アズラエル
ミカエル「今日は割り算の勉強をするよ」
ラファエル「わーい」
ミカエル「4÷2は?」
ラファエル「 4 を 粉 砕 し て 2 等 分 し ろ っ て 事 で す ね ! ? 」
ミカエル「」
カトレア「脳筋が過ぎますわご主人様……」
あの時、アイツは俺から全てを奪った。
手にするはずだった栄光も、地位も、そして結ばれる筈だった彼女すらも。
奴を恨まなかった日は、あの時から一度たりとも存在しない。
毎日毎日、あの時の屈辱に身を焼かれ、復讐心は勢いを増すばかりだ。
クリスチーナ……彼女を奪っていった強盗の正体は、もう既に突き止めている。
今ではイライナ独立の立役者として、そしてリュハンシクの守護者として涼しい顔をしながら領民からの歓声を一身に浴びる領主―――ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。
アイツだ。俺から全てを奪っていったのは。
そうでなければ、なぜアイツの隣にクリスチーナが居るのか。
なぜあんなにも幸せそうな顔で、傍らに控えているのか。
憎たらしい。
アイツが、俺から全てを奪っていったあの女が、憎くて憎くて仕方がない。
『―――では、力をお貸ししましょうか』
自らに力もなく、かといってこの復讐心を諦めきれるわけでもなく、ただただ周囲の物に衝動のままに当たり散らしながら酒に溺れる日々。
そんなある日の事だった―――片眼鏡をつけた冒険者の男が、俺の元を訪ねてきたのは。
強者の風格を気品と共に纏うその男は、口元に笑みを浮かべるなりこう言った。
『その復讐―――私が手をお貸しいたしましょう』
アズラエル・ミカエロヴナ・リガロヴァは、俺とモニカの間に生まれた娘である。
1892年生まれの5歳、学校には来年から通う予定となっているまだ幼い女の子なのだが、しかしこの世に生を受けて早くも才能を開花させつつある。
可愛らしい音楽に合わせてステージの上で踊る彼女を眺めながら、そう思う。
ぱっちりとした大きくて丸い目と蒼い瞳、そして全体的に輪郭が丸くて愛嬌のある顔と甘い声。誰にでも優しく接するその姿はまるで天使のようで、それなりに貴族のパーティーに同席させたりとかしているのだが、連れていく度に彼女の周囲には同年代の子供たちが集まるのがお決まりとなっている。
そんな彼女にレコード会社や芸能事務所から声がかかったのは半年ほど前の事。
今ではラジオで放送するCMで歌ったり、劇場のダンスショーに出演したり、映画に子役として出演する話まで舞い込んできているのだから驚いたものだ。
今日も朝から歌のレッスンにダンスのレッスンが入っていて、我が子が活躍の場を増やしていくのは嬉しい事なのだが……しかしやっぱりと言うか、子供のうちはたくさん遊んでおくべきだと思うのだ。いっぱい遊んで、いっぱい食べて、いっぱい眠る。それが子供のあるべき姿だと思うのは俺だけではないだろう。
ダンスのレッスンの時間が終わり、ステージからアズが降りてくる。付き添いのメイドからタオルを受け取ると、レッスンを見守っていた俺とモニカの姿を見るなり目を丸くしながらこっちに走ってきた。
「パパ―!」
「おー、見てたぞアズ。またダンス上手になったんじゃない?」
「えへへー。あの振り付けね、ママが考えてくれたの!」
「マジで?」
「ふんす!」
隣で腕を組み、どうよ、と言わんばかりに胸を張るモニカ。お前そんな事も出来たのか、と妻の意外な技能に驚きつつ、尻尾をぶんぶん振るアズを抱き上げる。
アズは全体的にママに似たのかもしれない。
獣人としてはハクビシンの獣人に分類されている。黒髪で前髪の一部と眉毛、睫毛のみが真っ白なのだが、兄妹の中では最も前髪の白い線がくっきりとしていて分かりやすくなっている。前髪から覗くぱっちりとした瞳は蒼くて、まるで整えられたサファイアのようだ。
顔の輪郭は全体的にモニカに似ていて、ちょっとツリ目っぽく、けれどもキツそうな正確には見えない絶妙な塩梅となっている。ちょっと小悪魔っぽい感じを漂わせているのもチャームポイントと言えるだろう。
さて、芸能界デビューして半年になるアズの影響力だが既になかなかのものとなっている。ラジオのCMに出演した際はその化粧品の売り上げが50%も伸びたらしく、レコードは発売日に売り切れとなる店が続出したのだそうだ。
本人の夢は『イライナでいちばんのアイドルになる事』。昔は冒険者になる、と言ってたが今はアイドルか。
……まさか兼業したりしないよね? アイドルやりながら冒険者やるつもりじゃないよね? ねえアズ?
「にゃぷ?」
「ねえアズ?」
「なあにパパ?」
「そういえば昔、冒険者になるって言ってたけど……今はどっちになりたいのかな?」
「どっちも!」
「どっちも」
「歌って踊って戦えたらサイキョーでしょ?」
「そりゃあそうだけど……忙しくなるよ? 遊ぶ時間なんか無くなっちゃうし」
「いいもん。歌って踊ってるの楽しいし」
「そ、そうか……」
まあ、子供のやりたいようにさせてやるのが一番か。
実際、子育てでも子供が興味を持った事をやらせてあげるのがいい、という話をよく聞くしな。親が何でもかんでも「あれをやりなさい」「これをやりなさい」と決めてしまうのは良くない。そういう強制は、子供から自分はどうしたいのか、という意見を奪ってしまう事に繋がってしまう。
だからリガロフ家では基本的に子供のやりたいようにさせて、例えばそれが危険だったり法に触れるような事であれば全力で軌道修正を行い、道半ばで挫折しそうになったら支えてあげるくらいでいい。親の過干渉は子供から逆に行動力を奪ってしまう事に繋がりかねない。
「そういえばパパもダンスと歌が得意だって聞いたよ?」
「 そ う だ よ ? 」
嫌な思い出が、愛娘の一言でフラッシュバックする。
忘れもしない、あれはリュハンシク領主就任5周年記念日の事だ。
最初は何か式典でもやるんだろうな、程度の認識だったんだが、いつの間にかパヴェルの進言で『ライブやったら国民にもウケるのでは?』という事から領主就任5周年記念ライブが開催される事となってしまい、アイドル衣装を身に纏ってステージの上で踊る事になったのである。5 曲 分 も 。
しかも最後に披露した『あなたのハートに☆ライトニング』とかいうちょっと電波っぽい感じの曲があろう事かアンコール×3。しかも最後は飛び入り参加したノンナと2人でシュエットする事となりイライナ国民の脳を焼いた。
あの時のレコードと写真は今でも高値で取引されているし、10周年記念の時もライブをやって欲しい、という要望がアホみたいに届いてるのだそうだ……なして?
「いつかパパとデュエットしたいなぁ……」
「あはは……そのうちね、そのうち」
ミカエル君最大の黒歴史を一言で掘り起こす娘、実に恐ろしいものである。
「え、ストーカー?」
午後3時。執務も一段落し、メイドが運んできてくれたパンケーキをナイフとフォークで切り分けていると、暇潰しに執務室を訪れていたモニカが少し不安そうな顔で言った。
「そうなのよ……なんか最近、誰かに後をつけられてるみたい」
「気味の悪い話だな」
アズがそうであるように、モニカも多くの男性の注目を集めてしまう美貌の持ち主である。声でっかいけど。
雪のように白い髪と蒼い瞳はどことなくミステリアスで、窓辺で佇むその姿はさながら精巧に造られた人形のよう。触れてしまったらそこから壊れてしまうのではないか、と思ってしまうほどの儚さも同居して、見ていて実に息を呑むほどである。声でっかいけど。
けどまあ、モニカが注目を集めてしまうのも無理のない話である。声でっかいけど。
たぶん読者の皆さんの8割は忘れているとは思うけど、モニカは元はと言えば貴族の一人娘なのである。声でっかいけど。
モニカ、という名前は偽名だ。本名は『クリスチーナ・ペカルスカヤ・レオノヴァ』。城郭都市リーネに屋敷を持つレオノフ家の娘であり、しかし親が定めた政略結婚を嫌い強盗に拉致され、その後は行方不明という事になっている。声でっかいけど。
だから結婚した当初は色々と疑惑の目を向けられたのだ。『リガロフ家に嫁いだモニカという女は行方不明になっていたレオノフ家の娘なのではないか』と。声でっかいけど。
そして当然疑いの目は俺にも向けられ、『レオノフ家から娘を連れ去ったのはミカエル様ではないか』という疑惑(※正解です)も領民の間で噂になった。とりあえずは『彼女はグラントリアからやってきた農民の娘です』という事にしているけども。あと声がでかい。
メイドに「彼女にもパンケーキを」とオーダーし、フォークでハチミツたっぷりのパンケーキを口へと運んだ。
「それにね、私だけじゃないのよ。アズも”知らない男の人が後をついて来た”って」
「アズにもか……」
なんだ、新手のロリコンか?
参ったな、と思いつつティーカップを拾い上げる。
アズも人気が高いアイドルの卵だ。先月開催された握手会には多くのファンが詰めかけたらしいのだが、やっぱりというかなんというか、欲望を変な方向へ暴走させてしまう相手も現れてしまうものである。
「どうする、警備を増やそうか?」
「あたしは別に大丈夫だけど……アズはアイドルを目指してるわけだし、ガチガチに警備したらイメージダウンに繋がらないかしら?」
「うーん……」
それもそうだ。
国民からの注目を集めているアイドルが、銃と迷彩服でガチガチに武装した兵士たちを従えていたらそれはそれで物騒な印象を与えてしまう。国民に夢と希望を与えるアイドルが、威圧感まで一緒に伝染させてしまっては逆効果というものだ。
実際、政治家もそういう物騒なイメージダウンを嫌い完全装備の護衛を同伴させるのを嫌う傾向にある。そういう威圧的な要素を極力排除する配慮が必要、というわけだ。
「でもノーガードというのも拙い。目立たない武装を持たせた護衛をつけよう」
「それが良いわねぇ」
護衛にはアレ持たせようか、コッファー。
ブリーフケースの中にMP5Kを仕込んだアレだ。傍から見れば現金とか取引用の品、あるいは書類を持っているようにしか見えないから威圧感は無いし、まさか相手もブリーフケースが火を噴くとは思いもしないだろう。
そうと決まれば、と戦闘人形たちにスマホでその旨をオーダーしていると、メイドがモニカの分のパンケーキを持ってきた。ハチミツをたっぷりとかけ、バターを乗せ、ジャムを添えたイライナ式のパンケーキだ。
それをナイフとフォークで切り分けながら、しかしモニカの顔つきは晴れない。
「……なんだ、他にも何か気になる事が?」
「あー、やっぱわかる?」
「何年夫をやってると思ってる?」
顔に書いてるよ、と付け足すと、モニカは少しだけ照れたように顔を赤くした。
「何かねえ……気味が悪いのよ、実家が」
「実家って……リーネの?」
「ええ。ほらあの10年前、アンタがあたしの事連れ出してくれたでしょ?」
「10年前…… 1 0 年 前 ! ? 」
「 う ん そ う 1 0 年 前 」
ウッソだろオイ……え、もうそんな経った?
と言いたいところだが確かにそうだ。あれはミカエル君が冒険者になってすぐだから17歳の頃、1887年。そして今は1897年。言い逃れが出来ないほど正確に10年前の事である。
「あたしってさぁ、レオノフ家の一人娘だったわけだから、あたしが結婚しなきゃ一族は終わりなのよね」
「分家とかは?」
「赤化病の蔓延で壊滅状態、跡取りが居ないの。だからあたしが一族の最期の希望だった」
「……なんか、申し訳ない事をしたような気分になるな」
「いいのよ、どの道エフィムのところに嫁いでたらアイツに良いようにされて消滅してたんだもの。そんな状態まで追い込まれた時点で終わりは見えてたわ」
そういうものなのか……?
「それより……その実家が10年もアクションを起こさないところがね、たまらなく不気味なの」
「言われてみれば確かにそうだな」
一族最期の希望、一人娘ともなれば草の根を分けてでも探し出そうとするはずだ。しかしあの一件の後、俺たちが城郭都市リーネを迅速に離れたとはいえ、”レオノフ家が拉致された娘を探している”という情報はついに入って来なかった。
諦めた、とは考えられない。
リガロフ家に嫁ぎ、モニカという女の存在が国内中に知れ渡った後もレオノフ家からのコンタクトは無かった。
確かに、そこまで静かだと不気味である。
一応、レオノフ家はまだお取り潰しにはなっていない。こないだキリウに行った時に姉上に問い合わせてみたが、レオノフ家はまだ存続しているのだそうだ。養子でも迎え入れたのだろうか。
「そのストーカー、まさかね……」
「実家の差し金……とも考えられなくはないわ」
「……分かった、備えはしておこう」
「お願い」
嫌なもんだ。
決着をつけたつもりの過去が、今になって追い縋ってくるとは。
飛行機の初飛行(1897年)
アメリア合衆国のライト兄弟の研究により実用化された飛行機は、世界の在り方を大きく変えた。個体差が大きく調教にも手間がかかった飛竜とは違い、規格化された機械部品により性能は均一で調教も不要、燃料さえあれば疲れを知らないうえ、変温動物である飛竜のように周囲の気温や体温に気を配る必要が無い点が高く評価され、飛行機は瞬く間に世界中に普及した。
世界各地で空路による輸送ルートが開拓され、貨物の輸送や人員の輸送といった事業が活性化。特に当機は豪雪により各地との往来が遮断されるノヴォシアやイライナでは航空機による輸送が大いに歓迎され、ペイロードに優れる超大型の輸送機の建造ラッシュが始まる事となる。
のちに始まる第一次世界大戦でも飛行機は偵察任務や爆撃、制空権確保のための空戦任務で活躍。やがて木製で布張りの翼をもつ複葉機は金属製の機体を持つ単葉機へ、そしてロケット戦闘機を経てジェット戦闘機へと派生していく事になる。
なお、イライナでは飛行機の普及以前から『空を飛ぶ兵器』が実用化されていた、という未確認情報が確認されている。それは特にリュハンシク周辺で目撃されており、住民の証言では『天を裂くような轟音を発しながら鋼鉄の飛竜が飛んでいた』、『頭に風車を乗せたオタマジャクシのようなものが群れをなして飛んでいた』といったものが多く残されている。
それらの多くはジェット戦闘機や戦闘ヘリと合致する特徴を持つが、しかしなぜ1890年代にイライナがそういった先進的な兵器の実用化に成功していたのか、その理由は未だ謎のままである。




