新たな強盗作戦
熱の壁「なんなん!? この世界の人間マジなんなん!? どいつもこいつも本気で剣を振るっただけで当たり前のようにマッハ3出して断熱圧縮熱発生させやがって! 腕力ゴリラかよお前ら人間辞めたんか!?」
音の壁「まあまあ……これラノベだしそういうもんよ」
ベッドに寝たきりだった老人が、そっと目を開けた。
意識が回復するなり、真っ先に自分のお腹に手を当てる老人。先ほどまで自身の命を蝕んでいた病の痕跡が綺麗さっぱり拭い去られている事を自覚したのだろう、その瞳には涙が浮かび始めた。
「ミカエル様……まさか、本当に……?」
「ええ。胃の癌細胞を健全な細胞に置き換えました」
だからもう痛みはないだろうし、水が溜まって腫れていたお腹も今では元通りだ。胃癌の患者だったことが嘘のようである。
ベッドの傍らで成り行きを見守っていた家族にも何度も礼を言われたが、安いものだ。これで人の命を救う事が出来るのであれば。
一応は安静にするように助言しつつ、リュハンシク州の病院での検査も受けるようにと指示。紹介状も手渡すと、老人とその家族は何度もお礼を言ってから部屋を後にしていった。
「んー……んっ」
「お疲れ様でした、ご主人様」
お茶です、と俺を労いながら紅茶を持ってきてくれるクラリス。彼女に礼を言ってからティーカップを口へと運び、少し冷ましてから口に含んで飲み下す。
今日、リュハンシク城を訪れた病人の数は30人。
時折、こうやって公務の合間にちょっとした治療を受け付けては、訪れた病人を出身地、国籍問わず治療し続けている。錬金術とは相手を攻撃するだけのものではない。適切な知識と度胸さえあれば、こうやって人を救う事も出来るのだ。
特にこの世界では、癌は不治の病として悪名高い。
一応は手術による治療は可能だけど、癌を物理的に切除するのが精一杯で、放射線治療や抗がん剤治療も実用化されていない現在ではその完治までのハードルは非常に高いのだ。
おまけに医療費もバカにならないほど高く、富裕層ならばまだしも一般階級の農民や労働者では医者に診てもらうのも難しく、癌に罹ってしまったら緩やかに迫る死を待つ他ない……というのが実情だった。
そういう背景もあるからなのだろう、城を訪れる病人は圧倒的に癌の患者が多い。
大金を支払っても治るかどうか分からない医者に診てもらうより、金が不要で確実に治してもらえるこっちに来る方がいいに決まっている。
とはいえあまりやり過ぎると医療関係者から憎まれそうだし、彼らの仕事を奪ってしまうのも申し訳が無いし、何より最終チェックは専門家の目で見てもらう方が確実なので、こうして治療後は必ず紹介状を手渡して医師の診察を受けるよう誘導している。
もちろん診察費はこちらで負担する旨も紹介状に記載しているので、医者も相手が平民だからと渋い顔をする事もない。
「しかしよろしいのですか? 高額な医療費を今日だけでも30人分支払うなんて……」
「大丈夫、金ならある。それにこれで領民の健康が買えるなら安いものさ」
……それにお隣にでっかいATMあるし。”ノヴォシア社会主義共和国連邦”っていうんですけども。
そろそろお金下ろしに行こうかな、と頭の中で計画を練っていると、コンコン、とドアをノックする音が聞こえてきた。
このノックの力加減から察するに多分カトレアだろう。
前からだけど、ノックの音で来訪者が誰なのか分かるようになってきた。こういうちょっとした行動でも個人の癖が顕著に表れるのが実に面白い。メイドとしての経験が長いクラリスであれば部屋にはっきり聴こえる絶妙な力加減で、モニカだったらちょっとうるさめ、イルゼだったら少し音が控えめ……といった具合だ。
「どうぞ」
「失礼いたします、旦那様」
ほら、やっぱり。
ドアの向こうから姿を現したのはメイドのカトレア。ラフィーだけでなく子供たちのお世話をお願いしているホムンクルス兵のメイドで、既に身長はミカエル君を越えている。まだ6歳なのに。
「どうかしたのかい?」
「はい。エカテリーナ様とマカール様がお見えです」
「ん、分かった」
姉上と兄上が?
事前のアポは無かったな、と記憶を整理しつつ紅茶を飲み干し、席から立ち上がる。
姉上はリンネ教の大司教、兄上はイライナ国家憲兵隊の長官と、どちらも重役だ。公務と合わせて多忙であろうにわざわざ出向いてきてくれているのだから、いくら事前のアポが無かったからとはいえ待たせてしまってはあまりにも申し訳ない。
クラリスとカトレアの2人を伴い、足早に応接室へと向かう。応接室の前ではベリルを装備した戦闘人形の警備兵が2名直立不動で立っており、規則通りに2人に身分証明書を提示してからドアをノックした。
『どうぞ』
「お待たせして申し訳ありません」
「いえいえ、いいのよ。今来たところだし」
応接室の中にはエカテリーナ姉さんとマカールおにーたまが来客用のソファに座って待っていた。2人とも以前出会った時から全く変わっていない。むしろ2人とも、歳を取ったことで落ち着きが増したようにも思える―――見た目は変わらないが内面的なものと見に纏う雰囲気が別物だ。
そして今になって気付く―――エカテリーナ姉さんの傍らに、お人形さんのように可愛らしいライオン獣人の女の子が3人、真っ赤なドレスを纏ってちょこんと座っている事に。
「ほら、”アレサ”、”アリーヤ”、”アリシア”。3人ともミカエル叔父様に挨拶なさい」
「「「こんにちは!」」」
「はい、こんにちは。3人とも元気でよろしい」
ふふふ、と笑いながら3人の前でしゃがんで目線を合わせ、頭を撫でながら懐から取り出したキャンディを手渡した。やっぱり小さい子と接する時は目線を合わせてあげる事と笑顔が大事だと思う。あとお菓子。
アレサ、アリーヤ、アリシアの3人はエカテリーナ姉さんとロイドの間に生まれた娘たちだ。なんと三つ子だそうで、アホ毛が生えてないのが長女アレサ、アホ毛が右に跳ねてるのが次女アリーヤ、アホ毛が左に跳ねてるのが三女アリシア……らしい。
なんか昔のエカテリーナ姉さんを見ているような気分になる。3人とも今年で7歳、ラフィーよりは1つ上のお姉さんという事になる。独立戦争時、キリウに疎開していたラフィーたちに絵本を読んで聞かせてくれたのだそうだ。
姉上のように包容力のある女性に育ってほしいものである。
「あれ、兄上はお子さん連れて来なかったんです?」
「いやその、仕事の話だと思ってな……姉上が連れてきたんだったら俺も息子連れてくればよかったわ」
失敗したなー、と頭を掻きながら苦笑いする兄上。真面目だわこの人。そう考えると姉上は何でお子さん連れてきたんだろう?
まあ美味しそうにキャンディ舐めてる姿が愛らしいし別にいいか。
「さて、それじゃあお話ししましょうか。あ、カトレアちゃん。悪いけどこの子たち3人にお城の中を案内してくださる?」
「かしこまりました、エカテリーナ様。さあお三方、どうぞこちらに。ご主人様もきっとお喜びになりますよ」
きゃっきゃと楽しそうにカトレアの後についていく三つ子たち。子供たちの無邪気な声が遠ざかったタイミングで、姉上はニコニコしたまま肩にかけたバッグの中からA4くらいのサイズの封筒を引っ張り出し、そっとテーブルの上に置く。
開けても、と視線を交わして確認を取ってからクラリスに向かって頷く。メイド服のポケットからペーパーナイフを取り出したクラリスからそれを受け取り、静かにペーパーナイフの刃を封筒に走らせた。
中から出てきたのはある絵画を収めた1枚の写真と、おそらくはその絵画についての情報が列挙された書類だった。
白黒で所々が不鮮明だが、しかし大まかにはどういう絵画なのかは分かる。背中に大きな翼を抱いた大天使が、右手に剣を、左手に盾を持ち、剣を掲げている様子が荘厳な雰囲気で描かれている。
書類によると、絵画のタイトルは……【大天使ミカエルの帰還】。
……なに、俺?
「これは」
「イライナの画家、”アンドリー・グラゴチェンコ”の描いたとされる絵画、大天使ミカエルの帰還。調査の結果、それが今ノヴォシアのモスコヴァ革命美術館に収蔵されているらしいのよね」
なんかもう話が見えてきた。
イライナの絵画、ノヴォシアの美術館、そしてそれを知らせてくれる姉上たち。よもや『知ってる? イライナの絵画が今ノヴォシアにあるらしいで。見に行こうやミカちん』と美術鑑賞に誘っているわけでもあるまい。
「……何となく察しましたが、それで」
「うふふ。イライナの美術品はイライナにあるべき……そうは思わなくて?」
にっこりと笑みを浮かべながら、さらりとこちらの予想をいやらしいほどに肯定してくるエカテリーナ姉さん。
「なあミカよ、俺はつくづく思うんだ……芸術作品っていうのはその価値を真に理解できる者の手元にあってこそ価値がある、ってな。やれ革命だの何だのと、政治的理由で平等を押し付け暴力も厭わない野蛮な革命家連中の手元にあってはこの絵も可哀想だろう?」
「それは確かに言えてますね」
「それにね、美術館のプレートにはその書類に書いてある通りの説明が記載されてるらしいのよ」
「え」
やっべそこまで見てなかった、と思い視線を書類に落とす。
【この絵画は16世紀のノヴォシアの巨匠、アンドレイ・グラゴチェンコの手により描かれました】
「……ね? なんか腹立つでしょう?」
ノヴォシアがイライナの併合を目論んでいる事はまあ、分かる。
しかしここまで露骨というか、歴史まで歪めてくるとは……イライナの巨匠が描いた絵だし、名前もノヴォシア風にされてる(”アンドレイ”はノヴォシア読みで、イライナ読みは”アンドリー”が正しい)。
「これは姉上憤死案件ですね」
「ええ。実際姉上はこれを聞いて一度憤死したわ」
「え、亡くなったんですか姉上」
「心臓マッサージで蘇生したってヴォロディミル義兄様が」
「ちなみに最期の言葉は【ヒュッ】だったそうだ」
「なんかウチの長女のシリアスとギャグの落差でヒートショック起こしそうになりません?」
「「わかる」」
油断したらコロッと逝きそうだ……何なんだろうねウチの長女は。
ともあれ、事情はよく分かった。そしてエカテリーナ姉さんが持ち込んできた話の中身も、その背景も含めて察しがついた。
「盗んで来い、と」
「ええ。できれば来月の11日、ノンナ様の演説がある日程に合わせてね」
11月11日―――その日には、キリウ大公ノンナ1世の冬季演説が予定されている。冬季封鎖が始まり過酷な冬が幕を開ける中、全国民を鼓舞するための演説だ。
そしてその日にはノヴォシア共産党のレーニンとスターリン、トロツキーも招待されている。
水面下でバチバチしているとはいえ、表面上は”同じルーツを持つ文化圏の隣国”。とりあえず仲良く振舞っておく必要もあるし、向こうも大国としての面目があるから欠席というわけにもいかないだろう。この手の権威を重要視する輩はやたらと面目を大事にしたがる傾向にある。
そこで思い起こされるのが、先日ノヴォシアのスパイのセーフハウスから奪ってきたノンナの暗殺計画だ……演説中の彼女は、暗殺を目論む連中にとっては格好のカモである事だろう。
もちろん冬季演説には俺も招待されており、参加予定という事になっている。
それに合わせて強盗作戦を実行するというのは、妻たちに強盗を任せるか―――あるいはミカエル君が2人居なければ成り立たない。
「何なら影武者を使っても構わなくてよ」
「……いやはや、姉上も恐ろしいお方だ」
「そうかしら。私はこうしてニコニコ笑っているだけの女よ?」
その笑みの背後にとんでもない野心を抱えているからこそ、だ。いつもニコニコ笑っているだけの人ほど恐ろしい。
「基本報酬は120万ヴリフニャ。絵画以外にも他の美術品とか宝石類とか、気になるものがあったらガンガン盗んで構わない。盗品の価値に応じて追加報酬を支払うわ、上限なしにね」
「分かりました……しかし国境を越えての、それも冬季封鎖中の強盗となりますと準備にも費用が掛かります。報酬とプラマイゼロになってしまう可能性もありますが、そこはどうお考えで?」
「悪いがミカ、この作戦は非公式のものだ。だから帳簿に残る形での資金援助は一切できない」
マカール兄さんはバッサリとそう言った。
じゃあどうしろと、とは言わない。そういう状況ならば必ず代替案を用意しているのがマカールというウチのスモールサイズな兄上である。
「だが、こんなところに偶然にもノヴォシアの資金洗浄の拠点があってな」
そう言いながらテーブルの上にリュハンシクの地図を置く兄上。
地図上には既に赤いペンで印がつけられている場所が7ヵ所ほどあった。
「クラウドファンディングを募るにはちょうどいいんじゃないか?」
にい、と笑みを浮かべた。
「兄上」
「なんだ」
「そういうところ大好きです」
「ありがとう、俺もだ」
握手を交わした。
新たな強盗作戦は、こうして始動した。
冬戦争(1915年11月30日~1916年3月1日)
当時、中立を維持していた北方のスオミ共和国に対しノヴォシアが仕掛けた侵略戦争。当時のスオミ共和国はイライナ同様に中立を掲げてこそいたものの、ドルツ帝国と経済的に強い繋がりがあり、中立国であったがドルツ寄りの国家というのがノヴォシア側の認識であった。
特に第一次世界大戦の勃発に伴い領土拡大の野心を抱き参戦したノヴォシアはドルツ帝国軍とアルト海において敵対関係となっており、『いつかは結びつきの強いスオミを経由しドルツが陸軍戦力をノヴォシア本土へ送り込んでくるのではないか』という危惧は常にあったとされている(スオミとの国境から、革命の減点となったレニングラードも地理的に近く、レニングラードは貴重な工業都市でもあった)。
それを防ぐためスオミをノヴォシア寄りにしようと様々な譲歩を見せるノヴォシアであったが、しかしイライナとノヴォシアの一連の紛争を観戦武官を通じて目にしていたスオミはその全てを黙殺。ノヴォシア側に歩み寄るどころかドルツと経済的結びつきを強め、イライナとも同盟関係に至るなど対ノヴォシアの姿勢を鮮明にし始める。これはイライナ側より『ノヴォシアは約束を絶対反故にするから真に受けないように』と情報提供があったからとされているが定かではない。
ノヴォシアは飴と鞭を交え説得にかかるがスオミとの交渉はことごとく決裂。1915年11月30日、ついに業を煮やしたスターリンは共産党書記長令第330号に署名。国境付近での爆破事故を起こし偽旗作戦を決行、スオミ領への侵攻を命令し冬戦争が勃発する。
軍事大国と貧しい小国の戦争はすぐに決着がつくかと思われていたが、しかしその期待を裏切るようにスオミ軍は奮戦。地の利を生かした戦略でノヴォシア側の侵攻をことごとく押し留め、領土防衛を成し遂げてしまう。これは水面下でのドルツとイライナからの経済・軍事的支援に加え、ノヴォシア側が大粛清の後遺症で優秀な指揮官を失っていた事、スオミ側の士気が高く、また優秀な狩人の経験者が多かった事が挙げられる。
この戦争で大きな戦果を遺した兵士としてシモ・ヘイヘとスロ・コルッカの2名の名が挙げられる。両者共に優れた射撃技術を見せ、特に僅か33名の兵士で5000名の大部隊を相手に勝利を収めた”コルラ川会戦”は近代戦史における奇跡的勝利として記録されている。
1916年3月、西部戦線で一定の勝利と安定を得たドルツ軍は東部戦線の構築を決定。スオミ領内を通過しノヴォシア領へと侵攻、レニングラードへとなだれ込みこれを占領する事に成功する(レニングラードの戦い)。この際スオミは自国領の防衛に専念する事、ノヴォシア側への領土拡大に意欲が無かった事もあり、攻勢はドルツ軍のみで行う事となった。そのためスオミにとっての冬戦争はここまでであり、軍事大国を相手に一歩も退かぬ奇跡的大勝利で幕を引く事となる。
なお、記録が多数残されている狙撃手シモ・ヘイヘに対し全く記録が残っていないスロ・コルッカであるが、当初は『国民の戦意高揚のために生み出された架空の存在である』というプロパガンダ説が主流であったが、2020年のスオミ及びイライナによる機密開示により、その正体は【密かにスオミへと渡り同盟国支援のため戦ったミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵が、”スロ・コルッカ”という偽名を用いて参戦していた】という事が判明し戦史界隈に激震が走る事となった。




