母を訪ねてアレーサへ
ラファエル「……ねえアザゼル」
アザゼル「何?」
ラファエル「君ちょっと臭うんだけど……お風呂入った?」
アザゼル「ん、シャンプー目に入ると痛くて嫌だから先週から入ってない」
ラファエル「」
ラファエル「 カ ト レ ア 今 す ぐ コ イ ツ を 風 呂 に ! ! 」
カトレア「 う っ ひ ょ ぉ お 任 せ く だ さ い ま せ ! ! 」
アザゼル「 ぴ え ー ! ! ! 」
もこもこアザゼル君「……もうお嫁いけない」
ラファエル(何このもこもこの毛玉)
カトレア「かわいい(かわいい)」
重々しい音を立てて、剣槍と二振りの剣が真っ向からぶつかり合う。
みしり、と骨が軋むのが確かに分かった。こんな衝撃をまともに何度も受けていたらそのうち剣槍は無事であっても、腕の骨の方が先に逝ってしまうのではないか―――そんな冗談じみた話も現実味を帯びてくるのだからたまったものではない。
圧倒的なクラリスの膂力で押し返されてしまい、体勢を立て直そうとするが一瞬ばかりたたらを踏む。拙い、と思った頃には紅い光の尾を右眼から発したクラリスが、姿勢を低くして首を狩りに来るところだった。
歯を食いしばり、身体を強引に捩って左腕を振るう。
首目掛けて振るわれるクラリスの剣。それが最大加速に達するよりも先に、振るわれた左手の握るバックラーが剣を打ち据えその勢いを削いだ。ガギン、と火花を散らしながら剣が払いのけられ、続く一撃の出鼻を辛うじて挫く事に成功する。
さあ、ここから反撃だ―――というところでブザーが鳴り、セルゲイの「そこまで!」という鋭い声が飛んだ。
もうちょっとだったのになぁ、と思いつつ剣槍を背負い、鍛錬に付き合ってくれたクラリスに一礼。クラリスも額の汗を拭い去りながら清々しい笑顔で一礼するや、カトレアから眼鏡を受け取ってそっとかけた。
「ご主人様、また上達なさいましたわね」
「そういうクラリスこそ、まだこれだけ動けるのすげえよ……勝てる気がしない」
いえいえそんな、なんて謙遜するクラリスだが、彼女は今年でいよいよ40歳である。
人間であれば明確に身体能力が衰え始める年代だが、彼女たちホムンクルス兵の場合はより深刻だ。
テンプル騎士団謹製のホムンクルス兵は特殊な歳の取り方をする。40歳までは20代半ばから後半までの容姿と身体能力を長期間維持するという、常人からすればあまりにも羨ましすぎる老い方をするのである。
しかし40歳からは急激に年老い、1年もすれば白髪に染まって、2年もすれば自力で立って歩けなくなる……という事も珍しくないのだ、とシャーロットは言っていた。
そしてホムンクルス兵たちの平均寿命は40~50歳。50歳まで生きれば、彼女たちの基準では『天寿を全うした』と言えるらしい。
若い期間が長いのは、寿命が短いが故に持て余してしまう生命エネルギーをそこで燃やし尽くしているのだろう。
最近、歳を気にするようになってきた。
俺のではなく、クラリスやシャーロット、シェリルの3人の年齢だ。
特にクラリスと一緒に過ごせるのは、甘く見積もっても10年……窓の向こう、リュハンシク城の中庭に植えられた桜。あの舞い散る花弁を見る事が出来るのは、下手をすれば今年が最期になるかもしれない。
そう思うと寂しくて、悲しくて、胸が張り裂けそうになる。
彼女は昔からずっと一緒だった。単なる主人と従者、という関係では言い表せない強い繋がりがあった。夫婦となった今でもそれは変わらず、もはや自分自身の半身と言い切ってしまってもいい。
そんな俺の胸中を見透かしたのだろう。剣をカトレアに預けていたクラリスは、にっこりと笑みを浮かべながら俺の手を優しく握ってくれた。
肉刺の潰れた痕が残る、けれども柔らかくてすべすべしたクラリスの手。暖かくて、触れているだけで落ち着くような、そんな感じがする。
「ご主人様、そんな顔をしないでくださいまし」
「……敵わないな、君には」
「恐れ入ります。ふふっ」
「旦那様、奥様。そろそろお支度を。列車のお時間が迫っておりますゆえ」
「ああ、ありがとうセルゲイ。さ、クラリス」
「ええ。では支度をして参りましょうか」
今日はちょっとした里帰りだ。
久しぶりに、母の顔を見に行くとしよう……サリーも喜ぶはずだ。
かつて、血盟旅団が旅に使っていた列車『チェルノボーグ号』は、20年経った今でもなお現役だ。
所属が血盟旅団からリュハンシク防衛軍の管轄へと変更され、リガロフ家の専用列車として、そして有事の際は陸の移動要塞としての運用も想定されたチェルノボーグ。列車を牽引するのはイライナの鉄道規格に合わせてサイズアップされた世界最大最強のディーゼル機関車『AC6000CW』。
リュハンシク車両基地から出てきた列車の機関車からは、ソ連軍の将校用コートにウシャンカ姿、そして咥え煙草のパヴェルが駅のホームで列車を待つリガロフ一家に向かって手を振っている。
リュハンシク城のホームにやってきたチェルノボーグ号。客車に乗り込むなり、俺は荷物を真っ先に寝室へと持っていった。
20年前と何も変わっていない―――階段を上がった先に広がっているのは車両右側に寄った通路で、左側には個室のドアがある。ドアを開けて中に入ってみると、寝室には二段ベッドと机に本棚が置かれていた。これもあの頃と変わっていない。
荷物を部屋に置くなり、俺は客車を後にして機関車の方へと向かった。AC6000CWに追加された整備用キャットウォークを歩いて機関車のドアを開けると、猛烈な煙の匂いと共にパヴェルのでっかい背中が出迎えてくれる。
「おーうミカ」
「悪いなパヴェル、今回も頼むわ」
「ガッハッハ、任せろ。オイ範三、車掌さん? 出発準備はOKかな?」
《待たれよ、まだ信号が変わってな……あーお客様お客様、窓からお顔を出されては困ります! あーちょっ、誰だ1号車で尻尾出してるの!?》
うーんカオス。
どうせラグエルだろ、と思った。ウチの三男坊はどうも問題児というかイタズラ好きというか、ラフィーが落ち着き払った優等生なのに対しラグエルはオラオラ系である。
というか車掌さん範三なのか、と困惑していると、ツナギ姿のセシールも機関車にやってきた。助手かな、と思いながら視線を向けて英爵すると、彼女の後に続いてぬうっと長身の少年も機関車に入ってくる。
「お、シンちゃん!?」
「あっ、ミカエル殿! お久しぶりにございます!」
さすがに範三と同じく袴姿ではなく、こっちは私服姿だ。
体格は父親同様の筋骨隆々、しかし端正な顔立ちはどちらかというと母親であるセシールの面影が色濃く表れている。
『市村真之介』―――範三とセシールの間に生まれた、若き侍である。
腰には脇差と本差がある。いずれもパヴェルが孫のために丹精込めて造り上げた逸品、ゾンビズメイの外殻を用いた名刀だ。
というかもうパヴェルもお祖父ちゃんなのである。47歳のお祖父ちゃん……若いが、しかしみんな年を取ったもんだと思うと感慨深くなる。
機関車の運転台の傍らに、白黒の写真が貼り付けられているのに気付いた。
昔の写真だ―――まだ俺たちが、この列車で旅をしていた時のものだ。こうして見てみると俺たちもまだまだ若くて、機械の身体であったが故にちんちくりんだった頃のシャーロットが懐かしい。
《あー、こちら車掌の範三です運転手さんどうぞ》
「はーい運転手の熊さんですどうぞー」
《信号変わりました。客車からも尻尾引っ込みました、安全確認ヨシ。出発ヨシ》
「了解、出発ヨシ」
ビー、とブザーが運転室に鳴り響く。
ごうん、とディーゼルエンジン……ではなく魔改造の末搭載された対消滅エンジンが低い唸り声を発しながら馬力をどんどん上げていった。ごとん、とレールを踏み締める音と共に機関車が微速で前進を開始、そのまま加速へと入っていく。
ホームで担え銃の格好で整列し、俺たちを見送ってくれる戦闘人形たちに答礼を返しているうちに、リュハンシク城のホームはすっかり見えなくなった。
線路の左右にはもっこりと盛り上げられた雪山がまだ溶けずに残っている。昨年の冬に除雪された雪だ。いつだったか、春が終わり夏に入る辺りまで残っていたのを見た時はお前マジかってなった。異世界の冬はいくら何でも苛酷すぎる。
リュハンシク駅の辺りから在来線区間へと入る。一足先に駅を出た特急の後を追うように走るチェルノボーグ。リガロフ家の家紋に気付いたのだろう、線路脇の道路で列車を見ていた子供たちが大きく手を振っていたので、俺も笑みを浮かべながら手を振り返した。
「シン、飴食べるかい?」
「あ、いえ」
「そう……」
孫に断られ、しゅん……と分かりやすく落ち込むパヴェル。
お祖父ちゃんとかお祖母ちゃんって孫に甘いけど、パヴェルもどうやら例外ではないらしい。以前にシンちゃんから聞いたんだが、休日にパヴェルのところを訪れたら夕飯にドカ盛りの味噌ラーメンとライスと餃子のセット(※お代わり込み)という炭水化物爆上げセットでおもてなしされたらしい。中国の人が見たら卒倒しそうだ……。
「チョコもあるよ?」
「ああ、遠慮しておきますお爺様」
「そう……」
しゅん、と落ち込むパヴェル(2回目)。
さすがに可哀想になったのか、んー、と頬を指先でポリポリ掻いてから「あ、やっぱりチョコ貰っていいですか」と言うと、パヴェルの顔に笑顔が咲いた。何だこのお祖父ちゃん可愛いんだが?
「そういやシンちゃん今何歳だっけ?」
「16です」
「おー、もうそんなになったか」
「ええ。今は父上と母上の下で鍛錬を積みながら、冒険者見習いとして活動しております」
「そうかそうか。まあ、確かに今のシンちゃん見てると昔の範三にそっくりだ」
「父上に……ですか?」
「うん。なんか後ろ姿がそっくり」
範三は第一世代型の獣人、真之介は第二世代型の獣人なので外見で区別はすぐにつく。顔つきというか骨格がそもそも違うので顔がそっくり、なんて事は無いのだが、なんというか身に纏う雰囲気が範三のそれなのだ。
ガリヴポリ方面の単線区間を抜けたところで、段々と雑談にも花が咲き始める。
こうして仲間と思い出話をするのも悪くないものだ。
トンネルを抜けると、一気に景色が開けた。
南の遥か向こうに広がる海原。蒼く輝く黒海の水面と、青空を舞う海鳥たちの鳴き声。
客車のタラップを上がってハッチをこじ開け、ブローニングM2重機関銃がマウントされている銃座まで上がった。胸いっぱいに空気を吸い込むと、潮の香りが鼻腔一杯に広がってきて、ああ、また来たんだなという気持ちにさせられる。
線路の向こうに見えるのはイライナ南方の港町、アレーサ。俺の母『レギーナ・パヴリチェンコ』の生まれ故郷である。
キリウの屋敷を抜け出して、母のいるアレーサを目指し旅をしたのが今ではもう20年前―――時の流れとは何とも早いものだ。屋敷を出た事がなく、写真や見聞でしか情報が入ってくる事のなかったアレーサや黒海の景色。初めてここに辿り着いた時はその新鮮さに驚愕したものだが、今は違う。胸の奥にじんわりと、何とも言えぬ感覚を覚える。
ひょこ、とラフィーとウリエル、それからラムエルもハッチから顔を出す。しかしいくらハッチが広いとはいえ3人一緒に出ようとすればぎゅう詰めになってしまうのも当たり前というもので……あーこらこらラム、うーちゃん、一旦下がって一旦下がって。ホラお兄ちゃんがうーちゃんのおっぱいで押されて苦しそうにしてるから。
すぽん、とコルク栓が抜けるような効果音(音響さん音間違えてない?)と共にラフィーを引っ張り出す。
アレーサの町を見た子供たちも、昔の俺と同じようなリアクションだった。
やがて列車はアレーサ駅のホームへと滑り込んでいった。定期運航の列車ではなく臨時列車なので、いつまでも在来線ホームに居座るわけにはいかない。なので当然冒険者向けのレンタルホームに入っていく。
列車を降りると、透き通った黒海の海原を思わせるような、透明感の溢れるチャイムが反響しながら聴こえてくる。鉄琴の透明感にあふれたチャイムは広大な空間と天井を覆うグラスドームに反響して、まるで深海にいるかのような感覚すら与えてくる。
けれども上から押さえつけられるような息苦しさを感じないのは、曲調もそうだが十分な空間を確保している事もあるのだろう。
改札口を出て、そのまま丘の上へと向けて歩いた。
母の家がある場所は昔から変わっていない。町からちょっと離れたところにある、アレーサと黒海を一望できる丘の上だ。そこにぽつんと建っている一軒家に今でも母は住んでいる。
「お婆ちゃん元気かなぁ?」
「ん、元気だと思うよ。今でも管理局の受付の仕事してるらしいからね」
昔は護身用の小銃を持って、冒険者の魔物討伐確認などのために現場に赴く事もあったという母さん。けれども母さんももう60歳になる……さすがに現場に行くのは危険、と上司も判断したようで、今は管理局で事務作業をしたり、受付のヘルプに入ったりする事が多いのだそうだ。
管理局の定年は65歳まで。一応はそこから5年間の契約延長が可能だそうだが、体力的にもきついそうなので延長はしない、と以前会った時には言っていた。
母も苦労してきた人である。俺もこの通りだしサリーももう既に20歳になった……子供一同は立派に自立したので、願わくばこれからは自分の好きなように生きてほしいものである。
庭に小さな畑のある家の門を潜る。やっぱり、表札には『パヴリチェンコ』の表記があった。
リガロフ家に迎え入れられていなければ、きっと俺が名乗っていたであろう母の姓。だからミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフではなく、【ミカエル・パヴリチェンコ】を名乗ったIFの世界もあったのかな……などと思いを馳せつつ、玄関のドアに吊るされていたベルを鳴らした。
ガチャ、とドアが開く。
中から出てきたのは母さんでも、サリーでもなかった。
「……あ、ミカエルさん?」
「やあ。母さんはいるかな?」
「義母さんでしたら中に。どうぞ」
出迎えてくれたのは、淡白な感じのハイイロオオカミの獣人だった。
彼の名は『グレイル』。
―――俺の妹、サリーの夫である。
ガブリエル・ラファエロヴィッチ・リガロフ
・父親
ラファエル・ミカエロヴィッチ・リガロフ
・母親
カトレア
ラファエルとカトレアの間に生まれた男の娘(150㎝)。父がそうであったように魔術の適正には恵まれず、英雄である祖父ミカエルと名君ラファエルの2人に幼少の頃から英才教育を受けて育った。幼少の頃は元気いっぱいで、誰彼構わず(物理的に)噛み付く癖があったらしく、家族からは『ガブちゃん』と呼ばれ可愛がられていたという。
かつて父ラファエルがそうであったように、幼少期に第二次イライナ侵攻を受けキリウへ疎開。その際は勉強をしながらテレビで戦局報道を見ながら、『戦を未然に防ぐには相手に恐怖を植え付けなければならない』と考えるに至り、父ラファエルから家督を継承した後は領民に優しい統治を継続しつつ、ノヴォシアにはより厳格な外交を展開。「工作員は皆殺しにする」、「売国奴はイライナ国民とは見做さず即刻死刑に処す」、「敵に尊厳など与えない。つべこべ言わず黙って死ぬがいい」などの過激発言が目立つようになった(決して脅しではなく全てマジでやった)。
この事からイライナ国民からは『首狩り公爵』、『イライナのロベスピエール』と呼ばれた。
第三次イライナ侵攻では彼自ら部隊を引き連れて侵攻部隊を撃滅、そのまま反転攻勢に転じマズコフ・ラ・ドヌーへと侵攻。この逆侵攻はイライナ軍最高司令部の命令には無い彼の独断のもので、最終的にはイライナ軍最高司令部からの『敵を必要以上に刺激してはならない』という懸念を受け、殺害した敵兵の死体をその場に放置したまま撤退。これによりマズコフ・ラ・ドヌー市街地は30年間、ゾンビの徘徊する汚染地域と化した。
戦後、ノヴォシア政府に対し『次はモスコヴァな』と発言、ノヴォシア政府を震え上がらせた話は有名である。
過激な話が多い彼であるが、家庭内では祖父や父同様に穏やかな性格で、休日は子供たちの遊び相手をしてあげたり、貧民救済のために私財を投げ打って路頭に迷う人を減らしていった。そのため国外からは彼に批判的な評価が多数を占める一方で、イライナ国内では『祖父ミカエルに並ぶ英雄』、『神格化するべき』と極めて高い評価を受けている。




