譲れないもののために
シャーロット「生身の身体にしてくれたお礼だ。ミカエル君にお手製の枕をプレゼントしよう!」
ミカエル「わーい」
ミカエル「……待ってコレ両面Yesって書いてあるんだけど」
お帰りなさいませお坊ちゃま、というメイドたちの声で、ラフィーの帰宅を悟った。
午後3時45分―――リュハンシクの貴族学校の授業が終わり、城に戻ってくる時間だ。いつもは戦闘人形の運転手とカトレアがラフィーの送迎を行っている。
窓からこっちに戻ってくるセダンが見えたからそろそろだな、とは思っていた。
そっと執務室の椅子から立ち上がり、ドアを開けて階段を降りていく。吹き抜けに沿う形で配置された階段をゆっくりと降りていくと、ずらりと並んだ戦闘人形の使用人たちの列と、専属メイドのカトレアを従えたラフィーの姿が見え、俺もちょっと胸を引き締められるような思いを抱く。
とはいえ、親として我が子のした事はしっかりと問い質さなければならない。そしてそれが誤った事であるならば、叱って正しい道を示さなければならないのだ。
特に現時点で次期リュハンシク領主候補筆頭たる長男ラファエルなのだから、なおさらである。
「あ……」
険しい顔で階段から見下ろす俺に気付いたのだろう。物々しい顔つきだったラフィーが少し怯えたような表情になった。
「……ラフィー、部屋に来なさい」
「……はい」
肩を落とし、とぼとぼと階段を上がり始めるラフィー。付き添うカトレアも心配そうだ。
先に執務室で待っていると、コンコン、と力なくドアをノックする音が。
入りなさい、と入室を促すと、カトレアを伴ったラフィーが部屋の中に入ってきた。
公務を行う執務室はとにかく重苦しい雰囲気が漂っていて、正直ライト層(?)のミカエル君的にはあまり好きな場所ではないのだが、今日は特に重苦しく感じてしまう空気が漂っているのは気のせいではないだろう。
隣に立つクラリスも、表情こそ変えていないが思いはきっと同じはずだ。
……こんなにも唇を重いと感じる日が来るとは。
「どうして呼ばれたか、言われなくても判るな?」
「……はい」
「嘘偽りなく答えなさい。何があった?」
こういうトラブルがあった時、まず親がやるべき事は「子の主張にしっかりと耳を傾ける」事である、と常々思う。子供のやる事だから、と頭ごなしに叱るのではなく、何がどうなってそうなったのか、自分はどう思ってその選択をしたのか、それをしっかりと聞いてから是非を判断するべきだと。
これはあくまでも自分の実体験に基づく事なのだが、転生前の世界、ミカエル君がまだ日本人だった頃の父親もはっきり言ってあまり良い人とは言えなかった。俺の言う事をしっかり聞いてくれず、頭ごなしに叱るだけで、子供心に「親ってのは叱るだけの楽な仕事なんだな」と思ったものである。そういう経験があったから父とは次第に疎遠になっていったし、何事も頼る時は母を頼った。
俺はそうはなりたくない―――皮肉っぽくなるが、そういうダメな例を見せつけてくれたので、そういう意味ではあの父親は良い親父だったのかもしれない。
……というかミカエル君、前世も今世も父親に恵まれないのホント何なんだろう?
父親の事でモヤっとしていると、唇をきつく結んでいたラフィーが言葉を紡ぎ始めた。
「……友達が、上級生に苛められました」
「それで」
「やめろって間に割って入って……そしたら3年生の先輩が僕に剣を向けてきて、”英雄の子だからって生意気だ”って。それで……上級生と決闘する事になりました」
―――決闘、か。
イライナにも、貴族同士の決闘という文化がある。
何世紀も昔に、王政時代のフランシスとエスパーニャ王国から持ち込まれたものだ。利き手でフルーレかレイピアを持ち、もう片方の腕を背中の方で組んで、切先が相手を捉え血を流すまで決闘の当事者同士で突き合う……という、なんとも痛々しいものである。
貴族学校にも決闘の制度はあるが、さすがに児童同士を本物の剣で決闘させるのは危険であるという事で、決闘をする際は木製の剣か、あるいは刃を落とし切先も丸く削ったものを使用する事とされている。普段ラフィーが腰に提げているフルーレも、刃もなく切先の丸い訓練用のものだ。
しかし上級生と決闘したのか……2つも年上の子と。
「で、どうなった」
「決闘には僕が勝ちました。ただ、力加減を間違って決闘を挑んできた上級生2人に怪我を……」
し か も 2 対 1 。
なんだろ、我が子の不祥事をしっかりと受け止めるつもりだったのに予想外の奮戦をしてて、表面上は無表情だけど内心では沸き返ってるよミカエル君。頭の中で二頭身ミカエル君ズが万歳三唱した上でどこから迷い込んだのか二頭身ラファエル君を胴上げし始めてるからね。わっしょいわっしょいって。
だからか、さっきから頭の中が『ミカァー!』『ミカミカー!』『らふぃ~!?』って騒がしいのは。
「……どの程度の怪我を?」
「血が出たのですか?」
「いえ、派手にふっ飛ばして背中を打撲したようで」
派 手 に ふ っ 飛 ば し た 。
オイオイ、とクラリスの方を見た。コレお前に似たパターンじゃねえか、と。
んでまあクラリスマッマはどうかというと、「私知りませんよ」的な涼しい顔をしつつもちょっと誇らし気。そりゃあ我が子が上級生と2対1(ちょっと待て、決闘って基本1対1では?)で下剋上をかましたとなれば親としてはニッコニコである。
「父上、確かに相手に怪我をさせてしまったのは僕の落ち度です。どんな罰でも受けるつもりでここへ―――」
「―――いや、よくやったぞラフィー」
「……え」
ここになって初めて、俺も笑みを浮かべた。
「虐めから友達を守ったんだろう? 何を恥じる事がある?」
「でも相手に怪我を……」
「一応聞いておくが、相手は話の通じる相手だったか?」
「いえ……」
「なら、それでいい」
執務室の椅子から立ち上がり、まだ俺よりも背の小さいラフィーの方にそっと手を置く。
「確かにまあ、相手に怪我をさせちゃったのはちょっとやりすぎたかな、という感じはある」
「はい……」
「でもなラフィー、人にはどうしても守らなきゃいけないものが絶対にあるんだ。これだけは他人には譲れない、っていう大事なものが」
俺には……ちょっとたくさんあり過ぎる。そういう”大切なもの”が。
「話し合いで争いを回避できればそれに勝る事はない。でも、もし相手がその大事なものを寄越せ、と迫ってきたら、その時は本気で戦わなくちゃあいけない。剣を抜くのはこの段階だ」
「はい、父上」
「今回はその”大事なもの”が、お前にとっては友達だった……そういう事なんだろう?」
「……はい」
「じゃあお前は悪くない。むしろよくやった。お前は本当の勇者だ」
だから胸を張れよ、とラフィーの頭を優しく撫でた。怒られるどころか褒められた事にやっと自覚を持ったようで、ぺたんと寝ていたハクビシンのケモミミがひょこりと起き上がる。
まあ、とはいえ双方の主張を聞いておく必要があるので相手方ともいずれコンタクトを取って向こうの主張を聞いておく必要があるが……しかしもし仮にラフィーの言ってる事が一字一句違う事なく真実(※親として我が子の言ってる事を信じたい)ならば、相手の親御さんも気が気じゃないだろう。
よりにもよって領主の息子に「英雄の子だからって生意気だ」と喧嘩を吹っ掛けたわけだからなぁ……。
「まず、事情はよく分かった。後はお父さんに任せておきなさい」
「……ごめんなさい父上、迷惑をかけてしまって」
「いいんだよ、そのためのパパだからな」
とにかくよくやった、と息子を労う。
安心した。ウチの子が、こんなにも真っすぐで正義感に満ちた子に育ってくれて。
案の定、相手方の親御さんが真っ青になって謝罪に来たのは2日後の事だった。
謝罪にやってきたのはマカロフ公爵とトカレフ公爵。どうやら息子たちから「下級生がいきなり剣で襲い掛かってきた」という説明を受けていたらしいが、その相手がリガロフ家の長男ラファエルである事が判明するや大慌てで問い質し、子供たちからボロが出た、という事情らしい。
とりあえず謝罪の受け入れと特に報復を行うつもりはない旨を伝え、打撲に効く薬を渡してお帰り願った。学校側にも「当事者同士で解決したのでこれで手打ちで」と連絡しといたし、念のため姉上の方にも報告を上げといた。姉上めっちゃ喜んでたんだけど血の気多すぎませんかねリガロフ家の皆さん。
兎にも角にもこれにて一件落着である。
まあそれはさておき、だ。
「いやぁ~、ラフィーも順調に育っているようで何よりだねェ。感心、感心」
ドガガガ、と81式自動歩槍の連続射撃で軍団蜂の風穴を穿つ俺たちの後ろでは、相変わらずというかなんというか、テンプル騎士団時代の制服の上から白衣を羽織ったシャーロットが、巣の最深部にあった卵に注射器のような物を突き入れて内用液を抽出、サンプルを収めるための耐衝撃ガラス製の容器に収容しているところだった。
以前にも範三とセシールが軍団蜂の巣を潰したが、今年の夏は何か件数が多すぎるような気もする。
弾切れを起こしたクラリスにチェストリグの中から引っ張り出した81式のマガジンを投げて渡し、彼女が弾薬の再装填を終えるまでの隙をカバー。セレクターレバーをフルオートに弾き、短時間ではあるが弾幕を張って蜂共の接近を阻む。
ブブブ、とすぐ背後から迫る羽音。大方接近してきた軍団蜂がすぐそこまで迫っているのだろうが、背後は振り向かずにそのまま射撃を継続。
次の瞬間、横合いから突っ込んできた剣槍が軍団蜂の首を刎ね、物言わぬ死体へと変えた。
「爆弾セットしたヨ!」
「よっしゃ帰るぞ」
「えぇー!? も、もう吹き飛ばしちゃうのかい!? もっとこう、生体サンプルとか採取したいしできれば卵も持って帰りたいし女王蜂だって捕獲できればボクの更なる研究が……」
「あれ見ても同じ事言えます?」
81式を片手に奥を指さす。
一応、俺はリーファに『巣をふっ飛ばせるだけの爆薬をセットしてほしい』と頼んだつもりなのだが、火力の申し子リーファはそれをどう解釈したのだろうか……まるでレンガ造りの家のようにびっしりと設置されたC4爆弾に迫撃砲の砲弾、そして大量の対戦車地雷。とりあえず手持ちの爆発物を全部設置しました的な殺意マシマシ火力マシマシ生存率辛めな破壊力の塊を見て、さすがにシャーロットの顔からも血の気が引いた。
「帰ろうか」
「手の平反転で草」
「反転180度、全艦離脱!」
「それ全滅するやつゥ!!」
逃げる前に吸い込まれそう。
マガジンを交換して蜂共を撃ち抜きながら、退路を目指しみんなで全力ダッシュ。
見間違いであればいいのだが、さっきセットされていた爆薬の中にサーモバリック弾も紛れていたような気がする。あんなやべえ爆発と衝撃波をこんな閉鎖空間でぶちかまされたら即死確定だし、そうじゃなくても大量の酸素を消費する関係で酸欠になりかねない。
なんであそこまで本気出しちゃったんですかね? いや、俺がやれって言ったからなんだけど。
出口の直前で立ち止まり、妻たちが脱出するまで弾幕を張って、俺たちを追ってくる蜂たちをひたすら射撃し続けた。普段はAK-19を使うんだが、こういう相手にはとにかく7.62×39mm弾の破壊力とストッピングパワーが頼もしい限りだ。
1体、2体、3体……どれだけ倒したか、数えるのも億劫になった。
戦場に足を踏み入れるのは俺が一番最初で、戦場を去るのもまた俺が一番最後―――列車で旅をしていた頃から徹底している事だ。だから我先にと一番最初に逃げた事は一度もない。
退避完了を注げるためなのだろう。ぽんぽん、とクラリスに肩を叩かれ、それを合図に手榴弾を投擲。追ってくる軍団蜂の一団を豪快に吹き飛ばして、その隙に巣の外へと躍り出る。
リーファが起爆スイッチを押した。
ドン、という音を最後に、聴覚が一時的に死んだのをはっきりと知覚した。
背後の横穴、地底に穿たれた軍団蜂の巣穴の最奥。そこに設置された大量の爆薬(サーモバリック弾込み)が一斉に起爆して、爆発と言う爆発が全てを焼いたのだ。酸素という酸素が大量に消費され、地底の通路故に進路を制限された衝撃波が不可視の鉄槌となって障害物を砕いていく。
先ほどミカエル君が飛び出してきた横穴から火柱が噴き出して、内部の制圧完了を告げた。
「ふう……」
「終わりましたわね」
「あ゛ぁ~ボクのサンプルがぁ~……」
「我慢するヨ、アンタたくさん採取してたネ」
「だってだってぇ~!」
涙目になりながら名残惜しそうに言うシャーロットだが、お前その大型バックパックいっぱいにサンプル採取してもまだ足りないっていうのか……。
俺はあの蜂よりも、お前の好奇心の方が恐ろしいよ……。
メモリアム計画(1898~)
リガロフ家長男、ジノヴィ・ステファノヴィッチ・リガロフが提唱した計画。大災厄や地球規模での戦争など、何かしらの要因で国家や民族が消滅するような危機に直面した時の事を考慮し、世界中のあらゆる文化、言語、歴史などの記録を集め後世へと遺そうという計画である。
最終的にイライナ宰相アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァの承認を経て発動した本計画は1898年にスタート。同年中にはキリウ地下に第一施設『イライナ・メモリアム』が完成し、国内の言語や文化、少数民族に関する記録に歴史記録などのあらゆる記録が持ち込まれ保存が開始された。
この取り組みはキリウ大公ノンナ1世の承認を受け、国連でイライナ大使が提唱。自分たちの文化を後世に遺そうという取り組みは世界中で実行に移され、世界各国に同様のメモリアムの建造が開始された。またのちに定められる国際法、通称『メモリアム保護法』においては【記録永久保全設備メモリアムにはいかなる理由でも軍事兵器の持ち込みを禁止し、また戦争においてもこれを攻撃目標としてはならない】事が明記された。
イライナ公国首都キリウに建造された第一メモリアムは地下70mに建造され、外壁は厚さ10mのコンクリートと賢者の石を用いた複合プレート、加えてシャーロット博士が培養したゾンビズメイの外殻を加工した防護壁で三重に守られており、シャーロット博士が『破壊不可能』と豪語するほど。内部にはイライナの歴史や文化、言語に関する記録のほか、国内に存在するコサックの歴史についても完全な状態で保管されている。
なお一般公開はされておらず、イライナ政府高官でも限られた者しかアクセスされていないため、内部がどうなっているかは不明。
一度だけミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵も内部を見学した事があるらしく、本人は『詳しくは言えないけど、”人類が本気を出した博物館”みたいな場所だった』と評している。
2025年現在で存在するメモリアムの数は全世界で365ヵ所。2030年までに400ヵ所を突破すると見積もられている。




