鬼獣乱舞
パヴェル「モニカって一番喘ぎ声デカそうだよね」
ミカエル「そんなことないよ」
パヴェル「詳しく」
ミカエル「むしろ一番小さかった。一番デカいのはクラリス」
クラリス「 ご 主 人 様 ? 」
ミカエル「ぴえ」
トンズラパヴェル「……w」
クラリス「あまりそういう事は言わないでくださいまし。さもないと ロ ー ル ケ ー キ を ぶ ち 込 み ま す わ よ ? 」
ミカエル「ひ、人違いじゃんね!?」
ナレーター「この後滅茶苦茶ロールケーキされた」
「な、なあ、さっきのお嬢ちゃん大丈夫なのかよ……?」
「無問題、ウチの亭主強いヨ」
金具をセットされたキートが、既に投下されていたフルトン回収装置の制御用コンソールを指で弾くリーファに不安そうに言う。
無理もない。相手はあの”奉天の赤鬼”である―――ノヴォシア軍に長い間潜り込み、極東情勢を見守ってきたキートだからこそ、交戦相手であった倭国軍の恐ろしさをよく知っているのだろう。
彼らは兵卒ですら一騎当千の兵である、というのは、イライナ国家諜報局『第13号機関』が下した倭国に対する評価である。
倭国の兵は死を恐れない―――いや、そのような表現では言い表せないような概念が、彼らの間にはあるのだ。周囲を海に囲まれた島国、他の国々とは隔絶された空間で長年育まれてきた文化と価値観。戦に出る事は名誉であるが、戦地での死もまた戦士としての最大の名誉である、という根底にある価値観が、彼ら倭国兵を死をも恐れぬ一騎当千の戦士に仕上げているのだ。
そして奉天の赤鬼こと速河力也という男は、そのような頭のネジが外れた兵士の多い倭国軍の中にあっても異質な存在と断じる事が出来るだろう。
―――あの男は戦いを望んでいる。
平和な世で家庭を持ち、子を育て、1人の父親としての人生を送る……それもいいかもしれない。しかし速河力也という男にとっての居場所は家庭よりも戦地であり、その死地での死闘を何よりも望んでいたのだ。
奉天では1000人の兵士(※ノヴォシア軍では1000人規模は一個大隊)を斬り殺し、戦闘用のカマキリ型戦闘人形に至っては撃破数83機。あの男1人のために、ノヴォシア軍は一個大隊以上の戦力をただ一度の会戦で”溶かした”事になる。
そんな怪物と夫が一対一での戦闘を繰り広げているというのに、多くの制御が自動化されたパヴェルクオリティのフルトン回収装置を淡々と操作、バルーンを膨らませ始めるリーファの手つきには全くの動揺を感じない。
彼女も分かっている筈だ。一時的とはいえ奉天の赤鬼と矛を交え、その力に圧倒されたのだ。相手の力量は骨身に染みている筈である。
それでもなお淡々と任務をこなそうとするリーファに、キートは少し恐ろしさすら覚えた。
いや、違う。
”信頼”だ。
世界で最も信頼を置き、愛を誓い合い、身体を重ね、子までもうけた生涯の伴侶。”雷獣”、”竜殺しの英雄”、そして”串刺し公”の異名を欲しいがままにした彼女であれば赤鬼如きに負ける事は無い―――ミカエルの強さを信頼しているからこそ、今の自分が成すべき事を全力で成そうとしているに過ぎないのである。
夫婦の信頼関係―――それはまだ、未婚のキートには分からないものなのであろう。
「上、思い切り引っ張られるヨ。深呼吸して腹括るヨロシ」
「上……まって、まさかあの風船で空を飛ぶわけじゃあないよね? は、は、ははは……」
「ン、50点ネ」
《―――こちらソーキル、間もなく回収地点に到達。各員衝撃に備えよ》
雷雨に紛れ、エンジン音が近付いてくる。
航空機のパイロットであれば誰もが飛び込む事を躊躇するであろう、嵐のような雷雨の中。視界も環境も劣悪な場所へと果敢に突っ込んできたのは、だいたい何でもできる万能選手をパイロットに頂く1機のAn-225。
漆黒に塗装され、機首にV字形のフックを追加されたそれが、敵艦に雷撃を敢行する雷撃機の如く、ゾッとするほど高度を下げて回収予定ポイントへ滑り込んできたのである。
雷雨の中でも大きく膨らんだバルーンと、それを繋ぐワイヤー。そのワイヤー目掛けてAn-225が飛び込んだ途端、ワイヤーで繋がれていたキートとリーファの身体は勢いよく空へと引っ張られた。
まるで天地が逆さまになり、空へと落ちるかのような強引な回収方法に、リーファはともかくキートの方は絶叫していた。涙どころか鼻水まで垂れ流し、冷静沈着な工作員とは思えないほどの声で泣き叫ぶ彼にリーファはちょっと引いたが、それも機内へ収納されるまでの辛抱である。
ズズン、と遥か眼下で大きな爆発が生じた。
防衛線を突破しようとしている極東三国軍の攻勢よりも遥かに大きく、派手な爆発。
見間違いでなければ要塞の南方、軍港や沿岸砲群のある一帯が崩落して、火山の噴火さながらの噴煙に覆われつつある。
リーファには、すぐに分かった。
あそこでミカエルが戦っているのだ、と。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵がどのような人物か、力也も聞き及んでいる。
大英雄の家系、リガロフ家。その末っ子であり庶子でもある彼女は、しかし血の滲むような努力の末に今の地位を手に入れ、一族にも正式な家族として迎え入れられた。そればかりか祖先である大英雄イリヤーと並ぶ活躍をし、今となってはイライナを背負う現役の大英雄と見做されている。
文武両道で人格者、領民だけではなく敵に対しても慈愛に満ちた態度で接し、されど侵略者には毅然と立ち向かう強さも併せ持つ統治者の鑑―――幕府の諜報部では、ミカエルをそう評している。
なるほど、確かに幕府の評価に狂いは無いのだろう。
幾度となく切り結んだ中で、力也は相手の力量を認めていた。
確かに接近戦を徹底的に避ける辺り、体格の小ささに起因する忌避感は少なからずあるのだろう。しかしそれを致命的欠点と見做せないほどの多彩な攻撃が、彼女への接近をなかなか赦してくれない。
(面白いが厄介だな)
力也からすれば、常に複数の選択肢を突きつけられているようなものだ。
次に繰り出される攻撃は何か。
魔術か、銃撃か、錬金術か。そこから更に電撃か、磁力か、あるいはそれらを交えたフェイントか―――攻撃パターンが無数に分岐し、巧みに力也を追い立ててくるのだ。
可愛い顔をしていながらえげつない戦い方、というのが力也のミカエルに対する評価であった。
むしろ、接近戦に活路を見出し突撃しようとすればするほど深みにはまっていく感覚すら覚える。接近戦の忌避、すなわちそれは弱点であり、ミカエル相手に接近戦に持ち込む事さえできれば勝機はある―――多くの相手はそう直感するだろうが、しかしそれはミカエルの仕掛けた罠だ。
ちょうどミカエルに接近しようとすればするほど、十重二十重に張り巡らされた攻撃が獣の顎さながらに閉じられる……重厚極まりないキルゾーンがすぐそこに形成されているのだ。
―――かといって、尻込みする力也ではなかった。
足の筋肉が爆発してしまうのではないか、と思うほどの力を込めて前方へと駆け出した。踏み締めたコンクリートの防波堤が抉れるほどの脚力で弾き出された身長180㎝の巨体は瞬間的にとはいえ140㎞/hに達し、チーターすら置き去りにするほどの速度でミカエル目掛けて突っ込んでいく。
小細工で削る―――否。
相手の裏をかく―――否。
長期戦で疲弊を強いる―――断じて否。
強敵との戦いこそ渇望するが、それはベストコンディションの強敵と真っ向からぶつかりたいのであって、死力を尽くすとはいえ相手の長所を殺し一方的に勝利するなど、そんなものは力也は勝利と見做さない。
戦とは真っ向からの、小細工抜きの真剣勝負。逃げ場のない戦いで相手を真っ向から撃ち破ってこそ、初めて”誉れ”が手に入るというものだ。
だからこそ、敢えて獣の顎へ正面から飛び込んだ。
雷の散弾を躱し、錬金術で生み出された大剣の突撃を大太刀で打ち払い、銃撃を紙一重で回避しながら急迫。力也の間合いまであと少し、もう一歩踏み込めばミカエルの首を討てる―――そう確信したのと、しかし本能的に危機を感じ、回避に転じたのは同時だった。
横合いから飛来した剣槍が、あと一歩踏み込んでいれば力也の首があったであろう空間を右から左へと掻っ攫っていったのである。
直前まで、それこそ息遣いが感じられるほどの距離まで迫った死の予感。身体中に冷たい感覚が走り、毛穴という毛穴から冷や汗が吹き出すような感覚を味わいながらも、しかしむしろ力也は高揚する。
(これだよ!)
この感覚だ。
これでこそ―――戦いとはかくあるべし!
バックジャンプし海面へ。重油の浮かぶ海へと躊躇なく、愛用の大太刀の刀身を突き入れる。
幾度となく断熱圧縮熱に晒され、融解寸前の鉄の如く燃え滾っていた刀身が海面に触れた途端、水面に浮かぶ重油はたちどころに火がつき、それと同時に水蒸気爆発を引き起こした。
水から蒸気への状態の変化―――急激な体積の膨張により引き起こされる水蒸気爆発は、至近距離で浴びれば鉄をも砕くほどの危険な現象である。
が、そんな道理は力也には通じない。
水蒸気爆発を敢えて背中で受け、加速に利用した。
水蒸気爆発を利用したカタパルト的運用―――下手をすれば己の背中を砕かれ死に至っていてもおかしくない、危険ですので良い子は絶対に真似しないでくださいね案件を間近で見せつけられたミカエルは驚愕に目を見開いた。
そんな戦い方があるのか、と。
彼女ほどのレベルに達すると、もはや”教科書通り”とはいかない。教科書通りの事が出来るのは当たり前で、そこから先はそれらを更に昇華、自由に組み合わせた応用の段階だ。
しかし教科書にすら載っていない、というより戦術と呼ぶべきかすらも怪しい蛮行に、ミカエルの思考回路が一瞬だけフリーズする。
水蒸気爆発に押し上げられ、弾丸の如くミカエル目掛けて突っ込んでくる力也。空中であれば回避も出来まい―――そう思い銃口を向ける選択肢を用意したが、ここで博打に乗る理由もなかった。
剣槍を踏みつけ、サーフボードのように使って空を滑るミカエル。狙いを外した力也はそのまま何もない空間を突き抜け―――は、しない。
「!?」
刀を横に向けたかと思いきや、刀身の横腹を正面に向けてのフルスイングを敢行したのである。
当然、刃を正面に向けて振るうよりは空気抵抗も増える―――そんな状態で、マッハ9の速度の剣戟を披露すればどうなるか。
ぶぉん、と風が哭いた。
空間をも引き裂かんばかりの重厚な音。空気の塊が押し出され、そのまま沿岸砲群へ突っ込むコースだった力也が角度を変えて、ミカエル目掛けて突っ込んできたのである。
艦隊の整備用クレーンに向けて磁界を照射、自分を磁石代わりにしてクレーンのフックに引き寄せる形で緊急回避。唐突な変化球で攻めてきた力也の一撃を辛うじて躱し、無防備な彼の背中目掛けてグロック17の洗礼を浴びせる。
が、当たらない―――コンクリートの床を踏み締めた足を早くも動かし、銃弾を回避しながら力也は次の攻撃の準備を始めている。
反撃に転じるならば今だ、と脳内の二頭身ミカエル君ズが満場一致で結論を出したのと、ミカエルの反転攻勢が始まったのは同時だった。
クレーンから着地するなり、周囲の床のコンクリートを無数の大剣に変化せしめ、それを磁力で次々に投擲。力也が大太刀でそれらを打ち払い、彼の嫌うであろう防戦一方な状態へと追いやる傍ら、ミカエルはありったけの磁力を傍らの巡洋艦目掛けて照射し始めた。
頭髪の一部が黄金に発光し、体内に莫大な量の魔力を秘めた”雷獣モード”。ほぼ無尽蔵に近い魔力を、制限時間付きで運用できる彼女の切り札であるが、増大するのは魔力量だけではない。
シャーロットやパヴェルの協力を仰ぎ何度も検証した結果、この雷獣モード中は魔術適性も跳ね上がっているのである。
その適性ランクはC+から大きく飛躍しSやSS+……いや、そんなものではない。
シャーロットお手製の計測機器すら破壊してしまうほどのそれは、もはや”適性”という概念を超えていると言っていいだろう。
敢えて適正という枠組みの中で表現するならば―――今のミカエルの適正は、推定『測定不能』。
遥か太古の英雄や神話の時代の戦士ですら到達した事の無い、前人未到の領域に、ミカエルは足を踏み入れつつあった。
ギギ、と魔力の照射を受けた傍らの巡洋艦の竜骨が軋んだ。
赤く塗られ、フジツボが付着した喫水線から下の部位が海面から顔を出し始める―――まるで干潮の時間になったかのように海水が退き、船底が露になっているようにも見えるが……違う。
浮いているのだ、巡洋艦が。
ミカエルの展開した磁界に覆われ、ついには巡洋艦クラスの質量を持った物体までもが、物理法則というルールから切り離されたかの如く宙に浮かび、その舳先を力也へと向け始める。
飛んでくる無数の大剣を打ち払っていた力也の視界に飛び込んできた、宙に浮く巡洋艦。
もちろんミカエルも無事では済まない―――放射される魔力の圧力は、とっくに人体が耐えられるレベルを超えつつあったのである。まるで身体中を駆け巡る血液が限界まで加圧されたかのように血管という血管を駆け巡り、心臓に過大な負荷をかけて脈を乱れさせる。それに伴って脳が内側から膨らむ感覚を覚え、目の裏側がチカチカしはじめた。
身体の末端にある毛細血管はその負荷に耐えきれず、出血すら起こしている。
血涙と鼻血、それから耳からも出血しながら、されどミカエルの黄金の瞳は力也だけを見据えていた。
―――この男だけは、倒す。
妻を傷付けたこの男だけは、必ず。
その報復の一心こそが、今のミカエルを支えていた。
正真正銘の真剣勝負―――その意図を悟ったのだろう。大剣の飛来がぴたりと止まるなり、力也もまた両足でしっかりと立ち、肩幅に広げて腰を落とし、大太刀を正面で構えて迎え撃つ構えを見せる。
お互いに逃げ場のない、本気の一撃。
「来いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「これで死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
巡洋艦が、力也目掛けて投げ放たれた。
大地が砕ける音。
徹底的な破壊に、母なる大地が発する悲鳴―――戦場に居た兵士たちの耳には、そのように聴こえたに違いない。
「あ、あ……よ、要塞が、旅順要塞が……」
「馬鹿な……い、いったい何が……」
天高く吹き上がる、爆炎の麓。
旅順要塞が、音を立てて崩壊し始めていた。
絵画『雷獣姫の微笑』
ドルツ帝国を代表する画家、アドルフ・ヒトラーの作となる絵画。一面に実る麦畑と青空を背景に、剣槍を携え微笑を浮かべるハクビシン獣人の少女の姿を描いたもの。繊細なタッチと色使いが美しく、そこにアドルフ・ヒトラーが長年かけて蓄積させた構図の比率なども加わり、現代に至るまで『非の打ち所の無い傑作』と評されている。
絵画のモデルになっているのはイライナ公国リュハンシク州の領主、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵。芸術的にも歴史的にも価値の大きなこの絵画は、現在はグラントリアの帝国美術館に収蔵されている。
アドルフ・ヒトラー(1889~1975)(※ミリオタ庶子世界)
ドルツ帝国を代表する画家。貧しい家系の出身だったが、幼少の頃に近所の教会の絵を描いていたところを偶然ドルツを訪問していたミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵と出会い、彼女に絵を褒められた事が画家を志す動機になった、とのちに本人は語っている。その際、ミカエルと『画家として大成したらいつか貴方の絵を描く』と約束を交わしたという。
その後はドルツから神聖グラントリア帝国へと移り住み、ミカエルと手紙のやり取りを続けながら帝国美術大学に入学するために努力を続けた。その頃にはお互いを『アディ』『ミカ』と呼び合う仲であったとされている。スケッチブックも絵具も当時のグラントリアでは高価であったというが、ミカエルからの手厚い支援で練習用のスケッチブックと絵の具の確保にはあまり困らなかったとされている。その後一度は美術大学に不合格となり挫折しかけるも、ミカエルとの約束を思い出し奮起。血の滲む努力を重ね美術大学の首席合格を勝ち取った。
上記の絵画『雷獣姫の微笑』は美術大学を卒業し、画家として多くの作品を描く過程で描き上げた渾身の一作であるとされており、寄贈されたミカエルは非常に喜んだとされている。その後は彼女の居城であるリュハンシク城を描いた絵画もイライナ側に寄贈しており、そちらは現在もリュハンシク城の執務室に保管されている。
一度は肺癌で倒れるも、闘病生活を経て復活。その後は画家としての活動は控え、後進の育成のためにドルツ帝国の美術大学で教鞭を振るった。86歳没。
画家として大成していたら、という『もしもの道』を歩んだ彼の人生は、実に実り多いものであった。
ナチスの誕生という最悪のフラグを全力でへし折るミカエル君




