軍用トラック盗難事件 ~犯人はいつもの奴ら~
音 割 れ イ ラ イ ナ 国 歌
デスミカエル君の背後で流れているBGM。イライナ国歌のようで、うっすらと「Батьківщина не загине(祖国は滅びぬ)」とか「Якщо є братерська єдність(兄弟の如き団結の限り)」などの歌詞が聴こえるので恐らくそうなのだろう。
とんでもない爆音で、大抵の者は前奏の『デェェェェェェェェン!!!』で鼓膜をやられる。
デスミカエル君の専用BGMかと思われていたが、デスラファエル君降臨の際も背後で流れていたので、おそらくミカエル君一族の固有BGMと思われる。鼓膜をやられたくなかったら度を過ぎた尊厳破壊はやめましょう。
帝政から共産主義国家になって、何か変わっただろうか。
モスコヴァの第7駐屯地を出発したトラックの運転席で、ハンドルを握りながら運転手の兵士はふとそう思う。
道端に視線を向ければ、疎らな通行人の姿がある。平日の昼間という事もあってこれくらいが妥当であろう。今頃は皆、職場で勤勉に汗水流しながら働いているだろうし、農民は除雪作業や保存食作りに精を出している筈だ。
党は「国内からブルジョワが一掃され、人民が平等に富を享受できる下地が整った」と喧伝しているが、いまいちそんな実感はない。
というよりも、むしろ以前より貧しくなったような感覚すら覚える。
きっとこれから良くなっていくのだろう、と自分に言い聞かせ、思考を断ち切った。頭の中で考えるならばまだ許されるが、党への疑問や批判を口にすれば誰かに密告され、次の日には銃を持った内務人民委員部の職員が「Привет(やあ同志)」と家庭訪問に来る。
だから一番利口なのは口を噤む事で、おしゃべりな奴ほどスパイの嫌疑をかけられ処刑されていく。
少なくとも帝政時代にこんな事は無かった。皇帝は政策の失敗などで国民の生活を滅茶苦茶にこそしたが、それでも一般市民にまでスパイの疑いをかける事は無かったし、今のような相互監視生活を作り出すような事もしなかった。
眼中になかった、というのが事実なのだろうが、しかし今はあの無関心さが懐かしくてたまらない。
なんて事も相方の前では迂闊に言えないな、と思っていると、隣に座っていた同じ部隊の仲間が煙草を1本差し出してきた。
「ん、吸うか?」
「悪いな」
「いいって。これくらいしか楽しみねえし」
恩に着るよ、と信号待ちをしている間に煙草を受け取り、マッチで火をつけて煙を吐き出した。こうして煙草を吹かしている時と食事の時間が毎日の楽しみだ。休暇に実家に帰省する事が出来ればもう最高だが、しかし最後に実家に帰ったのはもう2年も前の話である。
歳の離れた妹はどれくらい背が伸びたのだろうか。腰を悪くした母は元気にしているだろうか―――家族の事を気にかけていると、唐突にカーラジオから爆音で党のスローガンが聴こえてきて、運転手は思わず顔をしかめた。
すまんすまん、と言いながらボリュームを調整する相方に「びっくりしたじゃないか」と静かに抗議しつつハンドルを切り、トラックを郊外へと走らせる。
国道に入り、周囲の建物の密度が低くなっていく。
帝政時代からそうだが、先進国の首都のように思えるのはモスコヴァの中心部くらいだ。郊外に向かって少し車を走らせると、すぐにどこの田舎かも見分けがつかぬ農村の風景が広がる。
張り子の虎、という言葉が頭を過った。
帝政時代から何も変わっていない。何もかも、だ。
「ん」
国道の向こうに赤い警告灯の灯りが見え、運転手は静かにトラックを減速させていった。こちらに向かって大きく警告灯を振る作業員らしき人影の姿が見える。
後方には侵入防止のフェンスが設けられ、『В стадии строительства. Входа нет(工事中。立ち入り禁止)』という標識がこれ見よがしに立てられていた。
駆け寄ってくる作業員に、運転席側のハンドルを回して窓を開けて応じる。
ヘルメットをかぶってやってきたのは、女の作業員のようだった。雪のような白髪に整った顔立ちが目を奪う。なぜこんな綺麗な女がこんな肉体労働をしているのだろうか、という疑問が浮かぶが、しかし女と無縁な生活をしていれば看取れるばかりで疑う事などもう頭には無い。
「すいませんねぇ兵隊さん。今日からここ、党の命令で補修工事を行う事になりまして」
「補修工事?」
お前そんな話聞いてたか、と助手席に座っている相方の方を振り向くと、それなりに長い付き合いになる彼は首を横に振った。
「おかしいな、そんな筈はない。今朝行った通行ルートの確認の時も工事の予定なんて聞かなかったぞ」
「ええ、そうでしょう。本当についさっき決まった事でして……我々としても同市スターリンの署名付きの命令書が届いてはやらざるを得ませんから」
申し訳なさそうに言いながら、肩に下げた作業用カバンの中から封筒を取り出す作業員。中から出てきたのはノヴォシア共産党のスタンプが押された命令書で、確かにスターリンの署名がある。
「ご覧の通り、この国道も帝政時代から手付かずです。このままでは劣化して人民が事故に悩まされてしまうだろう、と同志スターリンが」
スターリン、という名前を出され、運転手は身構えた。
今まさに大粛清の渦中にいる男の名だ。少しでもスパイの嫌疑をかけられた者、反革命分子と認定された者、ブルジョワの疑いがある者……その他ノヴォシア共産党に不都合な人間たちはことごとく消されるか、二度と出られる見込みのない強制収容所で政治犯として一生を終えるかのどちらかだ。
疑えば自分たちもそうなってしまうのではないか……遍く人民に植え付けられた”消されるかもしれない”という恐怖が、それ以上の追及を躊躇わせる。
「そう言う事なら……仕方がないな」
「ご不便をおかけしております。代替ルートはこちらで手配しておりますので……ここを左折して林を突っ切ると、工事範囲の反対側に出られます」
「ご親切にどうも」
ややイライナ訛りのあるノヴォシア語を話す作業員に礼を言い、外から流れ込んでくる風に震えながら窓を閉めた。
イライナ出身者なのか、と思ったが、特に怪しむ事は無かった。イライナで生まれ育ちノヴォシアに住んでいる人間は多いのだ(現時点では2~3割がイライナ系であるという)。
おそらくイライナからこっちに嫁いできた女なのかもしれない。生活が厳しいからきっと夫と共働きで収入を得
―――そんな生活の厳しい女が、あんな雪のように綺麗な肌をしているか?
唐突に頭の片隅を過った疑念が、女の魔力の前に見過ごしそうだった怪しい点を暴き出す。
普通に考えればそうである。今のノヴォシアでは女は家で家事をして夫の帰りを待っているのが当たり前。そうでなくとも収入が厳しい家庭は共働きする事もあるが、苛酷な肉体労働は男の仕事で、女の仕事は事務作業やデスクワークなどが殆どだ。
現場仕事に出てくるなんて話は聞いた事がないし、あんな肌に手入れが行き届いているなんて明らかに労働者階級の女ではない。貴族か、あるいは今のノヴォシアでは許されないレベルで裕福な家の女に違いない。
そしてあのイライナ訛りのあるノヴォシア語―――まさかあの女は、と思い至ったところでブレーキを踏み、左折のために回していたハンドルから手を離して、腰のホルスターへと手を伸ばす。
「おい何だよ!?」と抗議してくる相方には一瞥もくれず、ホルスターからリボルバーを抜き放った。
イライナ訛りのノヴォシア語が確信の決め手になった。あんなに肌が綺麗な女がノヴォシアにいるわけがないし、加えてイライナ訛り―――今のモスコヴァ郊外で起こっている事を考えれば、あの女の正体が何なのかは簡単に思い至る。
(間違いない、アイツは”ミスターX”の―――!)
縛り上げて吐かせてやる、と窓を開けリボルバーを向ける運転手だったが、しかし彼は見落としていた。
視界の端、遥か向こう―――きらり、と空に何かが瞬いたのを。
次の瞬間だった。ヒュゴウッ、と空気を引き裂く絶叫を迸らせながら、何かが砲弾のような勢いで助手席へと突っ込んできたのである。
フロントガラスが木っ端微塵に砕け散り、いきなり銃を抜いた運転手の奇行に目を白黒させていた相方の頬を、空から飛び込んできたでっかい女のドロップキックが思い切り打ち据える。ヘビー級ボクサーの右ストレートをもろに喰らったように顔を歪ませ、凄まじい衝撃に一瞬で意識を刈り取られる相方。
ぎょっとしながらそっちに銃を向けるが、しかし相手が運転手に銃を突きつける方が早かった。
「―――銃を捨てなさい」
シベリウスのブリザードがそよ風に主せるような、殺気の込められた女の声。
眼鏡の向こうの紅い瞳に睨まれた運転手は、黙ってリボルバーを車外へと投げ捨てる事しかできなかった。
「うん、やりすぎな?」
セーフハウスとなっている廃工場の一角。元々は廃車を処分するためのプレス機が置かれていたであろうスペースに運び込まれたトラックを見て、口から出た最初の感想がそれだった。
フロントガラスが木っ端微塵に砕け散っている。
この世界の車は、前世の世界の車のように窓ガラスに樹脂を塗布していないのが一般的で、そのせいで事故の際に飛び散ったガラス片で肌をケガする事例が後を絶たないのだそうだ。
まだ温かいボンネットに這い上がり、錬金術でとりあえずフロントガラスを可能な範囲で修復。クラリスが持ってきてくれたスクラップ片を材料に使い、物質変換と形状変化をフル活用して金属片を真新しい窓ガラスへと変えていった。
「はぇー……錬金術って便利ですわねぇ」
「でしょ」
「ええ。もしご主人様が戦車兵だったら野戦整備が一瞬で終わりますわ」
「その気になれば切れた履帯も一瞬で元通りだよ」
「全戦車兵が泣きますわ絶対」
「むふー」
トラックの修理を終え、荷台の方へと向かった。既にモニカとカーチャとリーファが荷台を物色しており、なけなしの戦利品を検品しているところのようだ。
木箱から出てくるのはお目当ての予備の軍服とウシャンカ、ホルスターや部隊章など。他には缶詰や黒パン、粉末コーヒーの缶と煙草のカートン。悪名高いノヴォシア製粉末コーヒー(雑味が凄くてまずいらしい)はともかく、この煙草のカートンが届かなかった郊外の部隊はさぞ辛いだろうな。
激務の中ではちょっとした合間の一服が数少ない癒しになる……ってヘビースモーカーのパヴェルが言ってた。
「保存食ばっかりねぇ……チョコとかないのチョコとか」
「うぇ……私このコーヒー嫌いなのよね。ミカいる?」
「んー、あ。前パヴェルがこの粉末コーヒー使ってコーヒーケーキ作れるぞって言ってたよ」
「あ、ホント? じゃあ持って帰って作ってもらおうかしら」
「それよりサーロないサーロ?」
「アイヤー、サーロはないネ」
「はいクソ」
やっぱしサーロ缶を支給するのはイライナだけか。あれ塩気が強いから調味料としても使えるし、塩分補給にはうってつけなんだけどな……パンに塗ってジャガイモとか玉ねぎを挟んで食べると美味いのだ非常に。
戦利品はこんなもんかな、と思って荷台から飛び降りると、シェリルが運転手と助手席に乗ってた兵士に猿轡をはめ込み縄で縛って(待ってなぜ亀甲縛り?)肩に担ぎ、えっほえっほとどこかへ連行していくところだった。
まあ、開いてる部屋はあるしその辺にぶち込んでおけばいいだろう。さすがに命までは取らないし、出国する際に発煙筒でも焚いてやれば仲間が助けに来てくれる筈だ……でもさすがに粛清されそうなので、後で希望を聞いて一緒にイライナに連れてってやるか。さすがに見殺しは可哀想だ(あと亀甲縛りも可哀想だ)。
「ん、デカいヨ」
振り向いてみると、木箱から引っ張り出した予備の軍服のサイズをチェックしているところだった。やはりというかなんというか、熊みたいな体格の人が多いノヴォシア軍で、それも男性に支給する事を前提にしているのだからオーバーサイズ気味ではあるか。
後で錬金術使ってサイズ合わせよう……。
「ミカ、全部大人用なんだけどコレ」
「 俺 も 大 人 で す が 何 か ? 」
「えっそうだっけ」
「ミカエル君27歳既婚者子持ち」
「嘘……」
おいカーチャ? カーチャ???
最後にプチ尊厳破壊があったけど、とりあえずはこれで潜入用の装備は確保できた。
当日はこれを身に着けて小火騒ぎの起きている美術館へと急行、美術品を堂々と持ち出してトラックに積めるだけ積み込み、盗むだけ盗んだらトンズラするという流れになる。
なお、作戦終了後は信じられない話だが上空で待機しているパヴェルが車両ごと フ ル ト ン 回 収 す る 予 定 だ そ う だ 。
……ん、何考えてんの?
トラックの検品を済ませてから休憩室に戻ると、打ち粉で刀ポンポンしてる範三の傍らで、ロリボディーのシャーロットがPCを開いて、何やら映像を見ているところだった。
キリウだろうか。そういえばノンナの冬季演説は明後日だった筈だ。
「ノヴォシアは仕掛けてくるだろうねェ」
「ん、予想通り」
「どうぞあなた。粉末コーヒーですけど」
「ありがと」
イルゼが持ってきてくれたコーヒーを冷ましてから口に含む。ゾッとするほどの雑味と苦味……これアレだ、ノヴォシア軍の粉末コーヒーだ。過剰なレベルのカフェインを配合して兵士の目をギンギンにし昼夜問わず戦わせるためのコーヒーであり、効果のために味を二の次にしてる文字通りの泥水みたいなフィーカである。
砂糖もないので甘くはない……でもまあ、適度な量のカフェインは欲しくなる。
こんな”キメる”レベルのカフェインは遠慮したいものだが。
さて……向こうに残った俺はうまくやってくれるかな?
まあ、何とかなるだろう。
キリウには俺の他にアナスタシア姉さんもいるし、王配になったばかりのルカもいるのだ。
ノンナの守りは盤石である。
第一次世界大戦(1914年7月28日~1921年3月15日)
ガルヴィアでのグラントリア皇太子暗殺事件に端を発する、世界規模の大戦。当初はバルカン連邦の神聖グラントリア帝国とドルツ帝国の2ヵ国間による戦争であったが、グラントリアと領土問題を抱えていたフェルデーニャ王国の参戦や、ドルツに脅かされていたバルギア王国国境での小競り合いからの戦火拡大、及びそれに伴うフランシス、イーランドの参戦と、雪だるま式に参戦国が増えていった結果、地獄のような世界規模の全面戦争となっていった。
この戦争では塹壕による戦線の膠着や機関銃による騎兵隊、歩兵突撃の封殺など従来の戦術が通用しなくなり、次第に塹壕を突破するための新兵器が数多く投入されていく事となる。毒ガスや戦車に飛行機、より洗練された機甲鎧などの新兵器が次々に姿を現し、現代の戦争の原型となっていった。
戦争の経過としては1916年にドルツ帝国が後方の脅威を取り除くべく東部戦線を構築。ノヴォシアに対し宣戦布告しレニングラード州を占領、『ノイラント(ドルツ語で”新たな地”)』として飛び地を獲得し東部戦線は極めて短期間のうちに終結。
その後は1917年まで西部戦線に全力を注ぐものの、同年に立て続けに勃発した無制限潜水艦作戦によるアメリアの客船撃沈、及びアメリアの隣国メリレゴに対するアメリアへの宣戦布告要求の露見などが重なり、アメリアの参戦が現実味を帯びてくると、ドルツ帝国はアメリア参戦前にイーランドとフランシス、グラントリアを脱落させるため『春季攻勢』を立案。1918年4月21日、イライナの英雄に由来する【ミカエル作戦】と名付けられた春季攻勢が開始、史上最大規模の攻勢が幕を開ける。
東部戦線で実績のあった浸透戦術、及び国産の戦車を最大投入した攻勢により記録的な前進を遂げたドルツはフランシス主力部隊を殲滅、イーランド軍も戦力が枯渇しフランシス共々大戦から脱落。グラントリアは粘り強い抵抗を見せるも、補給路を寸断され多くの部隊が孤立、各個に撃破されていった。
こうして1918年、西部戦線の敵国全てを脱落へと追いやったドルツ帝国軍は参戦してきたアメリア合衆国との全面戦争に突入。しかし4年にも及ぶ戦争で疲弊したドルツ軍に対しアメリア軍は未だ無傷であり、その物量もあって徐々に戦線は後退し始める。
それでもドルツ軍は新型戦車の投入や経験豊富な兵士たちの奮戦で戦線を押し返し、1921年1月、フランシスのムーゴンヌの森で両軍が激突。この戦闘で両軍ともに戦力を使い果たし戦争継続を断念、痛み分けという形での戦争終結となった。
史実よりも3年長く続いた世界大戦は、100年先まで遺る禍根と徹底的な破壊、世界人口の減少と経済への傷跡を残して幕を引いた。
そしてこの世界大戦の遺した爪痕は、二度目の世界大戦へと続いていく……。