ブリーフィング バザロフ家強盗計画
俺たちほどハイテクな強盗集団が他に居るだろうか?
立体映像に投影されるザリンツィク中央銀行の映像をぼんやりと眺めながら、ふと思った。最新設備の揃った列車にブリーフィングルーム、ドローンによる索敵に熟練の(自称)元特殊部隊指揮官によるバックアップ。こんなにも恵まれた環境に置かれた強盗なんてそういないだろう。というか、恵まれた環境にいるなら強盗なんて選択肢は選ばない筈だ。そう思うと自分たちの存在があまりにも矛盾していて、なかなか特異に見えてくる。
「さて、偵察の結果色々分かったので報告する。まず今回の標的、ヴラジーミル・エゴロヴィッチ・バザロフ。こいつは”ザリンツィク中央銀行”に資産の一部を預けている。どうやら聞くところによると、バザロフと中央銀行の総裁が随分と親密な関係らしくてな……まあ、お互いに仲良くやっているらしい」
よくある事だ。貴族と会社の最高経営責任者の癒着とか、珍しい事でもない。こういう両者の癒着を取り締まる法律も無いので上層部は汚職し放題、悪者にとってはまさに夢の楽園というわけだ。こういう対策の甘さも、ノヴォシア国内の腐敗の一因と断じても良いだろう。
まあいい、その辺は兄上に色々とやってもらおう。調べればヤバい事実が色々と明るみに出る筈だから。
「それでだ、一つ考えた……作戦の第一段階として、この銀行に預けてある資産を盗むってのはどうだ?」
「資産を盗む? そんなことしたら、ただでさえ厳重な屋敷の警備が更に強固になるわよ。あまり頭のいい作戦とは思えないわ」
それはそうだ。確かにバザロフのクソ野郎への制裁も必要だが、優先すべきは奴の資産よりも疫病を蔓延させたという確たる証拠を確保する事。そうする事で初めて、兄上たちが摘発のために動くことができる、という事だ。
モニカの言う通り、あまりいい作戦とは思えない。それではむしろ逆効果だ。資産が狙われたとなっては、屋敷の警備が―――下手をすれば街中の警備がより厳重になるかもしれない。
パヴェルに限って、無駄な作戦を立案する事などあり得ない。今までの彼の作戦には、少なからず意味があった。しかし今回ばかりは、その彼が考えている事が見えてこない。
するとパヴェルはニヤリと笑いながら、後ろにあった木箱を開けた。
中にはザリンツィク憲兵隊の制服―――オリーブドラブの暖かそうなコートが人数分、綺麗に折り畳んだ状態で入っていた。
「それは?」
「言っただろ、銀行を狙うのは第一段階だ、と。どんなボクサーだって、一発目から本気のストレートをぶっ放す奴はいない。まずはジャブからだ」
「……そうか」
頭の中で何かが繋がるような感覚がした。やっと、彼の考えが理解できたらしい。
「ミカ?」
「警備を厳重にするのはわざと、か」
「そういう事だ。ミカ」
予感は的中した―――こいつ、なんて作戦を考えやがる。
「ちょ、ちょっと、どういう事よ?」
「最初に銀行を襲い、金を奪う―――バザロフの資産だけを、だ。モニカ、もしお前が盗まれる側だったらどう思う?」
「え? それは……おかしいわよね、銀行なんて他にもお金が眠ってるのに、バザロフ家の資産だけを狙うって……」
「そう、これは奴にとっての”メッセージ”だ」
「メッセージ?」
「”次はごっそりもらう”……そういう事だ」
何と物騒な予告状だろう。
最初に銀行を襲い、バザロフ家の資産のみを狙う。その被害を知ればバザロフはこう考えるだろう。「これは宣戦布告、あるいは犯行予告である」と。
普通の銀行だったら、とにかく目につく金目のものは全部持っていくはずだ。誰の資産だとか、そんな事は関係ない。とにかく奪えるものならば何でも奪って去っていく。しかし今回は違う。バザロフ家の資産のみを盗んで立ち去る―――狙いはお前だけだ、というバザロフへのメッセージだ。
「そうなれば屋敷の警備もより厳重になるだろう。警備員に強力な装備を持たせ、憲兵にも協力を依頼して屋敷を警備させるはずだ。そこであそこにある、パヴェルが用意してくれたコスプレ衣装の出番ってわけさ」
「……え、まさか」
立体映像の向こうで、パヴェルは葉巻に火を付けながら獰猛な笑みを浮かべた。ライターの橙色の炎が、その顔をまるで地獄にいる悪魔のように浮かび上がらせる。
「―――そうだ。警備が増員されたら、俺たちはあれで変装して屋敷に入り込む。そして堂々とバザロフ家を物色して証拠品と、ついでに金目の物を盗んで逃げるって寸法だ。そうだろう、パヴェル?」
「その通り。どうだ、良い案だろ」
「変装……ですか」
腕を組みながら説明を聞いていたクラリスが初めて口を開いた。今までやってきた事と言えば、事前に色々と”仕込み”をした上でバレないようこっそりと盗むスタイルだったから、今回のこのようなやり方は新しい。
変装か……良い案だが、上手くいくだろうか?
「ところで、銀行の方はどうするんだよ?」
「そこはもう、正面突破で良い」
「しょっ……ウソでしょ、堂々と正面から行くの!?」
「ああ」
パヴェルのその発言にはびっくりしたが、後の事も考えればそれがベストかもしれない、と思った。そう、目立たなければ意味はない。とにかく騒ぎを起こし、バザロフに警備の強化を決断せざるを得ない状況まで追い込まなければこの作戦は成功しないのだ。
いつもみたいにこっそり金を盗んでいたら、銀行側がそれに気付くのがかなり遅くなってしまう。できるならば間髪入れずにいきたい、という事だろう。
「とはいえ何もせずに行くわけじゃない。仮にもザリンツィク最大手の銀行、セキュリティも万全だ。何かあれば憲兵隊の基地に出動要請が行くようになってる。これを遮断すれば少しは逃走するだけの時間を稼げる」
「なるほど」
「では、あとは逃走車両の調達ですわね」
また盗んでくるようだな……さすがに社用車は使えない。あんなこれ見よがしに血盟旅団のエンブレムが描かれた車両で強盗をやったらすぐに特定される。兄上たちが摘発する相手が、大貴族からこっちに切り替わるという笑えない状況になってしまう、それだけは防ぎたい。
だからこういう時の逃走車両は盗んだ車両に限る。足がつかないからな。
「ああ、それなんだが」
どうやって車両を調達するか、という話し合いに移行しようとしていたところで、パヴェルがその流れを断ち切った。何よ、と腕を腰に当てて不機嫌そうな顔をするモニカに、パヴェルはポケットの中から小型のクロスボウとリールを組み合わせたような外見の機械を取り出す。
あれは確か、以前に彼が実験していたやつだ。工房を横切ろうとしたミカエル君の頭に、危うくヘッドショットをかましそうになったアレである。
「こいつがあれば、逃走車両なんぞ要らん」
「何よそれ」
よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに胸を張り、パヴェルはそれをテーブルの上に置く。
「名付けて”アンカーシューター”。ワイヤーで繋いだ小型アンカーを壁に撃ち込んで、建物の壁面へと素早く移動する事ができる便利な道具さ」
「それこの前造ってたやつ?」
「そ。ミカに危うくヘッドショットかましそうになったやつ」
やっぱりアレか……あれホントあと数センチずれてたらこめかみにアンカーが盛大にぶっ刺さってたところだ。危なかったが、確かに壁面に突き刺さった後固定する事も考えるとあれだけの威力は欲しいところだ。
「壁面に移動するって……つまりそれを撃ち込んで空中を移動するって事ですの?」
「そういう事。ミカ、試してみるか?」
「へっ、俺?」
来いよ、とパヴェルが言うので、彼の後をついて車両の外へ。
相変わらず雪が降り注ぐザリンツィク。冬場は冬眠してるハクビシンにこの寒さは辛い。ハクビシンって寒いの苦手なので、出来るならコタツで丸くなりたいところだ。ジャコウネコだって丸くなっていいじゃないかにゃ。
彼から渡されたアンカーシューター一式(どうやら左右一対らしい)を受け取り、それをバンドを介して腕に装着。サイズは腕の太さと大体同じで、リールにはピアノ線みたいに細いワイヤーがみっちりと巻き付けられている。強度が心配になりそうだが、これ材質は何だろうか。
アンカーを射出するのは超小型のクロスボウ。コンパウンドボウのように滑車のようなパーツが取り付けられていて、小型ながら十分な威力を確保しているようだった。このサイズなら上着の袖の下に仕込んだりとかできるかもしれない。
これ、中二病の頃の俺だったらめっちゃ好きなデザインだったかもしれない。
「引き金は?」
「ない。身体の微弱な電気信号を拾って動作する。これが身体の一部だと思って発射命令を出してみろ」
「え、引き金ないのか」
「強いて言うなら使用者の頭が引き金だ」
無駄にやべえ技術使ってるなパヴェル……コイツマジで何者?
アンカーシューターをまじまじと見ていると、お先ッ、といつもの調子で言ったパヴェルが両手を突き出した。パシュッ、と小さく空気が抜けるような音がしたかと思いきや、雪の積もったレンタルホームに立っていた筈のパヴェルの姿が消失し―――いつの間にか彼の巨躯は、雪の舞う空中にあった。
「「「は!?」」」
俺、クラリス、モニカの3人の声が見事にハモる。
てっきりそんな遠くへはいけないだろうと思っていたのだが、傍から見ればまるでいきなり空を飛んだかのようにしか見えない。
驚いている間にもパヴェルはアンカーシューターを使いこなし、駅の屋根の上から隣のアパートへ、そしてその屋根を伝って倉庫の上へと素早く移動していく。
「……ちょっと俺も行ってくるわ」
「あっ、ご主人様―――」
言われた通り、アンカーシューターへ発射命令を出してみる。撃て、と頭の中で念じた瞬間、カチリと何かが動作するような振動が腕へと伝わり―――眠っていた超小型アンカーが、駅の屋根へと向かって勢いよく撃ち放たれた。
ガギンッ、と駅の屋根のレンガを穿つアンカー。それが合図だったのか、リールが動作し伸びきったワイヤーを急速に巻き取り始める。キュルルル、とワイヤーを巻き取る音が大きくなった頃には、ミカエル君のコンパクトサイズな肉体は地面から離れ―――アンカーが撃ち込まれた場所へと、凄まじい勢いで引っ張られていた。
「うほっ!?」
なんだろう、アレだ。飛行機が離陸する瞬間みたいな感覚がする。
中学生の頃、岩手から大阪まで行くことになった事があった。親戚の結婚式だったか、旅行だったかは覚えていない。覚えているのは大阪で食べた飯がやたらと美味しかった事と、飛行機が離陸する時の感触はジェットコースターのそれに似ている、という事だ。
そう、あんな感じだ。腰というか、こう……腹の下、膀胱よりちょい上あたりになんかぞわっと来るような感じ、あれを思い起こさせる。
ダンッ、と駅の天井を踏み締めると、アンカーは自然と抜けた。本来あるべき場所へと収まったそれを見て、今度は反対の手に装着したアンカーシューターを放つ。目標は隣のアパート。
同じようにアンカーが着弾し、それと同時にワイヤーの巻取りが始まった。ミカエル君の軽いボディはあっさりと引っ張られ、雪の舞う空へと駆けていく。
束の間の空の旅を堪能しながら、ちらりと視線を下へと向けた。高所恐怖症とは無縁なミカエル君、こういう高いところから下を見ても別に怖いとかそんな事は何も感じない。第一、高所恐怖症だったらあんな屋根の上走ったり壁に貼り付いたりってね、そんなパルクールできないでしょっていう。
まあ、よくある言い方だけど、鳥にでもなったような気分だった。眼下ではドチャクソ積雪の中、毎日のように職場に向かう労働者たちや食料の買い出しに並ぶ買い物客が見える。車道では車を買えるだけの資産を持つ裕福な皆さんが信号待ちをしていて、誰一人視線を上に上げようともしない。
なんだか、謎の優越感を覚えた。
アパートの屋根の上を走って工場の屋根の上へ。積もった雪でちょっと滑りそうになったが絶妙なバランス感覚で体勢を立て直し、屋根から恐れずにジャンプ。アンカーシューターを工場の煙突の表面に射出して進路を変更、一足先に空の旅を楽しんでいるパヴェルに追い付く。
「おお、使いこなしてんじゃん!」
「すげえなコレ!!」
「だろ!? しかもこのスペックでコストは驚きの500ライブル!」
「!?」
え、何その安さ。子供の小遣いみたいな値段でこんなもの造れるの―――と言いたいところだが、ボリストポリでパヴェルがやってた副業を考えてみれば分かるような気もする。コイツがこういう機械いじりに強いのはスクラップのレストアをしていたからだ。一見すると何の価値もない屑鉄すら使い、それを便利な道具に昇華させるリサイクルの達人なのだ、この男は。
だからきっとこのアンカーシューターも、工房にどっさりと積み込んであるスクラップを素材にしているのだろう。そりゃあ素材の単価が安上がりになるわけだ。
駅前をぐるりと一周し、再びザリンツィク駅のホームへ。パヴェルは狙い通りの場所に着地したが、俺はちょいと狙いを外してホームの脇の線路へと着地。ケガはないが、出来るなら狙った場所に着地したかった……ちょっとばかり慣れが必要だな、これは。
「どうだ? これがあれば逃走車両も要らないだろ」
「あ、ああ」
なるほど、これなら確かに―――ザリンツィク市内のように遮蔽物に富む環境に限って言えば、逃走車両は不要になる。憲兵の車が道路の通りに移動しなければならないのに対し、こっちは地形をほぼ無視して自由に空を飛んで逃げられるのだ。それがどれだけ大きなアドバンテージになるかは言うまでもないだろう。
俺たちは今日、強力な武器を手に入れた。
「とりあえず、俺は引き続き情報を集めて精度を上げておく。お前らはそれの練習がてら、銀行にある通報システムの無力化を頼んだ」
「了解だ」
まずは第一段階。
バザロフ家の資産を中央銀行から盗み、バザロフに予告状を叩きつける。
最初の標的は―――ザリンツィク中央銀行。




