ビントロング、獅子を咬む
前回のあらすじ
キリウ大公の王配を決めるために宰相アナスタシアが挑戦者たちに課した試練―――それはイライナ最強の戦士、宰相アナスタシアと戦う事。あまりにも強大すぎる壁に1人、また1人と秒殺されていく挑戦者たち。しかしその時、彼女の前に1人の男が現れる。
「強い奴と戦えると聞いて」
その名は速河力也―――強敵との死闘だけを追い求める、根っからのバーサーカー。
王配なんぞクソ喰らえ、強い奴と戦えればそれでいいのだと勢いだけで挑んできた力也。果たしてアナスタシアとの死闘の行方は? そしてイライナ首都キリウは崩壊を免れるのか……?
エミリア「 力 也 ? 」
力也「ぴっ」
アナスタシア「!?」
エミリア「貴様、子供たちの世話もせずこんなところで何をしている?」
力也「え、いや、あのこれは」
エミリア「しかもコレ王配を決めるための試練だそうではないか。貴様、私と姉さんという女がありながらよもやキリウ大公にまで手を出そうという魂胆か? 浮 気 か ? お ん お ん 怨 ?」
力也「いやあのそんな滅相もございまsいだだだだだだだだだだ耳! ケモミミひっぱらにゃいで」
エミリア「 帰 る ぞ 」
力也「クゥン……」
アナスタシア「 何 だ 今 の 」
3日前
イライナ公国 リュハンシク州 州都リュハンシク郊外
リュハンシク城 地下区画
『ルカ、姉上だって人の子だ。必ず付け入る隙はある』
ミカ姉の言葉を聞きながら、しかし半信半疑だった。あの人が、何でも完璧にこなしてしまうイライナ最強の宰相、アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァともあろう人に付け入る隙などあるのだろうか、と。
あの人がどれだけ強いのか、身に染みて分かっているのは僕だ。
ミカ姉たちと別れ、ノンナを守る護衛官を志した時からずっと、俺を鍛えてくれたのは他でもないアナスタシア様なのだ。あの人の下で厳しい訓練にひたすら耐え、文字通り血反吐を吐く思いで、しかし目標である護衛官になるための努力を続けてきた。
あの人と戦った事は、何度もある。
キリウ宮殿の修練場で、あの人にふっ飛ばされたのは一度や二度ではない。相当手加減していただろうに、けれども手も足も出なかった。赤子が大人に挑むような……いや、羽虫が恐竜に挑むような絶望感があった。
手加減していてそれなのだ―――あの人が、大事な試練の場で手加減してくれるなど絶対にありえない。これまでの鍛錬では見た事も無いような魔術をどんどん連発してくるに違いない。
そう思うと足が竦むというものだ。
『戦う前からビビるな』
心の中を見透かしたミカ姉にぴしゃりと言われるが、じゃあどうすればいいのか。
『戦う場所はコロシアム、厚さ3mの特殊防弾ガラスに覆われた闘技場だ。換気はあるがほぼ密室、空気の流れは無いに等しい』
『じゃあ何さ、毒ガスでも使うって?』
『おバカ、そんな事したらお前も死ぬぞ』
『でもガスマスク使えば……』
『姉上だったら、ガスマスク見ただけでどんな作戦使うか一瞬で見破るだろうな。逆に相手の前面攻勢を誘発してしまい秒殺……それでもいいなら使えばいい』
『やっぱやめときます……』
『とにかく、だ。空気の流れが無いに等しいなら煙幕類が有効だ。スモークグレネードで視界を遮るという手が使える』
『そんなのであの人何とかなるの? 普通に音とか空気の流れを頼りにバッサリ斬りに来ると思うけど』
『まあ、だろうな』
『じゃあなんでそんな……』
むしろ自殺行為なのではないか、とすら思える。煙幕を張るという事はこっちも視界が死ぬという事なのだから。
『そこでドローンのご登場だ』
『ドローン?』
『レギュレーションじゃあ、1対1じゃなきゃダメなんて書いてないからな』
にしし、と悪ガキみたいな笑みを浮かべるミカ姉。
この人、昔からそういう人だ。事前にルールをしっかり調べてその穴を突いてくる。そして文句を言われるとこう返すのだ……『ルールにはコレやっちゃダメなんて書いてませんけど?』と。
そしてそういう時に限って、ミカ姉はものすごく人生を楽しんでいるような顔になる。生き甲斐なのだろうか。他人が作ったルールの穴を突いて意表を突いてやるのが。
『でもドローンでの幻惑なんて……』
『とにかく色んな方位から攻撃しろ。視界もクソ、全方位からの絶え間ない攻撃となれば姉上は絶対に全体攻撃を使う』
『ぜ、全体攻撃ってまさか……』
『そう、錬金術だ』
ミカ姉がアナスタシア様に教えやがった錬金術。ただでさえ強大なあの人が、ミカ姉のせいで更に強大な壁と化したのは正直恨みたい。けっこう恨みたい。
『そんなのぶっ放されたら死ぬじゃん、俺』
『まあ、こればかりは外れる事を祈るしかない……が、これを回避できればお前の勝率は一気に上がる』
『どういう事さ?』
問うと、その質問を待ってましたとばかりにミカ姉は笑った。
『そりゃあ、遮蔽物を提供してくれるわけだからな』
ひとまず、最初の賭けには勝った。
右肩から僅か3㎝先、地面から伸びた槍を見ながら肝を冷やしつつ、ツァスタバM70を引っ張り出して安全装置を解除。75発入りのドラムマガジンを装備したそれをフルオートに入れ、呼吸を整える。
濛々と周囲を漂う霧のような煙幕―――その中にうっすらと浮かぶのは、無数に屹立する巨大な槍。
その光景はまるで、以前に読んだ書物にあった東洋における地獄を思わせた。東洋では、罪を犯した者は地獄に落とされ、業火に焼かれ、血の池に沈められて、針の山で全身を刺し貫かれる責め苦を永遠に味わうのだという。
遥か異国の、自分の信仰の埒外にあるそんな光景を想起させるには十分だった。
そして改めて、錬金術の強力さを痛感させられる。
この無数の槍の山を、アナスタシア様はただの一撃で生み出したのだ。
細心の注意を払いつつ槍に歩み寄り、そっと触れる。傍から見れば一流の石工たちが岩塊から削り出して作ったかのような、高さ4~5mにも及ぶ巨大な槍。しかし触れてみればそれは赤土をがっしりと固めたものである事が分かる。
足元を見下ろした。
闘技場の地面は赤土で出来ている。見たところ、あの槍を構成している赤土と性質は同じようだ。槍の生えている根本がまるで擦り減ったかのように、擂り鉢状に窪んでいる。
錬金術には常に『質量保存の法則』が付きまとう。石ころで巨大な大剣を作ろうとしても、結局は石ころ1つ分の質量で作れるものしか作れない、という塩梅だ。
やはりこの巨大な槍も、闘技場の地面を材料にして作られている……それはいい。
だが、しかし。
「……」
―――ミカ姉の抱いていた疑念、当たってるかもしれない。
もしそれが事実で、アナスタシア様が俺になおも手加減しているわけでないのだとしたら―――俺にも価値の目が出てくる、というわけか。
やっと、やっとだ。
今になってやっと、希望が見えてきた。
今の一撃で、しかしルカを仕留めるには至らなかったらしい。
錬金術発動後、なおも執拗に銃撃してくるドローンの攻撃を煩わしく思いながら、アナスタシアは剣を薙いだ。ただ無造作に振るっただけの一撃ではあるが、長年の鍛錬で鍛え上げられた彼女の腕力が生み出すそれはただ振るうだけでも破城槌の如き威力を発揮する。
ごう、と大気が哭き、剣がうっすらと赤みを帯びた。
振るっただけでマッハ3に到達した大剣が、瞬間的にとはいえ断熱圧縮を起こしたのだ。
しかし、その衝撃波を飛ばしても仕留めたという手応えは感じない―――むしろ逆に、今の攻撃でこちらの位置を晒す結果となってしまったらしい。白煙の中から飛んでくる攻撃がより一層濃密になり、アナスタシアは軽率な反撃を恥じながら回避に転じた。
ドローンの厄介さを嫌でも痛感させられる。
ルカが展開したドローンは小型のモデルだ。手のひらよりも少し大きめのサイズの機体に、ツァスタバM92(AKクローン、7.62×39㎜弾仕様のカービンモデル)をマウントし、セミオートで断続的な射撃を加えてくるのである。
射撃自体も厄介だが、一番面倒なのはそのサイズから来る攻撃の当てにくさだ。
機体が小さいという事は、それだけ攻撃を命中させるのも困難になる。加えてシャーロットが組んだAIによる高度な回避運動もプログラムされており、攻撃が当たりそうだと見るなり攻撃を欲張らずに回避に転じるものだから、嫌らしいほど攻撃を当てにくい。
しかもドローンが搭載しているのはそれだけではない。
ルカの体臭の原因―――尻尾の付け根付近にある臭腺から分泌される体液を機体に塗り付けたか、あるいはそれを抽出して作ったガスでも散布しているのだろう。ルカの特徴的なポップコーンを思わせる体臭は、あのドローンから発せられている。
ならば体臭がしない方向から飛んでくる銃撃がルカによるものなのではないかと思うがそうでもない。
ドローンは1機だけではないのだ。
1機、2機、3機……少なくとも3機の小型ドローンが闘技場に展開して、それぞれ臭いを発していたり発していなかったりと、徹底してこちらの攪乱を行っている。
こざかしい、とは思わない。
よくもまあこのアナスタシアを倒すために手を尽くしたものだ、と感心すら覚える。
ゾッ、と背筋に冷たい感覚が走り、咄嗟に首を傾けた。ヒュン、と何かが風を裂いて後方へと飛んでいき、屹立する赤土の槍を直撃して風穴を穿つ。
銃弾だ。
それもドローンのような、機械特有の殺意が無い淡々とした攻撃ではない―――この一撃で仕留めてやる、という明確な殺意が感じられた攻撃だった。
「そこか」
見つけたぞ、と剣を地面に擦りつけながら思い切り振り上げる。ギャギャギャ、と地面から火花を発しながら振り上げられた剣から地を這う衝撃波が解き放たれ、進路上の赤土の槍をへし折りながらルカの方へと一直線に飛んでいく。
「む」
手応えが、ない。
彼を訓練したのはアナスタシアだ―――だからこそ、教え子とも言えるルカの癖は理解しているつもりだった。
ルカは訓練の時から、攻撃を繰り出されると左に回避する癖があった。
だからそれを見越して、ルカが左に回避したら確実にヒットするようにアナスタシアから見てやや右へと偏差を付けて放った一撃は、しかし白煙の中へと消えて行くなり何の手応えも返さない。
―――躱された?
アナスタシアならば癖を読んでくるだろう、と判断し敢えて逆方向に躱したか―――そう踏んだアナスタシアの頭上で、たんっ、と何かが地面を踏み締めるような音が聞こえ、今になってアナスタシアは己の失策を悟った。
(まさか)
最初からこれが狙いだったのだ。
白煙の中、天に鎮座する太陽を背にして宙を舞う巨大な獣の影。
それが手にした小銃―――セルビア製AKクローン、ツァスタバM70の銃口がアナスタシアを睨むなり、彼女は剣を振るって降り注ぐ弾丸を片っ端から叩き落した。
まるで戦闘機の機銃掃射のようだった。アナスタシアに一撃を加えてはどこかへと飛び去っていくルカの影。その隙を埋めるようにドローンが波状攻撃を仕掛けてはアナスタシアの注意を乱し、また別の角度からルカの機銃掃射が飛んでくる。
視界の端で、一撃離脱を終えたルカが屹立する赤土の槍を足場にし、大きく跳躍する姿を捉えたアナスタシアはドローンからの攻撃を捌きながら唇を噛み締めた。
失念していた―――ルカはあの巨体から熊のような猛獣に思えてしまうが、しかし彼もまた樹上での生活に最適化されたジャコウネコ科、ビントロングの獣人である。本来その生活圏は樹の上であり、少しでも足場があればそこを飛び回ったり、走り回ったりするのはお手の物なのだ。
ミカエルがそうであるように、ルカもまたパルクールを得意とするジャコウネコ科の獣人なのである。
(この白煙は単なる攪乱ではない―――最初から錬金術による攻撃を誘発するための布石だったのか)
視界を潰した上で、ドローンを総動員した全方位からの攻撃を行えばアナスタシアはやがて痺れを切らして、錬金術か魔術による全体攻撃に打って出る。
錬金術であれば足場を槍状に形質変化させての全体攻撃となるのは確実である。それが錬金術において最も単純な広範囲攻撃であるからだ。
そうなれば、ルカの得意な戦場の完成である。後は白煙で視界が利かない中を縦横無尽に駆け回り、アナスタシアを撹乱しつつ一撃離脱とトップアタックに専念すればよい。
徹底して相手の土俵には上がらず、相手のペースに付き合わない戦い方。
絶対王者に一矢報いるための、弱者なりの戦術であった。
(なるほど、ミカの奴らしい)
あの子もそうだった。
昔から持たざる者だった―――手元には何もない、だからこそ相手の土俵には上がらず、相手にとって戦い辛い状況を作り出す事に専念する。
剣を思い切り足元の地面に突き立てる。ドン、と空気が震え、ドーム状に広がった衝撃波がドローンの放つ弾丸を吹き飛ばした。
さすがにこのまま攻撃を続行すると拙い、とドローンのAIたちは判断したのだろう。ローターの音を小さくしながら、アナスタシアの傍らから飛び去っていく。
その隙に、アナスタシアは大剣を引き抜くなり退避に移るルカの後を追った。
いくら体臭を対策し、白煙で視界を奪ったとはいえ、音だけはどうしようもない。
タンッ、タンッ、と赤土の槍を足場代わりにして飛ぶルカの足音は、うっすらとではあるが聴こえてくる。
ドローンに散発的な銃撃をさせていたのも、その移動時の音を銃声でかき消すのが目的だったのだろう。しかしドローンが退避に移ってしまい、散発的に銃撃を加える者がいなくなってしまった以上、銃声をノイズには使えない。
さあ次の一手は何だ、と心を弾ませるアナスタシアの爪先が、ピンッ……と何かを弾いた。
それがワイヤーである事、そして―――赤土の槍の形成により生じた窪みにうまい具合に隠すように設置された”クレイモア地雷”の存在に、やっと気付いた。
アナスタシアが錬金術を使ったその瞬間から、この闘技場はルカの狩場へと姿を変えていたのである。
炸裂するよりも早く、咄嗟に左手で地面を思い切り殴りつけるアナスタシア。クレイモア地雷が炸裂し大量の小型鉄球が散弾さながらに解き放たれるが、しかし地面を殴った事で生じた衝撃波がそれを真っ向から呑み込み相殺。運動エネルギーを使い果たした鉄球たちが、ボロボロと地面に転がり落ちていく。
ほんの2秒ほどの隙―――しかしそれだけあれば、退避から反転攻勢に転じるには十分であった。
「―――」
すぐそこに、ルカが迫っていた。
ツァスタバM70から大型電気警棒に持ち替えたルカが、アナスタシアの頭上へと躍りかかる。
「―――宰相閣下、お覚悟ぉッ!!」
Q.そういえばアナスタシアお姉様とセシリア団長が戦ったらどうなるんですか?
A.やめてください世界が終わってしまいます




