キート
幼少期ミカエル君「背を伸ばすために牛乳を一杯飲むよ」
ミカエル君の骨「バチクソ頑丈になったぜwww背は伸びないけどwww」
血涙ミカエル君「どうして」
白状しよう。
俺、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは絶叫マシーン系のアトラクションが苦手である。
学生の頃、修学旅行で訪れた遊園地。クラスメイトたちがジェットコースターではしゃぐ中、俺だけ顔をブルーベリーの如く青ざめさせ、昼飯のハンバーガーとフライドポテトのLサイズをトイレでぶちまけた。
小中高、それが3度も続いた。
そこで悟ったのだ。ああ、俺は絶叫マシーン系のアトラクションはダメなやつだ、と。
特に上下の動きがダメで、あの落下感というか、こう、膀胱がゾワッとするあの感覚を覚えてしまってからというもの、デパートのエレベーターや車で下り勾配に差し掛かった時ですらその感覚を呼び起こしてしまい、修学旅行で俺を無理矢理乗せたクラスメイトを死ぬほど恨んだものである。願わくばそいつらが遥か未来の末代に至るまで、一生使用機器がインターネットに繋がらなくなるよう呪いをかけてやりたいところだ……かけるか、呪い。この際だし。
何が言いたいかというと、空挺降下なんかその極致じゃねーかという事である。
機内食のチキンキリウとマッシュポテトを吐き出さずに済んだのは進歩と見るべきか否か……まあ、そんなことはどうでもいい。
ゴーグルを着用するなり、俺はすぐに一緒に投下されたフルトン回収装置に駆け寄った。対衝撃仕様のフレームに覆われたそれは見た感じ特に目立った損傷もなく、パヴェルが追加したコンソールをタップしてシステム診断を実施しても、破損や動作不良は確認できなかった。
ポーチからサプレッサーを取り出し、BRN-180のマズルに装着。コッキングレバーを引いて初弾を薬室に装填、安全装置を解除しセミオートへ。
《無事に降下したようだねェ。関心、関心》
「戦況に変化は?」
《相も変わらず倭国軍が突出しているようだ。ジョンファもコーリアも、あの塹壕に対し攻めあぐねているというのに》
「……倭国軍はいったいどんな手品を使ってやがる?」
よもや浸透戦術でも採用しているのではあるまいか。想定を遥かに上回る破竹の快進撃にそんな事を疑うが、しかしパヴェルの返答がそれを否定した。
《……"奉天の赤鬼"だ》
「なんだって?」
聞き慣れない言葉だ……奉天の赤鬼?
《こないだの奉天会戦でな、単独で防衛ラインを次々に突破していったヤバい倭国兵がいるらしい。そいつは隻腕に隻眼で、左手一本で大太刀を振るっていたのだそうだ》
「なんだそりゃ。異世界転生モノの見すぎだろ」
《ああ、そうなら良かったんだがな。残念ながら現実だ。俺の仕入れた情報では、奉天だけで1000人は殺してる》
「……パヴェルの仕入れた情報が何かの間違いであると願いたいね」
《俺もそう思うよ》
……化け物か?
1000人って……単純に計算するならば単独で一個大隊を潰したって事なのか、その"奉天の赤鬼"とやらは。
もしかして薩摩出身なのかな、と思いつつ、その”奉天の赤鬼”とやらに遭遇しない事を祈る。はっきり言ってそんな化け物と戦う羽目になってしまったら俺に勝ち目はあるのだろうか。全力で戦えばワンチャンあるかもしれないが、あくまでも目的はイライナ国家諜報局『第13号機関』の工作員、コードネーム【猫】を救出する事だ。
キートが最後に送ってきた報告によると、彼(※キートはイライナ語で”オスの猫”を意味するので工作員は男性と思われる)は旅順要塞北部区画に潜伏中との事だが、北部は現在ジョンファと倭国の歩兵師団が攻勢をかけている区画だ。おそらくだが反対側、比較的被害の少ない南部区画に移動し救助を待っている可能性が高い。
というわけで目指すべきは南部区画だが……隣接する東部区画ではコーリア軍と倭国軍の攻勢が激化しており、特に東部の倭国陸軍第7、第8師団が破竹の勢いで防衛線を突破しつつあるらしい。
スマホで現在の戦況をチェックし、思わず苦い顔を浮かべた。
パヴェルの言っていた”奉天の赤鬼”とやら、もしかしたらこの第7、第8師団のどちらかに所属しているのではないか?
そうとしか考えられない。いくら砲兵火力で極東連合軍が優位になっているとはいえ、効力射だけでここまで塹壕による防衛線が瓦解するとは思えない。いかに熾烈な砲撃が可能であってもそれだけで敵の殲滅は不可能であり、ドローンや完全に自立化したロボット兵でも採用されない限りは、歩兵部隊を突入させての制圧という最終工程が必須になってくる。
このままの勢いで歩兵部隊が南部区画にまで雪崩れ込めば、ターゲットの救出は絶望的となるだろう。
《ミカエル君、現状の進撃速度を維持した場合の南部区画までの予測到達時間をスマホに表示しておいた。目安にしてくれたまえ》
「助かる」
《分かっているとは思うけれど、あくまでも目安だ。倭国軍が今以上の勢いを得れば……》
「……考えたくないが、了解だ」
《ミカ、たった今リュハンシクから連絡があった。お前の姉さんが非公式のルートを通じて今回の作戦の大枠を倭国側に通告したそうだ》
「姉上が?」
《一応は対ノヴォシアで団結しているからと踏んだんだろうな。作戦の詳細までは話さず大枠で伝えたそうだが、『南部区画への攻撃は待つ事』、『小柄なイライナ人兵士を見ても攻撃は控える事』を要請したらしい。倭国側も対ノヴォシアでの協力と今後の支援を条件に承諾したとの事だ》
「それはありがたい」
これでひとまず倭国側から攻撃される事はなくなったわけだ(敵と誤認されたり、末端まで命令が伝達されていなければその限りではない事に留意が必要ではあるが)。
件の”奉天の赤鬼”を相手取らずに済む、あるいはその可能性を限りなく低減させるだけでも任務の難易度は大きく変わる。
もうキリウに足を向けて寝られそうになさそうだ。
「―――状況開始」
小声で告げると、ステルススーツ姿のリーファが小さく頷いて、ドラムマガジン装備のヴェープル12モロト(※RPKベースのロシア製セミオートショットガン)をコッキング。初弾を薬室に装填した状態で俺の後に続く。
スマホのアプリ画面をタップし連携先にゴーグルを選択すると、眼球保護のために装着したゴーグルの内側に立体映像が投影され始めた。
シャーロットが用意してくれた”タクティカルビジョン”と呼ばれる機能だ。作戦展開地域や目標までの道のりだけでなく、心拍数や味方のステータス、自身のダメージを受けた状況や武器の弾数、マガジンの残数などを視覚的に表示してくれるという優れモノである。
ゴーグル越しに見る視界は、さながらゲーム画面のようだ。
《Увага, буде дощ(警告、雨が降ります)》
ヘッドセットから聴こえてくる合成音声。その直後、ぽつり、と肩に雨粒が降りかかり始め、たちまち周囲には雨粒が降り注いだ。
好都合だ―――雨音は足音を消してくれるし、降り注ぐ雨は視界の悪化に一枚買ってくれる。こっちはこのタクティカルビジョンがあるからあまり影響は受けず、しかし相手は雨の影響をもろに受けるから潜入が有利になる、というわけだ。
どうやら天は俺たちの味方をしてくれるらしい。ありがたい事だ。
這っていこう、とハンドサインでリーファに知らせ、ぬかるむ地面に伏せた。そのまま匍匐前身でゆっくりと先へ進んでいく。
倭国軍が攻め込んでいる向こう側と比較すると遥かに緩やかな勾配を進んでいく。警戒用のサーチライトや突貫工事で用意された要塞砲も、そして見張りの兵士も何もかもが倭国軍の方を指向しており、南側は殆どノーガードと言ってもいい状況だった。
要塞に肉薄するなり、バックパックからボルトカッターを取り出して南京錠を切断。ホルダーに戻すなりBRN-180を構え、リーファに合図をしてから要塞のハッチを解放して中へと踊り込んだ。
『Похоже, линии траншей в восточном секторе были прорваны(東部区画の塹壕線が破られたらしい)』
『о мой бог…!(ああ、神様……!)』
『Нет времени молиться. Хватайте оружие и готовьтесь к обороне!(祈ってる場合か。早く銃を持って防衛戦の準備をするんだ!』
ノヴォシア語のやり取りと、どたどたと随分慌てた様子の足音が聞こえ、咄嗟に足を止めて息を潜めた。目の前の十字路をボルトアクション小銃を抱えた3名のノヴォシア兵が大慌てで走っていく。どうやら南部区画の守備隊のようだが、東部区画の防衛線が突破されそうになり、急遽激戦区への動員が決定した模様だ。
彼らを何とかやり過ごし、そのまま奥へと進んだ。
作戦前に渡された資料によると、コードネーム『キート』は左肩の部隊章の下に黒猫のワッペンを縫い付けているらしい。識別のためには相手の左肩をチェックする必要がありそうだ。
それともちろん、相手はノヴォシア兵に成りすましているので服装もノヴォシア兵のそれだ。ノヴォシア兵を発見したらすぐ射殺、というのは慎む必要がある。
リーファと2人でカッティング・パイの要領で曲がり角をクリアリング。地下にある要塞砲の戦闘室へと続く階段を降りつつ警戒、シュアファイア製のフラッシュライトで数秒で暗闇を照らし危険物がないか確認。ライトを消し「前進」とハンドサインを出して先へと進む。
『Давайте, быстро за мной!(ほら、ぐずぐずしないでついてこい!)』
『Подождите, я не это сказал!(待ってくれ、話が違う!)』
図面通りであれば、この先に海側を向いた要塞砲のうちの1門があるはずだ。
その戦闘室付近から、何やらノヴォシア語で言い合う声が聴こえてくる。
片方はネイティブのノヴォシア人なのだろうが、もう片方からはイライナ人特有の訛りが仄かに感じられる。もしや彼が『キート』なのだろうか?
『Обучение, которое я прошел, было артиллерийской подготовкой! Я никогда не участвовал в окопной войне(僕が受けたのは砲術の訓練だ! 塹壕戦なんてやった事も無い)』
『Просто стреляйте во врага и бейте его лопатой! Легко, правда?!(敵を撃って、スコップでぶん殴ればいいんだよ! 簡単だろう!?)』
『Если вытащишь и меня, что будет с защитой морей?! Скоро приближается большой флот противника!(僕まで引き抜いて、海の守りはいったいどうするつもりだい!? 敵の大艦隊はもうそこまで迫っているんだぞ!)』
『Ты что, поддался трусости, Гриша?!(臆病風に吹かれたか、グリシャ!?)』
気配を殺し、そっと近づいた。
言い争う2人組―――片方はライフルと、背中に狩猟用の水平二連散弾銃(私物か?)を背負ったツキノワグマの獣人。そしてもう片方は拳銃と砲兵刀、略帽を身に着けた砲兵のようだ。左肩には大砲と髑髏を組み合わせた部隊章があり……その下には黒猫のワッペンがある。
神様、お慈悲に感謝します。
まさかこんなに早く見つかるとはな。
会いたかったぞ、キート。
俺がやる、とハンドサイン……ではなくハクビシンのケモミミをぴょこぴょこ動かしてリーファにサインを出し、BRN-180を構えて引き金を引いた。
シパン、とサプレッサーで軽減された銃声が響き、是が非でも”グリシャ”という砲兵まで前線に連れて行こうとしていたツキノワグマの獣人男性の後頭部に風穴が開く。
どさり、と崩れ落ちる獣人兵。それを見て慌てて姿勢を低くしたキートが、砲兵刀の柄に手をかけながらこっちを睨んでくる。
「Хто ти?!(誰だ!?)」
「Заспокойся, брате. Давай спокійніше(落ち着け兄弟、穏やかにいこう)」
先ほどまでのノヴォシア語から打って変わって、投げかけられたのはイライナ語―――間違いない、彼がキートだ。
「Ти ж кіт чоловічої статі, так? Це Майкл, я тут, щоб допомогти(キートだな? ミカエルだ、助けに来た)」
そう言いながらゴーグルを外し、ステルススーツのフードも取り払って、更には顔を隠すためのバラクラバも取った。
俺の顔を見るなり、”キート”が目を見開く。
「О боже... Я ніколи не думав, що герцог сам прийде мене на допомогу(これはこれは……よもや公爵様が自ら助けに来てくださるとは)」
「На жаль, моя сестра — сувора людина... Ну що ж, ходімо додому раніше. Повернемося до нашої країни та з'їмо борщу(あいにく姉上は人使いの荒いお方でね……それより、早く帰ろう。国に帰ってボルシチでも食べよう)」
そう言いキートについてくるよう促して、俺は踵を返した。
こんな場所、とっとと離れよう―――早く帰って温かいボルシチでも食べよう。
「では鉄太郎、確かに伝えるのだぞ」
「はっ。お任せください」
陣地で指揮を執る土方元帥に敬礼をし、伝令役を頼まれた鉄太郎は命令書を懐に収めて陣地を飛び出した。
その命令は急遽、江戸幕府から送られてきたものだ―――鉄太郎も詳細を全て聞いているわけではないが、ノヴォシアと戦争状態にある倭国に対し、遥か中央大陸の向こうにある国家、イライナ公国から通達があったというのである。
それを前線部隊の指揮官に伝えるのが、鉄太郎の役目であった。
幼い頃から武士に憧れて育った鉄太郎にとって、この戦場こそが己の使命を果たす場所と言えた。いつの日か自分も武士として戦場に立ち、武功を打ち立てて故郷の皆に自慢してやるのだ、と。
そのために剣術の鍛錬を怠らずに続けてきたが、しかし鉄太郎に回ってきた任務は戦闘ではなく伝令……その決定には落胆したが、しかしこれも下積みと思えば苦ではない。それに何より、新選組副長でもあった土方歳三元帥が直々に、鉄太郎の足の速さを買って指名したのだという。
京の都を守り抜いた大英雄直々の指名だ。これに勝る栄誉があろうか。
必ずや任務を果たしご期待に沿わなければ、と意気込む鉄太郎。
しかし運命というのは無慈悲極まりないものである。
遥か戦場の向こう―――諸元に誤りでもあったのか、1発の砲撃の流れ弾が不運にも鉄太郎を襲った。
ドン、と地面が爆ぜ、鉄太郎だったものが辺り一面に四散する。
残ったのは千切れた手足に砕けた骨と臓物の残骸―――そしてイライナ公国宰相、アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァからの要請を受けた幕府からの、【ミカエルへの攻撃を禁ずる】という命令書だけが戦場の一角に残された。
アナスタシアの末妹を想っての根回しは、しかし実るよりも先に無情にも刈り取られてしまったのである。
ミカエル領主就任5周年記念ライブ(1895年4月1日)
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵がリュハンシク領主に就任してから5周年を記念して実施されたライブ。元々は単なる式典で済ませる予定であったが、ミカエルの容姿が少女のようで可憐である事、領主としてだけでなく冒険者としても人気がある事、イライナ中の青少年の脳を焼き、性癖を破壊し、著しく歪めてきた事などを踏まえ、『国民が喜ぶことをするべきではないか』というパヴェルからの意見具申をそのまま採用する形で実施された。ミカエル自身にも十分な歌唱力と体力が備わっていた事も後押ししたが、当の本人はこの決定に白目を剥いたという。
リュハンシク国民ホールが会場として選ばれたが、最大収容人数5万人の会場に想定をはるかに上回る観客(海外勢含む)が殺到した事からチケットは抽選販売、ライブの様子はラジオで全国配信された。曲を収録したレコードや写真は飛ぶように売れ、2025年現在ではマニアの間で800万ヴリヴニャで取引されたという情報も確認されている。
歌唱曲
・ジャコウネコのラプソディ
・害獣じゃないもんっ
・明日に向かってジャコウネコパンチ
・ハクビシンのワルツ
・あなたのハートに☆ライトニング
なお、楽曲の作詞・作曲からダンスの振り付け、演出、衣装制作に至るまで全てパヴェルが行った。特にライブの最後に披露した『あなたのハートに☆ライトニング』は3度もアンコールされミカエル自身もそれに応じたほか、キリウ大公であるノンナも乱入。領主とキリウ大公のデュエットという信じられない状況からの投げキッスでのフィニッシュにイライナ全国民が脳を焼かれたという。
その後、アイドル衣装のミカエル君の薄い本が爆売れしたらしいがそれはまた別の話である。




