ライオンVSジャコウネコ
すいません、ミカエル君の年齢について誤りがありました。
以前1897年時点でのミカエル君は27歳であると描写していましたが、ミカエル君の誕生日は9/21で作中ではまだ8月なのでギリギリ27歳になっていません。まだミカエル君26歳でした。
1歳サバ読んでしまい申し訳ございません(落雷直撃)
人間ってあんな飛び方するんだ……というのが、アナスタシアの戦いを見た私が抱いた感想だった。
私との結婚を懸けて、イライナ最強アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァに戦いを挑んだイーランドの剣士。横薙ぎに振り払われた剣戟をバスタードソードで受け止めたまではいいけれど、問題はその先。アナスタシアの振るった剣の一撃はあろう事かガードもお構いなしに相手をかち上げて、そのまま吹き飛ばしてしまう。
想定外の腕力と膂力に圧倒された相手の剣士は、まるでブーメランみたくぐるぐる回転しながら、試合中の流れ弾から観客を防護するために用意された厚さ3mの特殊防弾ガラスを直撃。びたーん、と張り付いた後、きゅきゅ……とガラスからずり落ちる音を発しながら広間に落ちて行って、そのまま動かなくなった。
救護班がすぐさまやってきて、気を失ってしまった挑戦者を担架に乗せて去っていく。
入れ替わりで入ってきたのは、カウボーイハットにダスターコートを身に纏い、腰のガンベルトに革製のホルスターを2つ吊るしたカウボーイだった。アメリア合衆国からやってきた腕利きのガンマンが居る、という話は聞いていたけれど、まあ彼も多分駄目でしょう(諦め)。
「これはこれは、陛下」
聞き慣れた声。
振り向くまでもない―――かつて一緒に世界を旅した仲間で、今ではリュハンシク州の領主となったイライナの英雄ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵。どこかつかみどころのない飄々とした性格は、領主となった今も変わらない。
「よくこっちに来れたのね、リガロフ公」
正直、来ないものと思っていた。
領主の仕事は多忙を極める。法案の審議に領内の視察、領民の声に耳を傾けて対策を講じたり、経済対策を練ったり……領内だけでも問題は山積みだというのに、あのノヴォシアと国境を接しているから国防の点においても常に隣国に目を光らせていなければならない。
アナスタシアがミカ姉をリュハンシクの領主に任命したのは、彼女の存在そのものを抑止力とするためだ。
あの旅を通じ、ミカ姉の知名度は飛躍的に高まった。旅を始めたばかりの頃は無名でも、今では”雷獣のミカエル”と聞けば誰もが口をそろえて答える―――イライナの英雄ミカエル、と。
アルミヤ半島の解放、ガノンバルドとマガツノヅチの討伐、そして祖先イリヤーに倣うかのようなゾンビズメイの討伐……それだけの偉業を打ち立てた現役の大英雄が控えているとなれば、誰もそこを攻めようとは思わないし、攻め込んだとしても甚大な損害を覚悟しなければならない。
つまるところ、ミカ姉が『リュハンシクにいる』事に意味がある。
影武者でも立てたのか、それともお忍びか……いずれにせよ、よくキリウに出向いたものだと思う。
「いやぁ、参ったものです。”領主が城を離れた”というだけで大騒ぎになりますから」
「この隙にノヴォシアが攻めてきたりして」
「はっはっは。そうなればウチの兵士たちが何とかしますよ。領主が居ない程度では足枷にはなりませんから」
でしょうね。
シャーロット博士の作ったAIに統括制御される機械の兵士に無人兵器たち……ミカ姉が居ない程度で支障が出るとは思えない。
「それよりどうです、陛下。ウチの姉上は」
「強すぎて話にならないわ」
コロシアムの観客席、貴族用の1等席に用意された玉座で頬杖をつきながら、私は息を吐いた。
「強そうな挑戦者が出てきても、”どうせアナスタシアが勝つんでしょ”って思っちゃって」
「でしょうな」
ちょうど今、果敢に早撃ちを披露したガンマンが殴り飛ばされて、5階にある特等席の窓にびたーん、と張り付けられたところだった。
一応、願書には『この試験で負った負傷、またこれを原因とする傷害、また死亡につきましてはイライナ政府は一切の責任を負いません』という注意書きが紅い文字でちゃんと書いてある。アナスタシアも相手を殺さないよう手加減しているのかもしれないけれど、下手をしたら死人が出かねない。
ホント、兄さんってばちゃんと願書の注意書き読んだのかしら……。
「リガロフ公、兄さ……ルカ主席護衛官の出番はいつだったかしら」
「この次でございます、陛下」
リガロフ公だとか陛下だとか、堅苦しい呼び方になってしまうのも仕方のない事だ。かつてはお互いを「ミカ姉」とか「ノンナ」とか親しく呼び合っていた仲ではあるのだけど、今はキリウ大公と領主という関係。プライベートの場でそう呼び合うならばまだしも、公の場で「ミカ姉」とか「ノンナ」なんてフランクに呼び合ったらキリウ大公の品位を貶める事になるし、下手をすればミカ姉も不敬罪を喰らう事になる。
そんな感じでミカ姉とやり取りしている間に、窓の向こうでは相手の魔術師の放った火球が熱線というかもうビームにしか見えない炎の奔流に呑み込まれて消失、プラズマ化した大気が相手の魔術師に牙を剥き、衣服が発火した魔術師が悲鳴を上げながら地面の上を転げ回っているところだった。
慌てた救護班が消火器を片手に突入、炎上する魔術師に消火剤を吹きかけ、真っ白になった彼を担架に乗せて運んでいく。
いよいよ、兄さんの出番だった。
担架と入れ替わりで闘技場の中にやってきたのは、オリーブドラブのコンバットシャツとコンバットパンツの上にチェストリグを身に着け、騎士を思わせるバイザーが特徴的なマスカ・ヘルメットを被った身長235㎝の巨漢。
主席護衛官、ルカ―――”黒獣のルカ”の異名を欲しいがままにした、異名付き冒険者。
背中には特徴的な大型の電気警棒とAK、ドローンの入ったバックパックが、そして左腕には大型のバリスティック・シールドがある。
明らかに他の挑戦者とは異なる装備に、アナスタシアも少し訝しんでいるようだった。
「リガロフ公」
「なんでしょう陛下」
「……ルカ主席護衛官に、勝ち目はあると思う?」
「無いでしょうね」
ぴしゃりとミカ姉は断言した。
それはそうだ―――いくら血盟旅団の一員として旅を共にし、冒険者見習いとして2年の下積みを経て頭角を現したとはいえ、相手は”イライナ最強”の宰相、アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァ。
強すぎるが故に退屈すら覚え―――しかしそれでも研鑽を止めぬ求道者。
「ですが陛下、東洋には”窮鼠猫を嚙む”という言葉がございます」
鳩尾に冷たい何かが沈殿していく感覚を覚えている最中、ミカ姉はポツリと言った。
「万に一つ、億に一つ……たとえそれが無数のゼロと小数点の果てにあるとしても、完全なゼロで無いのであれば―――アイツなら、ルカならきっと」
絶望的な状況でも、希望はある。
そして兄さんならきっとその希望を手繰り寄せてくれると―――そう、信じたい。
キリウ大公として。
ちょっと頼りない、でもいつも私を守ってくれた兄さんの妹として。
「待っていたぞ、ルカ」
リガロフ家の家宝、『イリヤーの大剣』を鞘に収めた状態で背負い、仁王立ちしながら腕を組みアナスタシアは少し嬉しそうに言った。
意外だった―――これまでルカは、いつもノンナの隣に控える冷淡なアナスタシアと、そして護衛官を志したルカを厳しく鍛え上げた、教官としてのアナスタシアしか見た事が無い。
この人って笑うのか、というのがルカの抱いた感想だった。
「挑んできた戦士たちを貶めるわけではないが、どいつもこいつも雑兵ばかりだ」
あれを雑兵と呼ぶのか、とルカは少し恐ろしくなる。
この1週間でアナスタシアに戦いを挑んできたのは、誰も彼もが国家の威信を背負ってやってきた精鋭ばかりだ。確かに中には腕試しのつもりでやってきた冒険者も居ただろうが、祖国の未来のため、イライナとの関係強化という使命を背負ってやってきた海外の猛者の方が圧倒的に多い筈である。
それを秒殺しておいて『雑兵』と切って捨てる事が出来るのは、後にも先にもこのアナスタシアだけであろう。
「だが、お前は違うのだろう?」
「……ええ、そうですとも」
「面白い」
剣を抜く素振りすら見せず、仁王立ちのまま笑みを浮かべるアナスタシア。
構えてすらいない―――ただそこに立っているだけであるにもかかわらず、全身を突き刺すような威圧感にルカは苛まれていた。
他の挑戦者は皆、これを真っ向から受けながらも挑んでいったのだ。イライナの誇る”最強”に。
ちらり、と視線を5階の観客席にある1等席へと向ける。
貴族向けの特等席に用意された玉座で、戦いの成り行きを見守っているのはリュハンシク領主ミカエルと―――ルカにとっての妹分にしてキリウ大公、ノンナ。
(……待ってろ、ノンナ)
奥歯を小さくガチガチと揺らし、足を震わせながらも、ルカは腹を括った。
右手をバリスティック・シールドの裏へと伸ばす。ウェポンラックにマウントしていたポンプアクション式グレネードランチャー『GM-94』を取り出すなり、安全装置を解除して戦闘開始に備えるルカ。
「いつでも来い」
「宰相閣下―――お手向かい、致します」
ふう、と息を吐き―――引き金を引いた。
ポンッ、とまるで卒業証書を収める筒の蓋を思い切り取ったような音を発して、1発の40mmグレネード弾が発射される。
緩やかな放物線を描いて飛んでいったそれが着弾するよりも先に、ルカは左手を前方へと動かして、チューブマガジンの下部に備え付けられている砲身を前方へとスライドさせた。
解放した薬室から40mmグレネード弾の空薬莢が排出されると同時に、チューブマガジンから給弾された次弾が薬室へと装填。薬室の閉鎖と共に引き金を引き、矢継ぎ早にグレネード弾を放つ。
飛来する攻撃を見て、しかしアナスタシアは回避する素振りも、防御に入る様子も見せなかった。
見切っていたのだ―――この攻撃が、アナスタシアを殺傷する事を企図したものではないと。
その予測は的中していた。ルカが初手から矢継ぎ早に放ったグレネード弾は地面に着弾するも爆発する事はなく、代わりにガスが漏れるような音を発しながら純白の煙を吐き出し始めたのである。
―――スモークグレネード弾。
(考えたな)
腕を組みながら、アナスタシアは感心していた。
この闘技場は観客席への流れ弾を防ぐため、足元を除く全方位が厚さ3mの特殊防弾ガラスで覆われている。表面には対魔術コーティングが施され、直撃した魔術を構成する魔力を拡散させる事で魔術の威力を低減させるという徹底ぶりだ。
そんな密閉空間である。ある程度の換気はあるにせよ、風の流れもクソもない場所では煙幕はよく滞留し空気に流されて霧散する事もない。
まずは視界を奪い、自分の有利な状況を作り出す魂胆なのであろう。
(まあ、それが定石だ)
というより、その辺りが限度であろうな、とアナスタシアは思う。
この短期間で何か新しい技でも習得できたとは思えない。むしろ、時間が短い中で大慌てで新しい技を身に着けようとしたところでにわか仕込みで終わってしまい、勝敗に影響を及ぼすはずも無いのだ。
ならば今ある手札で勝負するしかない―――足りない分は小細工で補い、自分の強みで勝負する他ないのである。
ミカエルならばそう教えるであろうな、と看破しながら、初めてアナスタシアは背中の大剣に手をかける。
鞘から黄金の刀身を抜き払い、柄を両手で握って腰を落とし―――左側から飛来した7.62㎜弾の弾雨を大剣の一薙ぎで叩き落す。
確かに視界は最悪だ。まるでプール一杯に注いだミルクの中に飛び込んだかのようで、1m先すらはっきりとは見えない。
だがしかし―――空気の流れが無い空間だからこそ、物体の移動で微かに空気の流れに生じる変化を手繰る事は可能である。
ならばむしろ視覚はノイズだ。余分な情報をシャットアウトし、他の感覚器官に意識を集中させるべきだと判断するなり、アナスタシアはあろう事か両目を閉じた。
肌に触れる空気の感覚、嗅覚、聴覚―――それらの感覚を動員し、煙幕の中に潜むルカを見つけようとする。
ライオンの獣人である彼女の嗅覚が、特徴的なポップコーンのような臭いを拾ったのはすぐの事だった。
ジャコウネコ科の獣人は、皆特徴的な体臭を放っている。
彼らは体内に”臭腺”という器官を持っており、そこで独特の匂いがする体液を分泌しているのだ。そしてそれを汗や角質などの老廃物と共に体外へと排出するので、特徴的な体臭となってしまうのである。
ミカエルはバニラの香りが、ノンナからはオレンジの香りが、そしてルカからは何故かポップコーンのような匂いがするという、大きな身体的特徴。
そういう事もあって、ジャコウネコ科の獣人は何かしらの体臭の対策をしない限り、こういったステルス戦術とは致命的に相性が悪くなってしまうのである。
そこだ、と剣を薙ぎ払い衝撃波を飛ばそうとしたところで、しかしアナスタシアの脳裏を違和感が過る。
―――ミカエルがルカの体臭の件を何も対策していない筈がない。
忘れそうになるが、ミカエルもまたハクビシンの獣人―――ジャコウネコ科に属する獣人であり、バニラの香りの体臭が特徴となる。
平時においては利点であり、有事においては欠点でもある体臭という問題を抱えるジャコウネコ科の獣人が、煙幕を用いたステルス戦術を採用するよう指導するにあたってその問題点を果たして放置するものか。
(そんな筈はない!)
ならばこれは、ハッタリだ。
本命は死角からの攻撃―――そう断じるなり、アナスタシアは振り向きながら剣を薙ぐ。
力任せに振り払った一撃は衝撃波を伴い空気を攪拌させたが、しかしその刃が何かを捉えたような手応えは一切感じない。
「―――?」
ヂッ、と何かが衝撃波に引っ張られ、体勢を崩す。
それは小さな無人兵器だった。
X字形に伸びるアームと、その先端部に取り付けられた小ぶりなローター。
人間の手のひらよりも少し大きなサイズのそれにぶら下がっているのは、AK-47に似たセルビア製のカービン小銃―――『ツァスタバM92』、その100発入りドラムマガジン装備。
ガンガン、とセミオートで応戦してくるそれの7.62×39㎜弾を大剣で打ち払いながら、アナスタシアは自らの期待が現実となった事を悟った。
これまでの戦いはどれもこれも秒殺で終わってしまった。自分の実力をフルで発揮する機会も無ければ、戦いを楽しむ事もない。
しかし、ルカのこの戦い方は実に面白い。
頭の固い老人たちはこれを『卑怯者の戦い方だ』と断じるだろうが、しかしアナスタシアはそうは思わない。むしろ限られた日数の中で、アナスタシアという強敵を打ち破るための策をよく練り、どんな手段を使ってでも倒してみせようという気概が感じられる。
そうだ―――戦いとはこうでなくては。
大剣を地面に突き刺し、大きく右足で地面を踏み締めるアナスタシア。
それを合図に、大地に流し込まれた魔力によって錬金術が発動。闘技場の地面がまるで地殻変動を起こしたかのようにぼこぼこと隆起を繰り返すや、無数の槍衾となって闘技場の全域に屹立し始めたのである。
さながら剣山のような密度の槍衾―――さすがにこれは回避しようがない。
そんな全体攻撃をさらりと繰り出しながら、しかしアナスタシアは確信する。
ミカの弟分は、あの雷獣のミカエルの弟子はこの程度で力尽きるような相手ではない、と。
「さあ、かかって来いルカ。このアナスタシアを楽しませてみせろ」
アナスタシア「なんだ、今日も雑兵ばかりか……ん?」
力也「強い奴と戦えると聞いて」
本気アナスタシア「 ほ う ? 」
本気力也「 手 合 わ せ 願 お う か 」
白目ミカエル君「 イ ラ イ ナ オ ワ タ 」




