表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

880/981

帝都が赤く染まる日

食事中リーファ「モグモグ」

ミカエル「何喰ってんの?」


リーファ「ん、笹」


ミカエル(そーいやコイツパンダだったわ)


 上がってくる報告と恐れ戦く家臣たちの態度に、皇帝カリーナの苛立ちは留まるところを知らない。


 家臣が報告してくる事といえば悪いニュースばかりだ。やれ何度目の攻勢が失敗しただの、我が軍の損害は想定を上回っているだの、そういう報告を耳にする度にカリーナは奥歯が砕けてしまいそうなほど歯を噛み締めてしまう。


 ここに来て、一度たりとも良いニュースが無いとは何事か。


 リュハンシク州で戦端を開いてからというもの、上がってくるのは損害報告ばかりだ。どれくらい前進しただの、何という地域を占領した、という知らせは開戦以来ついに聞くことはなく、一番最初に投入した第一次攻撃隊も先ほどついに全滅したという報告を耳にした。


 虎の子の魔術師部隊を投入したは良いものの、果たしてこれで状況は好転するのだろうか。


 陸軍大臣の話では『魔術師部隊の中にはミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵の学友もおり、精神的動揺を誘発できる』との事であるが……。


「……」


 過去に一度、メイドを伴ってやってきたミカエルと対面した時の事を思い出す。


 なるほど、矮小な獣(害獣)の獣人であると聞いてはいたが、その身に纏う風格は卑しい獣のそれとは似ても似つかぬ、紛れもない英雄のものであった。


 幼い時から何度も耳にした大英雄イリヤーの冒険譚。悪しき魔女との対決や6人の不死の騎士との戦い、そして最も有名な邪竜ズメイ(ズミー)との戦い。今もなお映画や演劇の題材として人気の高い伝説に胸を躍らせた幼い頃もカリーナにはあったが、憧れにも近い感情を抱いた大英雄イリヤーと似た風格を、確かにミカエルも身に宿していた。


 大英雄の血脈、庶子とはいえその末席に連なる存在に変わりはない―――それもそうだが、それ以上にミカエルの打ち立てた実績がその風格を祖先からの借り物ではなく、確かな自分のものとして昇華しているようにも思えたものだ。


 そんな大英雄の末裔が、現役の大英雄が守る領地の突破―――。


 一筋縄ではいかないであろう事は、カリーナも予測していた。


 単純な戦力が違う。リュハンシクはノヴォシアと国境を接する最東端の州であり、ひとたび帝国と戦端を開けば真っ先に戦場になる場所だ。


 そこに現役の大英雄を領主として迎え、帝国に対し抑止力とする―――アナスタシアの采配は実際に効果があり、もっと早期にイライナへ軍事侵攻するべきと予防的独立阻止の意見を主張する開戦派の者たちを押し留めていたのは、紛れもなく『リュハンシクにはミカエルがいる』という事実であったのである。


 そしていざ攻め込んでみれば、その懸念は現実のものとなった。


 事前に把握していたリュハンシク守備隊の規模の5倍もの戦力を投入したというのに、そのほぼすべてが文字通り”溶けた”事になる―――しかもマズコフ・ラ・ドヌー駐屯地の消失というおまけ付きで、だ。


「……ソコロフ陸軍大臣、増援部隊の派遣はどうなっている」


「それが……」


 黄金の装飾がついた片眼鏡(モノクル)の奥の瞳を泳がせ、額に脂汗をびっしりと浮かべながら、若い頃に受賞した勲章をじゃらじゃらと身に着けたソコロフ陸軍大臣は声を震わせた。


「て、鉄道網が破壊されており、列車での輸送に大幅な遅延が……」


「……大臣、寝言は夢の中で言うものだぞ」


「は、しかし陛下……」


「鉄道網を攻撃したなど……イライナの農民共が越境攻撃をしたとでもいうのか? この広大な帝国に?」


 考えられない事である。


 マズコフ・ラ・ドヌー駐屯地消失に関しては驚きもしない―――リュハンシク城からは目と鼻の先だ。さすがに大型の望遠鏡でも用意すれば朧げに姿が見えてくるようなレベルではないものの、その気になれば直接砲撃も可能であろう。


 しかしそれよりも内地にある鉄道網が攻撃を受け破壊されるとは何事か。


 国内にイライナ側のスパイや工作員、あるいは民兵(パルチザン)でも潜伏しているというならばわかる。鉄道網を破壊するのは思ったよりも簡単であり、ダイナマイトを仕掛けるなり、線路を固定しているボルトを外しておくだけでも無力化は出来るのだ。


 だが、帝国内部でそのような敵対勢力の活動は確認されていない。


 イライナ本土から砲撃できる距離にあるわけでもない―――仮にもし、国境を跨ぎ帝国領を直接砲撃できるような戦略兵器が存在するのであればこの上ない脅威となるであろう。


「し、失礼します!」


「何事か! 陛下の御前であるぞ」


 慌てて駆け込んできた衛兵に陸軍大臣が鋭い声を飛ばすが、報告にやってきた兵士の顔はすっかり青くなっており、遥か雲の上の上官からの叱責を気にしている余裕もない事はカリーナの目にも明白だった。


「構わん、赦す。報告を」


「はっ……きょ、共産主義者がモスコヴァで蜂起を!」


 側近たちがざわついた。


 ―――よりにもよってこのタイミングで。


 極東、イライナ、そして国内。


 帝国の軍事力が東西に分断されているこの機に乗じ、今度は国内に潜伏していた”ノヴォシア共産党”の連中が武装蜂起したというのである。

















 白い建物が軒を連ねる帝都モスコヴァに、赤い旗が翻る。


 赤は燃え盛る炎の色であり、大義のために流れる血の色であり、そして何よりも革命の色だ。


 過去の悪しき社会を粉砕し、抑圧の無い、自由で平等な国家を実現するため……革命とは国家再構築のための第一段階、すなわち破壊である。そして理想の国家への再構築のための破壊という課程、その手段として選択される戦争は正義である。


 スターリンはそう信じている。


「К построению социалистического государства! Да здравствует товарищ Ленин!(社会主義国家実現のために! 同志レーニン万歳!)」


 Ура(万歳)、と響く兵士たちの雄叫びがモスコヴァ市街地を揺るがした。スターリンの突撃命令に呼応するように、着剣したボルトアクション小銃を手にした共産党の兵士たちが一斉に大通りを突き進んでいく。


 散発的な銃撃に倒れる同志もいたが、構っている暇はない。血を流し倒れる仲間の死体を踏み締め、若き革命家たちは赤い旗と共に突き進んでいった。


 ―――富を独占する貴族と皇帝は打倒する。


 彼らの胸に抱くは、自由で平等な格差の無い社会。


 農民がボロボロのパンを家族で分け合い、仕事で疲れた労働者が安い日銭で今夜の食事にも難儀している傍らで、貴族はそんな彼らの上に胡坐をかいて富を貪る。それがこの国家の構図であり、このまま一部の者が富を食い潰していけばノヴォシアには未来など訪れないだろう。


 そんな祖国に嫌気が差したからこそ、共産主義の理想を掲げた彼らの多くはくわではなく銃を手に取る決断をしたのである。


 逃げ遅れた帝政派(白軍)の兵士を後ろから銃剣で突き刺し、果敢に応戦してくる兵士の眉間を旧式ライフルで撃ち抜きながら、共産党軍(赤軍)の兵士たちはさながら濁流のような勢いで突き進んだ。


 同じように今の帝国に不満を抱いていたのだろう。大通りの建物の窓からは、雄叫びや『同志レーニン万歳』の大合唱と共に突き進む赤軍の兵士たちを見て歓声を上げる民衆の姿すらあった。


 だがしかし、その勢いも唐突に削がれる事となる。


 白軍の兵士たちが逃げ去っていく向こう側から姿を現したのは、棘のような6本の鋭い脚に支えられた巨大なカマキリのような姿をした機械の兵器―――戦闘人形(オートマタ)


 両腕にはカマキリの鎌よろしく大型の対物ブレードを装備し、アリクイを思わせる形状の頭部側面には水冷式機関銃を1門装備した、市街戦用パッケージ装備のモデルだ。


 アリクイ型の頭部に備え付けられた複眼型センサーが紅い光を放つなり、頭部の機銃が火を噴いた。後頭部にぬらりひょんの頭よろしく増設された弾薬庫からベルトで給弾される8mm弾の弾雨が赤軍兵士の一団を豪快に薙ぎ、先ほどまで声を張り上げ突撃していた兵士たちが一瞬で挽肉へと姿を変えた。


 熱狂とは、練度の低い新兵、あるいは民兵すらも決して阻めぬ波濤へと変えるものである。


 そして本職の軍人と新兵や民兵の決定的な違いは、絶望的な現実を突きつけられてもなお士気を維持し職務を遂行できるか否か、と断じてもいいだろう。


 その点、白軍の兵士たちは腐っても軍人であった。


 唐突に帝都内部で蜂起した赤軍に対しても、初動の対応こそ遅れたものの徐々に秩序を回復するなり組織的な抵抗で進撃を阻みつつ反転攻勢のチャンスを虎視眈々と狙っている素振りすらある。


 恐れ戦く赤軍兵士に、戦闘人形(オートマタ)は容赦なくブレードを振るった。


 ヂッ、とグラインダーが石に接触するような甲高い音と共に、先頭に居た兵士3名の身体がずるりとズレる。そのまま断面に沿って上半身が滑るなり、露になった断面から鮮血が噴水よろしく吹き出した。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


「ば、化け物だ! 化け物だ!」


 赤軍の兵士は、多くが民兵である。


 中には元軍人や冒険者崩れの兵士もいたが、ごく一部に過ぎない。大半の兵士がつい最近まではくわを握り、あるいは工具を手にしていた農民や労働者出身であり、練度で言えば”銃の撃てる一般人”の範疇を出ない。


 そんな彼らに、一度挫けた士気をなんとか持ち直し職務を全うせよと命じるのも到底不可能な話であった。


 ―――しかし、方法がないわけではない。


 ダンッ、と赤軍の隊列後方で銃声が響く。


 スターリンの隣に控える黒服の兵士―――左腕に赤い腕章を巻き、黒い字で『督戦隊』と記載されたそれを身に纏う兵士のボルトアクション小銃からは煙がたなびき、我先にと逃げ出そうとした兵士の眉間を撃ち抜いていたのである。


 場の空気が、一瞬にして凍り付いた。


「―――他にも敗北主義者はいるか?」


 空腹の獣というよりは、冬眠を邪魔され怒り狂う巨獣の如く、牙を剥き出しにしながら低い声で問うスターリン。筋骨隆々のヒグマの獣人にそう迫られては、戦の何たるかを知らぬ農民や労働者たちは抗いようもない。


 ならば前に進むしかないのだが、しかし前に進めばあのカマキリのような戦闘人形(オートマタ)に殺される―――それも1体ではない。大通りの向こう側から、白軍の歩兵を伴いさらに5体も追加で動員されている。


 前に進んで敵に殺されるか、後ろへ逃げて味方に殺されるか。


 革命の赤い旗を己の血で染める事しか、赤軍の兵士には許されていない。


 多くの兵士が、自分の乗った船もまた泥船であったと直感した。そして同時に、もはや逃れられぬ領域まで来てしまったのだという事を悟ると、自暴自棄にもなるというものだ。


 スターリンの言葉はまるで魔法のように兵士たちへと伝播した。敵から逃げて味方に殺され、敗北主義者の烙印を押されるよりはという理由もあったのだろう。いずれにせよ、スターリンの望む通りに兵士たちは動くこととなった。


 死を恐れぬ兵士となった赤軍の歩兵たちが、雄叫びを上げながら戦闘人形(オートマタ)へと殺到していく。


 カマキリのような殺戮マシーンがブレードを振るうたびに血飛沫が吹きあがり、頭部の機銃が火を噴く度に挽肉が量産されたが、しかし津波のように押し寄せる兵士たちの勢いを削ぐには至らない。


 機体のいたるところに組み付かれ、身動きの取れなくなる戦闘人形(オートマタ)。そうしている間に機体をよじ登った赤軍兵士の1人が弱点の頭部にライフルを押し付けて発砲、カマキリ型の戦闘人形(オートマタ)を擱座させるに至る。


『『『『『Урааааааааа!!』』』』』


 赤軍の勢いは、もう止まらない。


 仲間が撃たれて倒れても、自爆すら厭わずに突っ込んでくる。


 その狂気じみた突撃に、今度は白軍側が恐怖を抱く番だった。


 撃たれても、撃たれても、戦闘人形(オートマタ)に斬られても突っ込んでくる兵士たち。恐怖、という本能的なリミッターが完全に外れたかのような振る舞いに恐ろしいものを見た白軍の兵士たちは、皆一様にこう思った。


 『こんな戦いは初めてだ』と。


 勇猛果敢な敵と戦った事はあった。死を恐れず、祖国の、あるいは民族の誇りを背負って戦う兵士は勇敢で、だからこそ同じ武人として敬意を払わずにはいられなかった。


 しかし、これはどうか。


 この赤軍はどうか。


 彼らはそういった敵とは違う。


 死を恐れていない―――いや、違う。()()()()されているのだ。


 恐怖と暴力による、スターリンの統率。


 その狂気が、農民を、労働者を、実戦経験のない民兵を死をも恐れぬ軍団へと変貌せしめたのである。






ズムイの戦い(1894年5月7日~5月9日)


 イライナ独立戦争における戦闘の1つ。エカテリーナ・ステファノヴァ・リガロヴァとその夫ロイドの統治するズムイ州に対し、ノヴォシア軍が搦め手として攻め込んだ事により勃発した戦闘。ズムイ州は主要戦線となる東部の州へ物資や人員を円滑に輸送するための要衝であり、同州の失陥は各州の相互連携の寸断を意味していたため、イライナ側としては是が非でも喪失を防がなければならなかった。

 ノヴォシア軍は『敵主力はリュハンシクにあり』と判断し攻め込むも、無人兵器やロボットの兵士を中核としたリュハンシクの徹底した”省人化”により各州要衝には潤沢な防備と人員が配属されており、軍師としての才能を開花させつつあったエカテリーナの采配もあって攻勢は失敗。間髪入れずロイド率いる騎兵隊の反転攻勢を受けた事によりズムイ州占領は失敗した。この戦いで反転攻勢を指揮したロイドはイライナ国家英雄勲章の受章者となっており、はるか後の世まで【ズムイの魔犬】の異名で呼ばれ、畏れられる事となる。


 リュハンシク州での戦訓を生かした戦術と幾重にも張り巡らせた塹壕に重機関銃、そして熾烈な砲撃によりノヴォシア側の歩兵突撃は完全に封殺され、この時点で”のちの大戦争”の原型が出来上がっていた、と評価する戦史研究科も多い。


 なお、この戦闘で構築された塹壕は2025年現在においても戦争遺跡として保存委員会の手により保存されており、1994年のイライナ建国100周年記念式典ではこの塹壕で開催。当時の戦闘に参加した兵士も参列した。

 一般公開もされており、イライナ独立の歴史を現代へと伝えている。見学料は子供300ヴリヴニャ、大人500ヴリヴニャ。


※イライナ独立の際に通貨をノヴォシア由来の『ライブル』からイライナ公国時代の『ヴリヴニャ』へと戻している。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
史実だとツァーリは亡命しようとして失敗して処刑されましたけど、こっちの世界だとどうなるんですかね…そもそも脱出できないか、もしくは亡命に成功するか…成功したところで現地の政府に暗殺されそうではあります…
ろくでもない報告ばかりのところについに赤軍のパルチ発生ですかあ。予想されていたとは言え踏んだり蹴ったりですね。しかもよりによって首都で。 第三部でも史実でもこの世界でもそうですが、スターリンというの…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ