見せた事のない顔と聞いた事のない声を発するラフィー。どうやら彼にとっては性別だけでなく、身長についても触れてはいけない部分だったらしい。
これ母さんじゃなくて赤の他人が放った一言だったらデスラファエル君降臨してるんだろうなぁ……と生暖かい目で見守りつつ、ぽん、と息子の肩に手を置く。
悲しむな息子よ、強く生きるのだ息子よ……お前の隣にもいるぞ、13歳の時に成長期が止まって終身名誉ミニマムサイズ獣人として生きる事を余儀なくされたパパが。
「あらあらごめんなさいね? でも心配しなくていいのよ。背が小さくても魅力的だから」
「そ、そうでしょうか」
「ええ。あなたのお父さんを見れば分かる事よ」
……そ、そうでしょうか。
紅茶をちびちびやりながら、ちらりと視線を暖炉の上の白黒写真へと向けた。
写真立ての中にある白黒写真に収まっているのは、若き日のカタリナお祖母ちゃんと俺の祖父……ラフィーたちにとっては曾祖父にあたるアンドレイお祖父ちゃんだ。
ノヴォシア帝国海軍の水兵で砲手だったアンドレイお祖父ちゃんは、アレーサに寄港し上陸した際にお祖母ちゃんと出会ったのだそうだ。それでお祖母ちゃんがお祖父ちゃんに一目惚れし交際を始め、そのまま結婚したのだという。
お祖母ちゃん曰く『小さくて可愛くて好みのタイプだった』との事だけど、なんだろう……クラリスと似た性癖を感じるのは。
いずれにせよ、このミニマムボディの元凶はあの写真に収まっているアンドレイお祖父ちゃんである、とは断言しておく。
だってそっくりだもん、俺に。
キャラデザ使い回してんじゃねえかってレベルで同じなんだもん……完全に一致なんだもん、俺に。
俺も年取ってあの世に行ってお祖父ちゃんと対面する機会があったら、まあ色々と話を聞いてみたいもんである。なしてお祖父ちゃんそんなミニマムサイズなのって。
まあ、それはさておき。
「サリーも元気だったか?」
「ええ、とっても」
穏やかな声で応えながら、サリーは微笑む。
サリー……妹のサリエルも、今年で20歳になった。
信じられるだろうか。キリウの屋敷でメイドを止めて、故郷への帰路についた母さんがあの時点で身籠っていた小さな命。俺と17歳も歳の離れた妹が、今では立派な大人の女性なのである。
やはりというか、母さんに似たのだろう。顔の輪郭が若い頃の母さんにそっくりだ。もし今のサリーにメイド服を着てもらったら、屋敷にいた頃の義母さんと瓜二つであるに違いない。
そんなサリーのお腹は、随分と大きくなっていた。
彼女もまた、母になろうとしているのである。
「でもね、聞いてよ兄さん。夫ったらこないだリヴァイアサンと真っ向から殴り合ってボロボロになって帰ってきて……」
心配そうな表情になりながら訴えるサリー。
その矛先が向けられているのはサリーの隣に座って澄ました顔でクッキーをボリボリ噛み砕いていたハイイロオオカミの獣人だった。
体格はガッチリしていて、さながら軍人や格闘家のようだ。”魅せる筋肉”ではなく”戦う筋肉”として鍛えている事がはっきりと分かる。しかしその上に乗っている顔は男性的というよりも中性的で、首から上だけを見るならば男性なのか女性なのか、性別の判断に困る。
グレイル―――それが、サリーの伴侶の名だった。
かつてパヴェルが籍を置いていた暗殺ギルド【暗殺教団】。そのギルドの仲間であったホッキョクオオカミの獣人『スミカ』が連れ歩いていた赤子の、成長した姿であるという。
同ギルド内では『パヴェルとスミカの仔ではないか』という噂が絶えなかったそうだが、パヴェルは自分の妻意外と肉体関係は持っていないらしいし、グレイルはスミカが廃教会で捨てられていたのを拾った赤子なのだそうだ。
ちなみに俺、結婚式で泣いた。ボロボロ泣いた。さすがにパヴェルみたいにショットガンは持っていかなかった……トカレフは持っていったけど。
リヴァイアサンと真っ向から殴り合うという、ちょっと意味不明な状況に首をかしげていると、グレイルは気まずそうに鼻先を指で掻きながら「でもよお」と反論する。
「あの仕事報酬高かったし、ほら……お義母さんとサリーに楽させられるかなぁって思ったらさ」
「もう……心配したのよ、私」
「ごめんごめん、つい血が滾っちゃって」
コイツもきっとアレだ、ほらあの旅順要塞で戦ったバカイッヌ……力也と同じタイプなのかもしれない。
今大陸と北海と大西洋の彼方から『ぶえっくし!!』って特大級のくしゃみが聴こえてきたけど気のせいだろう。気のせいだ、決してあのバカイッヌのくしゃみなどではない筈だ。
「グレイル、あまりサリーに心配かけちゃあダメだぞ」
「すいませんお義兄さん」
子供が生まれる前に妹を未亡人にされちゃあ困る。
戦いを好むタイプの男と結婚した女の人って大変そうだなぁ……などと思いながら、しばらく雑談に花を咲かせた。
アレーサの丘の上、その一角に人知れず佇む墓石がある。
毎日しっかり手入れがされているらしい。個人の名前と生年月日、没年月日が刻まれた墓石には砂塵一つ着いてはおらず、墓前には真新しい花束と瓶に収まった聖水が置かれている。
『Андрій Павліченко 1810~1865(アンドリー・パヴリチェンコ 1810~1865)』という記述の下には、仲良く寄り添うように新しい故人の名前が刻まれている……『Катерина Павліченко 1825~1905(カタリナ・パヴリチェンコ 1825~1905)』と。
カタリナお祖母ちゃんは今、この冷たい墓石の下で眠りについている。
2年前、老衰で亡くなった。朝ごはんの時間になっても起きて来ないからとサリーがお祖母ちゃんを起こしに行ったら、そのまま冷たくなっていたという。
葬儀の後、お祖母ちゃんの遺灰は遺言通りにお祖父ちゃんの遺灰と混ぜ合わせて、一緒に埋葬した。
……いつかは起こる事だと、受け入れなければならない事だと、そう思っていた。
けれどもやはり、覚悟していても、それが実際に現実として突きつけられると受け止めきれないものである。
「……お祖母ちゃん、来たよ」
もう届く筈のない言葉を紡ぎながら、そっと花束を墓前に供えた。
それから墓前に片膝をつき、目を瞑りながら胸の前で十字を切る。お祖母ちゃんの信仰していた宗派の祈り方なのだそうだ。片膝をつくのは死者への敬意を、十字を切るのは死後の安寧を祈るために必要な事なのだという。
―――みんな、こんなに立派になりました。
子供たちはみんな大きくなった。冒険者見習いとして毎日頑張っているし、ラフィーも次期領主候補の筆頭として政治や経済も学んでいる。個人的にはもうラフィーの成人を待って、家督を彼に譲り領主の座を退くつもりでもいる。
俺の真似をしてお祖母ちゃんのお墓に祈る子供たちを見守りながら、思う。
立派になった子供たちの姿を、お祖母ちゃんにも見せてあげたかった……と。
お祖母ちゃんからすれば曾孫だ。まだ小さかった子供たちを連れて行った時はそりゃあもう入れ歯をふっ飛ばす勢いでびっくりしてたものだが……。
特にアザゼルは泣き虫だったから、お祖母ちゃんには特に甘やかされていた。今の彼が色々とアレなのは幼少の頃にカタリナお祖母ちゃんに甘やかされていたから……というのも一因かもしれない。
昔の思い出を思い出したのだろう。祈りを捧げていたアザゼルが、ぴえー、と声を上げて泣き出した。
―――いずれ、クラリスたちともこうして死別するんだろうな。
そう思うと、泣くな、とか、そんな無責任な事は言えなかった。
だって、きっとその悲しみには耐えられないだろうから。
人前では我慢するだろうが……きっと独りになった途端に、堰を切ったように涙が溢れ出るだろうから。
死とは、それほどまでに大きな喪失なのだ。
だから命とは重いのだ。
決して、軽くあってはならないのだ。
3日後
イライナ公国 首都キリウ
キリウ駅
《Це Кіріу, Кіріу. Вихід ліворуч. Будь ласка, пересідайте на залізницю Сейбу, залізницю Хокубу та залізницю Тобу. Пасажири, будь ласка, будьте обережні, не залишайте нічого позаду(キリウ、キリウです。お降り口は左側です。西部鉄道、北部鉄道、東部鉄道はお乗り換えです。乗客の皆様はお忘れ物のないようご注意ください)》
ややノイズの混じった車内放送を待たずに、降り口の前に待機する。
窓の向こうには既にキリウ駅の見慣れたホームが迫っていて、列車は綺麗に停車した。この列車の運転手はさぞ優秀なのだろうな……などと思いながらホームへと降り立ち、空を仰ぐ。
キリウ駅のシンボルでもある巨大なグラスドーム。イライナの国章でもある三又槍を象った鉄芯が中に入っていて、こうして空を仰ぐと青空を背景に国章が浮かび上がるという、なかなか洒落たデザインになっている。
改札口で切符を通し、改札を抜けた。
その先には、既にリガロフ家の家紋をこれ見よがしに掲げたセダンが停車していた。運転手が俺の存在に気付いたようで、深々と一礼してから後部座席のドアを開ける。
座席には当たり前のようにチャイルドシートが用意されている……それも黒を基調に、アクセント程度に黄金を配色した高級品だ。貴族の子供向けのものらしいのだが、当たり前のように尊厳破壊するのやめてもらいたい。
でもまあ、尊厳破壊されるのが嫌だからとガバガバのシートベルトを身に着けてたら事故って車外に投げ出されました……なんて事になるよりははるかにマシである。尊厳で命は守れない。
チャイルドシートに腰を下ろしてシートベルトを締めていると、隣に座っていた先客が声を投げかけてきた。
「どうだった、アレーサは?」
「久しぶりに母の顔を見れて安心しました。それと妹夫婦も元気そうで」
「そりゃあ何より」
一足先に後部座席に座っていたのは、兄のマカール。
今ではイライナ公国憲兵隊長官として憲兵たちのトップに立つ重役中の重役だ。
……そしてそんな兄も、腕を組みながら高級品のチャイルドシートに腰を下ろしている。
「いやアンタもかいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
「うっせーバーカ! こちとら155㎝から1ミクロンたりとも伸びてねえんだよ身長が!」
「いーじゃないですか俺より5㎝も高くて! ここは平等に2.5㎝ずつ分け合いましょうよ兄上!」
「やるかバカ! この5㎝は俺のもんじゃい!!!」
「あーブルジョアだ! 富の独占だ!!」
「都合のいい時だけ共産主義に縋るんじゃねえ!!!」
マカール兄貴は身長155㎝のスモールサイズである。それに対してミカエル君は150㎝のミニマムサイズ……うん、あまり変わらねえ。
相変わらず若い……というか幼い容姿の兄上とギャーギャー口喧嘩をしている間に、車はリガロフ家の屋敷へとゆっくり走り始めた。
―――姉上からの急な呼び出しだ。
議題は伏せられているが、こういう時は大抵ロクでもない案件なのだろう。
視界の端に映った空は、いつの間にか曇り空へと転じていた。
未だかつてないクソ案件―――俺には、そんな気がしてならない。
マズコフ・ラ・ドヌー突入作戦(2013年、アルミヤ戦争)
『ミカエルが身を切って与えてくれたチャンスだ……しくじるなよ、マカール』
※戦艦マカール艦長「アンドリー・ケレブチェンコ大佐」、マズコフ・ラ・ドヌー突入前に艦橋にて発言
2013年のノヴォシアによるアルミヤ戦争の帰趨を決定づけた一戦。アルミヤ半島沖で戦艦ミカエルがノヴォシアの主力艦隊の攻撃を一身に受けている間、姉妹艦『マカール』を旗艦とした決死隊は防御ががら空きとなった状態のマズコフ・ラ・ドヌー海軍司令部へ突入を敢行。徹底した艦砲射撃で軍港と海軍司令部を破壊、ノヴォシア海軍に多大な損害を与える事に成功した。
後世では『芸術的なまでの奇襲作戦』と評価されているが、決行前まではイライナ海軍上層部からは【生還を期さぬ実質的な特攻作戦】であると見做されていた。マズコフ・ラ・ドヌー基地には各地から抽出されたバルチック艦隊や極東艦隊などの予備兵力がひしめき合っていると考えられていたためである。
そのため当初の作戦目標はマズコフ・ラ・ドヌー軍港の入り口に強行突入、機雷を敷設しこれらの予備兵力を封殺する事となっていた。なお作戦実行に際し、マカール艦長のケレブチェンコ大佐は家族に対し遺書を書いているが、これは戦勝の際に甲板上から海へと投げ込まれたとの事。
8月23日未明、暗闇に紛れてマズコフ・ラ・ドヌーへ忍び寄った戦艦マカール及びギュルザM型砲艇で構成された決死艦隊は、日の出と共に光学迷彩を解除。3隻のギュルザM型砲艇を曳航したマカールは【我突撃ス、祖国ヨ永遠ナレ】とアルミヤ海軍基地へと打電ののちに最大戦速でマズコフ・ラ・ドヌー軍港へ突入し艦砲射撃を見舞った。
この際基地からの反撃で対艦ミサイル5発が命中、沿岸砲の砲撃が前部甲板へ立て続けに12発命中するなどの損傷を受けるものの、しかし末妹を囮にし、決死の覚悟で切り込んだイライナ艦隊の士気は微塵も衰えず、戦艦マカールは火達磨になりながらも砲撃を続行した。この際、予備兵力で溢れているだろうと思われていたマズコフ・ラ・ドヌー軍港内部は殆どがら空きとなっていた事からケレブチェンコ大佐は海軍司令部への直接攻撃を決断。迎撃に出てた魚雷艇を押し退けて突撃、司令部へ艦砲射撃を叩き込んだ(この際、マカールの主砲斉射の瞬間がカメラに収められている)。
作戦開始から30分、十分な損害を与えたと判断したケレブチェンコ大佐は離脱を決定。湾内に大量の機雷を置き土産にばら撒き撤退、奇襲攻撃は大成功となった。
この戦いでノヴォシアは黒海における海軍力の殆どを喪失した他、湾内の機雷撤去に長い時間を要する事となり、事実上黒海艦隊は機能停止へと追いやられた。
戦後、メディアのインタビューに対しケレブチェンコ大佐はこう答えている。
『あの作戦の時、マカールもかなり撃たれて(甲板上が)火の海だったんです。普通の戦艦だったらもう沈んでいるような深手だった筈ですが……妹が身体を張って祖国を守ったんです、負けられないって奮い立ったんでしょうねこいつも』




