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第二の父、第二の熊

車内放送《本日もイライナ西部高速鉄道をご利用いただき、誠にありがとうございます》


車内放送《この列車はイライナ西部高速鉄道”ジールカ21号”、ヴィリウ行きとなっています》


デス車内放送《 全 車 1 等 車 (※) で 、 指 定 席 、 自 由 席 は あ り ま せ ん 》


デス車内放送《 平 民 の 方 は ご 利 用 で き ま せ ん の で ご 注 意 く だ  さ い 》


平民乗客「!?!?」


※1等車は貴族専用車両の高級車両の事です。日本の新幹線に言い換えると全車グランクラスというとんでもない編成になってます。なにこれ。


『セルゲイ、キミには今日から娘の面倒を見てほしい』


 あの日―――薬の臭いが染み付いた寝室のベッドに横になりながら、旦那様はそう仰った。


 傍らにいるのは真っ白な毛並みの、白猫の獣人の子。雪のように白い肌とそれ以上に真っ白な髪、そして幼いながらも整った顔立ちの彼女はさながら絵本の中から飛び出してきたおとぎ話のお姫様のようにも思え、しかしそんな誰もが羨むであろう顔は、死期の近い父の姿を見て悲しみに歪んでいた。


 涙の流れた痕に真っ赤になった両目をこちらに向けるなり、彼女は―――幼き日のクリスチーナ様は、まるで父上を助けて、と私に救いを請うかのような目つきで訴えてきた。


 それから一週間後の事だった。旦那様の魂が、空の向こうへと旅立たれたのは。


 あれはきっと、旦那様の遺言だったのだろう―――あの言葉を胸に刻み、私は血の繋がりこそないけれども、お嬢様の第二の父たらんと彼女の面倒を見た。読み書きを教え、計算を教え、歴史を教え、魔術を教えた。バイオリンやバレエは奥様が雇った家庭教師が教えたけれど、私が教えた事だってたくさんある。


 まあ、この顔つきだから最初は「こわい」って言って大泣きされ、全然懐いてはくれなかったが……。


 そんなお嬢様も今では立派な姿になられた。


 初めてではないだろうか……これまでレオノフ家の全権を握った奥様の命令に真っ向から逆らい、家出をして冒険者となり”モニカ”という偽名を名乗るなど。


 あの時―――そう、あの強盗がお嬢様を連れ去っていったあの日。


 あの時のお嬢様の目には、確かに強い意思が感じられた。


 優しくも、しかし決して折れない”芯”があった。


 1人の少女が始めた親への反抗で家の名に決して消えない傷がついてしまったけれど―――旦那様の血は、確かにお嬢様の中で息づいていた。


 それを確かめる事が出来て、このセルゲイめは満足でございます。


 お嬢様、あなたはあなたの心のままに、この広い世界へと飛び出して征きなされ。


 きっとこの世界は、そのために在るのですから―――。


















 

 意識が現実に呼び戻されて真っ先に知覚したのは、鼻腔に充満するカモミールの香りだった。


 いや、イライナハーブの香りだろうか……。


 何か悪い夢を見ていたような気がする。しかし思い出したくもない……思い出そうとすると激しい頭痛がしてきて、そこで好奇心は塞き止められる。きっとそれは人体の防御反応、脳が封印すると決めた記憶なのだろう。他ならぬ自分の身体が声高にそう告げているのならばそれが最善なのだ、きっとそうだ。


 そう折り合いをつけて、やっとの事で瞼を開けた。


 掃除の行き届いた、埃一つない天井では室内ファンがゆっくりと回っていて、どこからかラジオの音楽が聴こえてくる。


 ここはどこだろう、と身体を起こし周囲を見渡そうとすると、身体中に痺れにも似た感覚が走った。身体は動きこそするが、まるで麻痺しているかのように完全には動いてくれない。電気が流れているような感覚を覚えつつ無理に身体を動かそうとしていると、部屋に入ってきた修道服姿の金髪の女性が慌てて駆け寄ってきた。


「あっ、まだ無理をなさっては……!」


 ほんの少しだけ、訛りのあるイライナ語だった。外国人なのだろうか。


「こ、ここは?」


「ここはリュハンシク城の医務室です」


 リュハンシク―――頭の中でイライナの地図を思い描き、その地名が最東端に位置する対ノヴォシア最前線の地である事を理解するなり、何となくだが全てを察した。


 なるほど、私の頭が記憶を消したがるのも無理もない。


 奥様とエフィム様は、お嬢様の奪還のためにリュハンシクを訪れた。お嬢様と、そしてその伴侶となったミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵が人生の絶頂を迎えたタイミングで全てを台無しにし、その喪失感と絶望を、自分たちを棄て家の名に泥を塗った娘に対する報復とする、と。


 もちろん私は反対した。


 『もう良いではないですか』、と。


 あれ以上、お嬢様を縛って何になるのです、と。


 それにリガロフ家はリュハンシク州の領主である以上に、公国宰相の家系―――つまるところ、公国の頂点たるノンナ様の信任を受けてその右腕として国家の舵取りを担う、公国の中枢に鎮座する大貴族の中の大貴族。


 ”リガロフ家は国家である”―――そう言い放った貴族もいるほどの権力が、今のあの一族にはあるのだ。


 そんな大貴族に反旗を翻すような真似をすれば、レオノフ家とスレンコフ家は間違いなくお家取り潰しとなるであろう。2人は海外への脱出の算段を用意していたようだが……私がこうしてリュハンシクの城、その医務室で目を覚ましてこの有様であるという事は、10年越しの復讐も何もかもが徒労に終わったという事なのだと、それだけは分かった。


「セルゲイさん、ですね」


「……ええ」


 金髪のシスターに問われ、頷いた。


「モニカさん、ずっと心配なさってたんですよ」


 少しだけ笑みを浮かべた彼女に言われ、そこでやっと私は、ベッドの上に突っ伏して寝息を立てる女性の存在に気付く。


 奇しくもそれは、ベッドで寝たきりになった旦那様に縋りついてわんわんと泣き喚いていた、幼き日のお嬢様と全く同じ格好だった。


 違うのは、あの頃はまだ小さく世界の事など何も知らなかった少女が、こうして立派な1人の母親に成長した事だろう。


 もう、27歳になられたのですね。お嬢様。


 立派に成長なされたそのお姿、御父上にもお見せしたかったものです。


「ん……ぁ」


 ぱち、とお嬢様の目が開いた。


 海のように蒼い瞳にグリズリーの獣人男性が映るや、私が意識を失っている間にも散々涙を流したであろうその両目に再び涙を浮かべて、まだ身体に痺れが残っているというのに私の胸に飛び込んでくるお嬢様。


 昔もよく、何かあるとこうして私の胸に飛び込んできたものだ。夢に今は亡き旦那様が出てきたとか、奥様に怒られたとか、こうやって胸に飛び込んでくる時は必ず何かあった時だ。どうやら今も変わってないらしい。


 まだ痺れの残る手をそっとお嬢様の頭の上に乗せると、ガチャ、と扉が開く音がして誰かが入ってきた。


 見覚えのある顔だった。前髪以外は黒く、その前髪は対照的に真っ白で、まるで暗闇の中を光の道が走っているかのよう。前髪の下から覗く眉毛や睫毛も前髪同様に色素が抜け落ちたように真っ白で、顔の輪郭がやや丸い、というより幼い顔つきをしているからなのか愛嬌のある顔つきをしている。


 10年前、お嬢様を連れ出そうとしていた冒険者。


 そしてお嬢様を結婚式場から連れ去っていった強盗。


 よもやその相手が、10年後にリガロフ家の子として正式に迎えられたうえ、リュハンシクを統治する領主に就任するなどいったい誰が思うであろうか。


「目を覚まされたようで何よりだ、セルゲイ殿」


「お久しぶりです。これでお会いするのは三度目になりますかな、リガロフ公?」


 一度目は列車の中で、二度目はお嬢様の結婚式場で。


 しかしこの女……ミカエルは、あの時と姿こそ全く変わっていないものの、その身に纏う風格は大きく変わっている。


 10年前はというと、勝てない勝負と見るやすぐに逃げ出す臆病さが見受けられた。いや、生き延びるための選択としては間違ってはいないのだ。無謀こそ早死にする要因に他ならないのだから。


 だが、今はどうか。


 かつて自分が勝てなかった相手を前に、微塵も怯まぬこの余裕。ハクビシンの獣人だそうだが、彼女を見て抱くのは害獣としてのハクビシンなどではない―――牙を剥き出しにし、大きな獣にさえも果敢に立ち向かっていく猛獣のそれではないか。


 なるほど、雷獣(ライジュウ)の異名を欲しいがままにするわけだ。


「身体の調子は?」


「……まだ、身体の節々に痺れが」


「……多少、強引な施術になってしまった事をお詫びしなければ」


 自分の身に何が起こっていたかは、何となくだが想像がつく。


 共にリガロフ家に叛逆を、と話を持ち掛けてきた奥様とエフィム様を前に首を横に振り、2人に変な薬を飲まされて……それからだ、何も覚えていないのは。


 ただこうして、リュハンシクに居るという事はあの2人に利用されたという事なのだろう。


「リガロフ公、あの2人は?」


「大貴族リガロフ家へ叛逆した罪で、先ほど人権剥奪刑及びレオノフ、スレンコフ両家のお家取り潰しが決まったよ。全財産没収の上、一族と関係者はみんな国外追放。結構重い処分が下った」


「……では、私も国を出て行かねばなりませんな」


 ははは、と自嘲しながら言うと、しがみついていたお嬢様が腕に力を込めたのが分かった。


 言葉こそ発しなかったが―――いかないで、と訴えるような仕草に、彼女の心中を察する。だが私とてレオノフ家の執事であり用心棒、今の主人が()()であろうと関係者である事に変わりはない。


 ただせめて、この身体が癒えるまでは……その間だけは、お嬢様と一緒に過ごしたいものだ。この10年間でどんな事があったのか、彼女の口からお聞かせ願いたい。


 その話を土産に、私も異国の地へと向かいましょう。


「それについてなんだが」


「なんです」


「あなたは薬で自我を奪われ、無理矢理叛逆に加担させられた……本人に叛逆の意思はなく、むしろ反対の立場だった。違いますか?」


「……そうだったとしたら、どうなるというのです? 罪が帳消しになるとでも?」


「罪も何も、最初から無罪です。あなたに叛逆の意思はなく、否応なく無理矢理加担させられた被害者なのです。責任は全てあのド外道腐れレーズンと可食部過不足栄養失調モヤシのもので、あなたに罪はない」


 待って、今何と?


 この御仁……丁寧な、それこそ紳士的な口調で話しておきながらさらっと罵倒を交えてくるの、相手への怒りが滲んでいると見るべきだろうか。多分この人人権剥奪刑だけで満足してないと思う。


「ただあなたに帰るべき場所はありません、セルゲイ殿。レオノフ家もスレンコフ家もイライナ貴族の中から消える……次に城郭都市リーネに戻った頃には、もうレオノフ家の屋敷は更地になっているでしょう」


「……リガロフ公、話が見えて来ない。あなたは何をおっしゃりたいのです?」


「―――”仕事の斡旋”ですよ」


 待ってました、とばかりにリガロフ公爵は笑みを浮かべた。


「仕事の……?」


「セルゲイ殿……貴方ほどの猛者を捨て置くなど、貴族界隈にとっての損失だ。それに今、我がリガロフ家では貴方のような実力者を欲している。どうです、ここで執事として仕事をしてはみませんか?」


「……何を言い出すかと思えば、リガロフ公。あなたも随分とお戯れが―――」


「―――これはモニカの、クリスチーナからの提案なんですけどね」


 視線をそっと、お嬢様の方へと向けた。


 顔を上げ、じっとこちらを覗き込んでくるお嬢様。


 今になって、旦那様の言葉が脳裏でリフレインする―――娘の面倒を見てほしい、という旦那様の遺言が。


 お嬢様は元気いっぱいの女性だが、まだ彼女を導ける大人が傍らに控えているべき、という事なのだろう。


 彼女からの提案を、断る理由もなかった。


 だから私は、首を縦に振った。


「―――分かりました」


「……ありがとう。モニカも喜ぶよ」


「ええ。そうでしょうね」


 言われなくとも分かる。


 胸の中にいるお嬢様は真っ白な尻尾をぶんぶん振って、ネコミミをピコピコ動かしながら全身で喜びを表現しているところだったから。


「それではよろしくお願いします、()()()


「ああ、よろしく頼むよセルゲイ」


 リガロフ公―――旦那様の小さな手と握手を交わし、私はこの日正式にリガロフ家の執事となった。


















「爺や、早く早く! ダンスのレッスン始まっちゃう!」


「はいはい、今参りますよお嬢様!」


 お嬢様―――アズラエル様は本当にその、何というか、幼い頃の奥様(クリスチーナ様)によく似ていらっしゃる。落ち着きのないところとか、元気の擬人化みたいなところとか、あと地味に声の大きなところとか。


 これは奥様の血が濃く出たな、と思いながら車の運転席に座り、シートベルトを締めてエンジンをかけた。


 後部座席ではお嬢様がちょこんと座り、隣では奥様がシートベルトを締め、そして助手席では旦那様がスマホを開いてレッスンのスケジュールを確認しているところだった。


 今日はレッスンの後、教室に通う子供たちの発表会も開催される。それが楽しみなのか、バックミラー越しに見える奥様は期待に胸を膨らませているようだった。


「それでは出しますよ」


「れっつごー!」


 お嬢様の元気いっぱいな声を合図に、私は車のアクセルを踏み込んだ。






セルゲイ


身長

・220㎝


体重

・143㎏


種族

・獣人(グリズリー、第一世代型)


 元レオノフ家の執事兼用心棒。モニカの父に昔から仕えていた古株であり、1897年現在での年齢は53歳。若い頃はその頑丈な身体と腕力に物を言わせ、冒険者としてそれなりに活躍していたとの事。

 1887年、家出したモニカを追っている最中にミカエル率いる血盟旅団(当時はクラリスとパヴェルの3人だけだった)とエンカウント。一時的にミカエルの電撃を喰らい気絶に追い込まれるも即座に反撃し逆にミカエルを列車から突き落とすなど、並外れた頑丈さを見せつける。


 その後レオノフ家の結婚式場を襲撃したミカエルを追撃するも、万全の準備を済ませて挑んできた血盟旅団には一歩及ばず撃退されてしまう。その後は没落していくレオノフ家を嘆くアンナの相手をしながら庭の手入れ、格闘術の鍛錬をしながら毎日を過ごしつつ、時折新聞記事を飾る血盟旅団の活躍を見るのを楽しみにしていた模様。


 1897年、エフィムとアンナの手により薬品を使って操られてしまうがミカエルとモニカにより救出。モニカからの打診によりリガロフ家の執事として城の警備や子供たちの世話などを引き受ける事となった。本人は子供たちの世話を楽しみにしているが、しかしさすがに歳のせいかやんちゃな子供たちの体力にはついていけない事もある様子。


 趣味は読書とチェス、映画鑑賞。特に低予算のB級映画が好きらしい。


 特技は『川で鮭を熊パンチで捕まえる事』。パヴェルよりも熊さんやってる熊さんである。パヴェル、お前もやれ(無茶振り)

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― 新着の感想 ―
ああ…モニカは嘗ての執事を、アズは心優しい爺やに恵まれることになったんですね。セルゲイ氏のメンタリティからしてモニカの幸せを喜び、これ以上の意趣返しなど必要ないと考えるのはそうだろうなあと納得しました…
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