皇帝に死を
ミカエル「すいません、そちらの旦那さんイーランドから回航してきた戦艦で敵艦隊に突っ込んでその足で奉天→旅順って連戦してきたってマジなんです?」
白目エミリア「そうだよ」
ミカエル「えぇ……?」
範三「……速河殿ならやる、間違いない」
『憎悪も怨嗟も、全てはこの俺だけを責めればいい』
『向けられる敵意の全てを飲み下そう。俺はお前たちの”器”だ』
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの独白より
1894年 5月8日 6:00
ノヴォシア帝国 帝都モスコヴァ上空
《5、4、3、2、1―――だんちゃーく、今》
解放された機体後部のハッチの遥か向こうで、純白の閃光が弾ける。
一瞬、日の出かなと思ったがその時間はとうに過ぎている。既に太陽は世界を照らすべく地平線の彼方に顔を出していて、その白い閃光も含めればまるで太陽が2つ出現したかのよう。
微かに大気の流れに変化が生じたのを、俺は鋭敏に感じ取っていた。
あの地上に出現した白い閃光だ。緩やかに渦巻き、暴れるだけ暴れて肥大化したそれが縮小に転じながら、周囲の大気を吸い込んでいるように思える。
やがて痕跡一つ残さずに消え去った白い閃光。その跡地に残されたのは、擂り鉢状に深々と、これ見よがしに抉られたノヴォシア帝都モスコヴァ市街地の一角。
あの光が誕生する前までは、栄えあるノヴォシア帝国の最高司令部があった場所だ。
白いレンガの建物が多いモスコヴァにおいて一際目立つ赤レンガの建物。帝政初期からそこに在り、帝国の軍事力の中枢にしてノヴォシア帝国軍という暴力装置の制御装置として機能していた軍事施設が、まるで最初から存在しなかったかのようにごっそりと消滅したのだ。
《―――ノヴォシア帝国軍最高司令部の消滅を確認。”イライナの槍”による越境攻撃です》
人間を支配するのに最も手っ取り早いのは、恐怖で抑え込む事である。
ミカエル君としては全力で否定したいものだが、しかし残念なことに事実だ。逆らえば待っている恐ろしい末路をちらつかせ、圧倒的な力で抑え込み屈服を強いる―――それが人間を、そして大衆を支配する最も手っ取り早い方法である、と。
ルシフェルの奴、やりやがったというわけだ。
敵軍の最高司令部を消滅に追いやり指揮能力を麻痺させつつ、イライナ本土から越境攻撃が可能という現実とその威力を見せつけ、敵に恐怖を植え付ける。それによりこれ以上の過激な軍事行動を抑止させる―――越境攻撃の狙いはそれであろう。
最初はマズコフ・ラ・ドヌー駐屯地を、そして次は鉄道網を。そして第3の槍として最高司令部を完全消滅せしめた”イライナの槍”。
これ以上を望むというのであれば、その矛先は皇帝へと向けられるだろうが……それは無いだろう。
あの皇帝陛下の息の根は、この俺が止めるからだ。
《降下予定ポイントまであと1分》
《ミカ、パラシュートの最終チェック》
「……了解」
もう既にやったから大丈夫、とは言わない。
もしかしたら見落としがあるかもしれない―――点検したつもりでした、不備があるとは思いませんでした、というのは残念ながらチェック不足の言い訳でしかないのだ。
指示通りにパラシュートの各所を点検。落下傘の位置、ハーネスは絡まったり捻じれたりしていないか、金具に不備はないか、予備のパラシュートはちゃんと装着しているか。
訓練で散々繰り返したチェックリスト通りの点検を一通り終え、今度こそ万全である事を確認してから、ジャンプマスターを務めるシャーロットにハンドサインで返答する。
《コンテナ投下、投下》
装備の収まったコンテナの落下傘が開いた。
パレットの上に乗せられた武装入りのコンテナが、猛烈な空気抵抗を受けてたちまち機外へと吸い出されていく。パラシュートで降下したらまず最初に、あのコンテナの中に収まっている武装やら装備やらを回収しなければならない。願わくば変なところに投下されていない事を祈りたいものだが……。
《降下10秒前》
《ミカ、降下終了から1時間は帝都上空を旋回する。空爆、物資投下等のリクエストはその間に頼む》
「了解した」
《5、4、3、2、1……降下、降下、降下》
《行ってこい。行って国をぶっ壊してこい。健闘を祈る》
格納庫で見送ってくれたシャーロットにウインクしてから、An-225の後部ハッチ(※リュハンシク守備隊におけるAn-225には原型機にはない後部ハッチが追加されている)から身を躍らせた。
ジェットコースターが苦手だとか、空挺降下はその極致だとか、旅順での空挺降下ではそんなみっともない事を思ったものだが、今はそんな事はどうでもいい。
パヴェルの気持ちが―――昔の彼が、復讐を渇望した気持ちが、少しだけ分かった気がする。
きっとそうなのだろう。この胸を焼き尽くすような苦痛を在りし日の彼は常に抱き続けていたのだろう。妹と娘の仇の顔を思い浮かべるだけで、怒りのあまり狂いそうになっていたのだろう。
落下傘を開いた。曇り空に色を合わせた灰色の落下傘が、空気抵抗を受けて落下するミカエル君のミニマムボディにブレーキをかける。
空戦、という概念がない軍隊というのは実に付け入りやすくていい。
無論、飛竜という存在はあるのでそれなりに対空戦闘のドクトリンは存在するのだろう。けれどもそれは古くは手回し式のガトリング砲で、そして現在では水冷式の機関銃で相互に連携しつつ弾幕を張り撃墜する、というものだ。レーダーによる索敵やより長射程の高射砲、あるいはミサイルに対空機関砲といった重厚な対空防御網は影も形もない。
無理もない話である―――この世界ではまだ、飛行機が実用化されたばかりなのだ(アメリア合衆国のライト兄弟が飛行機を完成させ初飛行を行ったのは昨年、1893年の事である)。
だからこの世界の人類にとって空とは未だ飛竜の領域であり、その飛竜の数もそれほど多くは無いために空の守りは軽視されがちで、よもやそこから1人の敵兵が空挺降下で帝都に単独強襲をかけてくるなどとは夢にも思うまい。
さしたる迎撃を受ける事もなく、ミカエル君の小さな足を覆うブーツが帝都モスコヴァの石畳を踏み締めタッチダウンをキメたのはそれからすぐの事だった。帝都モスコヴァの高級住宅街の一角にある”戦勝記念公園”のモニュメント付近に降り立つなり、身を隠してスマホを取り出し画面をタップ。装備入りのコンテナに搭載された発信機の反応を頼りにその辺を探してみる。
あった―――モスグリーン、オリーブドラブ、ブラウンのデジタル迷彩で塗装されたコンテナ。
スマホの画面をタップし暗証番号を入力するや、12.7mm徹甲弾をも完全防護するハッチが解放され、中に収まっていた装備品の数々がさらけ出される。
M-LOKハンドガード装備のAK-19、マガジンは西側規格に適応させるためアダプター装備。光学照準器はリューポルド社製のLCOとD-EVO、ハンドガードにはCクランプ・グリップを多用する射撃スタイルに合わせハンドストップを装備している。
サイドアームはAKをベースに9×19mmパラベラム弾仕様としたピストル『PAK-9』。マガジンエクステンションの搭載で弾数を43発入りまで拡張したグロック用マガジンを搭載、それから伸縮式のストックと小型のバーティカル・フォアグリップも搭載し、ピストルというよりはピストルカービン的な運用を前提としてセットアップしている。こちらの光学照準器はロシア製ドットサイトのPK-120、ホルスターは大型の特注品だ。
それからもう一つ。
布製のバッグの中で2つに分割された”切り札”こと『RPG-29』も一緒だ。サーモバリック弾頭は5発、セットで用意されてある。
あとは対人用の『RGD-5』手榴弾を5個、対戦車用の『RKG-3EM』を2個、ポーチの中に押し込む。
最後に魔術用の触媒である剣槍を背負い、装備品に忘れ物が無いかチェックしてから、コンテナの制御パネルを操作。コンテナ内に仕込まれているメタルイーターを活性化させ、空になったコンテナを錆び付いた金属粉へと変えていく。
全ての処分が済んだところで、ヘッドセットからシャーロットの声が聴こえてきた。
《やあやあマイハニー、首尾よく降下できたようで感心、感心♪》
「何か情報はあるか?」
《君のターゲット、どうやら宮殿から脱出したようだ》
「……予想された展開だが、やけに情報が早いな?」
《まあ、幸か不幸か皇帝の側近にはテンプル騎士団が機械人間にすり替えた人間が多くてねェ。組織のコントロールを離れた個体をハッキングして情報を吸い出してる》
「Oh……」
テンプル騎士団の置き土産がこんなところで役に立つとは。
壁に耳あり障子に目あり、側近にシャーロットありってところか。怖すぎて草。
《連中、ターゲットを連れて国外への亡命を試みているようだ。帝室専用列車でベラシアを経由、そのまま”レトアリア”、”ランビア”を経由してアルト海を渡り”セレーデン”へと逃れる計画らしい》
「それはそれは、随分と忙しい逃避行のようで」
《ひとまず駅に向かうと良い。こちらからの空撮映像では既に17番線に専用列車が入線、皇帝カリーナの到着を待っている》
「分かった、礼を言う」
《それとキミがここに居る事を赤軍は知らない。注意したまえ》
「了解。ミカエル、アウト」
そういや居たな、赤軍の連中。すっかり忘れてたなんて口が裂けても言えないが……まあ、にわか仕込みの訓練と雑多な装備、そして何より実力よりも党への忠誠心を優先して選ぶような軍隊とも呼べぬ何かに、このミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフが後れを取るとは思えんがね。
とはいえ油断大敵、気を引き締めていこう。
この一度が最初で最後のチャンスだ。
石畳を踏み締め、とにかく今出せる全力で突っ走る。重装備と旅順要塞でのあの大太刀ブンブン馬鹿との戦いで蓄積した疲労がここに来てミカエル君の身体を苛むが、しかしだからと言って悠長に歩いているわけにもいかない。
大丈夫だ、思い出せ。AKとカールグスタフを抱えながら延々とランニングさせられてルカの奴と一緒にひいひい言わされた地獄のような訓練の日々を。パヴェルの悪魔のような訓練を耐え抜いた俺がこの程度で音を上げていては、彼の名に泥を塗る事にもなろう。
全力ダッシュしつつ壁をよじ登り、得意のパルクールで窓枠を足場に屋根の上へ。電線の上を絶妙なバランス感覚で渡って大通りを横断、反対側の建物の上に辿り着くなり再び全力疾走する。
迫る煙突を紙一重で躱しながら、ちらりと視線を下へ向けた。
大通りでは、帝政側の白軍と革命側の赤軍が激しい戦闘を繰り広げている。とはいえ列強国の名に恥じぬ最新鋭の装備と組織的な統率力、そして何より職業軍人たちの練度で圧倒する白軍に対し、赤軍派と言えば雑多な装備と粗末な練度を党への忠誠心でカバーしている有様だ。
案の定、無茶な銃剣突撃を繰り返しては道端に設置された水冷式機関銃に薙ぎ払われるか、カマキリ型戦闘人形に大型のブレードで斬り殺されるか……いずれにせよ、まともな死に方が出来ていない。
俺には理解できない事だ―――国にとっての宝は人であって、無駄に使い潰して良い命などあっていい筈がない。あのような消耗前提の作戦などクソの中のクソであって、唾棄されて然るべきである。
モスコヴァ駅の威容がどんどん近付いてきたところで、俺はふと脳裏に過った冷たい感覚に自分の運命を委ねた。食物連鎖において、割と下位の方に位置するハクビシン獣人としての危機察知能力。捕食者に狙われているという身に迫る危機をはっきりと感じるや、身をよじりつつ飛び退いて煙突の影に身を隠す。
ドガガガガ、と建物の屋根が弾け、レンガ造りの煙突に弾痕を幾重にも刻んだのはその直後だった。
機関銃―――連射速度と射撃継続時間から判断するに水冷式だ。せいぜい弾数30発程度の軽機関銃には真似できない芸当である。
顔を出そうにもその瞬間に撃ち抜かれては笑い話にすらならないので、とりあえず錬金術を発動し足元のレンガを使って目の前に防壁を形成。遮蔽物の影を這って進み弾幕をやり過ごしつつ、機関銃の死角に入ったところで身を乗り出しAK-19を構えた。
いた。大通りの下、乗り捨てられたトラックの荷台に土嚢袋を積み上げ、簡易的な機銃陣地を構築している白軍兵士が3名。
まだ俺が居ると思っているのか、明後日の方向に弾丸を連射しては無意味な射撃を継続していたので、ひとまずAKを構えてセミオートに切り替え、LCOの後方にマウントされたD-EVOを覗き込み素早く射撃。ウシャンカをかぶった3人組のこめかみに、5.56mm弾のヘッドショットをプレゼントしていく。
苦痛を感じる間もなく逝くといい。
磁力防壁を発動したところで、数発のライフル弾が磁界の輪郭を滑るように弾道を歪ませ、後方へと飛んでいった。
パパン、パパン、と大通りから聴こえてくる散発的な銃声。
見下ろすまでもない。さっきの機関銃の射撃で俺の存在に気付いた兵士たちが、こっちに射撃を加えているのだ。
ならば、と屋根の上からジャンプしつつ、左手を建物のベランダに引っかけて急減速。そのまま身体を振り子のように振って勢いをつけて隣の建物のベランダまでジャンプ、着地したところでAK-19の引き金を引き搾る。
3人の兵士を立て続けに倒し、安全を確保してから大通りへ着地。死体の転がる大通りの左右へと視線を向けると、左側には赤軍の兵士が、そして右側には白軍の兵士が隊列を成し、銃口を一斉に俺へと向けているところだった。
「……ハッ」
可哀想な連中だ。
出て来なければ―――やられる事も無かっただろうに。
極東戦争(1893~1894年)
南下政策の一環としてジョンファ領土を侵犯したノヴォシア帝国と、それに応戦するジョンファ帝国との戦闘に端を発する極東地域での軍事衝突。以前より緊張の高まっていたコーリアと、ノヴォシアを大陸での脅威と見ていた倭国の参戦により極東3国とノヴォシア帝国との戦争となった。我々の世界における日露戦争に相当する戦いと見られている。
当初こそ軍備の近代化で後れを取っていたジョンファを相手に圧倒していたノヴォシア軍であったが、ジョンファの領土が広大で兵站に多大な負担がかかった事に加え、犠牲を厭わぬジョンファ側の人海戦術で侵攻部隊は疲弊。そこに追い打ちをかけるように参戦したコーリア及び倭国との戦闘で戦線は崩壊を始め、これを好機と見たイライナの独立宣言及び帝国領内での赤軍の武装蜂起が重なり、最終的にノヴォシア極東方面軍は瓦解。旅順要塞は崩壊し、極東戦争はジョンファ、コーリア、倭国の勝利で幕を閉じた。
歴史的に見ても極東諸国が列強国に勝利した世界初の事例であり、この勝利によりジョンファ、コーリア、倭国の3ヵ国は国際社会での存在感を増す中で相互の連携を強化。後にこの3ヵ国を中心とした巨大な経済圏構想『大東亜共栄圏』の構築へと繋がっていく事となる。
なお、事実上の最終決戦となった旅順要塞の戦いにおいて、イライナで指揮を執っている筈のミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵の姿が確認されたという未確認情報が飛び交っているが情報に乏しく、彼女を英雄視する一部の者による創作であるという見方が強い。




