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R-2ndシステム

『あなた方の手は田畑を耕すためのものです。肉刺のできたその美しい手を、血で汚すような事があってはならない』


『こういう時に身体を張るのが我々貴族の務めです。ご安心ください、皆様の命と財産はこの命に代えてもお守りいたします』


『我らの故郷ふるさとを侵させはしない!』



 ラファエル・ミカエロヴィッチ・リガロフ公爵、第三次イライナ侵攻の際に『自分たちも戦いたい』と申し出た農民たちに対して発言



 1897年 8月29日 10:33


 リュハンシク上空





 文明の発展と共に、人類はその生活圏を外へ外へと求めるようになった。


 増えていく人口を養うためには広い土地と大量の食糧が必要であった事もあるのだろうが、それと同じくらい外の世界がどうなっているのか、あの果てしない海の向こうには何があるのか、解き明かしてみたいという探求心も持ち合わせていたのだろう。


 あるいはそんな半ば本能的な衝動が、肥大化していく人口への対策と一致するように神が我々人類を創っていたのだとしたら、本当によく計算されているものだと思う。


 それはさておき、大陸から船を使い外洋へと出た人類は、別の大陸へと足を伸ばした。


 そして大地をあらかた制覇した人類は、次にその好奇心を空へと向ける事となる。


 太古の昔から頭上に広がり、されど空を飛ぶ術を持たぬが故に至る事の無かった未知の領域。あの空の果てには何があるのか。いつかあの星に手が届く日は来るのか。


 そんな人類の度し難い好奇心も、しかしそれを叶えるために生み出された兵器にいざこうして乗ってみると理解できなくもないし、ついにここまで来たか、という感慨深さすら覚える。


 ―――空を飛ぶことが、こんなにも自由であるとは。


 重力という概念すら感じない。


 飛びたいと思えば思った通りに、この機体は俺の思考を再現して現実のものとしてくれる。


 いつも見上げているばかりの空が、こうして手の届く場所に広がっている全能感―――なるほど、これは確かに癖になる。空を飛ぶことを生き甲斐とするパイロットが多い理由も頷けるだろう。


《―――ミカ、聴こえるかい?》


『ASMRみたくよく聴こえるよ』


《それは良かった。じゃあテストを始めよう》


《Увага. Дружній літак з тилу(警告。後方より友軍機)》


 ビープ音と共に脳に直接響く、電子音声の警告音。


 首を動かさず、そのまま後ろを振り向く姿をイメージすると、目の前に広がっていた視界が機体後部のカメラのものに切り替わる。


 後方からやってきたのは1機のSu-57―――闇のように黒く塗装されたそれは、しかしよく見ると原型機とは形状に差異がある事が分かる。機首には本来存在しないカナード翼があるし、エアインテークとエンジンノズルが大口径化され、テールコーンの長さも延長されていて悪魔の尻尾じみた気味の悪さがあった。


 【Su-57R】―――パイロットの四肢を切断し機械化、機体とパイロットを物理的に接続する事でパイロットの電気信号を機体へと直接伝達。文字通り”思考での操縦”を可能とするシステムを組み込んだ禁忌の機体。


 そんな機体が、2機も。


 片方には燃え上がる髑髏のマーキングが、もう片方にはセフィロトの樹を象ったマーキングがある。


 今のところそんな機体を操れるパイロットは、俺の知る限り2名しかいない―――パヴェルとシャーロット(今はもう本体が生身なので機械のサブボディを用いているのだろう)である。


《ではテストを始めよう。ミカ、同志大佐を追尾してみたまえ》


『了解』


《しっかり俺のケツに付いて来いよ》


『はいよ』


 そんじゃあ妻子持ち37歳のソビエトオオヒグマのケツでも追いかけるとしますか……汗とインクと火薬の臭いがする尻を。


 炎に包まれた髑髏のマーキングが特徴的な黒いSu-57Rが、唐突に右へと旋回しつつ高度を落とし始めた。


 それを追うように、俺も自分の機体―――【Su-30Ex】を右旋回させつつ高度を落として、ついには空にまで生活圏を広げたソビエトオオヒグマの尻を追いかける。


 向こうはパイロットの電気信号を拾ってその挙動を直接機体に反映させる”Rシステム”と呼ばれる操縦システムを搭載している。そうする事で『パイロットが判断→操縦桿を動かす→機体を操縦』というプロセスを一段階省略、『パイロットが判断→機体を操縦』という2ステップでの素早い対応が可能となるうえ、素人でも熟練のエースパイロット並みの変態機動が出来るというとんでもない代物である。


 テンプル騎士団由来となるその技術は、しかしその代償に操縦者の四肢切断及び脳を含めた身体の機械化が前提となる、基本的人権とかパイロットの尊厳とかその他諸々の倫理観を鼻で笑い、踏み躙るような代物だ。身体を差し出した果てに手に入れる悪魔の力、と言うべきか。


 もちろんテンプル騎士団でもそんなものは許容できなかったらしく、Rシステム並みの操縦システムでありながら操縦者に身体の機械化と四肢切断を要求しない、もっとパイロット(と軍の財布)に優しい操縦システムの研究を続けていたのだそうだ。


 フィオナ博士とかいうマッドサイエンティストが原型を作り、それをシャーロット(ウチの嫁)が昇華させたシステム―――それが俺の乗るSu-30Exに搭載された【R-2ndシステム】である。


 専用のパイロットスーツと電気信号受信用の腕輪、足枷、首輪を装着して電気信号を受信、それを機体操縦へと反映する事でパイロットに身体の機械化や四肢切断を要求しない”優しい操縦システム”。


 とはいえ機体とパイロットをダイレクトに繋ぐわけではないため思考伝達の速度と精度では本家に劣る一面もある。


 それを補うため、コクピット内にはパイロットをGから防護する事も企図したジェルを充填。ジェル内に封入されたナノマシンからも電気信号を拾い補正してやる事で、操縦システムの精度を更に高めることに成功している。


 とはいえコクピット内にジェルを充填するため操縦システムは本家よりも大掛かりなものとなってしまい、結果として相応のコスト高を招いてしまっている……この辺は改良型の登場を待つ他ないだろう。


 上昇に転じるパヴェルのSu-57Rにとにかく喰らい付いていく。そのまま機関砲で撃墜してやる、という勢いで追尾していると、唐突にパヴェルのSu-57Rが機体を立てた状態で失速。腹で風を受けながら速度を急激に落とし始める。


 唐突なコブラ。


 やってみろ、というパヴェルの意図を読み取り、俺も機体を立てながら失速、Su-30の腹で空気抵抗を受けて速度を急激に落としていく。


 そのまま推力偏向ノズルとカナード翼、尾翼と主翼のフラップを操り高度をそのままにくるりと一回転。コブラどころかクルビットで応じてみせる。


《やるな》


『見たか、倍返しだ』


《この野郎、生意気になりやがった》


 嬉しそうな声だった。


 その後も急旋回やら急上昇、到達可能高度ギリギリまで到達してからのストールターンなど無茶な機動(マニューバ)を何度も繰り返し行った。


《いいねェいいねェ、良質なデータがたくさん採れる……じゃあ次のステップに進もうか》


 ご機嫌なシャーロットにそう言われたその時だった。


 レーダーに唐突な反応が現れる。


《では次だ。ドローンを全機撃墜してみたまえ》


 『Невідомий літак(所属不明機)』と表示されていた反応が、赤く染まると同時に『ворожі літаки(敵機)』へと表示が切り替わる。


 数は3機―――V字に編隊を組みながら、ノヴォシアのマズコフ・ラ・ドヌー側からリュハンシク市方面へと向けて飛行中だ。


 もし実戦ならば、こんな飛行コースを取るのだろう。ノヴォシアが俺たちの技術と同水準の技術を持っていたのならばそうだ。そしてあの戦闘機たちはリュハンシク市街地を攻撃するためのミサイルや爆弾を搭載している筈である。


 訓練ではなく実戦を意識すると、Su-30Exはそのヒリついた空気を感じ取ったのか、思った以上の加速で3機の標的―――ドローンたちへと急迫し始めた。


 エンジンノズルが窄まり、対Gジェルの中にいてもなおベクトルの変化を感じられる程度のGが身体にかかる。


 俺の接近を察知したのだろう。小癪にもドローンたちは散開(ブレイク)して、各々回避行動をとり始めた。


 編隊の中央を飛んでいた隊長機と思われる機体に、まず手始めにロックオン。


『フォックス2』


 ミサイルの発射をコール。


 相手を銃で撃つイメージをするなり、ビープ音と共に空対空ミサイルがパイロンから切り離されてロケットモーターに点火、一気に加速しつつ回避行動をとるドローンに追い縋っていく。


 が、ドローンも簡単にはやられない。右へと急旋回しつつ擂り鉢状に高度を落とし、ミサイルを振り切ろうとする。


 ―――さっきのパヴェルと同じ動きだ。


 多少、旋回角度に甘さが見られるけれど、細かい癖も先ほど追尾していたパヴェルのSu-57Rに近しいものを感じずにはいられない。


 ミサイルを振り切れないと判断したのだろう。ボフボフボフッ、とフレアを放出してミサイルをやり過ごすドローンだったが、しかしその先には既に俺のSu-30Exが死神の如く、あるいは捕食者のように待ち構えていた。


 ヴヴヴ、と27mmリボルバーカノン(マウザーBK-27)が火を噴く。ガガガッ、と大口径の砲弾に機首を砕かれ、ドローンはバランスを崩した奇妙な回転をしながら黒煙をこれ見よがしに曳き、大地へと落ちていった。


『フォックス2!』


 発射されたミサイルがこっちに向かって模擬戦用のミサイル発射準備に入っていたドローンをヘッドオンの状態で叩き落す。


 残り3機。


 ビープ音が鳴るとほぼ同時に、機体を左旋回させていた。


 後方から放たれる機銃弾―――1機のドローンが、俺の背後を取って機銃での撃墜を試みようとしているようだ。


 先ほどパヴェルを追尾している最中にやったように機首を一気に持ち上げた。途端に機体の腹が猛烈な空気抵抗を受ける事で機体が一気に減速していく。


 唐突に繰り出されたコブラに背後のドローンは素早く反応した。


 迫ってくるSu-30の背中と激突する事を防ぐため右へと緊急回避。激突し道連れにされるのを回避したのは良いが、結果としてオーバーシュートし大きな隙を晒す事となる。


 ヴヴヴ、とリボルバーカノンが吼えた。


 ドローンのエンジンノズルが吹き飛び、主翼も根元から捥げて、そのまま錐揉み回転を経てから爆散。散弾のように広がった破片がリュハンシク城郊外の平原へと飛び散っていく。


 ―――全機撃墜。


 ふう、と息を吐くなり、無線機からパヴェルの困惑する声とシャーロットの狂喜する声が聴こえてきた。


《えぇ……変態かコイツ?》


《アーッハッハッハッハ! いやあ驚いた! 操縦システムのおかげとはいえ飛行時間たったの4.5時間であの変態機動をやってのけるとはねェ!! クックック、良いデータが取れたよミカエル君! さあさあ、その貴重なデータの入った機体と一緒に帰還してくれたまえ!》


『了解、テスト終了。帰投する』


 Rシステムの強みはそこだ。


 操縦を全て思考で行うから、普通のパイロットのように操縦訓練を経る事はない。極端な話、その辺でスカウトしてきた一般人でも少し操縦方法の説明と慣らし運転を経るだけで、熟練のパイロットとそう変わらない動きができるようになるのだ。


 とはいえあくまでもそれっぽい動きが出来るだけ―――ベテランパイロット並みの判断力はさすがに無理だ。そればかりは経験を積むしかない。


 が、素人同然の俺でも平然とSu-30を飛ばす事が出来たのだからシステムの有効性自体は実証されたと言ってもいいだろう。後は問題点の洗い出しになるが、そこはシャーロットが上手い事やってくれる筈だ。


《Михайле, дозвіл на посадку(ミカエル様、着陸を許可します)》


『зрозумів це(了解)』


 航空管制AIの指示に従い、機体を減速させつつランディングギアを出す。


 視界にはコクピット内のジェルに充填されたナノマシンの作用により、理想的な着陸コースが蒼い光でハイライト表示されている。その着陸コースに沿うように機体を飛ばしながら高度を落とし、滑走路へと侵入―――ギュォッ、とランディングギアが滑走路に接触する音が聞こえてくる。


 それと同時にドラッグシュートを展開。空気抵抗を受けた機体が一気に減速に転じ、視界右下に立体映像で投影されている速度計の数値が凄まじい勢いで減少していった。


 そのまま立体映像のハイライト表示に従い、機体を滑走路から外れた位置まで進ませてから停止。既にそこにはシャーロット(本体)と数名のスタッフが待機していて、小型のポンプ車も停車しているところだった。


 Su-30Exが停止するなり、タラップがかけられポンプ車から伸びたホースが機首に接続。しばらくして機体のシステムが停止して、周囲に投影されていた映像もカメラからの映像も全てがシャットダウンされて、まるでお風呂のぬるま湯の中に浮かんでいるような感覚だけが残される。


 ポンプで対Gジェルの吸出しが終わると、圧縮空気の抜けるような音と共にコクピットのハッチが解放された。


 ドラキュラにでもなった気分だ―――日の光を、こうも忌々しいと思う日がこようとは。


「やあやあミカエル君! 乗り心地はどうだったかな?」


 ひょこ、とコクピット内を覗き込み、ニコニコ笑うシャーロットが問いかけてくる。


「最高だった」


「それは良かった! いやあ、最愛の夫のために細部までチューニングした甲斐があったというものだよ! さあさあ君たち、ボクの夫を出してあげたまえ」


 パンパン、と手を叩くと、ツナギ姿の戦闘人形(オートマタ)のスタッフたちがパイロットスーツ姿の俺を助け起こしてくれた。


 専用のパイロットスーツはとにかく重い。宇宙服というかレトロフューチャー映画に出てくる潜水服のようなデザインで、無重力下ならまだしも重力下で自力で歩行するのはかなり無理がある。


 数人がかりで抱き上げられ、そのまま台車の上へ。


「にゃぷ」


 ヘルメットを外し、外の空気を思い切り吸いこんだ。


 最前線で戦い、ついには空まで飛んだ領主なんて―――きっと後にも先にも、この俺だけである筈だ。


 そんな優越感を感じながら、台車に乗せられたパイロットスーツ姿のミカエル君はそのまま空港の施設の方へと運び込まれていった。





 

Su-30Ex


 ソ連製の複座型戦闘機Su-30をベースに、アビオニクスをテンプル騎士団由来の新型に更新しつつ、新規開発された『R-2nd』システムを組み込んだ試作機。従来のRシステムではパイロットの四肢切断及び身体の機械化が必須であったが、それを要求しない”パイロットに優しいシステム”としてR-2ndシステムが開発された。本機はそれの性能実証を行うための機体である。


 Su-30との外見上の差異はカナード翼の大型化、エンジンノズル及びエアインテークの大口径化、テールコーンの延長、及びキャノピーの装甲化(ガラス張りではなく装甲で覆われている)となっており、複座型の機体ではあるが後部座席には操縦補助AIを搭載しているため実質単座機となっている。


 現時点では1機だけが製造されており、R-2ndシステムの性能実証のために稼働しているが、実質的にミカエル専用機と化している。カラーリングは黒を基調に翼端が深紅で塗装され、主翼にはイライナの国章が、尾翼にはミサイルに跨り空を飛ぶハクビシンのマーキングがある。




Su-57R(パヴェル機)


 パイロットと機体を繋ぐRシステムを組み込んだSu-57。テンプル騎士団時代からのパヴェルの機体。原型機との差異はカナード翼の追加、キャノピーの装甲化及びセンサー増強、エンジン及びエアインテークの大口径化、テールコーンの延長など。


 これらはRシステムの使用による常軌を逸したマニューバに機体が反応するための改造だが、結果として原型機よりもステルス性が低下している。機動性及び加速性能とのトレードオフであり、これを欠点と見るか利点と見るかは運用者次第。


 パヴェル機は機首に『燃え盛る髑髏』のマーキングがある。






Su-57R(シャーロット機)


 シャーロット用に調整されたSu-57R。黒を基調とした塗装が施されており、パヴェル機と同様の改造が施されているが、他の機体と比較しデータ収集を目的とした機体でもあるため索敵能力や情報処理能力に特化した調整が施されている。


 なお、今ではシャーロットは生身の肉体を得ているため、操縦の際は過去に使っていた機械の身体を改造したサブボディの四肢を取り外して機体に接続し操縦している。


 シャーロット機のマーキングは機首の『セフィロトの樹』。







R-2ndシステム


 テンプル騎士団が開発した操縦システム『Rシステム』は、パイロットと機体を直接接続する事により電気信号を機体に伝え、思考で操縦するという画期的なものであった。これにより素人や新兵でもベテラン並みの動きをする事が出来るという利点があり、ベテランパイロットがこれを用いた場合の利点は言わずもがなであるが、【パイロットの四肢切断と身体の機械化が前提】という倫理的に無視できない問題を抱えており、量産化には失敗した。


 さすがにテンプル騎士団もこれは無視できない問題と見ていたようでフィオナ博士に『パイロットに優しい操縦システム』の開発を命令していた模様。本システムは異世界へと渡ったシャーロットが、フィオナ博士の技術を土台に独自開発したRシステムの発展型と言える。


 原型となったシステムのように四肢切断や身体機械化は必須ではなく、パイロットは腕輪と足枷、首輪を装着し、専用のパイロットスーツを着用して機体に搭乗する。四肢切断が不要となったのは大きな利点であるが、機体と直接接続しているわけではないため反応速度や精度がRシステムに比べ劣る事から、更にコクピット内に電気信号伝達用のナノマシンを添加した対Gジェルを充填する事で不足分を補正し補っている。


 倫理的な問題は解決したが、システム自体は大掛かりなものとなり専用の設備や装備品が必須となった事からコスト高を招いており、シャーロット博士は早くも『R-3rd』システムの研究にとりかかっているという。 

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― 新着の感想 ―
ミカエル君は本当に立派な貴族になりました…と思うと同時に、ノヴォシアはそう言えば21世紀まで5回も6回も攻め込んでは同人誌にされたんだよなあとも。そんな野盗じみた連中が領民を脅かすことを許す彼じゃあり…
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