ミカエルの罪
リーファ「え、中華料理教えてほしい?」
パヴェル「ああ。お前の中華鍋の扱い方、ありゃあプロだなと思ってな」
リーファ「フフン、高いヨ?」
パヴェル「もちろんタダでとは言わない」
リーファ「?」
パヴェル「今年の冬に配布予定の『ミカエル君感覚遮断落とし穴えっち本』と『ミカエル君ゴブリンえっち本』、おまけに『ミカエル君メス堕ちえっち本』を先行でプレゼント。しかも予約特典のアクスタとタペストリー付き」
リーファ「好」
ミカエル君「ちょっと待てや」
火葬された人間を初めて見た時の感想は、『人間ってこんなに小さくなるんだ』という、なんとも言いようのないものだった事をよく覚えている。
あの時はまだ小学生にもなっていなかった頃だった、と思う。病院に入院していた曾祖父が亡くなり、それから親戚の大人たちがせっせとお通夜やら葬式の準備をしていたのを何となく覚えている。
当時はまだ俺も幼くて、人間の……というより、生命の”死”という概念をよく理解できていなかったというのもあると思う。「このお爺ちゃんは何でずっと眠っているんだろう」と、不思議そうに棺の中を覗き込んでは母に「やめなさい」と咎められたものだ。
あれからいったい何年経ったか。
やはりあの時抱いた感想と、今抱いている感想にはなんの相違点も無い。
決まったパズルのスペースにピースがはまり込むかのごとく、ぴったりと同じものだった。
人間とは、こんなに小さくなるのだ。
命を燃やし尽くし、肉体を燃やされ、灰になり、骨になる。その過程を経た人間はこんな、両手で抱えられる程度の大きさの木箱に収まってしまうほど小さくなってしまうのだ。
城の地下に安置されたかつてのクラスメイトは、皆例外なく小さくなっていた。どう考えても成人の人間が入るにはあまりにも小さすぎる木箱の中に、燃え尽きた彼らの灰が収められている。
着剣したAKを抱えた兵士たちが微動だにせず、規則的に整列する前をゆっくりと歩き、遺灰の収まった木箱を眺めて回った。木箱の傍らには彼らの遺品と思われるナイフや兵士識別用のメダル、それすらない者にはとにかく個人が特定できるような品が用意され、木箱には使者たちの名前が刻まれている。
グリシャ、ジナイーダ、ゼニス、ドロフェイ、エフゲニー、ダリヤ……全員、あの魔術学園で同じクラスで学んだクラスメイトたちの名前だ。
遺品を見るまでもなく、全員の顔が思い浮かぶ。
中にはほんの一言、あるいは会釈したくらいしか接点がない奴もいたけれど、それでも短い間、苦楽を共にしたかけがえのない仲間だった。コイツは休日によく家族に手紙を書いていたとか、この子は買い物が好きでファッションに敏感だったとか、アイツは昆虫が好きで部屋に標本をたくさん飾っていたとか、全てがつい数日前の事のように……終末明けの月曜日のように思い出せる。
けれどもそんな彼らはもう、いない。
死んだのだ。
マズコフ・ラ・ドヌーから1、2㎞離れているかどうかくらいの、何のランドマークも無い平原のど真ん中で。
どんな死に様だったかは、分からない。
きっと怖かっただろう。すぐ傍らを掠める銃弾に降り注ぐ榴弾、いつ狙ってくるかもしれぬ自爆ドローン。傍らには無残な姿で転がる戦友たち……そんな地獄に追い立てられ、否応なく死の淵へと追い落とされていった彼らが、願わくば安らかに眠りについてくれる事を願いたい。
アンドレイ、と刻まれた名前のある木箱を見つけて、ぴたりと足が止まった。
唇を噛み締め、瞳をわなわなと震わせながら、そっと小刻みに震える指先で木箱に刻まれた友人の名前をなぞる。
ああ、やっぱり死んだんだ。
分かっている、アンドレイが死んだという事は。
覚悟もしていた。リュハンシクに戻ったら、変わり果てた姿の友人と対面することになるだろう、と。
時間はたっぷりあった。揺らぐ心を落ち着かせ、残酷な現実を受け入れる準備はしてきたつもりだし、きっと耐えられるだろうと、そうでなくとも無様に取り乱すような事は無いだろう、という根拠のない確信はあった。
けれども視界が霞み、両目が震え、熱い雫を抱いた感覚を覚えた頃には、嗚咽を噛み殺す声だけが遺灰の安置室に響いた。
堰を切ったように迸る悲しみが、理性をあっさりと押し流していった。
大粒の涙をこぼし、ついには床に膝までついて、赦してくれ、赦してくれ、と何度も繰り返す。
きっと彼らは、赦してはくれないだろう。
俺たちには独立する大義があった―――けれどもいきなり戦場に動員されたアンドレイ達からすれば、俺たちが戦争を起こした現況に他ならないのだ。大義があるから恨んでくれるな、という道理はまかり通らない。
「……俺が、殺した」
押し寄せる悲しみに抵抗を示すように、嗚咽を押し殺す俺の背中を、ルシフェルの抑揚のない声がそっと撫でていく。
分かっている。みんな、誰がどういう最期を遂げたのかは。
「この罪は俺のものだ。お前が手を下したわけじゃあない」
だからそんなに背負い込むな―――言外にそう言われているような気がして、違う、と心の中で思った。
そうじゃない、そうじゃないんだ。
呼吸を整え、涙を拭い、それでも溢れてくる涙で床を濡らしながら、震える声で言葉を紡ぐ。
「―――違う」
違うんだよ、と続け、そっと立ち上がる。
「殺せと命じたのは、俺だ。お前はその命令を忠実に実行しただけだ」
「……無理に罪悪感を背負う必要はないぞ」
自分の顔に瓜二つな、けれどもどこか厭世的で他人事のような顔色のルシフェルは、さらりとそう言った。
「人間は弱い。罪悪感を背負うだけですぐに心が押し潰される。だから都合の悪い事は俺たち機械に押し付けて、少しでも楽になれ。俺はそのためにドクター・シャーロットが生み出した―――」
「―――見くびるなよ」
何を言ってるんだか、と自分でも呆れた。
こんな、鼻の詰まった状態の震える声で凄んでも威厳も何もないだろうに……泣きながらカッコつけて何になるのか、と。
「俺は……俺は、機械に責任を転嫁するほど落ちぶれちゃあいない」
「……理解できない」
なんでそう強がるんだ、とルシフェルは続けた。
きっと彼には理解できていないのだろう。
アンドレイ達を殺したのはあくまでもルシフェルであり、俺が手を下したわけではない。だから友の死を受け入れてさえいればよく、友を殺した罪までを背負う必要はない筈だ。
なのに人間はどうして、わざわざ背負う必要のない罪まで背負おうとしていいるのか。
俺と違って感情の揺らぎが殆どないあの銀色の瞳には、そんな内心がくっきりと映っているように思える。
「アンドレイを、皆を殺したのは……このミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフだ」
生涯、この罪を降ろす事は無いだろう。
俺は、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは、この罪を背負って地獄へ行くのだ。そして責め苦を受けながら、先に逝ったアンドレイ達からの責めを甘んじて受け入れるのだ。彼らの命を刈り取ったのは他でもない、この俺なのだから。
「俺たちは2人でミカエルだ。そうだな?」
「……ああ」
「だったらお前の罪もまた、俺のものだ。俺はこの罪を背負って地獄に行く」
「……非合理的だ。自分の心に傷がつくのを承知で……なぜ」
「それが人間だからだ」
合理性、という概念だけで人間の行動原理は括れない。
結局のところ、人間とは感情で動いてしまう生き物なのだ。
可哀想だから、苦しそうだから、楽しそうだから、怒ってそうだから、辛そうだから……相手の感情と自分の感情、どちらを優先するかには個人差があるだろうが、いずれにせよ沸き立つ感情は時折理性よりも優先されてしまう。
それこそが、人間を合理性という尺度で測れない最大の要因だ。
そしてきっと、その感情の源こそが、古今東西の哲学者が言う”心”なのだろう。
「とにかく、ありがとうルシフェル。留守の間、よくやってくれた」
彼の瞳が、その労いの言葉で揺れたように思えた。
「……命令、だからな」
ルシフェルは凄まじい勢いでアップデートを繰り返しており、様々な要素を学習している。当初はクラリスに一発で影武者だとバレてしまうレベルだったそうだが、今となっては彼女でさえもどっちが本物でどっちが偽物か簡単には判別できないほどになっているのだとか。
その調子でいけば、その内ルシフェルも学ぶだろう。
人間の”心”というものを。
合理性という尺度では測れない、不定形の要素を。
「で、この遺灰はどうする」
「戦争が終わるまではこのままだ……終戦後、出来るならば彼らの故郷を調べて遺族の元へ送り返す。こいつらだって、埋葬されるなら異国の地よりも自分の故郷が良いだろうしな……」
でも、帝国の主権を握るであろう共産党が果たしてそれを許してくれるかどうか。それに左右されるであろう。
共産党の掲げる理想は”平等”だ。生まれつきの適正で優劣が決まってしまう魔術師など、彼らの抱く政治的理想とは決して相容れない存在であり、まさしく彼ら共産主義者が唾棄する”ブルジョワ”でしかないのだろう。
そんな彼らの遺灰を故郷たるノヴォシアへ埋葬させてほしい、という申し出に対し、レーニンは首を縦に振るかどうか。
いや、振らせよう。
飴だろうと鞭だろうと、使える手は全て使って要求を呑ませてやるのだ。
それが友人たちへの、せめてもの手向けになるだろうから。
憎んでくれていい。
恨んでくれていい。
みんなの怨嗟も絶望も、このミカエルが全て飲み下そう。
俺はお前たちの器だ。
全てはこのミカエルを責めればいい。
当たり前だが、はるばるハンガリアからやってきてイライナのジャム入り紅茶を啜るだけが私の仕事ではない。
イライナとの同盟関係の締結と水面下でのハンガリアとの密約。独立戦争後の両国の橋渡しとなるのが私の役割だし、水面下での支援の仲介や、冒険者という名目でイライナ入りした義勇兵たちの指揮も任務の範疇である。
つい数日前、ベラシア側からイライナ首都キリウを直接襲撃しようとした奇襲部隊を配下の義勇兵たちを指揮して撃退したのは記憶に新しい。イライナを手中に収めたいのは分かるが、それにしたって油断も隙も無い連中である。
義勇兵部隊の隊長から渡された報告書に目を通しつつ、引き続きベラシア方面に目を光らせるよう命令書を作成。義勇兵部隊の伝令にそれを預けるなり、私は報告書へとペンを走らせた。
任務の中には、この”イライナ独立戦争”がどのように推移したか、その戦訓から得られるものは何か―――それらを祖国ハンガリアに報告するという、観戦武官としての任務も含まれている。
とはいえ、どう報告したものか。
前世の世界、それこそ第一次世界大戦初期レベルの軍隊を、よもやアサルトライフルで武装した先進的な歩兵が、航空機に砲兵隊の支援を受けつつ歩兵戦闘車と主力戦車と共同で効果的に火力を投射、徹底的な撃滅戦を展開したなどと言ったところでハンガリアの上層部は理解を示す事は無いだろう。
なんとかこう、上手く噛み砕いて報告するしかない。もう少し語彙力を何とかしたいな、と思いつつ、城のメイドが持ってきてくれたパンを手に取って齧った。
ミカと初めて出会った時を思い出す。あの時も、こうして生地にハチミツを練り込んだパンを齧り、これでもかというほど甘くしたカフェオレを飲んでいたものだ。
「……」
現代兵器で武装した軍隊を抜きにしても、だ。
イライナの―――特にリュハンシク守備隊の軍事力は、異常だ。
人的損失を抑えるためであろう、前線で戦う兵士はあろう事かロボットの兵士というSF映画のような代物である。テンプル騎士団、とかいう組織の技術を接収し運用しているそうだが……。
そして何より、あの巨大な要塞砲だ。
窓の遥か向こう、朝靄の中にうっすらと佇む巨影を睨みながら、報告書に事実を書き記していく。
見た目的には多薬室砲の類なのだろう。砲撃の効果が如何ほどであったかは不明だが、少なくともアレでノヴォシアに対する越境攻撃を行った事は疑いようもない。あんな巨大兵器を極秘裏に建造し運用してしまう技術力は、脅威として見るまでにはいかないが警戒はするべきだと思う。
イライナの軍事力は、想像以上のものだった。
転生者が絡んでいるとはいえ、しかしその中身は私の予想すらも上回っていたのだ。
そして、個人的に気になる点がもう1つ。
「……」
この前の攻勢を退けた際、決定打となったのはミカが敵の侵攻部隊の後方へと回り込んで中央を突破した事だ。それで敵は瓦解し、ミカの警告もあって敵を国境の向こう側へと放逐する事に成功した。
それはいい。
が、しかし。
おかしいとは思わないだろうか?
城で防衛戦闘を指揮していた筈のミカは、いったいいつの間に敵の後方へ回り込んだというのか?
私にも情報を伏せていた、というならばわかる。しかしこう見えても諜報関係の任務もこなすから、イライナ入りした後に張っておいた網に少なからずそういうアクションの予兆は引っかかってしかるべきだ。
しかし何もなかった―――よほど防諜を徹底していた、というならばその通りなのだろう。イライナの情報統制能力が、私の想像以上だっただけの事だ。
が、私にはどうしても……敵の後方に、ミカエルがもう1人湧いて出たようにしか思えないのだ。
そうでなければ、あの後方からの奇襲は説明がつかない。
「……まさかな」
ミカエルが2人居るとでもいうのか。
影武者か、それとも余程情報を伏せたうえでの奇襲だったのか。
真相は定かではないし、報告書に記載する内容でもないが……頭の片隅には留めておこうとは思った。
イライナ高速鉄道『ソーキル』
キリウからリュハンシクまでを結ぶ『東部高速鉄道』で運用されている列車。使用している車体は日本の東北新幹線でも使用されているE5系新幹線。12両編成での運転となっており、そのうち2両はイライナ独自開発となる2階建ての貴族用一等車。最高速度300㎞/h。
イライナの国旗を象り、下が蒼、上が黄色で塗装されている。
なお、ソーキルとはイライナ語(ウクライナ語)で『ハヤブサ』を意味する。
基本的に東部高速鉄道はリュハンシクからキリウを結ぶ路線だが、中には先頭車両以外を二階建てとし、速度を275㎞/hに制限した上で西部高速鉄道の区間まで乗り入れ、ヴィリウまでを結ぶ長距離タイプも運用されている。




