領主の二面性
ミカエル君の鳴き声一覧
・ミカァ?
主に二頭身ミカエル君ズが発する鳴き声。イントネーションや『ミカー』『ミカミカ』などの派生が豊富で、主にこの鳴き声だけでコミュニケーションを取る事が出来る。ごく稀に本体も発言。
・ぴえ
主にミカエル君や子供たちが発言。悲しくなったりびっくりしたり、尊厳を破壊された時に声帯のどこかから漏れ出る甲高い声。ハクビシンの幼獣もこんな感じで鳴く。
・ぴえー!!!
主にミカエル君や子供たち、二頭身ミカエル君ズにハクビシンが発する鳴き声。びっくりした時に盛大に発する。
・うー……がうっ!
主にサリーが発する威嚇の声。ごく稀にミカエル君も威嚇する際にこんな声を出す。甲高い唸り声からの威嚇というコンボとなっており、野生のハクビシンも威嚇する際にこんな感じで唸るので、可愛いからと言って近づかないようにしましょう。牙が鋭い上に力も強く凶暴なので、噛み付かれて大怪我してもミカエル君は一切責任を取りません。
後世において、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵の評価は概ね一貫している。
『民の事を第一に考えた、心優しい公爵』
『大国の武力をちらつかせた恫喝にも屈しない、強い指導者』
富めるが故の義務の体現者として、その名は遥か後世まで語り継がれている。
1897年 6月1日 11時00分
イライナ独立戦争から3年後
『ノヴォシア社会主義共和国連邦』 首都モスコヴァ
そこはさながら、大聖堂のようだった。
分厚い、それこそいったい何からの攻撃を想定しているのかと思ってしまうほど分厚い扉の向こうに広がる円形の空間。磨き抜かれた大理石の床は天井に吊るされた巨大なシャンデリアの威容を映し出し、まるで床にも照明が埋め込まれているかのよう。
広間の壁に沿って、『001』から始まる番号が割り振られた扉がある。
やれ、と目配せするなり、MP5をスリングに預けた仲間の1人がその扉の1つに向かうなり、拳を握り締めてそれを振るった。
ボコン、と戦車の装甲を徹甲弾が貫通するような、突入してきた物体の勢いに装甲が敗北し破断する音が響き渡る。やがて大穴を穿たれ扉としての役目を果たさなくなったそれの向こうには、山のようなライブル紙幣の札束が覗いた。
それを見るなり、仲間はためらいなくダッフルバッグの中へとそれを詰め込んでいく。
悠長に眺めている時間もない。俺も扉の1つに駆け寄るなり、表面に手を触れて錬金術を発動。銃弾すら弾く金庫の扉を砂へと変え、奥にある札束の山をダッフルバッグに詰め込んだ。
《”シャドウ”より”グオツリー”、憲兵隊が動いた》
「了解、手早くやる」
ちょっと急ごう。
事前に頭に叩き込んでおいた金庫の番号と配置を思い出し、目標の金庫の扉を分解。札束を次々にダッフルバッグの中に詰め込んでチャックを閉め、MP5を肩に担ぎながら駆け足で金庫を後にする。
ロビーには、仲間たちに銃を突きつけられ床に伏せる警備員たちや客に店員たちでいっぱいだった。何の関係もない、勤勉な労働者諸氏にこのような怖い思いをさせてしまうのは申し訳ないと思うし、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんとは思う。
ただまあ、恨むなら党の上層部を恨んでほしいものだ。
撤収だ、と目配せするなり、仲間の1人がドラムマガジン付きのMP5をフルオートで、景気良く天井目掛けてぶっ放した。ドガガガガ、とマズルフラッシュが煌めき、9×19mmパラベラム弾の弾雨に晒されたシャンデリアがロビーの一角に落下。割れる音を響かせ、人質たちに恐怖を植え付ける。
「Дорогие трудолюбивые работники, я очень сожалею о причиненных нами неудобствах(勤勉なる労働者諸君、この度はご迷惑をおかけし大変申し訳ない)」
イライナ訛りのだいぶマシになったノヴォシア語で、怯える人質たちにそう言い放つ。
「Ну что ж, до свидания(それでは、御機嫌よう)」
ボイスチェンジャー内臓のガスマスク越しに別れを告げ、まるで演劇の出演者が観客へお辞儀をするように深々と頭を下げて、俺は仲間たちと共に銀行の外に出た。
遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。が、以前にここを襲った時と比べるとあまりにも展開が遅い。帝政ノヴォシア時代であればもっと迅速な展開で犯人を追い詰めていたものだが、まるで慌てふためきながら出動してきた素人のようだ。あれではいつまで経っても犯罪者の拘束なんて夢のまた夢、治安維持なんてできやしない。
「Похоже, последствия Великой чистки, устроенной Коммунистической партией, ощущаются даже в таких местах, как это, «Хозяин»(共産党による大粛清の影響はこんなところにまで出ているようですわね、”ご主人様”)」
「Перестань называть меня «хозяином», пока я на работе, вышибала(仕事中に”ご主人様”は止せ、バウンサー)」
「Извините, это просто привычка(申し訳ありません、つい癖で)」
こちらですわ、とバウンサー……というTACネームを名乗るクラリスに誘導されて路地裏を突き進む。
共産党の貼ったスローガンやプロパガンダポスターが至る所に目についた。『Рабочие, объединяйтесь!(労働者よ、団結せよ!)』だの『Смерть буржуазии!(ブルジョワに死を!)』といった如何にも真っ赤なスローガンが、これまた暑苦しいタッチのイラストと共に掲載されている。
何というか、品がない。
昔のノヴォシアはもっとこう、死にかけの国歌であったにせよ静かに佇む貴婦人にも似た品があった。きっと建物を作った建築士たちは”美”という概念をよく理解していたのだろう(事実、帝政ノヴォシアは末期にあってもフランシスと肩を並べるほどの”芸術大国”として知られていた)。
それがどうだ、こんな労働者がどうとかブルジョワ死ねとか、そんな政治思想のゴリ押しでせっかくの街が台無しだ。これには建築士たちもあの世で泣いているに違いない。
路地裏を進んで憲兵隊を振り切ったところで、廃工場の駐車場に停車されているZIS-110を発見。ダッフルバッグを抱えたまま後部座席に乗り込むなり、運転席に座りハンドルを握っていた仲間―――TACネーム『ララバイ』ことシスター・イルゼがアクセルを思い切り踏み込んだ。
路地裏に乱雑に積み上げられた木箱やら樽を吹き飛ばしながら大通りに躍り出て、そのまま西進。金の”受け渡し地点”を目指してフルスロットルで駆け抜ける。
「ふう」
ガスマスクを外し、一息ついた。
久しぶりの強盗だったけれど、まだ感覚は身体が覚えている。
仲間たちの練度の高さと用意周到な下見もあり、今回も死傷者数ゼロ。金だけを首尾よく奪い逃走に成功したというのは誇るべきだろう。
「お金っ、お金っ♪」
ふっふー、と目を輝かせながらダッフルバッグの中の札束をチェックしてにんまりするモニカ。隣に座っているリーファも同じように札束の枚数を数えながら、にんまり緩んだ口から涎を垂らしている。
今回も盗んだ金は、ノヴォシア共産党のものだ。
表面上では今のノヴォシアとイライナは”友好国”という扱いになっている。向こうからすればこっちは革命成就を助けてくれた同志であり協力者、そして豊富な食糧を配給してくれる良き隣人で、イライナからすれば今の共産党は国家の独立のために一緒に戦ってくれた戦友、といった感じだ。
実際、帝政ノヴォシアが終わり共産主義国家となった今のノヴォシアへは食糧輸出もしているし、向こうからは資源を格安で購入したりしている(そして政治的思想はシャットアウトしている)。
傍から見れば蜜月関係のようにも見えるだろうが、その実態は『互いに肩を組みながらお互いの背中をつねり合っている』ようなものだ。
こちらの諜報活動で、既にノヴォシア共産党の次の狙いがイライナである事は確認済みだ。この前なんか潜伏していたスパイが”イライナ侵攻計画”と題された計画書をイライナに持ち帰ってきてくれた。
予想した通りの流れになりつつある。
どうやら、ノヴォシア共産党の辞書に”約束を守る”という言葉は無いらしい。嘆かわしい事だ。
そのような事もあり、イライナ公国宰相アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァにより”仮想敵国ノヴォシアに対する強盗行為”が解禁されたのが2年前―――イライナ独立からわずか1年後の事だった。
こうして越境しての強盗行為を行い、ノヴォシアに地味ながらもダメージを与える、というのがこの作戦の目的である。姉上曰く『ウチに腕のいい大泥棒がいるから思いついた』との事だが、はて、何の事だろうか。ミカエル君が泥棒なんてするはずがないのに。
作戦の影響は既に現れており、ノヴォシアは頻発する強盗行為に対する対処のために憲兵隊を増員したが全く好転せず、当局の注意が強盗にばかり向いているおかげでイライナ側も諜報員を潜入させ放題。おまけにスターリン主導で始まった”大粛清”の影響により優秀な軍人や憲兵は軒並み粛清されたので、残ったのは忠誠心だけが取り柄の素人だけという有様だ。ぶっちゃけ強盗が簡単すぎる。
ともあれ、得た金は一部をイライナの税収とし残りは強盗に参加したメンバーで平等に分配、という事となっている。とはいっても俺は手持ちの資産に加えたところでどうにもならないし、これはリュハンシク領内での政策に使う資金に回そうと思う。
スタンッ、と車のルーフに誰かが降り立つ音。しばらくするとそのままトランクを器用に開け、中へと滑り込んでいくスーツ姿の狙撃手の姿が見え、カーチャも無事に合流できた事を確認し安堵する。
さてと。なんであれ、これで作戦は終了だ。
この金は有益に使わせてもらうよ……。
そっと手を離すと、ベッドに寝たきりだった老婆が瞼を開けてゆっくりと身体を起こした。
ぱっちりと目を開けるなり、皺の浮かんだ手で自分の頭に触れる。ぺたり、ぺたり、と、まるで自分の身に何が起こったのか信じられないといった感じでしばらくそうしていた老婆は、次第にじわりと両目に涙を浮かべるなり、こっちを見て唇を震わせた。
「頭の中の血管にあった血栓を溶かしました」
笑みを浮かべ、何をしたのか種明かしをする。
錬金術の本質は”物質の変化”である。魔力を用いて物質の分子構造や形状を書き換え、変化を促す太古の秘術。その気になれば屑鉄は黄金に、汚水は澄んだ清水にその姿を変えてしまう。
ならばそれは、人体にも作用する筈だ―――そう思い、ぶっつけ本番で試したのは3年も前の話である。
リキヤ・ペンドルトン―――”奉天の赤鬼”こと速河力也との戦闘中、錬金術で折れた自分の腕を治療した事があった。まあ、あの時はまだぶっつけ本番だった事もあって、まるで身体の中に腕を刺し入れて折れた骨をかき回しながら強引にくっつけるような激痛が走ったものだが……。
これは精度を上げれば医療行為としても使えるのではないか、と思い医療の分野にも知見を広げようと思い立ったのが2年前の事である。
そして今は、公務の合間を見て領内を行き来し、病気やケガなどで苦しむ領民の治療も行っている、というわけだ。
「溶けた血栓は、後ほど老廃物として体外に排出されるでしょう。もし再発するような事があればご連絡ください。なるべく早く駆け付けますから」
「あ、あぁ……領主様、ありがたや……ありがたや……!」
「ミカエル様、本当にありがとうございます……!」
「いえいえ、領主として当然の事をしたまでですよ」
「その……お代の方はいくらなので……?」
「お代なんてそんな」
困惑しながらもお金の話になりつつあったので、すぐさま断った。
『脳梗塞で苦しんでいる老婆がいる』と聞き、勝手に押しかけて勝手に治療したのだ。それで勝手にお代まで頂戴してはあまりにも可哀想である。
「農民の皆さんが毎日働いてくれているからこそ、我々貴族は生きていけるのです。我々はあなた方に生かされている身、これくらいの奉仕は当然の事です」
それではいつまでもお元気で、と老婆に言い残し、お供についてきてくれたクラリスと共に農民の家を後にした。
既に外は夕暮れで、真っ赤に染まった空をカラスたちが飛んでいる。
今日も1日が終わったな……そう思いながら、外に停車していたZIS-110の後部座席に乗り込んだ。
「あのご老人、嬉しそうでしたわね」
「ああ」
ハンドルを握るクラリスに言われ、頷いた。
長いこと鍬を握っていたのだろう。一度脳梗塞で倒れ、自宅で安静にしていたという老婆の手には肉刺が潰れた痕がいくつもあった。
ああやって毎日鍬を振るい、種をまいて農作物を育てる農民たちの努力があるから、俺たち貴族は生かされているのだ。
だから農民や労働者は、黄金にも勝る価値がある。少なくとも俺はそう考えているし、彼らに寄り添う領主でありたいと思っている。
「レギーナさんもきっと、鼻が高い事でしょう」
「……かもな」
戦時中、母さんはアレーサでずっと俺の事を心配していたらしい。そりゃあ最前線で戦い指揮を執っていた(という事になっている)のだから当然だろう。
子が生まれ親になった今だからこそ、親の気持ちがよく理解できる。もし自分の子供がそんな立場であったなら……そう思うと気が気じゃない。
そうならないよう、災いの芽は俺たちの世代で摘み取っておきたいものだ。
イライナ国防軍
イライナ公国の軍隊。中立国を標榜する関係上、自国から相手国へと攻め込み侵略するような戦争は一切想定していないため、主に自国領へ攻め込んできた敵国の撃退に特化した軍隊となっている。その一方で抑止力や報復攻撃として運用するための越境攻撃用の長射程兵器も多数保有しており、その軍事力は侮れない。
また、専守防衛を基本としているものの、海外派遣のための海兵隊を保有している点も特徴であり、同国の攻撃的な一面も垣間見える。
ノヴォシアを仮想敵国としており、その最前線となるリュハンシク州には『リュハンシク防衛軍』と呼ばれる、イライナ軍とは指揮系統も技術体系も独立した軍隊が駐留しており、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵を最高指揮官に据えてノヴォシアの侵略に目を光らせている。
2022年の機密開示により、止むを得ずこちらから攻撃に打って出なければならない場合に限り、イライナへの飛び火を回避するため【イライナはリュハンシク州を”リュハンシク共和国”として独立を承認、独立国となったリュハンシク州がノヴォシアへ先制攻撃を行い、イライナはこれを支援する】という戦争計画があった事が判明しているが、幸いにしてこれが実行に移された事例は2025年現在で存在しない。




