城主、帰還
ナース服ミカエル君「ぴえ」
ルシフェル「ギャハハハハハハハハハハwwwwwww」
ナース服ルシフェル君「ぴえ」
そこは、足を踏み入れる事すら許されない。
一歩そこを踏み締めれば、立ち塞がるのは鋼鉄の機甲師団たち。
何人たりとも越えられぬ平原―――侵略者たちは、その領域をこう呼んだ。
―――『串刺し公の庭』と。
《Командир взводу з другого відділення. Переміг ворожу бойову ляльку(第二班より小隊長、敵戦闘人形の撃破を確認)》
「Це командир взводу, зрозуміло. Перша і друга команди повинні зробити великий крок вперед(こちら小隊長、了解した。第一、第二班、躍進せよ)」
小隊長の命令を受けるや、ハルダウンしていた第一班と第二班の戦車―――T-84-120”ヤタハーン”が排気口から排気を吹き上げ、ディーゼルエンジンの唸り声を高らかに響かせて、他の戦車小隊の支援を受けながら前線を押し上げ始めた。
T-84-120”ヤタハーン”は、ウクライナで製造された主力戦車『T-84”オプロート”』を改造、主砲を西側規格の120mm滑腔砲に改め、砲塔後部に大きく突き出た弾薬庫を設けた戦車である。
元々はトルコ向けに生産されたが採用される事の無かった悲運の戦車であるが、この世界におけるイライナのリュハンシク守備隊では正式採用されており、今まさに侵略者を粉砕しているところだった。
120mm滑腔砲が吼え、着弾した多目的対戦車榴弾が炸裂する。砲弾内に封入されていたベアリングやピアノ線といった雑物が爆発と同時に飛散して、匍匐前進しながら果敢に小銃で応戦していたノヴォシア兵たちをバラバラにしてしまう。
砲塔内では砲手の隣を、砲塔後部の弾薬庫から引っ張り出された砲弾が自動装填装置により薬室内へ装填。閉鎖機の閉鎖を確認するなり、戦車に搭乗する戦闘人形の砲手は発射ペダルを踏んで砲弾を放った。
元々、原型となったT-84ではソ連の伝統的な自動装填装置とレイアウトを採用していた。砲塔の床にびっしりと、円形に砲弾と装薬を敷き詰める事により弾薬庫を省略、戦車戦闘におけるアドバンテージである”車高の低さ”を実現していたのである。
だが、被弾時に誘爆の危険性のある砲弾と乗員の搭乗区画が隔離されていない事からも分かるように、被弾すれば戦車兵たちの命は無いに等しかった。足元に並べられた砲弾が誘爆すれば乗員たちも戦車と運命を共にせざるを得ず、実際の戦闘で撃破された多くのソ連製戦車は砲塔が吹き飛んだ無残な姿で戦場に転がる事となった(米軍からは”びっくり箱”という不名誉な仇名まで頂戴している)。
言うまでもなく、戦車の喪失よりも乗員の喪失の方が軍としては大きな損害と言える。今日では”軍隊における最も高価な部品は人間である”とまで言われており、その兵士を育てるまでにかけた費用や手間が一瞬で消えてしまう事、そして先進国で何よりも尊重されている基本的人権が、戦死者を出す事自体に大きな忌避感を感じさせている事もその要因と言えるだろう。
そういう意味では、西側で採用されているレイアウトは”兵士に優しい”兵器であると言えるし、それを取り入れたヤタハーンも同じく兵士に優しい兵器となったと言える。
とはいえ、リュハンシク守備隊の戦力は殆どが戦闘人形だ。
人間に瓜二つの姿で、人間と同じ言葉を話すが、しかし死の恐怖を持たないロボットの兵士たち。彼らはいくら撃破されようが工場が稼働中であればいくらでも補充できるし、記憶や練度といった要素についても随時データベースに最新情報をリアルタイムでアップロードしているから、後発の個体はそれをインストールするだけで中身の引継ぎが可能となるのだ。
人間と違って、どれだけ喪失しようとも簡単に補充でき、それでいて人間の歩兵と変わらぬポテンシャルを発揮できるロボットの兵士たち。
それに対し、ノヴォシアの兵士たちは悲惨だった。
遥か未来の超技術を身に着けたリュハンシク守備隊の兵士をやっとの事で倒しても、リュハンシク城の地下では兵士の増産が今もなお継続されており、喪失分はすぐに補充されてしまう―――それ以前に敵を倒しても損害と言えるほどの損失を与える事すら出来ず、その1人を倒すまでに平均して一個小隊規模の戦力が犠牲になるのだ。
あまりにも割に合わない。
榴弾に下半身を引き裂かれ、上半身だけになりながらも何とか這って逃げようとしていたノヴォシア兵を履帯で轢き潰し、背を向けて走り出す歩兵の一団に同軸機銃を射かけるヤタハーンたち。
彼らには、領主ミカエルのように相手に慈悲をかけるような心は無い。
与えられた任務は【イライナ領に攻め込んだ敵軍の殲滅】である。命令がアップデートされない限りはイライナ領内にいるノヴォシア兵は敵であり、殲滅対象でしかないのだ。
足を撃たれて動けなくなり、ノヴォシア語で必死に命乞いをする兵士も次の瞬間には12.7mm弾の直撃を受け、下あごから上を砕かれて物言わぬ肉塊と化した。
《Війська противника втрачають 60% своєї сили(敵部隊、戦力の60%を喪失)》
《Напад визнано ефективним. Всі підрозділи, продовжуйте атаку(攻撃は有効と判断。全部隊、そのまま躍進し攻撃せよ)》
ドン、と大地が爆ぜる。
リュハンシク城の周辺に展開し砲撃体勢に入っていた、”2S7Mマルカ”自走カノン砲による効力射だ。
戦闘人形たちは中枢AIを介しつつ、全ての個体と個体間ネットワークで随時情報を共有している。つまりそれは、いちいち観測用のドローンを用いなくとも、または観測員が無線で砲兵隊に観測結果を報告しなくとも、容易に座標や着弾観測結果が共有される、という事を意味する。
傍受もジャミングも出来ない、シャーロット博士が造り上げた最先端の個体間ネットワーク。それを用いた高度な連携は、何人たりとも崩せない。
《Увага. Контратака бойових ляльок спереду(警告。前方より敵戦闘人形による逆撃)》
進撃する戦車たちの目の前に立ちはだかるのは、頭部の機銃と両腕の大型ブレードで武装したカマキリ型の戦闘人形の群れだった。
総数37機―――今ある戦力を全て投入してきたのだろうか。
逃げる兵士たちと入れ替わるように、戦車の隊列の前に立ちはだからんとするカマキリたち。
ブレードを掲げて威嚇するような仕草を見せたカマキリたちだが、しかし悲しい事にその威力を発揮する間もなく、上空から落下してきたレーザー誘導爆弾によって大地諸共耕される事となる。
バラバラになったカマキリたち―――その遥か頭上を悠々と飛翔するのは、主翼下のパイロンにレーザー誘導爆弾を親の仇の如く搭載した2機のSu-34たちだ。
機体を黒く、そして電子回路のような紅いアクセントで彩られたそれらは、リュハンシク守備隊で採用されている戦闘爆撃機たちだった。
まともな対空兵器を持たないノヴォシア兵たちに、遥か頭上の死神たちを迎え撃つ術はない。
何機かのカマキリたちがSu-34たちに機銃を射かけ無駄な努力を費やすが、次の瞬間には追加で投下されたレーザー誘導爆弾と、ヤタハーンの車列による一斉砲撃で薙ぎ倒され、焼けた鉄の骸を大地に晒す事になるのだった。
果たして、これが戦の姿だろうか?
これで何度目になるかもしれぬ一方的な戦いを―――いや、”戦い”とも呼べぬ虐殺を見て、範三はただただ困惑していた。
戦とはもっとこう、相手に敬意を払いながらも己の全力をぶつけて打ち勝ち、その先にある誉れを手にするものではなかったか。
それが、今ここで繰り広げられている戦いはどうか。何とも機械的に、淡々と死者の数を積み上げていくだけではないか。武人の誉れなどどこを見渡しても存在する余地のない地獄―――範三には、このリュハンシクの戦場がそう思えてならない。
MINIMIで敵兵たちに制圧射撃をかけると、彼の意を汲んだように周囲の戦闘人形の兵士たちが呼応して動き出す。分隊支援火器の制圧射撃で頭の上げられない敵兵たちに、ここぞとばかりに距離を詰めていくのだ。
やがて、敵が隠れたクレーターの方から銃声と悲鳴が聞こえ、耳に装着したヘッドセットに『クリア』と感情の起伏も無い機械的な報告だけが上がってくる。
「……」
「どうかなさいましたか、市村様?」
傍らに控えている戦闘人形の兵士に尋ねられ、範三は「……なんでもない」と短く返答した。
こんなものは、範三の知る戦ではない。
だが、やむを得ない事だ。
ミカエルは元々、戦いを好まない。
範三や、同じ倭国出身者である力也のように戦いを楽しんだり、強敵との死闘に生きる意味を見出すタイプの人間ではないのだ。あくまでも可能ならば対話で戦闘を回避するための手段を模索し、それが不可能であると見るなり止むを得ず武力を行使する―――彼女にとっての戦いとは、対話の努力を尽くした末の最終手段でしかないのである。
当然、戦闘となれば味方にも損害が生じる。
城を護る兵士を皆戦闘人形とし、人的被害が生じないようにしたのもミカエルの指示によるものだ。曰く『国とは民が居てこそ成り立つ。故に我らは民の暮らしを保証しなければならない』。
範三には理解できない事だったが、今ではリーファの説得もあって『異文化ゆえの価値観の違い』という事で自分の中では折り合いをつけている。
同時に、恐ろしくもあった。
(まるで役所仕事ではないか)
敵を殺した、敵の部隊を殲滅した、敵を国境まで押し返した―――倭国であれば、そんな報告が上がる度に歓喜の声で溢れるものだ。しかしリュハンシク守備隊の兵士たちは感情の起伏もなく、前線で戦った兵士に対する労いの言葉もなく、ただただ淡々と事実を述べ、役所仕事のようにタスクを消化していくばかりである。
それが、範三には不気味に思えてならなかった。
これが遥か未来の戦争の形なのか、と。
ヒトの介入は殆どなく、感情の無い機械に全てを委ねたこれが戦争と呼べるのか、と。
MINIMIを傍らの兵士に預け、背負っていた20式小銃を手に警戒を続ける範三。
ぴくり、と彼のケモミミが動いたのと、傍らに控える味方の兵士が警告を発したのは同時だった。
「―――敵の砲撃です」
「む、心得た」
塹壕の中に身を屈めると、遠雷のような爆音と共に空気がびりびりと震えた。
国境の向こう側、マズコフ・ラ・ドヌーからの砲撃なのだろう。手持ちの火砲の中から射程距離の長いものを選び、それをかき集めて必死の反撃と洒落込んだつもりなのかもしれないが、しかし仰角を限界まで上げての砲撃は少しばかり射程が足りなかったらしい。
範三たちの潜む塹壕の手前に砲弾は落下し、無意味に大地を耕すばかりだった。
そして砲撃の後は歩兵の突撃と相場が決まっている。砲撃が終わり、爆音の余韻が地平線の最中へと去っていく中、範三は身を乗り出して20式小銃を構え敵兵たちの突撃に備える。
今のところ、ノヴォシアの兵士は雑兵ばかりだ。
少しは骨のある奴はいないのか―――そう思った彼の視界に、しかし唐突に雨雲が映り込み、範三は思わずスコープから目を離してしまう。
「……雨?」
はて、今日の予報は雨だったか。
天気予報が外れたか、と口元に笑みを浮かべた範三は、確かにその”音”を聴いた。
天の怒りが大地を裂くような轟音。
雨雲の中で閃いた、一筋の雷光。
倭国の伝承に残る”雷獣”の降臨を思わせるようなその風景に、しかし範三はぞくりとする。
「―――領主様です」
戦闘人形の報告を聞くまでもない。
あの黄金の雷光を見れば、誰の仕業か分かるというものだ。
いつの間にか、総大将が敵の後ろに回り込んでいたらしい。
「お主も狡猾極まりない……なあ、ミカエル殿?」
マズコフ・ラ・ドヌー市街地で燃料の切れた車を乗り捨てて、あとは歩いた。
イライナの槍による越境攻撃で完全消滅したマズコフ・ラ・ドヌー駐屯地のクレーターを迂回して、死体の散らばる平原をてくてくと歩いて、気がつけばAK-19を担いだ俺の目の前には、これからまさにイライナ領へ攻め込まんとするノヴォシア歩兵部隊のお尻があった。
兵士たちが俺に気付いた。
何だ貴様は、とか、なぜこんなところに、という聞き飽きるような言葉の濁流。
「Вы Михаил Стефанович Ригалов...?(貴様、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフか……?)」
「да(うん、そうだよ)」
兵士たちの銃口が、一斉にこちらに向けられる。
「Какой идиот. Чтобы бросить мне вызов в одиночку, да еще и спереди(馬鹿な奴だ。たった一人で、それも正面から挑んでくるなんて)」
たった1人―――それもそうだ。
少し1人になった事で、頭がだいぶ冷えた。
覚悟も決まった―――とはいっても、現実を直視すれば耐えきれないと思うけれど。
いずれにせよ、ここは俺たちの国だ。
ここは俺たちの国で、向こうに見える城は俺たちの城だ。
だから―――だからこそ。
「―――自分の城に入るのに、裏口から入らなければならない理由があるのかな?」
倭国によるガグラツカ半島侵攻(1894年5月13日~5月20日)
極東における対ノヴォシア戦の勝利が決定的となり、更にノヴォシア国内での共産党の蜂起、そして皇帝カリーナの死という情報を入手した倭国は、樺太から更に北進しガグラツカ半島までもをその版図に収める事とした。ガグラツカを失えばノヴォシアは極東における不凍港を失う事となり海軍戦力を大きく削ぐ事も期待できた事から、水面下ではイライナも協力していたとされる。
帝国内での共産党の蜂起や極東での惨敗、イライナでの一方的蹂躙などの要因が重なり、ガグラツカ半島方面の兵力はごっそりと引き抜かれていたため守りは手薄であり、2日ほど小規模な守備隊との小競り合いが発生した以外にはこれといった大規模戦闘もなく、殆ど無血での占領に成功したとされる。
戦後、ノヴォシアの実権を握った共産党は『混乱に乗じた領土の簒奪に違いなく、火事場泥棒の所業』と非難しているが、倭国幕府はどこ吹く風である。その後も何度か国境付近での戦闘が繰り広げられたが、ノヴォシア国内での大粛清やイライナからの妨害工作、そして倭国とノヴォシアの単純な練度の差もあって、2025年現在『神楽半島』と名付けられた旧ガグラツカ半島がノヴォシアに変換される見通しは立っていない。




