キリウへ
みんなの変な寝言
ミカエル「……白菜はあの、2軍でいいよ。俺は土鍋」
クラリス「ここで隠し味にノビチョクの原液を」
モニカ「ミカきゅんでぷぅ」
イルゼ「Mutterland über alles(※ドルツ語で『祖国よ全ての上にあれ』)」
リーファ「……ラー油で戦闘機とどう戦えと?」
範三「パヴェル殿……パヴェル殿……そ、某が悪かった。だから某にまでスク水を着せるのはア゛ガ゛ン゛」
カーチャ「ふわふわもっちりミカエル君」
パヴェル「↑わかったカーチャ、新刊それにする」
「また強盗、か」
書記長専用のセダンの後部座席で、やけにせわしなく走り回るパトカーを横目で見ていたレーニンは不機嫌そうにそう漏らす。
ハンドルを握る運転手も気が気ではなかった。何せ、後部座席にはノヴォシア共産党のトップであるレーニンに加え、大粛清を主導するスターリン、そして助手席にはトロツキーという組織のトップ3人が乗り込んでいるのである。
万一機嫌を損ねるような事があれば、何をされるか分かったものではない―――良くてシベリウスか強制収容所に送られるか、最悪の場合は自分もスパイのレッテルを貼られ粛清の対象となってしまう事であろう。
手袋の中、手汗で滲む両手でハンドルを握り、護衛の装甲車と共にセダンを走らせていく運転手。これほどまでに生きた心地のしないドライブは、未だかつてない。
「警官隊も不甲斐ないものだ。連続で強盗事件を許すとは」
「ね~☆ 指揮官がざこざこすぎるんじゃないの~?」
「我々が戻る前に事件が解決していなかったら、指揮官を粛清しておきます」
「そうしてくれたまえ」
警官隊の指揮官たちの余命が決まった瞬間だった。
しかし現場で指揮を執る指揮官たちの心境を他所に、レーニンの脳裏にはある女の姿と名前がちらついては思慮の影へと消えていった。
―――ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。
かつてザリンツィクで大貴族を相手に強盗事件を起こし、富を盗むと共に事件の真相を暴いたリガロフ家の庶子。
冒険者としてだけではなく、裏の世界では強盗としても頭角を現していった彼女。最近ノヴォシア領内で頻発している連続強盗事件の主犯『ミスターX』と見られている。
人質にされた民間人たちの目撃証言から、強盗のリーダー格は『小柄な女、あるいは少女』であり、『喋るノヴォシア語にはイライナ訛りがある』。そして『周りからバニラのようないい香りがする』との証言も確認されており、主犯はジャコウネコ科の獣人である事が分かる。
そして交戦した警官隊の証言でも、強盗犯はかなり統率が取れているだけでなく、先進的な自動小銃で武装しており練度も極めて高いという。
これらの証言から得られる情報を統合すると、どう考えてもミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフとその一味以外に考えられないのだ。
しかし、その予測は信じがたい現実に覆されている。
以前、食糧輸出の会合にミカエルをノヴォシアへと招待した事があった。イライナとノヴォシア、文化的ルーツを同じくする2ヵ国の関係は年々冷え込んでいるものの会談そのものは終始和やかに終わり、お互いに声明を発表するところまで漕ぎつけた。
その会談の最中にも強盗事件は発生したのである―――まさに、ミカエルがレーニンの目の前にいるその時に、だ。
追撃した警官隊は皆口をそろえて報告した。『あれはミスターXだ』と。
信じられない事である。
よもや、ミカエルという人間はこの世界に2人存在しているのではあるまいか―――そんな馬鹿な事も、真面目につい考えてしまう。
影武者ではないかという可能性も考えたが、これも否定された。
いくら影武者といえど、本人ではない以上はいつかはボロを出すものである。しかし公式の場でレーニンが出会ったミカエルは、どれだけ鎌をかけても引っかかる事は無かった。腹が立つほどの聡明さでひらりひらりと追及を躱しては、何事もなかったかのように成果を勝ち取っていくのである。
まさに正体不明の謎の存在、”ミスターX”である。
しかしそれも、逮捕して覆面を剥ぐ事が出来ればそれまでだ。
その覆面から出てくるのがあの愛嬌のある公爵の顔なのか、それとも赤の他人のものか。
全ては警官隊が給料分の働きをすれば明らかになる事である。
ガァンッ、と甲高い音と共に火花が散り、胸元を狙って放たれた刺突が左へと受け流されていく。
確かにラフィーによるレイピアの刺突は評判通り、深く鋭く、それでいて速い恐るべき一撃と言えた。まだ6歳児であり身体も出来上がっておらず、それでいて経験も浅いものの、しかしそれでも思わず背筋に冷たいものが走ってしまうほどの速度なのだ。これからの成長に期待を抱かずにはいられない。
左手で握ったバックラーを裏拳の要領で振るって、レイピアの一撃を左へと逸らす。今の一撃は当たる、と確信を持って放った一撃が見切られ、受け流されたのがショックだったのだろう。大型のレイピアを握るラフィーの目がビー玉みたいに丸くなったのが分かった。
が、しかしさすがは俺とクラリスの子供。渾身の一撃を受け流された程度で心は折れていないようで、崩れた体勢を踏ん張って回復させるなり、手首のスナップを利かせてレイピアを鞭のように内側へと薙いでくる。
首を刎ねる軌道で振るわれたそれを、しかし身体を逸らして紙一重で回避。鼻先を大型レイピアの剣身が風を切る音と共に擦過していくのは、当たらぬと分かっていても心臓に悪いものである。
ここで距離を取れば今度は踏み込みながら右に薙いでくるな、と息子の癖から確信を得つつ、敢えてその通りに動いてやる。身体を起こす動きと連動して仕切り直しとでも言うかのように後方へと一歩下がる。
ドン、とラフィーの小さな足が石畳を踏み締めた。
追撃を加えんと踏み込むラフィーの姿に、母親であるクラリスの姿が不意に重なる。
―――ああ、やっぱり俺たちの子だ。
攻めの姿勢はお母さんに似たんだな、と嬉しくなりながら、予想通りに飛んできた右薙ぎの剣戟をバックラーでガード。ガァンッ、と装甲板に銃弾を打ち付けるような金属音と共に火花が散って、ラフィーのレイピアが上へと逸れていく。
冒険者界隈に入ってから銃以外の武器を手にする機会も増えたし、錬金術を修めてからは更にその機会が増えた。こうして何気なく手に取っている小型の盾―――バックラーだが、非常によく考えられた武器だと感心させられる。
確かに小型だがそれ故に軽く、取り回しにも優れている。防御面積は極めて狭く、盾を構えてどっしり構えるような戦い方には不向きとしか言いようがないが、しかし半球状の丸みを帯びたそれは飛んでくる剣戟を受け流すのに適した形をしている(装甲の避弾経始と似たような概念だ)。
相手の攻撃を見切り、受け流し、あるいは殴りつけて体勢を崩し反撃するという攻撃的な運用に適した盾と言えるだろう。
先人たちの知恵に敬服しつつ、一撃を逸らされて無防備になったラフィーの喉元に剣槍の切っ先を突きつけた。
「っあ……!」
「ここまでだ」
「……っ!」
そっと剣を降ろし、一歩下がって一礼するラフィー。俺も彼女に向かって一礼し、鍛錬を終える。
「お疲れ様でした、ご主人様」
「……父上、強すぎるよ」
レイピアを腰の鞘に収め、タオルを持ってきたカトレアに礼を言うなりラフィーはそう漏らした。
「ご主人様、仕方のない事でございます。ご主人様はまだ6歳、旦那様は27歳……10年間も第一線で活躍なさっていられるのです」
「それはそうだけど……でも、いつかは僕だって」
「なれるさ」
ぽん、とラフィーの肩に手を置くと、悔しそうにしていたラフィーは顔を上げた。
「そう……でしょうか」
「ああ、お前ならなれる。今はまだ下積み、強くなるための準備の期間だ。いいかいラフィー?」
「……はい、父上」
今はまだ基礎を覚える段階だ。
強くなりたい気持ちは分かるが、しかし強くなるための近道など存在しない。あったとしてもそれは基礎も何もあったもんじゃないスカスカの突貫工事で、すぐに限界が来てしまう。
やはり一番は毎日の積み重ねである。少しずつ少しずつ、じっくりと積み上げていく事で”誰にも負けない強み”として昇華していくのだ。
たぶん、身体が発育を迎えて大人の身体になっていく頃にはラフィーも化け物じみたフィジカルの持ち主になっている事だろう(何せクラリスの子である)。
というかもう既にその片鱗は見えつつある。いつぞやの上級生との決闘の一件で、上級生2人をふっ飛ばしているのでその……ラフィーに必要なのは筋トレよりも、その馬鹿力を制御する繊細さなのではないだろうか。
そういやクラリスはあの馬鹿力をどうやって制御できるようになったんだろうか。強盗から帰ったら聞いてみようかな、と思っていると、燕尾服姿のセルゲイがトレイの上にアイスティーを乗せてやってきた。俺とラフィー用に目一杯甘くしたのだろう、茶葉の香りと共にハチミツの香りも漂ってくる。
「お疲れ様です。紅茶をお持ちしました」
「ありがとう」
「ありがとう爺や!」
「いえいえ。それにしてもラファエル様、上から見ていましたが上達なされましたな」
「そ、そうかなぁ?」
「ええそれはもう。この調子で鍛錬を続けていけば、いつの日か旦那様のような英雄を名乗る事も出来ましょうや。ねえ旦那様?」
「ああ」
ティーカップを受け取りつつ、セルゲイから褒められて嬉しそうにケモミミをピコピコ動かすラフィー。獣人は特に意識していなくても、ケモミミと尻尾が感情と連動して勝手に動いてしまうので、獣人は普通の人間と比較すると感情豊かである。
「それはそうと旦那様、そろそろキリウへ出立のお支度を」
「ん、もうそんな時間か」
今日は11月9日―――明後日にはキリウ大公ノンナ1世による冬季演説がキリウで開催される。それにリガロフ姉弟の他、友好国の要人も招待されていて出席する事になっているのだ。
無論、ノヴォシア共産党からレーニンとスターリン、トロツキーも出席する事になっている。
「父上、もう行ってしまうのですか?」
「ん、ちょっとキリウまでな。カトレア、ラフィーを頼むよ」
「お任せください! このカトレア、命に代えてもご主人様をお守りいたします!」
「ははは、そりゃあ心強い」
でも俺今見たぞ。一瞬ラフィーの方を見てじゅるりって涎垂らしたの見たからねお父さんは。お前ちょっとクラリスから英才教育受けすぎじゃない?
不在となっているクラリスの代わりにセルゲイが俺の側近として一緒にキリウに行く予定だ。これで爺やとメイド長不在、影武者もいないのでリュハンシク城が随分と寂しい事になってしまうが……。
「一応セシールお姉さん呼んでるし、地下にはシャーロット博士もいるから何かあったらその2人を頼りなさい」
「はい、父上」
行ってらっしゃい、と笑顔で送り出してくれるラフィー。無垢で真っすぐで、真面目な子に育った娘……じゃなくて息子に笑顔で手を振り返し、セルゲイと一緒に荷物を取りに寝室へと向かう。
なぜクラリスもモニカもみんな不在なのか、セルゲイは事情を知っている。
けれども余計な詮索を入れては来ず、主従関係にしっかりと線引きをして必要以上に踏み込まない辺り、本当に優秀な従者なのだろうなと思う。手綱を握る権力者が優秀であれば、彼もまた化けるものなのだろう(その点モニカの実家にいた頃は権力に逆らえず窮屈な思いをしていたそうだ)。
剣槍とバックラーを楽器用ケースのような大型ケースに収め、鍵をかける。自分で背負おうと思ったがセルゲイが「お荷物はこのセルゲイめにお任せを」といいながらひょいっと持ち上げてしまったので、殆ど手ぶらでそのまま城の玄関から外に出て、外で待ってた黒塗りの『キャデラック・エスカレード』に乗り込んだ。
「……」
「旦那様、ご自身の尊厳も大事ですが命には代えられません。さあ」
「アッハイ……ソーッスネ」
後部座席に当たり前のように置かれているチャイルドシート。
しかも幼児向けのものなのだろう。可愛らしいウサギさんやクマさんのデフォルメされたイラストが散りばめられていて、なんというか二重に尊厳を破壊されているような気がする。
とはいえ万一事故ったり襲撃された際に、シートベルトをちゃんと締められておらず車外に投げ出されて死にました、となっては笑えない。セルゲイの言う通り命には代えられn……でもちょっとコレ柄のほう何とかなりませんかセルゲイさん???
屈辱に顔を赤らめながらチャイルドシートの上に座り、シートベルトを締める。
なんか頭の中で女騎士のコスプレをした二頭身ミカエル君が「くっ殺せ!」って叫んでるんだけどまさにそんな感じである。あれか、オークの手に落ちた女騎士の心境ってこんな感じなのか。
セルゲイも助手席に乗り、ダッシュボードの中を確認する。中にはAK-19のカービンモデル『AK-19CQB』がストックを折り畳んだ状態で用意されており、万一襲撃されるような事があっても反撃する手段としてそこに佇んでいる。
運転手がアクセルを踏み込んだ。
防弾ガラスに防弾装甲を搭載した要人仕様のキャデラック・エスカレードがゆっくりと走り出す。
まずはリュハンシク駅へと向かい、11時15分発の専用列車でキリウ駅まで。
コレ新幹線だったら3時間くらいでキリウにつくんだろうなぁ……と思いながら、冬季封鎖の中を130㎞/hで突っ切っていく列車での旅が長引く事を覚悟するのだった。
絶対日付跨ぐわコレ、間違いない。
レニングラードの戦い(1916年3月5日~3月25日)
1914年のマルス会戦、ヴァルパス会戦、1915年のアーデンジェール会戦に相次いで勝利したドルツは、敵対国家であるフランシス、グラントリア、そしてイーランドの攻勢を完全に抑え込んでおり、西部戦線は安定期に入りつつあった。折しも北方ではノヴォシアが領土拡張を目論みスオミとイライナと交戦、その両者に敗北しており、これを好機と見たドルツ軍最高司令部は背面の脅威を取り除くため東部戦線の構築を決定。スオミ政府と交渉の末自国軍の領土通過の許可を取りつけスオミ領を通過すると、1916年3月5日、冬戦争の惨敗で疲弊していたノヴォシア第3軍、第5軍に電撃的に襲い掛かった。
スオミとイライナ、2ヵ国との戦闘で精鋭部隊も物資も使い果たしていたノヴォシア軍にこれを抑え込む力は最早なく、侵攻初日でスヴェゴルスク、ヴィーデンボルグが相次いで陥落。これに危機感を覚えたノヴォシアは動員可能な全戦力を投入し旧首都ヴェレログラード郊外に防衛線を展開。盤石の守りを構築しドルツ軍を迎え撃つ(ヴェレログラードの戦い)。
しかしここでドルツ軍は試験的に新戦術を実行に移した。体力に優れる兵士を選抜して編成した『突撃歩兵隊』に新兵器である機関短銃を支給、熾烈な砲撃の後に脆弱点に対し突撃させこれを突破させる事で後方の司令部を狙い撃ちにする【浸透戦術】により、盤石に思われたノヴォシア側の防衛線は瓦解。圧倒的物量の防衛線も意味を成さずに崩壊し、結果としてノヴォシアは1ヵ月足らずでレニングラード州を失陥する事となった。
この立て続けの惨敗はノヴォシアの求心力、国際的地位に回復困難な損害を与え、大き過ぎる戦力の喪失によりノヴォシアは戦争継続を断念。第一次世界大戦最初の脱落国となったうえ、2025年現在に至るまでこの戦いと大粛清の後遺症に悩まされ続ける事となる。
なお、この戦いの最中に熾烈な砲撃の中を、ドルツの突撃歩兵と共に突撃していく小柄なハクビシン獣人の少女が多くのドルツ兵に目撃されており、イライナのミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵ではないかと噂されていた。
都市伝説のような話ではあったが、2020年の情報開示により開示された記録と照らし合わせると、多くのドルツ兵が目撃したその少女は【第二次イライナ侵攻の事実を知り、怒り狂いながらノヴォシアへ単独侵攻するデスミカエル君】であった事が確認されている。
彼女はスオミで戦い、その足で進撃するドルツ軍と共にノヴォシアへと雪崩れ込んで、そのままレーニンとスターリンの暗殺へ向かったという事になる。さすがに嘘だと信じたい。