最善の結果を求めて
ミカエル「シェリルの腕が生えたよ」
シェリル「やったー」
モニカ「その技術使って自分の背を伸ばしたりできないのかしら」
デスミカエル君「 質 量 保 存 の 法 則 っ て も の が あ り ま し て ね ? ? ? 」
範三の家で生活するようになって、そろそろ半月くらいだろうか。
パヴェルには悪いが、彼とは随分と波長が合うような気がする。朝起きて素振りし、水を浴びて汗を流してから朝食。それから稽古か仕事をして時間を潰し昼食、午後は家や道場の掃除をしたり買い出しをして夕食を済ませ入浴、そして9時になる前には就寝。
何とも健康的な生活だとは思わないだろうか?
「範三、おかわり」
「む、よく食べるなセシール殿」
「ふっふっふ、なにぶんカロリー消費が激しい身体でな」
「なるほどな。パヴェル殿が『ウチの娘は食費がエグい事になるから覚悟しておけ』と言っていたが、確かにこりゃあ想定外だ」
まあ、こればかりは仕方のない事だ。こういう身体に”造った”奴に文句を言いたいところではある。
私の身体は常人を遥かに上回る身体能力を誇る。走る速さは肉食獣を優に超え、その握力は大熊にも勝り、五感の鋭敏さは軍用犬をも上回る。
しかしそれだけの力を維持するためには当然ながら莫大なカロリーが必要になり、食べる量も常人以上になってしまうという、なんとも燃費の悪い身体なのである。
茶碗に山のように盛り付けられたご飯を受け取って、朝食のだし巻き卵と一緒に口へと押し込んだ。
範三の作る料理はどれも少し味付けが濃い目になっている。稽古や仕事で汗を流した分の塩分補給を考慮して、倭国で暮らしていた頃からわざとそうしていたのだそうだ。単品で食べると塩っ辛く感じるが、しかしこれが白米にいい塩梅に合う。
きゅうりの浅漬けを口へと運び、味噌汁の茶碗を手に持ってしじみの味噌汁を啜った。温かい味噌汁としじみの栄養分が身体の奥底にまで染み渡っていくような感じがして、思わず息を吐いてしまう。
「そうだセシール殿。イライナは蕎麦の実が安く手に入るし、今度蕎麦でも作ろうか」
「おおー!」
範三の作る蕎麦は美味い。
なんでも、倭国の薩摩で稽古をしていた時は兄弟子たちの分の食事の用意もさせられたそうで、自分より格下の門下生も特にいなかった事と範三の料理の腕が思いのほか上達してしまった事から、道場では範三が炊事担当に落ち着いてしまったのだとか。
それはそれでいいのだが、範三は凝り性でもある。
何事も始めたら最後まで徹底してやり抜く気質の男だ。まあ、分からなくもない。私も妥協や中途半端は絶対に嫌なタイプだから、一度始めたら望む結果が出るまでひたすら拘ってしまう。
相性ピッタリだな……うん、きっとそうだ。
まあそれはそれとして、蕎麦作りも範三はとことん拘る。
蕎麦は当然としてそばつゆももちろんお手製だ。イライナではなかなか鰹節が手に入らないからアレーサまで遠出して買いに行って、鰹を家に持って帰ってきて加工して……というところからスタートする。売ってなければ船を借りて黒海で鰹を釣る事もあるのだとか。
……さすがにそばつゆは前回のストックがあるし、ゼロからのスタートではないだろう。
さて、私も勉強したがイライナは蕎麦の実の名産地でもある。
イライナには……ノヴォシアやベラシア、その他の周辺諸国でもそうだが、この辺では蕎麦の実を炒ってからお粥にして食べる習慣があるのだそうだ。ニンニクやスパイスと共に牛乳で蕎麦の実を炊き、完成したら大きなバターを乗せて食べるのがイライナ式らしい。そういう蕎麦のお粥を『カーシャ』と呼ぶのだそうだ。
だから幸い、イライナでは蕎麦の実が安値で売られている。これくらいの、水筒くらいの瓶に入って120ヴリヴニャ。お買い得だ。
しかし範三の蕎麦か、楽しみだ。
む、当然私も手伝うぞ。色々不器用だけど練習して少しは上達したと思う……たぶん!
しじみの味噌汁を飲み干して、湯呑に並々と注がれた緑茶を啜ろうとしたその時だった。ジリリリリン、と廊下に置いてある黒電話が鳴ったのは。
範三が私よりも先に立ち上がり、廊下の方へと歩いていった。
珍しいな、こんな離れたところにある武家屋敷に電話が来るなんて。
そういえば一時期、なんか変な宗教勧誘とか詐欺っぽい電話が鬼のように来た時があった。「あなたの旦那さんが痴漢で捕まりました。保釈するには200万ヴリヴニャが必要です」だの、「天国に行きたくありませんか? 入信すればあなたも救われます」みたいな電話が食事の度に来た時はキレそうになったので暇そうだったパヴェルと一緒にそいつら潰してからは1件も来ていない。
というか痴漢の件、そもそも私はまだ独身だし、強いて言うならばその相手は範三なのだろうが、その電話に出た時の範三はというと茶の間で胡坐をかきながら味噌汁を啜っていたものだから一発で嘘だと分かった。
そもそも範三は私以外の女など見ていないだろう……そうだよな範三?
怒鳴ったり、すぐに電話を切らない辺りは知り合いからの電話だったのだろう。何やら話し声が聴こえたな、と思った後に範三がすたすたとこっちに戻ってきて、私に向かって手招きした。
「セシール殿、ミカエル殿から」
「ミカから?」
意外な人物だった。
なんだろう、ミカから……それもこの私を指名とは。
湯呑を置いて囲炉裏の傍から立ち上がり、廊下に向かって範三から受話器を受け取った。「はいもしもし」と応じると、受話器の向こうから聴こえてきたのは相変わらず少女のような、あるいは女性声優が演じた少年キャラのような声の持ち主のものだった。
《ああ、セシール。食事中だったかな》
「食後の一杯をキメるところだった、大丈夫だ。それで要件は?」
《ちょっと君に直接契約という形で依頼をね》
「直接契約?」
冒険者の仕事には、2つの形態がある。
片方が管理局などで掲示板にドチャクソ貼ってある依頼書を選んで仕事を受けるパターン。こっちは結構ポピュラーなスタイルなのだが、クライアントからすれば管理局側に手数料を支払わなければならない上に依頼を受諾した冒険者が誰か分からないため、色々と不確実性が増してしまう。
そしてもう片方が、クライアントから直接冒険者に仕事を持ち込む直接契約だ。こちらは管理局を通さないので手数料はかからないし、クライアントが「コイツは信用できる」と認めた相手を選んで依頼を持ち込む事が出来るので確実性は増す。冒険者からすると重要な依頼である事が多く報酬も高額である事が多いので旨味があるのだ。
とはいえクライアントと冒険者の間で問題が発生強いてしまった場合、管理局は不干渉であるので自分たちで問題解決を図らなければならないし、これを利用してクライアント側が疎んでいる冒険者を呼び出して『騙して悪いが』なんて事もある……らしい。
まあ、とはいえ今回のクライアントはミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵その人だ。信用に足る人物だし、第一仲間だから裏切る心配もないだろう。ミカほど『誠実』という言葉が似合う女もそういない。
「……で、内容は?」
《実はな、急遽大量のイライナハーブが必要になったんだが……在庫を切らしてしまっててな》
「大量って……いくらくらいだ?」
《ざっと300本。それを規定数とさせてもらうが、それ以上採取してきてくれて構わない。基本報酬は300万ヴリヴニャ。前払いで100万、後払いで残りの200万を支払う。また数が多ければ多いほど嬉しいので規定数を上回る採取の場合、10本につき10万ヴリヴニャを上乗せする。悪い話じゃあないと思うが》
「待て、待て待て待て……イライナハーブって、Eランク冒険者でも採取できる薬草じゃないか。確かに規定数は膨大だが……」
《そうだ。でもそれだけの金を支払う価値はあるし、支払う準備も出来ている。やるか?》
「まあ……やる」
《契約成立だ。すぐに前金の100万をメイドのカトレアに持たせてそっちに届けさせる。いきなりこんな依頼をして申し訳ないが、何卒よろしく頼む》
ガチャ、と電話が切れた。
「……ミカエル殿はなんと?」
「……急遽、大量のイライナハーブが必要になったらしい。300本は欲しいって」
「さ、さささ300本!?」
その辺の裏山でも採取できる薬草だが……。
しかし―――それだけの数をいったいどうするつもりなのだ、ミカ?
「それじゃあよろしく頼んだよ、カトレア」
「はい、お任せください旦那様!」
お金の入ったブリーフケースを抱え、びしっと敬礼するカトレア。まだ6歳だというのに既に身長は俺よりも高く、加えてクラリスという優秀なメイド長の英才教育により戦闘技能もちょっとしたコマンド部隊並みだ。
腰には愛用のグロック17が2丁、ホルスターに収まった状態で下げられている。
同じく武装した戦闘人形の戦闘メイドを2名、彼女の護衛につけた。戦闘メイドの方は43発入りのグロック用マガジンを装着したPAK-9を装備している。
車で現金輸送任務に出発した彼女ら3人を見送り、さて、と踵を返して通路を歩いていく。
セシールにイライナハーブの採取を外注したのは、こっちもこっちで色々と準備しなければならないからだ。
あの大量のイライナハーブは乾燥させて磨り潰し、粉末状にして他の薬草と調合し、香木を燃やしてお香を焚く際に追加で添加するために必要になる。
それも大量に、だ。何せ今回の”施術”はシェリルのものと比べると大規模なものになる。
あのお香の効果はリラックスや鎮痛。失われたはずの生身の肉体を再び”繋ぐ”際に生じる幻肢痛の激痛に対して効果は限定的だが、ないよりはマシだ。失った肉体を渇望する彼女の、ほんの少しでも支えになってくれればいいのだが……。
錬金術で大量のイライナハーブを用意する事も出来る。が、しかし人工的に再現したものはやはりというか、不確実な部分がどうしても出てきてしまうのだ。物質変換を間違って変なものを混入させないためにも、天然モノを使う方が確実であるという事である。
エレベーターのボタンを押して地下区画へと向かい、施術に使う予定のシャーロットの部屋に足を踏み入れた。
彼女から貰った合鍵を使って入った室内には既に、女性の身体がベッドの上に安置されている。
身長は180㎝くらいはあるのではないだろうか。ウエストは引き締まり、しかし大きく突き出た胸とお尻が見る者を引き付けるだろうが、しかしそういう気になれないのはきっと、そこに安置されている女性の身体には首から上が無いからだ。
あの身体はシャーロットが自分の生体データを基に、順調に成長していたらこうなっていたかもしれない、という予測から生み出されたボディだ。つまりはサブボディと同じ代物であり、万一サブボディが破損した際の予備として用意していたパーツで組み上げたものである。
イライナハーブが届いたら、この機械の身体をまず最初に生身の肉体に作り変える。首の断面には意図的に血栓を作成し血管を閉塞して止血させつつ、それとは別に首を迂回するバイパスルートを作成して血液はそちらを通過させ循環させておく。そして準備が整い次第シャーロットの首から上を肉体に接合、血栓を排除しつつ首の断面の機械類を生体パーツに作り変える……という作業工程となる。
こうする事でシャーロットの肉体的、精神的負荷は劇的に軽減されるだろうが、しかしシェリルとは違い首から下の全てを生体パーツに置き換えるわけだから、シャーロットが味わう事になるであろう苦痛は彼女の比ではないだろう。
最初は自分の右腕で、そしてシェリルの腕で実証した技術だが、しかし首から下の全てを作り変えるのは初めての試みだ。
成功する保証はない―――けれどもシャーロットは、俺の技術を信じて自分の命を託してくれたのだ。彼女の期待を裏切らないためにも、そしてシャーロットを本当の意味で母親にしてあげるためにも、失敗するわけにはいかない。
とにかく今は出来る事を全てやろう。
やるべき事をやって、本番でベストを尽くす事が出来れば、きっと最善の結果がついてくるはずだから。
台 湾 砲
イライナからの技術供与を受け、ジョンファ帝国が台湾の高雄に配備した『戦略級極長射程多薬室要塞砲』。要するにイライナがリュハンシクに配備した戦略兵器『イライナの槍』からICBM発射機能をオミットしたもの(※機密保持のため)である。諸元はオリジナルと同等で、ICBM発射能力が無い点、弾倉がリボルバー型から箱型へ改められている点が差異。台湾への配備はリーファの伝手で実現したとされる。
極東戦争の勝利と大東亜共栄圏の成立により世界的に存在感を増した大東亜諸国であるが、しかしその地位は決して盤石とは言い難く、アジアの植民地を手放す事となった欧米列強が報復攻撃に打って出る事は自明であり、特にジョンファが管轄、仮想敵国の進撃経路として想定していた南シナ海方面の守りの強化は急務であった。
大東亜共栄圏の交易の中心地として栄えていた台湾は戦略的価値が大きく、特にここを万一失陥する事があれば極東における相互支援体制に大きな影響が生じる事から、防衛能力の強化と抑止力の増強のため兵器の設置は台湾に決定。少しでも距離を稼ぐため台湾南部の高雄が設置場所に選定された。
イライナ側の技術提供と技術団の派遣により完成した台湾砲は1927年に完成。1929年のネーデルラント王国軍による『フィリピニア侵攻』の際に初陣を経験し合計3発を発射。第一射は観測データの不備で標的を外した(しかしこの際の着弾時の衝撃で駆逐艦『デ・ロイテル』が転覆している)ものの、続く第二射で戦艦『レルウィッヒ』、『ブレデロエ』を、第三射で重巡洋艦『アムステルダム』、『ロッテルダム』、戦艦『ミデルブルフ』を轟沈、艦隊との会敵前に海戦を終結させる大戦果を挙げている。
なおこの際、上海では虎の子の北京級決戦型重戦艦6隻の臨時戦隊が出撃準備中であり、台湾砲による先制攻撃が失敗していれば北京級6隻が投入されるという地獄絵図が待っていた。
上記の戦果により、ジョンファ軍では『大紅龍』の愛称で呼ばれる事もある。
またこのネーデルラント海軍の惨敗により、台湾は西欧諸国より『龍の住む島』として畏れられる事となるが、それはまた別の話。




