戦争の中で
【お知らせ】
皆さんお疲れ様です。往復ミサイルの中の人です。今週の土日ですが私用でちょっと福島&宮城の方まで友人と旅行に行く事になりましたので、申し訳ありませんが週末の更新はお休みいたします。
―――赦せなかった。
脳裏にミカエルの笑顔が過る。
―――みんなが彼女を愛していた。
クラス対抗戦で下剋上を果たしたミカエルの、達成感に満ちた顔。
―――みんなが彼女を天使だと思っていた。
短い時間ではあったが、共に思い出を刻んだ親友。
―――けれども蓋を開けてみれば、悪魔だった。
祖国を崩壊へ追いやらんとする、悪魔。
そしてクラスメイトの命を容易く奪った、悪魔。
騙されていたのだ、自分たちは。
その事実にアンドレイは憤る。
ミカエルはあんな天使のように振る舞いながら、しかし利用していただけだった。そうに違いない。イライナを独立させ、帝国を崩壊へ導かんとする計画の賛同者だったのだ。
何が雷獣か。何が大英雄イリヤーの末裔か。
こんな悪魔の何が、何が!
怒りのままに、アンドレイは右腕を振るった。カッ、と赫い閃光が迸るや瞬時に拡散、前方に対し扇状に炎の散弾がばら撒かれる。
分かっている事だ―――ミカエルが磁力魔術を得意とする事は。
彼女に金属を用いた攻撃はほぼ通用しないと言っていい。弾丸も砲弾も、刀剣も矢も槍も斧も、砲弾の破片に至るまでの全てが磁力に阻まれ、受け流されてしまう。
だからミカエルを確実に殺すのであれば魔術しかない。磁力で干渉しようのない魔術であれば、確実にミカエルにダメージを与える事が出来るのだ。
が、しかし。
「―――」
トン、とミカエルの小さな足がステップを踏んだ。
ぼこ、と地面が唐突に盛り上がる。それは目覚めたばかりの巨人の如く屹立するや、まるでミカエルをアンドレイの殺意から守ろうとするかのように立ち塞がり、彼が渾身の力で放った炎の散弾を防いでしまう。
イライナの土は”重い”。
水分をよく吸い、それを長い間保持するためだ。それでいて泥の粘度も高いため、春になると雪解け水を吸って至る所で底なし沼が発生するというのは有名な話である(実際、イライナでは冬季の凍死より春季の溺死が多いという統計も存在する)。
そんな湿気を多く含んだ土の防壁に、たかだか握り拳程度の炎の散弾が勝る筈もない。暴力的なまでの質量と水分にしっかり抑え込まれ、ミカエルを穿ち燃やすまでには至らない。
(錬金術!)
間違いない、錬金術だ。
ミカエルが帝国魔術学園において、魔術以外にも修めたという錬金術。
魔術が自らの魔力を用い、信仰している宗派の英霊や精霊といった上位存在から力を借り受けて発動するのに対し、錬金術は魔力を用いた”物質の形状・性質変化”をもたらすものとして認知されている。
生まれつきの適正に左右されず、難解極まりない学問を修める事さえできれば誰でも習得できるという点においては、魔術よりも敷居は低いのかもしれない。しかしその出口は極めて狭く、大半が錬金術の基礎理論を理解できぬまま挫折しフェードアウトしていくのが常だ。
実際、ミカエルも一度は習得を試み、しかし妥協したものだ(のちに打倒セシリアを掲げ独学で基礎を習得、学園で完全習得へと至った)。
魔力さえあれば、周囲の物質の形状や性質を自由に書き換える事が可能な力だ。
屑鉄は金に、泥水は聖水に。
かつて金を生み出そうとした錬金術師の始祖”パラケルスス”が体系化したそれは、よりにもよって最悪の相手に受け継がれてしまっている。
泥の壁に、唐突に変化が起きた。
アンドレイの一撃を防いだ土の塊の表面から、唐突にむすうの鉄の槍が穂先を覗かせる。拙い、とこれから何が起こるのかを悟り身を屈めたアンドレイの頭上を、凄まじい勢いで”何か”が風切り音と共に突き抜けていった。
兵士たちの悲鳴、肉に槍が突き刺さる音。
後ろを振り向いて、目を見開いた。
アンドレイが回避したミカエルの反撃―――無数の槍衾へと転じたそれが、アンドレイに続き突撃を試みようとしていた歩兵たちに真正面から襲い掛かっていたのである。
彼の視界に飛び込んできたのは、槍に串刺しにされ仰臥するノヴォシアの兵士たちだ。中には魔術師部隊の先輩や上官、他のクラスメイト達もいた。顔の知った戦友もいたかもしれない。
いずれも心臓や喉元、眉間ばかりを狙われている。
(狙いは俺じゃなく……!)
最初からこっちだったのかもしれない。
いや、そんな事はどうでもいい。
いずれにせよミカエルを止めなければ、これ以上に死人が増える―――それだけは確かだった。
「撃て、撃て!」
「アンドレイ、3時方向!」
「!」
慌てて振り向いた先に、ミカエルがいた。
ノヴォシア兵が持つ銃よりも短く、黒く、ゴテゴテとした特異な銃―――遥か未来に生み出されるAK-19、その銃身を16インチのものに換装したロングバレル仕様。
姿勢を低くしながら素早く構えたミカエルは、容赦なく引き金を引いた。
パパパ、と素早い射撃と精密な照準。M-LOKハンドガードに装着したハンドストップに指を引っかけ、ストックをしっかりと肩に固定する射撃姿勢―――いわゆる”Cクランプ・グリップ”と呼ばれるスタイルでの射撃は、無慈悲なほど正確にノヴォシア兵たちの眉間を捉えた。
5.56mm弾が歩兵の眉間を撃ち抜き、魔術で応戦しようとする魔術師兵の頭を食い破っていく。銃で撃つよりも速く、魔術を使う暇もない。まるで中身が人間ではなく機械であるかのように、あるいは完璧な調教で殺戮マシーンと化してしまったかのように、素早く照準を合わせては撃たれる前に撃ち殺していくミカエル。
砲声の轟くリュハンシクの平野。
硝煙のたなびくAK-19を肩に担いだミカエル―――彼女の目の前には、山のような死体。
15人、20人……いや、もっとだ。
「お前……お前……」
「……だから言ったんだ」
弾切れになったSTANAGマガジン(※西側規格のマガジンが流用できるようアダプターを装備している)を取り外し、シュアファイア製の100発入りマガジンを装着するミカエル。威嚇するかのような……いや、死刑宣告さながらにコッキングレバーを引いて初弾を装填する彼女の顔には、しかし何の感情も無かった。
殺してしまったという罪悪感も、あるいは戦を楽しんでいるような獰猛さすらもない。
ただ、溜まっていたタスクを消化したという淡々としたものしか―――感情という概念で括れるものではない、しいて言うならば無表情という以外に例えようのない顔で、じっとアンドレイを見つめるミカエル。
「無用な犠牲を増やすだけだと」
「ふざけるな!」
怒りのままに右手を突き出し、火球を放つアンドレイ。
それを上半身を逸らすだけで回避しながら、ミカエルは言葉を紡ぐ。
「俺が戦争を始めた? 馬鹿を言うな、戦争の原因を作ったのはノヴォシア帝国だ」
「何を」
「お前は歴史を学んだのか? イライナの歴史を。ノヴォシア帝国の皇帝が、俺たちイライナ人にどんな仕打ちをしてきたのかを」
銃口すら向けず、戦場のど真ん中で棒立ちになったまま―――しかしミカエルのその声は、まるでイヤホン越しに聴こえるASMRの如く、砲声と銃声、断末魔の飛び交う戦場のど真ん中にいるとは思えぬほどクリアに響いた。
「領土を奪った、文化を奪った。言葉を奪った、土地を奪った、財産を奪った、畑を奪った、食料を奪った、仕事を奪った、家族を奪った、仕事を奪った、富を奪った、主権を奪った、国を奪った」
アンドレイの背筋に冷たい何かが突き刺さる。
イライナとノヴォシアがどういう関係なのか、それは歴史の勉強をしたアンドレイならばわかる事だ。
元々は独立国として、豊穣の大地に栄えたイライナ公国。しかしノヴォシアが歴史認識を根拠とし戦争を仕掛け、イライナ全土を占領し強引に併合した―――彼らの目的は大義名分であった”歴史的に同一のルーツを持つ兄弟民族の保護”ではなく、最初から作物の尽きる事が無い豊穣の大地だったのである。
「散々奪っておいて、汗水たらして働くイライナ人を奴隷同然にこき使い、その上で”戦争を仕掛けてきた”?」
ミカエルの左手がAK-19に添えられた。
「―――そんな仕打ちをしてきた相手が、キレないとでも思ったのか?」
ノヴォシアからの圧政は、アナスタシア主導によるイライナ独立計画が本格化するまで続いた。
イライナ領内では公然とイライナ語が使われていたが、しかしノヴォシア国内では違う。民族同化政策の一環としてノヴォシア国内ではイライナ語を話す事が禁じられ、ノヴォシア国内でイライナ語を話してしまったイライナ人は鞭打ちの刑に処せられるか、嫌というほど洗剤を飲まされたという。
イライナ語などという誤った言語が口から出てくるのは、身体の中が汚れているからだ―――昔のノヴォシア人はそう考えていた。長い人類の歴史の中で、言語的に共通の祖先を持つ自分たちの言語は枝分かれし、伝統的な文法がそのまま保存されたノヴォシア語と、悪しき変貌を遂げたイライナ語に分岐したのだ、と。
中にはイライナ語をノヴォシア語に矯正する事こそが正義であると本気で信じていたノヴォシアの言語学者もいたほどだ。
「俺は直接、ノヴォシアに何かを奪われたわけじゃあない。だがノヴォシアのクソのような振る舞いは嫌という程見てきた」
「だから破壊するというのか、俺たちの国を」
「アンドレイ、俺はただイライナをノヴォシアから解放したいだけだ」
そう言うなり、銃を構えようとした手を止めるミカエル。
何か葛藤が生じたようにも見えた。
「―――アンドレイ、お前まで死ぬ必要はない」
ハンドガードから左手を離し、そっと差し出すミカエル。
「こんな戦争、続ける意味なんかどこにもない。投降してくれ。国際条約と基本的人権に基づき、丁重な扱いを約束―――」
パン、と銃声が響いた。
一発の銃弾―――ミカエルの眉間を撃ち抜く筈だった弾丸が、しかし磁界の防壁に捕らわれて、彼女の目の前でぴたりと静止している。
「―――馬鹿にしてんのか、お前は!!!」
声を震わせ、目を血走らせ、その両端に涙すら浮かべるアンドレイ。彼が両手でがっちりと構えた手の中には硝煙をたなびかせるリボルバーがあり、その銃口はミカエルへと向けられていた。
それは再三にわたる降伏勧告に対する、明確な拒絶。
アンドレイにとっては侮辱と映ったのかもしれない。戦争の原因を作り、クラスメイトを、そして仲間たちを躊躇せずに殺め、その上で降伏せよ、寛大な処遇を約束すると説き伏せようとする彼女の態度は、確かにこれ以上ないほどの挑発行為と映ったかもしれない。
しかしミカエルからしてみれば紛れもない本心であり―――アンドレイ個人に対する最後通牒でもあった。
ノヴォシアは嫌いだ。だがアンドレイは友達だ。
だから、出来る事なら殺したくはない。せめて敗北を悟るか、あるいは心折れて投降してくれればいいのだが、という淡い期待も、しかし凝り固まった敵対心が否応なく阻む。
「アンドレイ!」
やっと合流してきたのか、彼の後方から歩兵部隊や魔術師部隊の兵士たちが駆け寄ってくる。
ミカエルの姿を見るなり、彼らは躊躇なく攻撃を仕掛けてきた。
銃で撃ち、機関銃を据え付けて押金を引き、魔術を発動させて飽和攻撃を仕掛けてくる。
本来であれば敵の1個師団にぶつけられてもおかしくない火力が、ミカエル個人に対して投射される。銃弾が掠め、魔術が弾け、弾幕が全てを薙ぐ魔力と火薬と硝煙の暴力。
しかしそれら全てを以ても、ミカエルには傷一つつかない。
トン、と小さな足がステップを踏んだ。
その瞬間だった―――何の前触れもなく地面が一気に隆起したかと思いきや、地中から……いや、違う。兵士たちが今まさに立っていた地面の形状が、そして形質が一気に変化するや、無数の剣槍と化してノヴォシア兵たちを足元から串刺しにしたのである。
喉を、心臓を、そして眉間を。
せめて苦しまぬように、楽に逝けるようにとミカエルの情けを乗せて放たれた錬金術の槍衾。彼女がノヴォシア軍に『串刺し公』と呼ばれる所以である。
戦友全員を串刺しにされ、怒りを迸らせながらアンドレイは両手を突き出して大型の火球を撃ち出した。
「燃え尽きろォミカエルぅ!!!」
お前さえいなければ。
お前さえ、お前さえ。
お前さえ、友達でなければ。
ごう、と大火球に、唐突に風穴が開く。
無数の火の粉を振り払いながら飛来するのは、1本の剣槍。ミカエルのトレードマークであり触媒でもある剣槍だ。伸縮式の柄を縮めれば大剣に、伸ばせば大槍に転ずる奇妙な仕掛けの武器だが、しかしミカエルはそれを自らの手で振るう事はない。
彼女の剣槍は、常に宙を舞う。
騎兵突撃のような勢いで突っ込んでくるミカエルの剣槍。紙一重で回避したアンドレイが見たのは、こちらを睨むミカエルのAK-19の銃口。
ダンッ、と銃声が響く。左肩に鋭い痛みが走り、熱い何かが迸った。
撃たれたが、致命傷とは言い難い。
まだ反撃のチャンスはある―――激痛に苛まれる己をそう奮い立たせ、右へと移動しながら魔術での反撃を試みるアンドレイだったが、しかし彼の手から魔術が迸る事はついになかった。
ドッ、と何かが後ろから突き刺さる感覚。
息が詰まる。
身体中の感覚が、恐ろしいほどの早さで抜けていく。
血走った眼を下へと向けた。
己の血に塗れた剣槍の穂先が、ちょうど鳩尾の辺りから顔を覗かせている。
先ほど躱した剣槍が戻ってきたのだと理解した頃には、もう立つ力もなくなっていた。
がふっ、と血を吐き出し、地面に崩れ落ちるアンドレイ。
「―――恨みたければ、好きなだけ恨んでいい」
薄れゆく意識の中、しかしかつての親友の悲し気な声だけははっきりと聴こえた。
「憎悪も怨嗟も、全ては俺だけを苛めばいい」
―――こうはなりたくなかった。
淡々とした、しかしやや気取った言い回しの中にそのような意図を感じ、アンドレイは静かに意識を手放した。
本当に、こうはなりたくなかった。
ミカエル・プラン
リュハンシク領主、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵が制定した国防計画。正式名称は『国防計画1號』であるが、立案者であるミカエルから名前を拝借し、彼女の没後からはこの名称で呼ばれている。
イライナが侵略戦争を受けた場合に取るべき国防方針や防衛戦術、経済への影響を考慮した各種政策に外交、侵略戦争への対処を円滑に進めるための法整備や戦争根拠法の整備、リソース管理の方法など様々な分野に対しての記述があり、執筆にあたりミカエルは各方面の専門家からの意見を何度も聞きつつ、国際情勢を考慮し都度改定を加えていったという。
ミカエルの没後も遺族たちによって原稿は厳重に保管されており、イライナではそれを元に国際情勢を鑑み3年毎に改定を加えつつ運用していった。
その国防計画の内容は極めて緻密かつ正確であり、1961年の『第三次イライナ侵攻』、1983年の『第四次イライナ侵攻』、2013年の『アルミヤ戦争(※文献には”アルミヤ侵攻”とも)』、2030年の『第五次イライナ侵攻』のいずれもがこの国防計画を元にした防衛戦争となっており、いずれもイライナ側の完勝となっている。




