ノンナの騎士
貴族(これからミカエル様と会談だ……緊張するな)
貴族(噂ではミカエル様、”メスガキ公爵”なんて呼ばれてるらしいし……)
妄想ミカエル君『えー? 何このおっさん超キモいんだけど~♪ その歳でその程度の領地しか持ってないなんてざこざこじゃん♪ だっさ☆』
妄想ミカエル君『ざぁ~こ♪』
貴族(なんかちょっと興奮してきた)
ミカエル君「ああ、お待ちしていました。リュハンシク城へようこそ。さあ、こちらへ。お客人を立たせたままとあってはリガロフ家の名折れですからね」
ミカエル君「何かご用がおありでしたらこちらのメイドのカトレアに何なりとお申し付けください」
ミカエル君「さあ、冷めないうちにどうぞ。イーランドから輸入した紅茶です」
貴族(すっげーまともだった……ちょっと残念)
子供の頃、ゴミ捨て場から一冊の本を拾ってきた事があった。
邪悪なドラゴンの魔の手から、正義の騎士がお姫様を助けに行くという、何ともありふれた内容の絵本……けれども子供からすればまあまさしくヒーローのそれで、幼い頃の俺もノンナも騎士とかお姫様とかに憧れたものだ。
その本を読み終えた後にノンナと交わした約束が、未だに脳裏に焼き付いている。
『俺、ノンナにとっての騎士になるよ』
『じゃあ、私がピンチになったら絶対助けに来てね』
―――きっと、その約束を果たすのは今だと思う。
悲鳴を上げる身体に鞭を打ち、アナスタシア様を睨みつけながら警棒を構えた。
身体中が痛い。
ふっ飛ばされて背中を打った。地面を転がって肩や膝を何度も擦り剥いた。光属性の魔力を浴びて身体中が焼けるように熱い。視界が眩み、気を抜くとぶっ倒れそうになる。
それでいて身体中にのしかかる疲労感。まるでパヴェルの組んだ地獄のようなトレーニングメニューを一通り終えた後のようで、さっきから深呼吸して呼吸を整えようとはしているものの、身体が酸素を寄越せと声高に叫ぶせいで一向に呼吸が整わない。
おまけに……というか、こっちの方が深刻か。
こんな地獄のようなコンディションでありながら、アナスタシア様は無傷だ。
強いて言うなら集中力と魔力を少しだけ削った程度……ダメージはほぼゼロ、損害と言えるものは何もない。
何でさっき、あのままぶっ倒れて大人しく担架で運ばれて行かなかったんだろう……変に意地を張って立ち上がってしまった自分を叱りつけたくなったが、しかしそれはそれで後になって後悔するだろう。
時間は決して戻る事はない。一度過ぎてしまった事は、どんな事であれ取り返しがつかないのだ。あの時こうすればよかった、もっと全力で戦っていれば良かった―――後になって後悔しても、何もかもが遅すぎる。
だったら後悔しない生き方を、自分で自分を恨まない生き方を。
現在を、全力で。
それだけじゃあない。
こんなところで、ただの一撃を受けただけで立てなくなった―――そんな無様な結果、到底受け入れられるものか。
ミカ姉の差し出した手を握り、血盟旅団の一員となって、皆が俺のために戦う術を教えてくれた。
俺は1人で戦っているわけじゃない。
この身体に刻み込まれた戦技は、紛れもなく仲間たちのもの。
だから―――ここであの人に恐れをなし、戦う意志を放棄してしまったら、今日まで俺を育ててくれたミカ姉やパヴェル達に申し訳が立たないのだ。
それに、ノンナが見ている。
あの時約束した―――俺がノンナの騎士になる、と。
頼りないとか、ヘタレとか、どう思われてもいい。
でも―――俺こそがノンナの騎士でなければならないのだ。
だから俺は逃げない。
ぼろ雑巾に打ちのめされてもいい。ただ1人の戦士として―――全身全霊で、”最強”と戦う。
目つきが変わった―――再び立ち上がったルカの雰囲気が違うのは、間違いなくそのせいだろう。
先ほどまでも十分に優秀な戦士と言えた。如何にして己と相手の実力差を埋め、相手の土俵に上がらず、効率の良い勝利を収めるかを計算し尽くした狡猾な狩人を思わせる戦いぶりであった。
しかし、今はどうだろうか。
ジャコウネコという、樹の上に潜み小動物と木の実ばかりを食べて静かに暮らす、臆病な小動物の発する威圧感などでは決してない。
例えるならばそれは―――血肉に飢えた餓狼。
いや、違う。
―――戦に飢えた”戦狼”だ。
ルカが腰を低く落とすなり、アナスタシアは大剣を構えた。
ドン、と地面を蹴る音。足元の赤土の地面を大きく抉りながら疾駆したルカがその射程距離に入るまで、そう時間はかからなかった。
右斜め下からかち上げるような軌道で放たれた警棒の一撃。アナスタシアはそれを大剣では受けず、上半身を逸らす事で紙一重で回避する。
あの警棒に放電機能がある事は、先ほどの打ち合いで把握済みである。
なんたる初見殺しであろうか―――並みの剣士であれば、いや、熟練の剣士でもあの警棒の一撃は咄嗟に剣で受けてしまうであろう。しかしそうなったら最後、電気ショックをもろに浴びて動きを封じられるか、最悪の場合それだけで勝負がついてしまいかねない。
続く一撃を受ける前に最速の反撃で決着を、と目論んだアナスタシアの身体に、どん、と衝撃が走る。
「―――」
突き飛ばされるような感覚―――いや、迫ってきた巨大な壁に阻まれる感覚というべきか。
最初の一撃が不発と見るなり、ルカは更に一歩踏み込んだ。
身長235㎝、体重に至っては130㎏オーバー……もはやその巨体と体重でぶち当たれば、ちょっとした交通事故のような衝撃となるだろう。
ルカは瞬時に、己の質量を武器とした。
空振りした一撃の後に一歩踏み込んで、アナスタシアにタックルをぶちかましたのである。
よもや警棒術の最中に体術を挟んでくるとは思っていなかった事、そしてルカの巨体と質量を生かした体当たりの威力が予想以上だったことを受け、不意にアナスタシアの足がたたらを踏む。
唸り声と共に、ギャギャギャ、と地面を擦りながら迫る警棒の音。
なんとか右足で踏ん張りつつ、上半身を逸らして警棒を躱すアナスタシア。
その時だった。唐突に両目に染みるような激痛が走ったのは。
(コイツ―――土を飛ばして私の両目を塞いだか!)
地面を擦りながら警棒を振るったのは、単なる威圧のためではない。
振り上げた際に土を巻き上げ、あわよくばそれが相手の視界を潰してくれる事を期待しての攻撃だったのだ。ルカの電気警棒を剣で受けてはならない、と判断を下したからこそ回避という選択肢を選んだアナスタシアであるが、後方に身を逸らして回避してしまった事が見事に仇となった。
驚く一方で、しかし喜んでもいた。
ミカエルから預けられたばかりのルカは、アナスタシアの出すトレーニングメニューに弱音を吐いてばかりだった。何度も心が折れそうになり、しかしその度に部屋を訪れたノンナに励まされて、文字通り血反吐を吐く思いで努力を積み上げていたのはよく知っている。
その苦痛を乗り越えた先に、今のルカの強さがある。
それだけではない。
彼にはもともと負けず嫌いとしての気質が備わっていた。
自分が納得するまで何度も繰り返し、決してやめない。
だからこそ―――ひとたび火の着いたルカは、もう止まらないのだ。
「おぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
勢いのままに踏み込み、刺突を狙うルカ。
警棒の先端に装着された電極が、両目を一時的に潰されたアナスタシアの顔を睨む。
しかし―――視力を潰された程度で絶対王者の椅子に座る事が出来るほど、アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァという女もヤワではない。
次の瞬間、アナスタシアはイリヤーの大剣を手放していた。
勝負を諦めたか、と一瞬ばかり本気で思ったルカ。しかしその予測が大外れであった事を身を以て知る事となる。
視界が暗くなったと思った次の瞬間には、まるで金属バットで思い切り殴打されたような衝撃が眉間を突き抜けていた。頭が激しく揺さぶられ、頭蓋の内側で脆弱な脳が衝撃に震える。
あまりにもの衝撃に、一瞬ばかりルカは何も感じなくなっていた。そればかりかなぜ今自分はこんなところにいるのか、ここはどこで自分は何をしているのか、そもそも自分は誰なのか―――何もかもが思い出せなくなる。
強烈な衝撃を受けた脳味噌のフリーズ。それが再起動するなり、身体に生じた異常が怒涛の勢いで上がってくる。
軽度の脳震盪に激しい頭痛。両目の内側がチカチカし、視界に大量の星が舞う。
それがたった一発のパンチによるものだと理解するなり、戦慄した。
今のでもかなり手加減したのだろう―――アナスタシアが本気で拳を振るったのならば、ルカの頭が軽度の脳震盪を起こす程度で済むはずがない。
以前までの彼であれば、この一撃で士気は挫けていただろう。
が、しかし。
半ば白目を剥きながらも、むしろルカは前に進んでいた。
腹の底から自分でも発した事の無い声を迸らせながら、握り締めた拳を思い切り振るう。
手応えは―――ない。
素直に殴られてくれるほど、アナスタシアは甘くない。
右の拳を突き出した事により無防備になった右の脇腹に、彼女の放ったミドルキックが深々とめり込む。
ミシ、と肋骨が軋み―――いや、衝撃に耐えかねぶち折れた。
呼吸が詰まる。込み上げる激痛が、まるで彼に戦いをやめさせようと声高にその存在を主張し始める。
身体中のあらゆる神経が、筋肉が、ルカ、という個人を構成する細胞の一つ一つがリングにタオルを投げ込んで、戦いをやめさせようとしているようだった。
いくら負けず嫌いでも、どれだけ全力を尽くしても、決して届かない壁というのは存在するのである。
―――本当に?
喉の奥から込み上げてくる血を食いしばった歯の隙間から滲ませながらもなお、ルカは前に出た。
『俺、ノンナにとっての騎士になるよ』
約束したのだ。
幼い頃、血の繋がらない妹と―――彼女をいつ何時も守る守護者たらんと。
こんなところで屈していては、その約束は果たせない。
ごぼ、と溺れるような音を発しながらも、左の拳を振るうルカ。しかしやはりその一撃がアナスタシアを捉える事はなく―――ガッ、と手首と胸倉を掴まれた次の瞬間には、彼の視界は滅茶苦茶になっていた。
左のストレートに合わせる形で繰り出された、文句のつけようがないほど綺麗な背負い投げ。びたん、と背中を地面に強打した上、折れた肋骨が内臓に突き刺さって更なる苦痛をもたらす。
『じゃあ、私がピンチになったら絶対助けに来てね』
ノンナとの約束が、半ば呪いのようにリフレインする。
果敢な挑戦者にトドメを刺そうと拳を振り上げるアナスタシア。
振り下ろされたそれを、顔面を殴り潰される直前に両手で受け止めた。
「!」
まさか受け止めるとは思っていなかったのだろう―――両目を瞑ったままのアナスタシアの顔に、驚きの色が広がる。
とはいえ、ルカも無事ではなかった。
ただのパンチを受け止めただけなのに、手の骨には亀裂が生じ、肘の関節は外れそうな勢いだった。そればかりかとんでもない膂力で押し込まれるものだから、受け止めた筈だった拳がじりじりと迫ってくる。
―――これを待っていた。
アナスタシアの拳を、折れかけの両腕でガッチリと抑え込み―――吐血しながらもルカは笑う。
バヂッ、と弾ける蒼いスパークと空気の焦げる臭いで、アナスタシアは全てを察した。
ルカは適性C+の雷属性魔術師―――可もなく不可もない適性であるが、しかしそれでも人間1人から意識を奪う程度の電気ショックを発するくらいは朝飯前なのである。
筋力を総動員し強引に拳を引き戻すアナスタシア。
決死の思いで放った電撃は命中する事なく、虚しく何もない空間を突き抜けるばかりだった。
閉ざされていたアナスタシアの視界が、今になってゆっくりと回復し始める。異物を押し出そうと溢れる涙を拭い去り、まだ霞む視界でルカを睨むアナスタシア。
窮鼠猫を噛む、という言葉が東洋には存在する。
普段は猫に追いかけ回されるばかりの鼠でも、しかし決死の覚悟で一矢報いる事もある―――ゆえに追い詰められた獣は危険である、と戒める旧い諺。
今のルカがまさにそうなのだろう。アナスタシアという絶対王者を前にして、しかし文字通り命を燃やす覚悟で戦いを挑んできている。その結果、他の挑戦者とは比べ物にならないほど食い下がっているのだから、人間が奥底に持つ執念とはつくづく恐ろしいものである。
「……?」
肉体に異変を感じたのは、その時だった。
―――息が上がっている。
アナスタシアは毎日のトレーニングを欠かさない。既に年齢は20代を過ぎているとはいえ、それでも全盛期と遜色ない身体能力を堅持しているのはリガロフ家長女としての矜持によるものだ。
だからこそ自信を持って言える。この程度で息が上がる筈がない、と。
同時に牙を剥く軽度の頭痛。
そこで、彼女は気付いた。
先ほどルカが全弾撃ち尽くした焼夷弾―――その炎は未だ、グラスドームの内部で激しく燃え盛っており、闘技場の一角に火の海を作り出し続けている。
軍用の特殊燃料を用いたものだから、簡単に火は消えない。自然消火を期待しても1時間以上は燃え続けるだろう。
「お前―――」
まさか、そこまでして―――その言葉を、しかしアナスタシアは呑み込んだ。
そこまでして―――いいや、違う。
この一戦は、ルカにとってそれほどまでに大きな意味を持つのだ。
だからこそ―――ほぼ閉鎖された空間での焼夷弾の使用という、酸素を激しく消費する作戦を独断で仕込んでいたのである。
無論、これはミカエルに指示された作戦ではない(むしろそのような危険な作戦を彼女は承認しないだろう)。
万が一、追い詰められ、真っ向からの戦いを強いられた場合に備えてルカが用意していた最期の一手。
如何に手強くとも、アナスタシアもまた人の仔だ―――酸素濃度が段々と薄くなっていけば、それに伴って生じる症状には抗えない。
「宰相閣下」
息を切らし、ふらつきながら―――しかし眼光だけはなおも鋭いまま、ルカは言った。
「せっかくの機会です―――お付き合い願いますよ、最期の最期まで」
獣人の世代について
この世界における獣人たちは旧人類による遺伝子操作、あるいはそういった類の実験の結果生み出された存在であるとされており、元々は旧人類への隷従を目的とした奴隷のような階級の存在であった、とされている。
一口に獣人と言っても、この世界にはより獣に近い姿の『第一世代型』、人間にケモミミと尻尾を生やしたような姿の『第二世代型』の2種類が存在している。また、両者共に『自分と同じタイプの動物が相手であれば意思の疎通ができる』という特徴を持っており、人間以上に動物との共生関係を築いているのが特徴。
・第一世代型
旧人類の手により最初に生み出された古いタイプの獣人。ごく初期のタイプは動物の遺伝子に人間の遺伝子を組み込む事で生み出されたとされており、記録上では猿の獣人として生み出された『オリジン』という個体が最古の獣人であり、全ての獣人の祖とされている。
後発の第二世代型と比較すると骨格が動物に近く、『二足歩行で歩く獣』といったような姿をしているのが特徴。知能は第二世代型にやや劣り、魔術の適正も低い傾向にあるが、その分動物寄りの骨格と筋肉、恵まれた体格により常人離れした身体能力を誇る。
ただし骨格が動物寄りである事から人語の発声に適しているとは言えず、彼らの話す言葉には特有の訛りがある。
血盟旅団の関係者では範三とセルゲイが該当。第二世代型と比較すると個体数は少ない模様。
・第二世代型
旧人類が第一世代型の獣人をベースに生み出した、よりヒトに近い姿の獣人。骨格や筋肉などは人間準拠であり、ケモミミと尻尾、手のひらにある肉球などを除けばその姿はごく普通の人間と変わらない。
第一世代型と比較すると人間に近い容姿が外見上の差異となるが、他にも第一世代型より優れた傾向にある知能や魔術適性、人間型の骨格に起因する人語の滑らかな発音などの点において優勢である反面、動物に近い骨格の第一世代型と比較すると身体能力で劣る。
また、ケモミミの他に人間としての耳も持っているため、第二世代型獣人に限っては『耳が4つある』。これらの耳は戦闘時や警戒時、動物との意思疎通の際などは高感度のケモミミを、それ以外の日常生活では低負荷となる人間の耳を……といった感じに使い分けている。
作中ではミカエルをはじめ、多くの獣人キャラが該当。第一世代型と比較すると個体数は多い模様。
なお、ファンタジーな世界には定番なエルフやドワーフといった種族は現代では存在しないが、獣人たちが生み出されるよりも遥か昔、【旧人類により遺伝子操作で生み出されていた可能性】が断片的な記録から推測されている。
あるいはエルフやドワーフたちこそが旧人類にとっての創造主であり、彼らもまた何らかの要因で滅び被支配者階級の旧人類が残った……という可能性も指摘されているが定かではない。
この世界は謎で満ちている。




