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英雄と十字架

範三「すいません、感覚遮断落とし穴の感覚遮断抜きください」




 その日、イライナ人たちの長きに渡る隷従の歴史に、終止符が打たれた。








 何世代にも渡る彼らの犠牲の果てに―――イライナの民は、真の自由を手に入れたのである。

















 1894年 5月23日


 

 ノヴォシア共産党、革命成就を宣言

 

 同日、ノヴォシア帝国からのイライナ独立を承認






 イライナ独立戦争、終結

















 州都リュハンシクの市街地は歓喜で満ちていた。


 市民たちの大歓声と共に聴こえてくるのは、イライナ公国の国歌『祖国よ永久に』。永遠の繁栄と民族の共存、遥か未来まで続く安寧を歌ったものだが、当然ノヴォシア併合中は『分離主義者を刺激する恐れがある』という理由で演奏や歌唱、それどころか楽譜や歌詞を閲覧する事すら禁じられていたものだ。


 まあ、イライナでは普通に歌われていたが。


 大通りを舞う紙吹雪と、遥か向こうで振られるイライナの国旗。街中には『Хай живе незалежність!(独立万歳!)』という落書きも見受けられ、いつもは市街地の美化に余念のない憲兵隊もお目こぼし……なんて慈悲がある筈もなく、壁に落書きをしたと思われる少年たちが連行され、壁の掃除を言い渡されているところだった。


 そんな大通りを、ミカエル君を乗せたZIS-110(※ソ連製のセダン)がゆっくりと横切っていく。クロームカラーのグリルにバンパーで日の光を照り返しながら進む黒塗りの車体の後部座席で、俺はスマホの画像フォルダをスクロールし続けていた。


 色んな写真が保存されている。


 旅を始めた頃の、まだ俺とクラリスとパヴェルの3人だけだった頃の写真。


 モニカも加わり、一気に喧しくなった頃の写真。


 クラリスにセクハラするモニカを鉄拳制裁するイルゼの写真。


 大量に作った中華料理をドカ食いするリーファの写真。


 落書きされた顔で眠る範三の写真。


 俺、ルカ、ノンナの3人で1人用のベッドで寄り添い合いながら眠るジャコウネコ科ケルベロスの写真。


 ピーマンとニンジンばかりを皿の端っこに追いやって肉だけ食べるシャーロットの写真。


 コンバットパンツにタンクトップ姿で汗をかきながらCQCトレーニングに精を出すシェリルの写真。


 仲間たちとの、何の変哲もない思い出の日々。


 スクロールさせていくと、魔術学園に通っていた頃の写真も出てきた。


 アンドレイ達と笑顔で肩を組んだり、胴上げされたりしている写真。


 もう二度と戻る事の無い、楽しかったあの頃。


 ZIS-110が速度を落とし、駅の前にゆっくりと停車した。


 既に駅前には他のZIS-110もずらりと停車していて、この後の列車―――10時10分着の臨時列車でキリウから帰ってくる家族たちの帰りを、今か今かと待ち受けている。


 といっても運転手も護衛の兵士も、みんな戦闘人形(オートマタ)なのであるが。


 運転手に後部座席のドアを開けてもらい、ありがとう、と礼を述べながら手鏡を取り出して、ウシャンカずれてないかなとか、ネクタイ曲がってないよなと細かいところをチェックしてから駅へと足を踏み入れる。貴族たるもの、身嗜みには細心の注意を払わなければならない。どんなに小さなところでも、そういうところから本来の自分が見え隠れしてしまう。


 入場券を購入して改札口を通過、階段を上がってホームへと向かう。


 既に2階のホームには式典用の制服―――黒を基調とし、紅いアクセントが散りばめられた制服姿に紅いベレー帽という格好の戦闘人形(オートマタ)の兵士たちが、着剣したAK-19を抱えて微動だにせず整列している。


 やがて、線路の向こうに明かりが見えた。


 機関車のライトだ―――そう思うなり、駅構内に列車の接近を知らせるメロディと放送が鳴り響き、イライナの鉄道規格に合わせて車体を大型化したAC6000CWに牽引された疎開列車が、1番線へと静かに入線してくる。


 蒼い塗装に黄色いラインの刻まれた客車の扉が開くなり、真っ先に飛び出してきたのはまだよちよち歩きの子供だった。


 黒髪に白い前髪、その中に混じって蒼い頭髪も見受けられる。


 今にも泣き出しそうな顔できょろきょろとホームを見渡した彼は、そこで待っていた俺の姿を見つけるなり目を丸く見開いてケモミミをぴんと立て、口を大きく開けて泣きながらこっちに走ってきた。


「ぴえー!!!」


「おー、よしよし。久しぶりだねぇアザゼル?」


 シェリルとの間に生まれた息子のアザゼルは、他の子と比較すると……まあ、随分と泣き虫だ。転ぶとすぐに泣くし、虫を見ると泣くし、犬に吼えられても泣くし、ご飯にピーマンが出てきても泣くし……そう、彼は兄妹の中で一番の泣き虫なのである。


 けれどもまあ、今日ばかりはみんな変わらないだろうなと思っていたら案の定だ。しゃがんでアザゼルの目線に合わせ、飛び込んできた我が子を抱きしめていた俺に、ここぞとばかりに駆け寄ってくる子供たち。


 みんな目に涙を浮かべていた。ほんの数日の別れでも、この子たちにとっては……いや、違う。仮にも戦うべき男として戦地に残ったのだから、下手をすればあれが後生の別れになっていたのかもしれない。


 そうならなくて良かったと心の底から思えば、子供たちを抱きしめる腕にも少し力が入るというものだ。


「ちちうえー!」


「うわ゛ぁぁぁぁぁぁぁパパだぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「びえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


 よしよし、と可愛い我が子たちを抱きしめたり撫でたりしていると、ふとその中に長男の姿が居ない事に気付いた。


 彼らよりも1年早く生まれ、好奇心旺盛で、それでいてしっかりした長男が。


 あれ、ラフィーは……? おかしいな、はぐれたのだろうかと視線を巡らせると、父親の胸に飛び込んで泣きわめく子供たちの姿に涙を浮かべる妻たちの傍らで、クラリスと手を繋いだまま佇むラフィーの姿が。


 頭にはあの時……ルシフェルの奴が預けた黒くて大きなウシャンカを乗せている。


「さあ、ラフィー。お父様のところへ」


「……」


 クラリスに諭され、ラフィーは手を離してホームの床を蹴った。


 あの子の事だ……きっとキリウでも、長男として涙は見せまいと気丈に振舞っていたに違いない。姉上から寄越された手紙には子供たちの近況が書かれていたけれど、ラフィーは兄妹の中でも泣く事はなく、むしろ寂しさから泣いてしまう弟妹達を励まし続けていたという。


 自分は雷獣のミカエルの仔だから―――きっとそれが、彼の矜持であり心の拠り所だったのだろう。


 けれども、もう自分の心を偽らなくていい。


 正直になっていい―――駆け寄ってくるラフィーの紅い瞳には既に涙が浮かんでいて、ああ、やっぱり我慢してたんだなと思った。


 3歳児にしては余りにも大人び過ぎている。


 もっと子供らしくして良いんだよ―――そんな気持ちを込めながら、駆け寄ってきたラフィーを抱きしめた。


「ちちうえっ、ちちうえぇぇぇぇぇぇ!!!」


「ん、おかえりなさい」


 寂しい思いをさせてごめんな……そう言葉を紡ぐなり、俺の視線も涙で霞み始めた。

















 

 すやすやと寝息を立てるラフィーにラグエルの頭を撫でながら、子供部屋のベッドに腰を下ろした。


 この子たちにとってはリュハンシクこそが故郷(ふるさと)で、この城が実家なのだ。だからなのだろう、帰ってきてキリウでの楽しかった話をたくさんしてくれて、ご飯を食べて一緒にお風呂に入るなり、子供たちは疲れて眠ってしまった。


 やっぱり兄弟なのだろう、ラフィーもラグエルも寝相が全く同じだ。口をぽかんと半開きにして、ケモミミをぺたんと倒して、寄り添い合うようにくっついて眠る。何とも愛らしい姿に、思わずずっと眺めていたくなる。


 すっ、と隣にクラリスが腰をおろして、寝息を立てる自分の子供たちを撫でた。


「……すまなかった、クラリス」


 やっと2人きりで、安心して話せるタイミングになったところで、彼女への謝罪の言葉を切り出した。


 彼女は特に、これといったリアクションを見せない。こっちに背中を向けたまま、寝息を立てる我が子の頭を撫でるばかりだ。そこには母の慈愛だけがあったが、しかし何というか……何やら”圧”を感じずにはいられない。


 赦してくれるだろう、という甘い考えは持ち合わせていない。


 付き合いの長いクラリスだからこそだ―――彼女を欺くような真似をしなければならなかったのは仕方ないとはいえ、しかしそれでもやってしまったことに変わりはないのだから。


「君を、皆を欺く真似をしてしまって」


「……」


「許しを請うわけじゃない……許せないなら許さなくても構わない。ただ、これが俺の―――」


 子供たちを撫でるクラリスの手が、止まった。


 彼女がこっちを振り向いた―――そう思った頃には柔らかい唇で口を塞がれていて、それ以上の言葉が続かない。


 常人よりも高い体温と、ふわりと舞う花のような香り。


 唐突に唇を奪われた事に、頭が混乱していた。


「……ええ、分かっています。何もかも」


 静かに離れた彼女の唇が、そう言葉を紡ぐ。


「貴方はミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。戦場だけではなく、政治の場でも戦う人間……誠実でありながら、時には人を欺かなければならない事もありましょう」


「……すまなかった」


「いいのです。きっとあなたの事ですから、そんな事をずっと気にしておられると思っていましたよ、クラリスは」


「クラリス……」


 ですから、と再び顔を近づけて唇を奪うクラリス。


 今度は彼女の背中に手を回し、より深く愛を確かめ合う。


 絡めていた舌を離すなり、彼女は俺の耳元でささやいた。


「―――また、十字架を背負われたのですね」


「え」


「ふふっ、目を見れば分かります。何年ご主人様のメイドをやっているとお思いで?」


 彼女には、全てを見透かされていた。


 何があったのか、という細かいところまでは知らないにしても、この戦争で何か大切なものを失った、というところまでは彼女に見破られていたらしい。


 そんなにも、俺は心の中が表に現れやすい人間なのか。それともクラリスの読みが鋭いだけなのか。


 もしかして両方なのか……でもまあ、そんな事はどうでもいい。


「お辛いのでしたら、その苦しみをこのクラリスにさらけ出してくださいませ」


 白く細い指が、唇を撫でた。


「クラリスはご主人様の全てを受け止めて差し上げます」


「……ありがとう」


 クラリスの言葉は、まるで魔法のようだった。


 その一言が合図だったかのように、彼女の目の前で俺は全てをさらけ出した。


 苦しかったことも、悲しかったことも、全て。


 
















 1894年 5月24日


 24:30 



 ノヴォシア社会主義共和国連邦 アラル山脈山頂











 大きな、大きな石碑がある。


 作られた当時は鏡面の如く磨き抜かれたそれも、しかし永い永い時の中で浸食と劣化が進み、雨風に晒されて無残な姿と化していた。


 それは遥か昔、イライナ救国の英雄イリヤーが、盟友ニキーティチと共に撃ち破り、大地に封じた邪竜ズメイ(ズミー)の石碑。


 殺すまでには至らず、やむを得ず封印した際に作り出された、封印のためのモニュメント。
























 その表面に、音を立てて亀裂が生じた。























 第三十八章『異世界1894』 完


 第三十九章『安寧よ、永久に』へ続く







ミカエル君語録


 いつの間にかイライナ国内で出回っていた書籍。作者は不明(※お察しください)。もちろんミカエル君や関係者に対し許諾を得ないまま出版されたとんでもない代物だが、イライナ国内で8600万部も売れたベストセラーの1つとされている。


 要するに、イライナの英雄ミカエルの発言集なのだが、最大の問題点として【9割が言った事の無い発言】で構成されている。

 以下実例↓

・「あはっ☆ おじさんみたいなざこじゃミカ満足できないにゃん☆」←言ってない

・「ふえぇ……味噌汁飲みたいよぅ」←言ってない

・「知ってるか。土星の環はドーナツで出来てるんだぜ」←言ってない

・「らめっ、ミカ壊れりゅぅ!!」←言ってない

・「ぶっ殺してやるぜジュテェェェェェェェェム!!」←違う人

・「俺の尊厳、羽毛より軽いんだ……」←言った


 このような内容となっており本人のイメージを著しく損なうものであるとして、人権活動家(※本人や親族とは無関係)が絶版とするよう署名運動を展開したが、その翌日には彼らの活動をあざ笑うかの如く『ミカエル君語録~心と下半身に響く言葉たち~』と改題のうえ、よりセンシティブなセリフばかりを収録したR-18バージョンが発売されドカ売れした。ミカエル君は泣いた。

 

 2004年にはこの書籍を元にした電子書籍版、ASMR作品が発売されたほか、何をトチ狂ったかアニメ化までされた。全25話。

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― 新着の感想 ―
独立に至るまで…というよりあの実家を脱出した頃からの日常、色々とあったんですね。冒険者ミカエル君個人でいられた頃の思い出というべきでしょうか。今は色々な責任や立場、十字架を背負っていますが。 やはり…
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