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世代交代

ダンシングミカエル君(怪異)


 1890年頃から確認されているイライナの怪異(?)。深夜0時から深夜2時の間に1人で歩いていると背後に人の気配を感じ、振り向いてみると身体から仄かに紅い光を放ったミカエル君が洋楽系の音割れBGMと共にダンスしながら追いかけてきた……という一種の都市伝説。


 その移動速度は非常に速く、転生者の有志が検証したところ全速力のランボルギーニに余裕で並走してきたり、0:37発のリュハンシク行きイライナ高速鉄道にも追い付いてきた、ついには飛んでいる飛行機の窓の外で踊っていたという検証結果が出ているが定かではない。彼女はただ踊っているだけである。


 この都市伝説についてミカエル君本人は真顔で否定しているが、息子のラファエル君曰く『仕事のストレスが溜まった父上が発光しながら変な洋楽をBGMに踊ってる姿を見た事がある』と発言しており、それが本人なのか、はたまた怪異を目にしてしまったのかは本当の謎。


 ちなみに追い付かれたり捕まってしまっても別に危害を加えられるわけではなく、ただ延々と近くで音割れ洋楽BGMと共にダンスを続けるだけである。



 会場の空気が変わったのは、セルゲイにも分かった。


 先ほどまでは肌を刺すような寒さだけだったそれが、しかし殺気の入り混じったぴりぴりとしたものに変容したからにはミカエルの身に何かが起こったのだろう―――そう悟り、そっとKord重機関銃のコッキングレバーを引いた。


 彼に与えられたKord重機関銃は機銃陣地や車両に設置して使用するものではなく、歩兵が戦場で持ち歩いて運用する事を企図したモデルだ。傍から見れば古めかしい対戦車ライフルにも見えるそれの銃口には、特別に用意された重機関銃用のサプレッサーが装着されている。専用設計の消音特化型小銃と比較すると銃声は大きくなってしまうだろうが、演説に聞き入っている聴衆が銃声でパニックになる事のない程度までは軽減できる。


 さて、とセルゲイは頭を掻いた。


 実に数奇な運命を辿ってきたものである、と自分でも思う。冒険者として活躍し引退、貴族の使用人として雇われ、そして今はリガロフ家に仕えている。イライナという歴史を語る上では決して外せないような大貴族と共にあるからには、その肩にかかる責任もより重いものとなろう。


 陛下の暗殺を試みる輩が、単独で動くとは思えない。


 ふう、と息を吐き、セルゲイは振り向きながらKord重機関銃を腰だめで放った。パパパパパ、と空気の抜けるような音と共にサプレッサー付きの機関銃から12.7㎜弾が放たれ、後方にあった屋上のドアをやすやすとぶち抜く。


 12.7㎜弾の破壊力は人体に向けて良いものではない―――ミカエルがそう言っていた理由がよく分かる、というものだ。明らかにそれは生身の人間を射殺するにはあまりにも威力過剰に過ぎ、撃たれた側は原型を留める事がない。


 どちゃ、とドアの向こうで崩れ落ちる音……いや、違う。肉片がその辺にぶちまけられるような、そんな音だ。ドアに穿たれた風穴越しにも、その真っ赤な惨状が窺い知れる。


 そこにヒトとしての尊厳などありはしない。”モノ”として無造作に消費されるだけの存在、崇高さの欠片もなければ、理不尽に生涯を終え物質へとなり果てた無残な残骸だけが残されている。


 10年前、ミカエルたちと初めて遭遇し交戦した時から思っていた事が、セルゲイにはある。


 彼女たちの持つ先進的な銃器は、明らかにこの世界のものではない。


 ミカエルの言う『異世界の兵器』。


 ―――この力は、あまりにも危険だ。


 銃口を向けられる側から向ける側になって、殊更にそう思わされる。


 この力、使い方を誤ればどうなる事か。


 そして同時に、安堵もしていた。


 この力の担い手が、ミカエルのような優しい女性であった事に。


 彼女であれば力の使い道を誤る事もあるまい、と思うセルゲイは、ふう、と息を吐きながらそっと右を向いた。


 いつの間にかそこに、燕尾服姿の男がいた。頭にはシルクハットを被り燕尾服の上から豪華な仕立ての外套を身に纏って、手には瀟洒な銀細工が映える(ケイン)を持っている。


 傍から見れば紳士のようにも見える格好であるが、しかしシルクハットから覗く眼光で分かる―――この男は同業者だ、と。


「……もしや貴方、”破壊の拳”セルゲイではありませんか?」


「おや、よもやそんな昔の異名を知っている御仁と相見えるとは。人生捨てたものではございませんな」


 破壊の拳―――昔の異名だ。


 若き日のセルゲイは武器を使わなかった。強いて言うならば鍛え上げた己の肉体、そして親から授けられたグリズリーの第一世代型獣人としての常軌を逸した腕力こそが最大の武器であり、その渾身の力を込めた拳から放たれる一撃は立ちはだかる全てを破壊してきた。


 せいぜいが中の上か上の下程度で燻っていた冒険者の異名が未だに語り継がれている事に、奇妙な感慨を覚える。


 自分が世界に刻んだ爪痕は、未だに残り続けているのだと。


「まあ、私に会いに来たわけではないのでしょう?」


「その通りです」


「なるほど……まあ、それも見れば分かります。貴方の目的が何か、こんな辺鄙な場所で何をするつもりなのか」


「……目的が分かるなら、どうするというのです?」


「ほっほっほ、知れた事です」


 そっとKord重機関銃と弾薬箱を手放し、セルゲイは拳を鳴らした。


 その瞬間だった―――キリウ大公ノンナ1世暗殺のため、ここへやってきたグラウンド・ゼロのマルクの全身に冷たい感触が走ったのは。


 先ほどまでの、落ち着いた物腰の老人といった雰囲気は何処へやら。


 拳を鳴らし、息を吐いただけで放つ雰囲気がものの見事に様変わりしているではないか。


 まるでそれは、枷を全て取り払われた巨大な獣のようだ―――血と闘争に飢え、今まさに解き放たれんとしている”魔獣”のそれである。


 右眼から紅い光を放ちながら、ドスの利いた声でセルゲイは告げた。







「―――ぶち殺すのみですよ、全力で」


















 空気を切る音と共に振るわれたサーベルが、鼻先の僅か数㎜という超至近距離を擦過していった。


 身を大きく仰け反らせた勢いでそのままバク転。両腕に力を込めて跳躍しつつ空中でベリルを構えて発砲、攻撃を空振りしたマイヨーロフを狙う。


 そのまま大人しく蜂の巣になってくれれば助かったのだが、しかし相手も歴戦の冒険者。そう簡単には倒れてくれないどころか、サーベルを縦横無尽に振るい弾丸を弾きつつ射線上から退避してしまう。


 前世の頃から一貫している事なのだが―――やはり俺には、戦いを楽しむ連中の事が分からない。


 強者との戦いを楽しむ人間は俺の周囲にたくさんいる。姉上もそうだし、以前に旅順で刃を交えた速河力也(こっちの世界のパヴェルなのだろう)もそうだった。


 しかし、俺には”戦いを楽しむ”という概念が分からない。


 怖いだけではないか。痛いだけではないか。


 あんな事の何が楽しいのか、到底理解に苦しむ。


 鍛錬のための戦いならばまだ良い。しかし互いに国や共同体の命運を懸けた一戦で戦いを楽しむなど言語道断だし、戦争を楽しむなど人間の風上にも置けない。


 戦いとは本来忌避すべき事で、対話や外交努力を尽くしたうえでどうしようもなかった場合にのみ選ぶ最後の手段でなければならないのだ。だから軽々しく『戦争』だなどと口にしてはいけない……俺はそう思っている。


 今もそうだ。


 アレクセイ・イリーチ・マイヨーロフ―――長年序列1位に君臨する冒険者の伝説、最強の男。そんな彼と刃を交えるなど、冒険者としてはきっと最高の栄誉なのだろう。文字通り彼は雲の上の存在、普通に生きていて滅多に遭遇する事も無ければ戦う機会も無いのだから。


 しかし、俺は何とも思わない。


 名誉も感じなければ楽しくもない。


 こんな、排水溝の縁に溜まった汚れみたいにクソな戦いはとっとと終わらせるに限る。


 パパパ、とフルオート射撃。マイヨーロフはそもそも銃口の前に立たないように立ち回り、右へと全力でダッシュしながら側面へ移動している。


 次の瞬間だった。


 ドッ、と肉を穿つ音。


 目を見開き、食いしばった歯の間から血を滲ませたのは、俺ではなくマイヨーロフの方だった。


「……?」


「……気は済んだか、ご老人」


 マイヨーロフの脇腹に、螺旋状に捻じれた杭が突き刺さっていた。


 それはまるで燃えた鉄のようで、切先にいけばいくほど、まるで溶鉱炉の中の鉄のように紅く焼けているのが分かる。しかし熱気を感じそうな見た目に反してゾッとするほど冷たく感じてしまうのは、それがただ単に呪物の類であるからだろう。


 ―――”煉獄の鉄杭(スタウロス)”。


 防御力、再生能力、不老不死―――そういったあらゆる死を回避するための概念の一切合切を無視し、被弾した対象を一撃で死に追いやる”不死殺しの杭”。


 それはかつて、最強の勇者に復讐を果たした1人の悪魔がその戦いで振るったという、復讐者の得物であった。


 それがまるで、マイヨーロフの行き先を予見するかのように”置いて”あったのである。


 銃撃を回避するのに夢中になっていたマイヨーロフにとっては、まさに青天の霹靂と言ってもいいだろう。


 ぼろり、とマイヨーロフの腕が灰になって崩れた。


 突き刺さった脇腹を中心に、マイヨーロフの肉体が段々と冷たく、熱を失った灰へと変わっていく。ボロボロと崩れ、雪風にさらわれて、冬のイライナの中へと痕跡一つ残さず溶けていく。


「お、ぉ……ぁ……!?」


「隠遁生活が長くて気付かなかったのかもしれないが……もうアンタの時代は終わったんだ、ご老人」


 崩れていく肉体を見ながら驚愕するマイヨーロフの傍らで、俺はそう告げる。


 お前の時代はとうの昔に終わっていたのだ、と。


 そのレーズンみたいな尻の乗った席をとっとと後進に譲れ、と。


「誓約書の内容、悪いが全てキッチリ履行させてもらう」


「な、なん……!?」


「―――冒険者ギルド”グラウンド・ゼロ”を敵対的勢力と認定、構成員を1人残らず狩り尽くす。泣いても叫んでも絶対にやめない、全ては貴方が約束を反故にしたせいだ。じきに仲間を全員地獄に送ってやるから、あの世で呪詛の言葉でも聞いてやるといい」


 チャンスは与えたつもりだった。


 あの時点で分かっていた事だ―――この老人よりも俺たちの方が強い、と。


 だから逃がしてやった。もう一度だけ猶予を与えてやった。


 何と馬鹿な老人か。年老いた目では己と相手の力量すら推し量れなくなってしまったのか。


「さようならだ、時代遅れの戦士」


 存在を否定するような言葉の数々に、マイヨーロフは目を見開く。


 悔しそうに噛み締める唇を冷たく見下ろし、別れを告げた。


「これからは我々が、最強(あなたたち)に代わる」


 老人は、灰の山になった。


 満足な断末魔も呪詛の言葉もなく、ただただ押し寄せる死の奔流に押し流されて―――灰と化し、風にさらわれて、痕跡一つ残さずに消え失せた。


 ふう、と息を吐くと、強烈な緊張感に心臓がバクバク言っている事に今になって気付いた。


 ……だから嫌いなのだ、戦いは。


 こういう命のやり取りは本当に程々にしたい。どうしてもこちらの言い分を理解してくれず、力で押し寄せてくる相手をワンパンでわからせる程度に留めておきたい。ミカエル君は喧嘩が弱いのだ。


 コートの内ポケットに入っていたキャンディを口の中へと放り込み、何気なく会場の方を見下ろす。


 それと同時に、聴衆から大歓声が上がった。演説台の上にいるノンナが民衆に手を振って、ステージの袖の方へと下がっていく姿が見える。


 冬季演説は滞りなく終了したらしい。


「……セルゲイ、そっちは?」


《はい、何事もなく終わっておりますよ旦那様》


 アパートの屋上から飛び降りた。


 張り巡らされた電線の上を伝い、向こう側にいるセルゲイの元へ。長い尻尾を右へ左へひょこひょこ動かしてバランスを取りながら綱渡りを終わらせると、頭を潰され物言わぬ死体と化した燕尾服姿の痩躯の男の前に、セルゲイは静かに佇んでいた。


 銃で殺したわけではないらしい―――セルゲイの右の握り拳に、脳の一部と思われるピンク色の肉片が付着している事からも明らかであろう。


 相手がグラウンド・ゼロのメンバーである事を考慮すると、あそこで頭を潰されて死んでいるのはこないだ襲撃してきた燕尾服の……あれ、ほら、アレだ。ごめん名前忘れた。誰だっけ彼?


「早かったな」


「旦那様こそ。あのマイヨーロフを相手にお見事な戦いぶりでございました」


「見てたのか」


「ええ、ワンパンで終わらせてから後はこの”すまほ”のカメラの最大望遠で」


「ワンパンで終わらせた」


 この爺さん怖すぎでは。


 10年前に戦った時って手加減してくれてたのかなぁ……と列車から放り投げられた時の事を思い出しつつ、いやあのホントこの人敵に回さなくて良かったわと心の底から思う。


 はっきり言おう。マイヨーロフより絶対セルゲイの方が強い。間違いない。


 お前はこんなところで燻ってていい人材じゃあないと思うが。


「ほっほっほ。旦那様、もしや今”お前はこんなところで燻っていていい人材じゃない”とお思いで?」


「……ねえ、俺って顔に出やすい?」


「いえいえ、何となくそんな気がしただけでございます」


「ソーデスカ」


「そのお気持ちは嬉しいのですが、何分このセルゲイめも歳です故……身を引いただけの事にございます」


「……」


「これからは私のような老人ではなく、若人の時代でございますよ。いつまでも意地汚く爪痕を遺そうとするのは老害のする事にございます」


「そういうもんかね」


「ええ」


 演説が終わり、聴衆が散っていく。


 こっちは全てが終わった―――やりきった、という達成感と会安堵の中で、セルゲイは優しく告げる。


「そういうものでございますよ」



アルミヤ戦争(2013年8月10日~同年9月3日)


 2013年、自国の経済状況と度重なるイライナ侵攻の失敗による損害を考慮し、イライナ全土の占領を諦めたノヴォシア軍は戦略的に優先するべき目標に狙いを絞り攻撃する事を決定。海軍力の維持のためにも不凍港の獲得が必須であった事から、イライナ公国領アルミヤ半島の占領作戦を決定し戦力を差し向けた。こうして勃発したのが2013年のアルミヤ戦争である。


 徹底的な情報の秘匿と電撃的な侵攻により、珍しく後手に回ってしまったイライナ軍はアレーサを母港とする戦艦ミカエルを即応戦力として動員。戦艦ミカエルは単独でアルミヤ沖へと急行、ノヴォシア第一、第二、第三親衛主力艦隊と交戦する。

 総勢41隻もの大艦隊と単独で殴り合う事になった戦艦ミカエルは、熾烈な砲撃戦の末に戦艦『ペレストロイカ』、『レヴォリューツィア』、『クラースナヤ』の3隻を撃沈。これに怒り狂ったノヴォシア政府は戦艦ミカエルを徹底的に攻撃するよう命令。追加で第二十六ロケット艦隊(※ノヴォシア語ではミサイルとロケットを区別しない)を差し向け、航空戦力も動員して総攻撃。延べ350機もの航空機が戦艦ミカエル1隻に差し向けられた。


 過剰戦力である事は誰の目にも明らかであったが、しかしイライナの英雄ミカエルの名を冠した戦艦は予想外の奮戦を見せた。艦首切断、艦橋大破、第一、第三砲塔大破と致命傷を負うも徹底したダメコンと航海長の巧みな回避運動、練度の高い乗員たちの迎撃によりミサイル攻撃に耐え抜き、追加で巡洋艦『スラヴァ』、『リュガンスク』を撃沈。航空隊にも決して少なくない損害を与え、イライナ側の主力艦隊を率いる戦艦『アナスタシア』の到着まで見事に耐え抜き戦争の勝利に大きく貢献した。


 その間に戦艦『マカール』を旗艦とする特別任務艦隊がマズコフ・ラ・ドヌー軍港へ突入。徹底的な艦砲射撃で海軍司令部と待機中だった艦隊を撃滅する事に成功しており、このマズコフ・ラ・ドヌー襲撃で事実上のアルミヤ戦争の帰趨は決定した。

 なお、この際マカールの艦長を務めたアンドリー・ケレブチェンコ大佐の『ミカエルが身を切って与えてくれたチャンスだ……しくじるなよ、マカール』という発言は名言として後の世まで語り継がれている。


 戦後、修復を終えた戦艦ミカエルは黒海艦隊へと復帰するが、しかし戦時中に受けた傷の後遺症なのか”舵が右に利きすぎる”という症状に悩まされる事となった。


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― 新着の感想 ―
他者との厳密な契約…特にミカエル君のように命を尊ぶ相手との契約こそ、破ってはいけないものです。何故かと言えばそれを破れば最早信ずるに値しない。平然と他者の生命に危害を加えるテロリストと見做され、徹底し…
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