リュハンシク血戦
ステファン(ミカ父)「列車砲! 列車砲! ロマンの塊!!」
ミカエル「タンプル砲超え! タンプル砲超え! ロマンの塊!!」
アナスタシア(……”やっぱり親子だな”って言ったら絶交されそうだから黙ってよう)
―――振り向いた先には、巨大なクレーターがあった。
出撃前、確かにあそこには駐屯地があった筈だ。将来、イライナが独立を果たそうとした際に即時対応するための前哨基地として建設されたマズコフ・ラ・ドヌー駐屯地が。
しかし、今はどうか。
大地に深々と穿たれた擂り鉢状のクレーターがぽっかりと口を開けていて、そこに鎮座していた駐屯地の面影は微塵もない。もちろんそこに詰めていた、他のノヴォシア軍の仲間たちもだ。
「みんな……」
あそこには俺の同期もいた。
帝国魔術学園を共に卒業した仲間たちもいた。
それが―――ただの一撃で。
「ミカ……お前……!」
脳裏に小柄な少女の、天使のような笑みが浮かぶ。
本当にアレをミカがやれと命じたのか。
本当に彼女が、あの天使のようだった彼女がやった事なのか。
本当に彼女が、仲間を殺したのか。
ドン、と空から何かが降ってくる。
機械の鳥なのだろうか―――プロペラのようなものを付けた握り拳くらいの機械の鳥が、甲高い奇妙な音を立てながら急降下してきては、敵陣からの砲撃に進撃を阻まれている歩兵の一団を吹き飛ばしていく。
何やら叫びながらも見えない敵に応射していた歩兵たちが瞬く間に爆発に呑まれ、土や泥と一緒に、かつて人間だったものが降ってくる。
地面に散らばるのは死体ばかりだ。誰一人として五体満足では済まない、血と臓物臭が立ち込める地獄のような戦場。
遥か彼方に見える漆黒の城―――リュハンシク城。
あそこにミカがいるのだ。俺たちと、一時期だけとはいえあの学び舎で苦楽を共にした仲間が。
あんなにも天使のようで、仲間にも優しく気配りのできる優しい子が―――こんな事をするはずがない。
あの城まで辿り着いて、確かめてやる。
本当にミカがこの戦争を指揮しているのか。
もしかすると、誰かを人質に取られて仕方なく……という可能性も捨てきれない。いや、きっとそうだ。だってあんなに優しかったミカが、こんな凄惨な戦争を指揮できるはずがない。
もしそうじゃなかったら―――アイツは俺たちを騙していたという事になる。
いずれにせよ、あの城まで辿り着いて確かめなければならない。
「魔術師隊を前に出せ!」
「聞いたろアンドレイ! 前進だ!」
「了解!!」
腹を括った。
砲弾に機械の鳥が降り注ぐ中を、俺たち魔術師隊は前身した。砲弾が落下し、機械の鳥が頭上を通り抜けて後続の仲間を直撃し、爆音と悲鳴が鳴り止まない。
ブーツの爪先が何かを蹴った。ぐにゃりとして柔らかくて、踏みつけると何か液体のような物が中から染み出てきて、鼻腔をツンと突き上げる強烈な悪臭を放つ何か。いちいち視界を下に向けなくても判る、判ってしまう。
だってきっとそれは、数分前までは生きていた人間だったものだろうから……。
上だ、と隊長が叫んだ。甲高い音を発しながら、あの機械の鳥のような兵器が大挙して押し寄せてくる。鳥の鳴き声とも虫の声とも違う、まるで映画に出てくる宇宙人のような鳴き声をけたたましく響かせて、爆弾を搭載した機械の鳥が突っ込んでくる。
右手に力を込め、薙ぎ払うようにして魔術を発動した。
炎属性魔術『火散弾』。小ぶりな炎の球体を、散弾のように広範囲にばら撒く初級魔術の一つだ。
合計16発の炎の散弾が放射状に広がるや、突っ込んでくる機械の鳥たちの目の前で一斉に炸裂し爆炎の壁を形成した。
炎に絡め取られ、急降下を始めた機械の鳥たちが1体、また1体と空中で爆発し、炎の華を咲かせていく。
やった、という声も、しかし爆風を穿つように飛んできた後続の機械の鳥を見た瞬間に消え失せた。今の一撃で3、4体くらいは撃墜したかもしれないけれど、あの機械の鳥たちは無尽蔵に現れる。どれだけ迎撃しても、どれだけ兵士の群れに特攻して犠牲者を増やそうとも、その飛来が止む気配がない。
「くそ、航空隊は何をやってんだよ!?」
降り注ぐ土の塊から頭を守りながら、小銃で対空射撃をしていた兵士が悪態をついた。
「対消滅爆弾であの城を吹き飛ばす手筈だったんだろ!?」
「残念だったな兄弟、飛竜部隊は開戦初っ端に焼き鳥にされたんだとよ!」
「最高だなクソッタレ!」
地獄のようだ。
先ほどまでは、あの城に乗り込んでミカに問いただしてやると意気込んでいたものだが……イライナへ足を踏み入れ、歩みを進めれば進めるほど、その決意が鈍っていくのが分かった。圧倒的な火力と物量、そして無慈悲極まりない現実に、自分の心が折れていくのが分かった。
なんてちっぽけなのだろう。
魔術を学び、少しでも帝国のためになる事が出来れば、なんて夢を抱いていたけれど、実戦に初参加してみればこれだ。どれだけ崇高な理想を抱いても、どれだけ魔術の訓練を積んできても、一発の砲弾や一発の銃弾が全てを無慈悲に刈り取ってしまう―――戦場は決して、己の勇気を試す場などではないのだ。
そういえば、とそこで我に返り、慌てて後ろを振り向いた。
「……アレーナ?」
一緒に進撃していた筈のアレーナの姿が見当たらない。
学園を共に卒業したクラスメイトのアレーナも、同じ部隊に配属されていた。先ほど一緒に国境線を踏み越えて、リュハンシク州へと足を踏み入れた筈だ。そこまでは覚えている……彼女は確かに居た。
しかしリュハンシク城からの攻撃が始まり、進撃を命じられてからだ。アレーナの姿が見えなくなったのは。
まさか彼女も―――そう思ったところで、唐突にぴたりと攻撃が止まる。
あれだけひっきりなしに降り注いでいた砲弾も、そして爆弾を抱えた機械の鳥たちも、全てがぴたりと止まった。
リュハンシクの東端、開けた平原に静寂が広がっていく。
爆発の残響や余韻がはるか地平線の彼方まで去っていったところで、地平線の向こう側から巨大な大砲を乗せた装甲車のような兵器の車列が、こっちに接近してくるのが見えた。
土埃と排気を吹き上げながら接近してくる装甲車―――まるで軍艦の艦砲を乗せているようだ。移動砲台、というべきか。あんな兵器が遥か遠方から俺たちを狙い撃ちにしていたのだろうか?
唐突に、聞き慣れた言語の放送が戦場に響く。
《ノヴォシアの侵略者諸君に告ぐ》
「……ミカ?」
ミカの声だ。
少女のような、あるいは女性の声優さんが演じる少年のような、どことなくボーイッシュな感じがする彼女の声。
聞き間違う筈も無い―――5年前、共に魔術を学び、あんなに威張り散らしていた上位クラスの連中に目に物を見せてやった彼女の声だ。
それが、接近中の装甲車に据え付けられたスピーカーから聴こえてくるのだ。
装甲車だけではない。
まるで子供が川や海で遊ぶときに使う浮き輪のような形状の機械の鳥。その機体下部にもスピーカーがぶら下げられていて、そこからも彼女の声が聴こえてくる。
《ここはノヴォシアではなく、独立国家”イライナ公国”の国土である。速やかに退去されたし。繰り返す、速やかに退去されたし》
イライナ訛りのある、けれども流暢な標準ノヴォシア語だった。
《これ以上殺させるな。犠牲はもう十分だ》
「何を言ってるんだ」
先ほどの砲撃を生き延びた兵士が、憎々し気に吐き捨てる。
「”これ以上殺させるな”だァ? てめえが始めた戦争だろうが!!」
「分離主義者め……散々仲間を殺しておいてよくもぬけぬけと!」
《これ以上進撃するというのであれば諸君らの命は保証できない。よく考えたまえ、君たちにはまだ帰る家が、帰りを待つ家族がいる。逃げる事は決して恥ではない。繰り返す。ノヴォシアの侵略者諸君に告ぐ―――》
「隊長……」
どうします、と判断を仰ぐようなニュアンスで魔術師隊の隊長に問うと、隊長は拳を握り締め、目を血走らせながら命じた。
「散々殺されて、今更おめおめと逃げ帰れるか! これより進撃を継続、あの”悪魔の城”を攻め落とす!」
他の仲間たちもやる気だった。
こつ、とブーツの爪先に何かが当たる。
土まみれの人間の首―――長い髪に見慣れた顔だった。顔には破片がいくつも突き刺さって、左目の周囲が深々と抉れて、まるで理科室の中にある人体模型のような有様になっていたけれど、その生首が誰のものなのかはすぐに分かった。
アレーナのものだ。
手をぶるぶると震わせ、喉の奥から込み上げる叫びを必死に抑え込みながら、血で汚れるのも厭わずに俺は彼女の首を抱きしめた。君の事は忘れない。友よ、どうか安らかに……そんな学友への祈りを深く、深く、刻みつけるように。
胸の中に湧きたつのは、憎悪だった。
こんな戦争を始めた卑劣なイライナ人と、俺たちを欺いた悪魔に対する復讐心。
キッ、と黒い城を睨む。
涙で霞む漆黒の城―――あの城主の首を討つのは、俺だ。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは、俺が殺す。
降伏勧告から15分の猶予が経過した。
前線を飛び回るドローンからの映像は、メインモニターを見なくとも瞼を閉じるだけで頭の中に直接浮かんでくる。
ルシフェル君は普通の人間と違って機械100%だ。だからミカエルと同等の個体とはいえども、彼女にはできない芸当として無人兵器とのデータリンクや戦闘人形たちとの個体間ネットワークへの介入(上位個体なので優先権があるのだ)ができる。こうしてドローンの映像伝達システムに介入してリアルタイムでそれを閲覧する事も可能なのである。
ドローンのカメラが捉えた映像を見ながら、しかし俺は冷ややかな視線を向けていた。
降伏勧告はした。
猶予も与えた。
その間、こちらは一発も撃たなかった。
なのにどうして、侵略者たちは戦いをやめないのか。
進撃してくる歩兵の一団を見ながら、正直にそう思う。
あれだけの戦力差を、技術の差を見てまだ戦おうという気概はいったいどこから湧いてくる? 徒に人的資源を消耗するだけの無駄な浪費であると、なぜあれだけの人数が集まっておきながら気付かない?
―――実に愚かだ。
自ら進んでイライナの大地の肥やしになりたいと思っているのだろうか。
俺には、判らない。
人間の事が、何も。
「……」
映像リンクを切った。
瞼を開けて椅子から立ち上がるなり、オペレーターたちに命じる。
「敵軍の進撃を確認した。降伏勧告の拒否と見做し攻撃を再開する。イライナの槍、冷却はどうなっている」
「砲身冷却完了。第二弾、撃発位置へ」
メインモニターには砲身に設けられた放熱パネルを全て開放し、冷却を行っていたイライナの槍の威容が映し出されていた。やがてそれが順番に閉鎖され始めたかと思いきや、機関部に装着されていたリボルバーのような回転弾倉型のマガジンに収まっていた300㎝対消滅榴弾が装薬と共に薬室内へ前進、閉鎖機が閉鎖され薬室内が密閉される。
イライナの槍には5発まで砲弾をセットできるマガジンがある。
それだけではない。補助薬室の中には装薬の収まったカートリッジが充填されているのだが、それらは防爆板で5層に区切られており、5発までであれば迅速な速射が可能となっている。
無論、5発撃ち尽くしてしまった場合は専用の超大型クレーンや作業用ドローンを総動員して、合計60基の補助薬室全てを交換する事になるわけだが……。
ミカエルの奴もとんでもない兵器を思いつくものだ。アイツの父親も列車砲を大金はたいて買い込んだらしいが、変なところにロマンを求めるのはやはり親子の血なのだろうか(なんて本人に間違ってでも言ってしまったら殺されるので良い子の皆はやめよう。ルシフェル君との約束だ)。
「ん」
メインモニターの左下、小型のウィンドウで映し出されている映像に、なかなか興味深いものが映し出された。
超高速で飛来した炎の槍の集中砲火を受けた我が軍の”T-55AGM”が、その飽和攻撃に耐えかねたらしく炎上しているのだ。砲塔後部の弾薬庫も誘爆しているようで、ブローオフパネルが吹き飛び火柱を吹き上げている。
即座に鹵獲防止のために仕込まれたメタルイーターが活性化、炎上する車体が瞬く間に錆び付いた粉末へと姿を変え、戦車が”分解”されていく。
この戦闘が始まって初めての戦車の喪失。
撃破したのは誰か、とドローンの映像にアクセスして確認する。
突っ込んでくるのは歩兵と……それから魔術師の部隊のようだ。先ほどから自爆ドローンを魔術師が迎撃し、その隙に歩兵部隊が突撃する戦術を採用する事でじわじわと浸透してきているらしい。
あの魔術師部隊を何とかしなければ。
「……QB-620」
「はい」
「しばらく司令部を空ける。代理の指揮を」
「了解しました」
個体間ネットワークを介し、側近の戦闘人形に指揮権を一部譲渡。中央指令室を後にして通路を歩きながらメニュー画面を開き、AK-19とPAK-9を召喚。武器庫の管理AIに申請を出して、複製してもらったミカエルの触媒である”剣槍”を受け取り、武装した数名の兵士を引き連れて装甲車両の格納庫へと向かう。
増援として出撃するBTMP-84-120と89式装甲戦闘車の車列を止め、BTMP-84-120の上にタンクデサント。装着したヘッドセットのマイクに向かい、各部隊に命令を下す。
「第一、第二機甲師団は右翼の歩兵部隊を、第三、第四機甲師団は左翼の敵を叩け。第五、第六師団は両師団の後詰を」
ふう、と息を吐いた。
先ほど確認した映像が誤りでなければ―――中央突破を試みている魔術師部隊には、ミカエルの学園時代の学友がいる。
嫌になるな、本当に。
こういう事があるから戦争というのは嫌いなのだ。
「―――中央の敵は、俺が引き受ける」




