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再生者

ラスプーチン「結婚……したのか……俺以外の奴と」


シェリル「ヒュッ(心停止)」

ミカエル「シェリルー!?」


 部屋の中を満たすのは、ハーブ系の落ち着く香りでした。


 それの発生源は部屋の中に置かれた鉄製の鉢の中。その中ではくべれらた香木が紅い種火によってゆっくりと燃えていて、うっすらと白い煙をたなびかせています。


 一緒に燃えているのはイライナハーブなどの薬草を磨り潰し粉末状にしたもの。イライナハーブは料理や薬の調合に使ったりと多種多様な使い方があるとミカが教えてくれましたが、ああやって乾燥させ、特定の薬草と調合して粉末状にし燃やすと、その煙にはリラックス効果があるのだそうです。


 その調合をしてくれたのは、目の前に座って準備を進める私の小さな旦那様。相変わらず小柄で子供のよう。くりくりとした丸い目に愛嬌のある顔つき、そしてもふもふのケモミミがチャームポイントな、可愛らしい私の夫。


 全ては私のために―――これから始まるであろう苦痛を少しでも和らげるために、香木やお香に関する知識を勉強し、こうして用意してくれたのだとイルゼが言っていました。


「……じゃあシェリル、このガーゼを口に」


「……はい」


 手を伸ばし、ミカの小さな手からガーゼを受け取ります。


 ミカの手―――ジャコウネコ特有の形状の肉球がある手からガーゼを受け取ったのは、黒い装甲で覆われた機械の手。


 かつて私は、テンプル騎士団に所属していました。


 かつての強い祖国を取り戻すため、今のクレイデリアを恫喝し軍国主義へ回帰させるためのテロ行為に加担していたのです。そしてその計画の過程で幾度となくミカの率いる血盟旅団と激突し―――その果てに、我々は敗北しました。


 この機械の腕は、その死闘の最中にシャーロットを庇った事で失われた肉体の一部。ミカの放った魔術からシャーロットを救うため、私は腕の一本を犠牲にしたのです。


 こうして仲間になり、結婚して妻になった今は幸せですが、けれどもミカはいつも私の右腕を見る度に複雑そうな表情をしていました。今までは敵同士だったからそこまでは考えなかったのかもしれませんが、仲間から家族に、そして愛し合い身体を重ね子をもうける関係にまでなって、自分が過去に何をしてしまったのか……それをことさら意識してしまっているのかもしれません。


 気にしなくていいですよ、と私は何度も言いました。全ては過ぎた事だし、腕の一本の犠牲でシャーロットは守られたのだから、と。


 それに片腕が無くても、今の私は幸せです。テンプル騎士団叛乱軍の一員として、感情を押し殺し冷たい床の上で食事代わりの栄養サプリメントを摂取していたあの頃と比べれば、遥かにずっと。


 ミカと結婚してから、まるでモノクロの世界に色がついたような、そんな感覚すら覚えます。


 だから気にしなくていい、そんな事まで罪と思い十字架を背負わなくてもいい―――けれども責任感の強い彼女が、そんな言葉で考えを改める筈もなく、今日にいたるまでずっと欠損した肉体の修復方法の試行錯誤を続けていたのです。


 ―――錬金術による欠損部位の修復。


 ミカが私に提案したのは、そんな神業めいた代物でした。


 この、今装着している義手を機械部品から人体のパーツに置き換えて、最終的に右腕を元通りにするというものです―――オイルの巡る冷たい機械の腕から、血の巡る熱い人間の腕へと逆行する奇跡。それを可能とするのが錬金術なのだと。


 しかしそれがどれほど困難なものなのか、私でも分かりました。


 この義手は人体を可能な限り模したものですが、それでも本来の腕の構造と比較するとほぼ別物です。それに使われている機械部品の寸法や総数、構造に部品それぞれの材質に至るまでを理解して、更に人体の構造を把握したうえで物質を変換していく―――未だかつて誰も成功した事の無い未踏の領域に、ミカが足を踏み入れようとしているのです。


 ですが―――私はその申し出を、承諾しました。


 自分では諦めたつもりだったのでしょう。一度失った身体はもう元通りにはならない、と。けれども出来る事ならば、熱い血の巡る手で我が子を抱きしめてあげたい、という母親としての欲求は止めようがありません。


 成功する保証は、あるとは言えません。ミカは「以前に自分で試した」というとんでもない事をカミングアウトしましたが、私はそんな事に関係なく夫を信じる事にしました。


 だって、夫婦とはそうでしょう?


 信用できず、隠し事をし、全てをさらけ出す事の出来ない相手を伴侶に選ぶような事があっていいのでしょうか?


 言われた通りにガーゼを噛みました。ミカの話では、物質変換の最中はとにかく苦痛が続くとの事です。痛みに耐えるために歯を食いしばるあまり奥歯が欠けてしまわないように―――この鎮痛剤を染み込ませたガーゼは、ミカなりの気遣いなのです。


 右腕の袖を肩まで捲り、そっと息を吐きました。


 大丈夫、大丈夫……テンプル騎士団時代に経験した、尋問に耐える経験を思い出せば大丈夫。基礎格闘訓練課程で受けた人間サンドバッグを思い出せば大丈夫。先輩隊員のボディブローに比べればなんて事ありません。


 腹を括り、やってください、という意志をミカにアイコンタクトで伝えました。


 ミカは無言で頷くと、両手で私の右肩に触れました。


 それからでした―――矢のような痛みが、身体中の神経を駆け巡って頭の中へと駆け上がってきたのは。


 まるで腕の指先から、巨大なローラーに挽き潰されていくかのような苦痛。


 ですがそれがまやかしの痛みであることは辛うじて分かります。なぜならば私の右腕は肩から先が機械だから、痛みを感じる筈が無いのです。本来痛みを感じる筈の腕はとうの昔に、ミカの放った雷撃で完全に焼失してしまったのですから。


 これはきっと、幻肢痛(ファントムペイン)


 失った身体の一部を、私の脳はまだ残っていると認識している―――だから存在しない腕をまだ存在すると認識しているせいで時折エラーが生じ、それが痛みとなって表れるのです。


 右腕の機械部品を生体部品に置き換える―――それはつまり、落ち着きつつあった脳の認識を再び活性化させる行為に他なりません。励起された神経が、そして神経から伝達される情報を受け取った脳が、失われたはずの右腕が、機械部品を錬金術で置き換える事でまた蘇るという普通ではありえない事態に直面し、ただただひたすらにエラーを発しているのだと、激痛に押し流されそうになる私は辛うじて理解しました。


 拘束具で椅子に固定された身体と左腕、そして両脚。どれだけ激痛から逃れようとしても動く事は出来ず、押し寄せる痛みに耐える事しか許されない。


「頑張れ……頑張れ……!」


 ミカはそう言いながら、錬金術の発動を続けます。


 既に施術は肩から肘へと達し、そこには黒い防弾装甲で覆われた義手ではなく、雪のように真っ白な肌が現れていました。


 押し寄せる痛みは幻肢痛(ファントムペイン)によるものだけではありません。


 肩口から順番に機械部品を生体部品へと変換し、神経を繋いでいくわけなのです。ですから段々と指先側に移行していく物質変換点では機械に神経が一時的に繋がれ、筋肉や骨に一瞬とはいえ機械部品の断面が食い込む激痛が常に続きます。


 支流のように流れる激痛は幻肢痛(ファントムペイン)と合流して、私の意識を押し流そうと押し寄せてきます。


 暴れたくても暴れられない不条理に抗うように、私は左手の指先でぎゅっと何かを掴みました。


 大きく食い込むほど、強く。


 ミカの目が、少しだけ細められます。


 この苦痛があとどれだけ続くのでしょうか。


 永遠にも思える苦痛のスパイラル―――しかし物事にはいずれも終わりが用意されているもので、激痛はある時を境にすっと波のように引いていきました。


「―――お疲れ様」


 汗でびっしょりになりながらも、懐から取り出したハンカチでまず先に私の額の汗を拭ってくれるミカ。


「ごめんね、痛かったでしょう?」


「ぁ……」


「待って、今拘束具外すから」


 そう言いながら椅子から立ち上がり、拘束具を外し始めるミカ。そんな彼女の右肩から血が流れているのを見て、私はぎょっとしました。


 まるで鋭い爪の生えた指先が、その柔肌に深く食い込んだような傷口で……。


「ミカ……その傷」


「え、あぁ……うん、仕方ないよ。痛かったんだから」


 笑いながら言い、自分の手で傷口に触れるミカ。その小さな手が退けられた瞬間には傷が塞がっていて、出血した痕跡も綺麗に拭い去られていました。


 恐る恐る、自分の左手を見下ろします。


 そこにあったのは、ミカの血に塗れた自分の指先。


「ぁ……ごめ、な……さい……」


「大丈夫大丈夫。ほら、この通り元通りだから」


「でも……!」


「気にしないで。それよりほら、見てみなよ自分の腕を」


「……ぁ」


 そこにあったのは、紛れもない自分の腕。


 失われてしまった筈の身体の一部が、まるで何事もなかったかのように肩口から先へと伸びているのです。


 指先にはまだ痺れが残っていてうまく動かせませんでしたが、でも皮膚をつまんだ感覚も、微かに感じる痛みも、確かにそれは生身の腕の感触に他なりません。


「どう、動く?」


「……ちょっと、痺れが」


「じゃあ少しリハビリしないとな。俺でよければ付き合うよ」


「ミカ……!」


 微笑む彼女を抱き寄せて、私は思いをぶちまけました。


 ありがとう、と。


 こんなにも涙で視界が霞む中で絞り出した一言に重みを感じた事は、今までありませんでしたから。


















 妻に片腕が生えた。


 生えた、というのは語弊がある。正確には義手を素材にして生体部品に置き換えた、と言うべきだろう。


 錬金術の行使において、常に付きまとうのが”質量保存の法則”である。握り拳くらいの石ころをどれだけ変換したところで同等の質量の物体しか作る事は出来ない、というものだ。


 だからそこら辺に転がってるゴミクズや石ころから戦車を作る……なんて芸当は不可能なのである(そんな事をやったらそれはたぶん錬金術ではない)。


 本人の生体データを基に、シャーロットが精密な測定のうえで製造した義手だったからこそあそこまで綺麗に済んだのだ。もしこれが作りの粗雑な粗悪品だったりしたら、変換の材料が足りず中途半端なところで変換が止まってしまったり、腕から残った機械部品が突き出すというちょっとグロい結果になっていただろう。


 だからあそこまで綺麗に済んだのはシャーロットのおかげでもあるのだ。改めて彼女の技術の高さに驚かされる。


「……さて」


 シェリルには、奪ってしまった腕を返した。


 次はシャーロットだ。


 彼女は子供の頃、障害を多く抱えた身体だった。色を識別できず、脊髄にも異常があって立って歩く事が出来ず、おまけに味覚障害……消化器官にも異常があったらしく固形物を食べると死ぬ恐れが常にあり、食事はもっぱらペースト状のものだった、というのが本人から聞いた話だ。


 そんな彼女は自由を手にするため、首から上を機械の身体に移植した。


 だから今の彼女の身体で生身と言える部位は首から上だけだ。


 おかげで自由を手にし人生を謳歌するシャーロットだったが、しかしここで肉体を捨てたツケが回ってくる事になる。


 ―――機械の身体では、子を産めない。


 結婚し、初めてラフィーが生まれた時に見せたシャーロットの表情は今でも覚えている……小さな命の誕生を祝福する一方で、かつて自分が切り捨てたものの重大さを改めて見せつけられているような、何とも言えない複雑な表情だった。


 最近ではアザゼルの面倒をよく見ているし、子供たちにもよくしてくれているが、あんなにも子供たちに親切なのはもしかして、今の自分では子を産めないという理由が原因なのではないだろうか。


 もしそうならば、彼女の身体も錬金術で何とか用意を―――。


「ふふん、何をしているんだい?」


 どむん、と頭に乗ってくる大きくて柔らかい何かの感触。


 柔らかくて、そのまま頭が沈み込んでしまいそうな感触のそれには、しかしゴムボールみたいな軽さではなくずっしりとした重さがある。女の人ってこんなの胸にぶら下げて大変だな、とクラリスとかイルゼを見る度によく思うものだ(モニカに言ったら殺される)。


 むにゅー、とその大きな胸を人の頭に押し付けながら、サブボディに意識を移したLサイズシャーロットはニヤニヤ笑い、そして俺の机の上に広がっている人体解剖図を見て表情を変える。


 血のように紅い彼女の瞳に、一瞬だけハイライトが踊ったような、そんな気がした。


「……シェリルから聞いたよ。彼女の腕、直したんだってね」


「ああ。でもあれはシャーロットが彼女の腕を精密に測定して義手を作ったからこそできた芸当で―――」


「じゃ、じゃあ……っ」


 シャーロットの顔色が変わった。


 いつもの悪戯好きなお姉さんと言った感じの顔から、求めていたものにやっと指先が届いたような必死さを宿した表情に。


 あるいは、針の先ほどの小さな穴から差し込む希望を目にしたかのような、そんな顔に。












「ミカ―――ぼ、ボクの身体も、元通りにできるかい……!?」
















 決まっている。
















 俺に出来る事だったら、何だってする。

















 妻がそれを望むならば。




北京級決戦型重戦艦


・全長

296m


・排水量

78500t


・同型艦

北京(1番艦)

上海(2番艦)

広東(3番艦)

重慶(4番艦)

武漢(5番艦)

天津(6番艦)


・武装

60口径51㎝連装砲×4(主砲、甲板前後に背負い式で2基ずつ搭載)

60口径15.5㎝3連装砲×6(副砲、主砲後方と艦橋側面に搭載)

65口径10cm高角砲×14

25mm3連装機銃×20

25mm単装機銃×12


 

 大東亜共栄圏の宗主国の1つであるジョンファ帝国が、倭国から大和型戦艦のデータ及び技術提供を受け、国家の威信をかけて建造した”決戦型戦艦”。『列強国に打ち勝てる切り札』をコンセプトに、搭載可能な主砲や装甲に至るまでを当時の技術で開発、搭載可能な最大サイズの物を選択し搭載した。本艦が就役した1926年の技術水準を考慮すると、実際は『西欧諸国が極東への侵攻を躊躇する事を期待した抑止力』としての側面が強かったのではないか、とされている。


 攻撃力及び防御力に特化した『決戦型重戦艦』であり、想定された実戦では速度と数に優れるソウル級を中核としたコーリア、あるいは加盟国の艦隊が南シナ海方面から侵攻する敵艦隊に対し遅滞戦闘を敢行し、その艦に北京級で編成された戦隊が現場へ急行。51㎝砲の絶大な火力を以て敵艦隊主力を撃滅する、という計画であったとされる(太平洋側は倭国の管轄)。


 初陣は1931年の”樺太侵攻”。樺太奪還を目論むノヴォシア軍を阻止するため、倭国艦隊が派遣した超大和型戦艦『三河』、『甲斐』と共に樺太沿岸部よりノヴォシア軍を砲撃している。その際に主砲の破壊力を遺憾なく発揮しており、従軍した兵士たちからは『大地が割れたかと思った』、『海から龍の咆哮が聴こえた』という証言が記録されている。


 現在は全艦がジョンファ沿岸部で記念艦として展示されており、2025年現在でも見学可能。子供20中華元、大人30中華元。詳しくはジョンファ帝国北京市の海軍観光センター受付窓口まで。

 

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― 新着の感想 ―
イケメンの元彼に言われたら刺さるけど、お前みたいなリコーダーぺろぺろ変態野郎に言われてもキモいだけなんよ!
タイトルと前書きからあのストーカーまさか生きてたの?と一瞬ぎょっとしました。強さとは別ベクトルで恐ろしい相手でしたね… 再生というのはシェリルの失われた腕、そしてシャーロットの首から下の肉体でしたか…
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