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兄たちの来訪


 列車の中は普通の寝台列車といった感じだった。


 ミカエルと彼のメイドに案内され、食堂車らしき車両へ通された俺は、車両の中を見渡しながらそう思う。冒険者、特に特定の拠点を持たず各地を移動しながら活動する”ノマド”がこういう列車を所有しているのは珍しい事じゃないが、その大半は武装している。道中で遭遇するであろう魔物や山賊、そしてダンジョンで回収されるスクラップを奪い合う事になる同業者ノマドたちに対抗するためだ。


 けれども見たところ、この列車にはそういった武装の類は見受けられない。広大な帝国の版図を移動するための旅行列車、といった感じだった。車内の装飾もそこまで豪華ではなく、むしろ質素で落ち着いた感じにまとめられている。この食堂車だってそうだ。過度な装飾はなく、木材を多用した落ち着いた空間に仕上げられている。ラジオから流れてくる音楽もあって、まるで喫茶店の中にでもいるかのよう。


 カウンター側には席が7つ、反対側には4人用のテーブル席が3つ用意されている。俺たちが案内されたのはそのテーブル席の方だった。


「キリウからの長旅、お疲れ様でした」


 車両の中を見渡している俺たちに、ミカエルが微笑みながら言う。が、彼の表情には微かに緊張が残っているのをマカール君は見逃さなかった。俺との対面には慣れているミカエルだが、兄上とはこうして面と向かって話すのは初めてだろう。


 さて兄上はというと……一見すると冷静で、随分とまあ冷たい目つきでミカエルの方をじっと見ていた。まるで逮捕した犯罪者に取り調べをする憲兵みたいな感じだが、椅子に隠れている兄上の尻尾はさっきから小刻みに動いているし、テーブルの下にある足も落ち着きがない。


 間違いない、緊張してる。兄上も同じく緊張してるよコレ。テーブルを挟んでお互いに緊張し合うライオンとハクビシンってどういう状況だコレ。


 兄上落ち着いて、相手3つ年下の弟ですよ。


「紅茶をお持ちしました。どうぞごゆっくり」


 しばらくまあ、そんな感じの気まずい空気が流れていると、ミカエルのメイドさん(うわおっぱいでっか)が紅茶を持ってきてくれた。仄かに香るジャムの香り。テーブルに備え付けられている容器から角砂糖を取り出し、3つほどティーカップの中へ。


 紅茶を持ってきてくれたメイドさんはにっこりと微笑むと、ミカエルの傍らへと控えた。身長も高くて大人びた感じの、落ち着いた雰囲気の女性だった。そしてメイド―――というよりボディガードとしてもかなり優秀なようで、全く隙を見せない。


 そんな事をするつもりはないのだが、もし俺たちが唐突にミカエルに牙を剥いたとしても即座に対応できる距離を保ちながら、警戒心を決して解かない隙の無さ。なるほど、『ミカエルのつるぎ』を自称するだけの事はあるのかもしれない。


「さて、ミカエルよ」


「はい、兄上」


 堅い、堅いよ兄上。


 俺と話す時でさえもうちょいフランクな感じだというのに、兄上の声音は特に信頼しているわけでもない部下に用件を話す時のような、仕事中のそれだ。弟にそんな喋り方したらミカエルも警戒しちゃうでしょ。


「今回お前を訪ねたのは他でもない、その”仕事”の件だ」


「ええ、私もその件でぜひ兄上たちの協力を得られれば、と」


 ザリンツィクの疫病―――赤化病蔓延の原因が大貴族だなどと、本当に信じられない。ヴラジーミル・エゴロヴィッチ・バザロフがその黒幕だなどと。


 バザロフ家は古くからザリンツィク議会の重鎮として知られている大貴族の家系だ。2代前のヴァレリー氏の代にザリンツィクへ多くの工場を誘致、その豊富な鉱物資源に物を言わせ、イライナで一番の工業都市という地位を確固たるものにした、この都市の繁栄の立役者とも言える大貴族である。


 それが、住民の口減らしのために疫病を蔓延させるなど……。


「証拠はまだ持っていないのだな?」


「ええ」


 兄上の白い手がティーカップへと伸びた。ジャムの入った、甘酸っぱい味の熱い紅茶。兄上は甘いものがあまり好きではないのだが、弟のメイドが出してくれた紅茶に手を付けない、という真似も出来ないのだろう。ほんの少し口に含み、そっとテーブルの上に戻す。


「分かっていると思うが、大貴族の逮捕権限は確かに法務官にはある。だが、それも容易ではない。証拠が無ければ摘発は出来ないし、屋敷を捜索しようにも裁判所から令状が降りん」


「承知しております。近日中……いえ、今月中には証拠を手に入れようと考えているのですが」


「どうやって」


「それは企業秘密です」


 さすがに言えないだろうなぁ……と思いつつ、クッソ甘くなった紅茶に手を付けるマカール君。どうせ盗み出すんだろうな、ミカエルの事だし。


 リガロフ家だけじゃない。城郭都市リーネで起こったレオノフ家の強盗事件や”花嫁強盗事件”も多分コイツの仕業なんじゃないかな、と俺は見ている。もちろん証拠はないし、何より城郭都市リーネはキリウ憲兵隊の管轄外だから逮捕する気も捜査する気もないけれど……それにしても、ボリストポリからザリンツィクまでの道中でこんなに強盗事件が起こるのは何故なんだろうね? しかもそれがミカエルの移動ルートとぴったりと重なるのっておかしいなあ。偶然かなあ?


「盗んだ暁には、憲兵隊と法務省に証拠を送ります。後は煮るなり焼くなりお好きにどうぞ」


「確かに証拠があれば令状は請求できるし、捜査もできる……しかし、こんな事をしてお前に何のメリットがある?」


 紅茶を飲むミカエルに、兄上は冷静な声で問いかけた。


「俺たちならば分かる。憲兵も、そして法務省も大貴族の不正を暴き摘発したとなれば、祖国の腐敗を防いだとして勲章を受章できる。我々からすれば旨みがある話だが、お前にはなんの得が?」


「―――大貴族の椅子にいつまでも年老いた尻を乗せている老害を1人減らせます」


 さも当然のように、さらりとミカエルは答えた。


「世界は老い先短い老人のためではなく、これからを生きる若い世代のために在るべきだ。そうは思いませんか? 私はそう思います」


「確かにそれはそうだが」


「他者から富を搾取し、それだけでは飽き足らず冬を乗り切るためだけに弱い者たちを切り捨てる、その行為が気に喰わんのです。偉大なる皇帝陛下ツァーリは弱き者たちにも救いの手を差し伸べるお方……つまりバザロフ家の今回の行為は、皇帝陛下ツァーリのお慈悲を否定するような行為に他ならない」


「お前、そんなに皇帝陛下ツァーリに忠誠を誓ってたっけ?」


 腕を組みながら問いかけると、そこでやっとミカエルはにやりと笑みを浮かべた。親しい相手に向ける笑みではない―――攻撃的な、それこそ死ぬほど憎んでいる相手を破滅へ追いやった瞬間に浮かべるような、狂気を孕んだ笑みだった。


 ミカエルの中身が、一瞬ばかり垣間見えたような気がした。


「まさか。私は欲深い老害が嫌いなだけですよ」


「……なるほど」


 それだけではあるまい。


 何となくだが、ミカエルの狙いが分かった気がする。


 老害が嫌い、という彼の言葉に偽りはないだろう。実際に彼は、幼少の頃からそういった”欲深い老害”に束縛され、軟禁され、都合の良いように使われてきた。今まで散々存在しない者として扱われ、しかしいざ力があると知られれば政略結婚のために他の貴族と結ばれるためだけの道具にされる―――そういう扱いを17年もずっと受けていれば、それは憎みたくもなるだろう。


 特定の個人だけではなく、同じような連中全てを。


 そしてそんな狂気を腹の中に収めたミカエルが、それだけで事を済ませる筈がない。


 マカール君の予想が正しければ、バザロフ家は強盗の被害に遭う。この疫病蔓延の証拠だけではなく、屋敷から金目の品物をありったけ盗まれて大損するだろう。


 それがミカエルなりの”制裁”なのだ。


 命は奪わないが、金は奪う―――あっさりと殺すよりも質が悪い。


 それは兄上も察したようで、目が細くなるのが分かった。


「まあいい、お前の真意は分かった」


 俺ですら察したのだ。聡明な兄上が、ミカエルの真意を見抜けないはずがない。


「……そうだ、キリウから土産を持ってきた。あそこにおいてある」


 そう言いながら視線を食堂車の隅へと向ける兄上。視線の先では、180㎝くらいの熊みたいな巨漢が、せっせと荷物を食堂車の冷蔵庫へ詰め込んでいるところだった。キリウの市内から買いあさってきたスイーツの山。中には要冷蔵の品もあるので、暖房の効いた車内に放置というのはあまりよろしくない。


「兄上、あれはいったい……?」


「お菓子だ。マカールの奴がお前は甘いものが好きだ、と言っていたのでな。具体的に何が良いかわからんから、キリウにある甘いものを片っ端から買ってきた。仲間と一緒に食べると良い」


「あ、ありがとうございます……」


 うわ、引いてる。ドン引きしてるよミカエル。


 いや、あれミカエルじゃなくてもドン引きするわ。いったいいくら使ったんですか兄上。弟の事を想ってるのは分かるんだけど、これ愛が重すぎて逆に相手が離れていくパターンでは……?


「とりあえず、お前の考えはよく分かった。法務官として努力は惜しまない、ということは約束しておく」


「ありがとうございます、兄上」


 すっごい不器用に笑みを浮かべる兄上。なんだろう、自然に出たというよりは作り笑いって感じがすごい。機械がなんとか頑張ってスマイルを真似してみましたくらいの違和感がある。


 見てよ兄上、ミカエルも苦笑い。


「では、我々はこれで。行くぞマカール」


「あ、はい」


 紅茶を飲み干し、席から立ち上がる。


 ミカエルに見送られ、ホームへと降りた。俺は最後に振り向いてミカエルに手を振ったが、兄上は冷たい視線をミカエルに向けるばかり。兄上、もうちょっと愛嬌というものをですね……。


 ホームから連絡通路へ続く階段を上がり、線路を一望できる高さの通路へ差し掛かったところで、兄上は大きくため息をついた。


「はぁぁぁぁぁぁぁ……」


「どうしたんです。兄上らしくもない」


「いや、もっとこう……フレンドリーに接したかったのだがな」


「すればよかったじゃないですか」


「ん……しかし初対面でいきなりそんな接し方したら馴れ馴れしいって思われて嫌われそうでな……でもなんかもう、もっとこう……」


「あー、なんか分かります。距離感難しいですよね」


「分かってくれるか!」


 車の鍵を開けて乗り込み、運転席に座ってシートベルトを締めた。兄上もシートベルトを締めたのを確認し、エンジンをかける。


「本当はな、もっと優しい接し方がしたかったのだ……ミカエルの奴を撫でてやりたかったし、もふもふしてやりたかったし……」


「アンタ実はブラコンでは?」


「失礼な、ブラコンじゃあない」


「本当ですかァ?」


「その証拠にお前を撫でた事もモフモフした事も無い」


「俺には冷たい!?」


 え、何その扱い……とか思ってると、兄上は隣で笑いながら俺の頭の上にそっと手を置いた。


 モフモフされたことはないが、撫でられたことがない、というのは嘘だ。昔の剣術の稽古の時に撫でてもらったことが何度もある。今、俺の頭の上にある兄上の手は当時と変わらない。すらりとしていて、けれども肉刺が潰れた後があるごつごつとした手。今でも努力を怠っていないという証だ。


 予約していたホテルへと向かい、そこで車を止めた。ロビーでチェックインを済ませて部屋の鍵を受け取り、階段を上がって宿泊予定の部屋へ。


 部屋の鍵を開け、荷物を置いた。ここから駅まではそう遠くないから、明日帰る前にミカエルのところに遊びに行けそうだ。


 そんな事を考えながら部屋を見渡し、ベッドを見て絶句する。


「……」


「マカール」


「はい」


「お前、予約した部屋の詳細よく見たか」


「そのつもりでしたが」


 ででん、と部屋の奥に鎮座する、やたらとデカいダブルベッド。


 てっきり個別にベッドが用意してあるものと思っていたのだが……え、ナニコレ。


 コレあれじゃん、恋人同士がイチャイチャしながら寝るやつじゃん。


「お前予約の時なんて言った?」


「2人部屋でお願いしますと」


「他にリクエストは」


「しておりません」


 多分そのせいだ……。


 ごめんなさい兄上……。


「まあいいさ」


 そう言いながら、兄上は笑みを浮かべた。


「たまにはこういうのも悪くなかろう」













「兄上、冷たそうな人だったなあ」


「そうでしょうか?」


 自室のベッドに横になりながら呟くと、メガネの手入れをしていたクラリスが首を傾げながら言った。


「クラリスには優しそうな方に思えましたが」


「本当?」


「ええ。冷たいように見えますが、本当の優しさを隠してるような、そんな感じに思えました。不器用な方なのかもしれませんわね」


 不器用、ねえ。リガロフ家の至宝とまで言われたあのジノヴィ・ステファノヴィッチ・リガロフが不器用……あまり考えられん。


 でもまあ、これでいい。兄上たちの協力もこれで得られた。キリウ憲兵隊の指揮官に法務省の執行部まで味方に付いたのだ、政治的な面でこれ以上心強い味方はいない。


 後は俺たちが計画通りに事を済ませるだけだが……相手は大貴族、屋敷の警備も厳重だろう。証拠も、そして金目の代物も簡単に盗ませてはくれまい。


 さてどうするか……。















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