尊厳破壊の申し子
パヴェル「クラリスの喘ぎ声で音MAD作ったよ」
クラリス「辞世の句はそれでよろしくて?」
土下座パヴェル「すいませんでした」
2年前(1892年)
『―――ふぅん、これは驚いた』
遮光ゴーグルをそっと指で上げながら、モニターを齧りつくような勢いで覗き込むシャーロット。画面いっぱいには折れ線グラフや何かの波形のようなものが所狭しと表示されており、専門知識を持つ人間でなければそれは意味の無い記号の羅列にしか見えないだろう。
しかし、折れ線グラフとそれの数値が上方向へ大きく跳ね上がるような形で振り切れている事から、それが何を意味するのかは薄々察する事が出来る筈だ。
データのバックアップを取りながら、シャーロットは無邪気な笑みを浮かべつつ、実験装置の前に立つミカエルの方を見た。
今の彼女は普段の姿ではない―――潤沢な電力供給を受け、それを己の魔力として限界まで身体に取り込んだ、いわゆる”雷獣モード”と化した状態だ。頭髪の白い部分や眉毛、睫毛が黄金に染まり、瞳の色も銀色から黄金へと変貌、周囲に黄金のスパークを纏う事から外見での判別は容易であろう。
今回の実験は、彼女の魔力量と適性の測定である。
原則として、魔術師の持つ魔力量は生まれつきの適正に合わせて変動する。
例えば適性がSランクの魔術師であれば上級魔術の発動に支障のないレベルの潤沢な魔力を持ち、適性の低いDランク魔術師ではどう足掻いても下級魔術の発動が精々、といった具合だ。
しかしごく稀に”適性が高いにもかかわらず魔力量が少ない”、あるいは”適性が低いのに魔力量だけは多い”と両者の関係が不釣り合いな状態で生まれてくる魔術師も多く、そういった適性と魔力量が一致しない魔術師を『クロスドミナント』と呼ぶ。
ミカエルの適正はC+。生まれつきの適正はCであったが、信仰心から若干の上昇補正がかかりC+となっている。
では、この”雷獣モード”の時はどうなっているのか―――潤沢な魔力を受け、身体中から黄金の雷を発するこの形態での適正と魔力量は、どの程度変動しているのか。
それを検証するため、シャーロットの助力を得て実験に至ったわけであるが……。
『……結果、どう?』
『結果も何も』
少し興奮気味に言いながら萌え袖をパタパタさせ、手にしたスマホの画面を見せてくるシャーロット。
そこに表示されていたのは限界まで振り切れた数値にグラフ、それから【測定不能】の文字。
低すぎて測定できなかった、というわけではもちろん無い。
高すぎたのだ。
シャーロットが用意した計測機器の測定可能域を遥かに超過、回路が焼き切れ破損してしまうほどの魔力量と適性―――それが何を意味するのか、悟ったミカエルは絶句した。
彼女が持ってきた計測器は、少なくともSS+(※魔力適性区分はS+が上限でありSSは存在しない)までは測定できるよう、上方向へ余裕を持った性能となっていた。
それすらも壊れてしまうほどの魔力量と適性―――それはつまり、この雷獣モード中に限って言えばミカエルの魔術師としての能力はアナスタシアやジノヴィ、果てには祖先であるイリヤーすらも超えるという事だ。
腰を抜かしそうになるミカエルに、シャーロットは目を輝かせながら言う。
『これは適性測定不能―――敢えて区分を設けるならば【規格外】と呼称しようか』
巡洋艦が真っ直ぐにこちらへ飛んでくる―――そんなわけのわからない状況に、しかし力也は真っ向から挑んだ。
これこそが、彼の望む戦いのカタチだからだ。
強敵を相手に、全身全霊で戦いを挑み死闘を繰り広げる。それこそが力也が戦いを望む理由であり、彼の生きる理由でもあった。結局のところ彼には戦と戦場さえあればいいのである。
全長120m級の巡洋艦が、ミカエルの発する強烈な磁力に捕らえられて空中に浮遊。そのまま周囲に展開された磁界の花道を突き進む形で、真っ直ぐに突っ込んでくる。
速河力也というたった1人の男を殺すためだけに、排水量6500tの鉄の塊が使い潰されようとしている―――海軍関係者からすれば卒倒モノであろうが、しかし力也はこれを自分自身に対するミカエルの評価として受け入れていた。
この男はこれくらいしなければ殺せない―――あの雷獣のミカエルが、力也をそこまでの強敵と認識した事が、今の彼にとってはこれ以上ないほど誇らしい事だ。
ならばそれに、その期待に全力で応えなければ。
回避するなどもってのほか。あの巨人の如き一撃を、真っ向から撃ち破ってこその返礼というものであろう。
「きえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
渾身の猿叫を迸らせながら、飛来する巡洋艦目掛けて力也は走る。
大太刀を握る左腕にあらん限りの力を込めた。筋肉がその期待に応えようと膨張し、血管が表皮に浮き上がる。
その一方で、彼の内面は冷静だった。
肉体は荒ぶる獅子の如しなれど、その内は波紋一つない水面の如く清らかで、落ち着き払っていたのである。
小さな波紋が、心の中の風景に生じた瞬間―――力也は限界を超えた。
力任せではなく、狙いすました一点への本気の一撃。
―――彼の剣戟の最高速度は、脅威のマッハ9。
それを―――己の限界を、超える。
この強敵からの期待に応えるためならば、返礼のためであれば肉体がどうなってもいい。今はただ、イライナという地球のどこにあるかも分からぬ異国の地から戦いに来てくれた最高の戦士に、この一戦に恥じぬ一撃を繰り出したいだけなのだ。
下手をすれば腕が外れてどこかへ飛んでいってしまうのではないか―――未知への恐怖心からか無意識のうちにかけていたリミッターが外れたその時、力也は聞いた事の無い音を聞いた。
甲高く、まるで少女の絶叫のような音。
それはまるで、神速の如き一撃に断ち切られる”空間の悲鳴”。
目の前の空間が、確かに断たれる瞬間を彼は見た。
空間を引き裂いたのは、赫く、赫く燃え盛る一陣の流星だった。
何かを斬った、という手応えすらない。むしろ重要な局面で空振りしてしまったのではないか、という感覚すら覚えて、力也は一瞬ばかり己の未熟さを恥じた。更なる高みへ手がかかりそうな高揚感に任せて力を振るった己を恥じた。
が、しかし。
蛍のように周囲を舞う、朱い飛沫。
それが溶断された巡洋艦の断面から弾けたものであると理解した途端、彼の視野はとんでもないものを捉えた。
艦首から艦尾までが文字通りの一刀両断と相成った、ノヴォシア海軍の巡洋艦の姿。
まるで艦艇の断面図を見ているかのような姿と化したそれが、左右へと別れながら力也の両脇を通過していく。
スローモーションのような視界の中、後方へすっ飛んでいった両断済みの巡洋艦が爆発。運搬予定だった弾薬か燃料に誘爆したようで、爆発が爆発を呼び、やがてその爆炎は巨人の如く急成長して軍港の頭上に広がるクレーンを焦がした。
恐ろしい勢いで広がっていく火の海。やがてそれに巻き込まれる形で火達磨になった機雷の敷設艦が立て続けに誘爆し、その衝撃波が沿岸砲群の一角を突き崩す。
まるで倒れゆくドミノを見ているかのようだった。誘爆で生じた二次被害が沿岸砲群へ、そしてやがては要塞へと伝播していき、ついには旅順要塞の南部区画が爆発と火災に耐えかねて音を立てて崩れ始めたのである。
「は……ははは、すげえ、すげえ!」
限界を超えた速度の一撃―――推定”マッハ11”の斬撃を繰り出した反動で激しく痛む左腕に鞭を打ちながら、力也はしかしその激痛を気にすらかけずに笑みを浮かべた。
「見ろよ、何千、何万人も動員してやっと攻め落とせそうな要塞が、たった一撃でこの有様だ!」
後ろを振り向き、ミカエルに刀の切っ先を向けた。
「やっぱりすげえ……お前と戦えたことは俺の一番の幸福だ、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ!!」
「―――お前、そんな事は口が裂けても言うもんじゃねえよ」
一方のミカエルも、燃え盛る軍港の一角に立ちながら再び魔力放出の体勢に入った。
何という化け物か、とミカエルは思う。
先ほどの駆逐艦を一刀両断した段階で薄々勘付いていたが、ついには巡洋艦までもを両断した時点で確信に変わった―――この男は今まで戦った中でトップクラスの化け物だ、と。
だから確実に殺せる一撃を放ったつもりが、それすらも乗り越えてきた。全長120m、排水量6500tの巡洋艦をたった一本の刀で真っ向から両断してのけたのである。これが化け物じゃないと言えば、何だというのか。
放射された魔力により、ミカエルの周囲にある物体が―――軍港のクレーンや乗り捨てられたトラック、先ほどの誘爆に巻き込まれ爆沈、あるいは大破着底した駆逐艦や装甲艦までもが、ふわりと浮かび彼女の頭上へと集まり始める。
先ほどの巡洋艦を投擲するだけでも、ミカエルにとってはこれ以上ないほどの負荷がかかっていた。既に身体中が悲鳴を上げ、脈は乱れ、毛細血管は千切れ、両目からは血涙が溢れている。
それでもなお、それ以上の負荷を承知の上で更なる一撃を繰り出そうとしているのは、ミカエルの意地ゆえであった。
彼女にとって、仲間や家族こそが至上の存在である。
彼にも家族はいるのだろう、妻や子が祖国で帰りを待っているのだろう。
それを―――その家族を差し置いて、戦いこそが幸福だなどとよく言えたものだ。
相容れない存在―――自分の価値観を押し付ける活動家気取りの連中ほど、ミカエルは傲慢ではない。
しかし、許せなかった。ここで負けるような事があればこれまで仲間と積み上げてきた絆が、そして家族との愛情が全て否定されるような気がして、ミカエルも一歩も退けぬ状態となっていたのである。
磁力で捕らえられた残骸たちが、次の瞬間ミカエルの頭上でぐにゃりと形を変え始めた。
まるで子供が粘度をこね回しているように、材質も構造も全く違う残骸たちが溶け合い、絡み合って、形状も性質も全く違う別の物体へと姿を変えようとしている。
雷獣モードであるが故の、豊富な魔力があるからこそできる芸当だった。
やがて彼女の頭上に―――磁力で浮遊した状態の、戦艦があった。
全長200m、排水量49000t。
白く輝く美しい装甲は白亜の城塞さながらで、優美な姿から”海上の貴婦人”とも称された、かつてのノヴォシア海軍の切り札。
それはここに至るまでの戦いで―――力也が仕留めた、最大級の大物に他ならない。
「―――戦艦インペラトリッツァ・カリーナ……だと……?」
見間違う筈など無かった。
自分が―――自分が指揮する戦艦『天照』が、あの倭国海海戦で確かに撃沈せしめたノヴォシアの大戦艦。
それが今、いったい何の当てつけか―――舳先を力也ただ1人に向け、それも少女のように幼い姿の相手によって、無造作に投げつけられようとしている。
戦艦として敵艦と砲火を交えるためではなく、ただ投げつける飛び道具としての”転生”。
戦艦としての尊厳を破壊するどころか、存在そのものを否定するかの如き暴挙。戦艦の保有国に唾を吐き捨て中指を立てるが如き暴挙を、ミカエルは平然と行おうとしている。
(コイツ―――尊厳破壊の申し子か!?)
ぎり、と歯を食いしばる。
やっとの事でミカエルの一撃をやり過ごしたというのに、次に立ちはだかったのがこれだ。
巡洋艦以上の質量の戦艦―――果たして今のコンディションで、あの戦艦も斬れるか否か。
いや、やるのだ。
この程度の試練、乗り越えられなくて何とする!
もう無理だ、と声高に絶叫する左腕の筋肉の悲鳴を無視し、力也は再び前に出る。
やってやろう、次も同じように真っ向から粉砕してみせよう。
そうしてこそ―――相手の攻撃を真っ向から撃ち破ってこそ死闘というもの。
これこそが、力也の望んだ戦場―――!
「―――来いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ドン、と燃え盛る地面を踏み締めて前に出た。
突風の如き勢いに、燃え盛る炎たちのど真ん中に、さながらモーゼが海を割ったかのような花道が出来上がる。
その先頭を、力也はひた走る。
全てはミカエルの期待に応えるため。
そしてこのかつてない強敵を、己の手で撃ち破るため。
そのためであれば、その最高の瞬間を迎えるためであれば、この身が粉々になってしまってもいい。
今ここで、この速河力也こそがミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフを打ち破
「―――Stop it, you idiot!!(やめんか馬鹿者ぉ!!)」
ぐしゃあっ、と横合いから飛来した強烈なドロップキックが、力也の左の頬を盛大に殴りつけていった。
あれだけ攻撃しても微動だにしなかった力也。しかしこれはどうだろうか―――突如として姿を現した軍服姿の金髪美女が放ったドロップキックには勝てなかったようで、ボクサーが顔面を殴られる瞬間をスローモーションで見せられているかの如く顔を歪ませる力也。ついには汗と唾の飛沫を撒き散らし、猛烈極まりない振動に脳を激しく揺さぶられて、身長180㎝の巨体がついに宙を舞う。
「 カ ツ オ 」
何故か変な悲鳴を発しながら、力也が飛んでいった。
コンクリート製の防波堤に激しく身を打ち付けながら海面を跳ねまわり、やがて運動エネルギーを使い果たしてゆっくりと海中に没していく力也。
そんな彼に容赦なくイーランド語の罵声を浴びせる女性の姿に、ミカエルは戦艦をぶん投げようとした姿勢のまま凍り付いた。
「This stupid husband! Are you planning to make us widows early on?!(このバカ亭主! 私たちを早くも未亡人にするつもりか!?)」
「え……えぇ……?」
なにこれ、と凍り付くミカエル。
そんなもの、こっちが聞きたいものである。
イライナ公国(1894~1988)
旧ノヴォシア帝国イライナ地方が、イライナ人たちの民意を背景に独立し誕生した独立国。キリウ大公を君主とした公国となっており、統治者はノンナ1世。宰相は彼女の信任を受けたアナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァ公爵が務める。首都はキリウ。
古来よりイライナは世界一肥沃な土地を持つ穀倉地帯であり、『世界のパンかご』とも呼ばれるほどの食料生産能力を持つ事から、数多くの大国に侵略された歴史を持つ。過去には大モーゴル帝国が、そして最近ではノヴォシア帝国が同国を併合し領土としていた。特にノヴォシアはイライナに対し圧政を敷いていた事から反感は強く、それが独立に至る原動力となったのは言うまでもない。
独立後はノヴォシアに中指を立てつつ、各国に対し豊富な資源と食料、そしてテンプル騎士団の技術を取り込んだ事による高い技術力を外交面での武器とし、宰相アナスタシアの手腕もあって巧みで強かな外交政策を展開。他国と良好な関係を築きつつ、されど骨抜きにされる事は決してない絶妙な立場を確立した。
一方で軍事面においては人的損失を忌避し、ロボットの兵士『戦闘人形』と他国の技術水準を大きく上回る機甲師団を主軸とした軍隊を保有。規模も技術力も十二分と言え、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵の活躍もあり幾度となくノヴォシアを撃退するほどの戦力を保有している。
特定の勢力につく事はなく、『永久中立国』を標榜。のちに勃発する世界大戦でも参戦する事はなく、戦後処理や停戦の仲介、戦後の物資や食料などの人道支援を積極的に行い多くの人命を救うに至った。
1988年9月に民主化し『イライナ人民共和国』へ。キリウ大公は国家の指導者ではなく国家の象徴として君臨する事となり、以降は大統領と上院・下院の二院制の議会を持つ民主主義国家として末永く存続していく事となる。




