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意見具申

ミカエル「NTRに死を」

クラリス「激しく同意ですわ」


ルシフェル「過激だねェ」


 その子を見た時、父と母のどちらに似たのか一瞬で分かった。


 くりくりとした大きな目。瞳の色が紅いのは母であるクラリスの遺伝だろう。前髪の一部が蒼くなっているのも母親由来の遺伝なのかもしれないが、しかし大まかな外見的特徴は父親のそれとよく似ている。


 丸い輪郭の顔に愛嬌のある顔つき。前髪の一部、ちょうど脳天から前髪にかけて一直線に真っ白な毛が生えており、前髪の下から覗く睫毛と眉毛も淡い雪を思わせる色合いだ。ケモミミも形状的にライオンのそれではなく、ハクビシン由来のものであることが分かる。


 まだまだ小さくて丸みを帯びた手でクラリスの手を握り、もう片方の手には子供用にしてはやや大きな黒いウシャンカを手にしたまま、リュハンシクから疎開してきたばかりのミカエルの子―――『ラファエル・ミカエロヴィッチ・リガロフ』は瞳を逸らす事なくじっと私の顔を見上げていた。


 警戒している……のだろうか。


 往々にして、子供というのは鋭い感覚を持つ。この子も幼いながらにして何かを悟ったのか。


「ほら、ラフィー。アナスタシア様にご挨拶なさい」


「……おせわになります、ラフィーです」


「よろしく、ラフィー」


 同じようにしゃがんでこの子と目線の高さを合わせ、出来るだけ優しい声音で言いながら頭を撫でると、ぴょこん、と立っていたケモミミが倒れた。


 ―――お父様と同じ匂いだ。


 まだこの世に生を受けて僅か3年、無垢な瞳がそう告げている。


 獣人というのは特に嗅覚が鋭い者が多い。比喩的な意味でも、直喩的な意味でもだ。


「大丈夫、こんな戦いは君のパパがすぐに終わらせてくれる。全部が終わったら胸を張ってリュハンシクに戻ると良い」


 そう言うと、ラフィーは片手に持っていた大きなウシャンカを被った。


 おそらくミカエルのものなのだろう―――アイツの事だ、「これをパパだと思って」みたいな事を言って持たせたに違いない(間違っても形見を託すような奴ではない)。


「おとーさまとね、やくそくしたの」


「ん」


「いいこにするって。おべんきょうもたくさんがんばって、ごはんもすききらいしないって」


「そう……か」


「おとーさまはね、らいじゅーだって。かみなりのけしんだからまけないんだって」


 だから、と紡いだラフィーの声が、震えた。


「……だから、ぼくなかないよ。えいゆーの子だもん」


「ん、えらいぞラフィー」


 果たして、この芯の強さはいったいどちらに似たのだろうか。


 ミカに似ているようで、しかしクラリスにも似ているように思える意志の強さ。一度目標を決めたならば、道中にどのような障害があろうとも全てを粉砕し、乗り越えていくというブレる事の無い強い意思。


 それを確かに、この子もその身に宿している。


 小さな身体に―――その魂に。


「失礼します。アナスタシア様」


「ん」


 駆け寄ってきたメイドに耳打ちされ、小さく頷いた。


「クラリス、昔のミカの部屋を使うと良い。必要な家具類は使用人たちに運び込ませる」


「ご配慮、痛み入ります」


「気にするな。貴様も今や公爵夫人、貴族の一員だ。家族のために尽くすのは当然の事だよ」


 そう言い残して、私は執務室を後にした。


 部屋の外では護衛の兵士と夫のヴォロディミル、それから先ほど用件を伝えてくれたメイドの3人が待っていた。歩きながら「リュハンシクの戦況はどうか」と問うなり、ヴォロディミルはいつもと変わらぬ淡々とした声で、必要な事実だけを容赦なく報告してくる。


「は。リュハンシクの戦況は我が軍優勢、ノヴォシアの侵攻軍を20分足らずの戦闘でマズコフ・ラ・ドヌー側へ押し退けたと」


「……事実か」


「間違いありません。現地に派遣した観戦武官からの報告とも合致します」


 こちらを、と続けたヴォロディミルが手渡してきたのは、不鮮明ながらも両軍の先頭の様子を捉えた白黒写真たちだった。


 最大望遠で、それも慌てて撮影したものなのだろう。解像度は悪く被写体もブレていたが、しかしそれが何なのかは辛うじて分かる。


 銃を捨てて逃げ出すノヴォシア兵と、それを追撃する異形の機械の兵器たち。


 箱型の車体を持ち、履帯で推進し、車体上部に巨大な砲塔を備えた巨大な”移動砲台”とも言うべき戦闘車両がその写真だけでも5両ほど確認できる。車体側面にあるエンブレムから、辛うじてそれがノヴォシア側の兵器ではなく、リュハンシク守備隊―――ミカエル率いる軍隊のものであるという事が推察できた。


 明らかにこの世界の水準を超えた、未知の兵器たち。


 ミカエルはいったいあのような兵器をどこで調達したというのか。


 仲間に引き入れたというテンプル騎士団の技術士官によるもの―――それだけではないだろう。


 いずれにせよ、今はそれが自分たちではなく敵に牙を剥いているという事だけが救いだった。


 自室に戻るなり、そこでトレイに乗った黒い電話機を手にしたメイドから受話器を受け取るアナスタシア。それは一般的な電話機ではない―――ダイヤルすらないそれは、電話局を解さぬリュハンシクとの直通回線、いわば”ホットライン”のようなものだ。


 彼女の部屋にはそれと同じものが4つある。それぞれ蒼、桃、黄、黒と色分けがされており、マルキウ、ズムイ、ロネスクにいる弟妹達への直通回線となっている。


 しばらくすると、受話器の向こうから聞き覚えのある声がしてきた。


 ボーイッシュな少女のような、あるいは女性の声優が演じる少年のような声。


 間違いない、ミカエルだ―――本人ではないかと信じてしまうほど声までそっくりな影武者を、ミカエルはよく見つけたものである。今頃は極東に向かっているであろう”本物”の事を考えながら、前線で指揮を執っている彼女に問うた。


「……ミカ、()()()()の必要性があるとはどういう事か?」


 先ほどメイドから耳打ちされた内容こそ、まさにそれだった。


 今まさにリュハンシク州でノヴォシア軍を相手に戦っているミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ公爵より、ノヴォシアに対する『越境攻撃の必要性がある』という意見具申があったというのである。


《―――徒に相手を刺激する事は避けたい。そのご懸念はよく理解しているつもりです》


「ではなぜ?」


《国境の向こう側、マズコフ・ラ・ドヌー駐屯地がイライナ侵攻の前線基地として機能しているのは自明です。加えてノヴォシアは鉄道インフラが特に発達しています。列車がどれだけの量の物資や人員を輸送できるか、姉上ならばお判りでしょう?》


 紛れもない、その通りである。


 鉄道の誇る物資の輸送量は、文字通り戦線を維持するのに必要不可欠な生命線だ。その余裕あるペイロードであれば師団規模の人員を輸送する事すら可能であり、損失の即時補充など造作もない事だ。


 とりわけ、ノヴォシア本土からの直接輸送ともなればさらに融通も利く。


《確かに我らには力がありますし、技術では勝っています。しかしこの調子で攻撃を継続していれば、持久力に劣る我らが不利に傾くのは明らかです。そうなる前に国境の向こう側へと手を伸ばし、敵の継戦能力を削ぐ事こそ勝利への近道であると愚行致した次第です》


「……一つ問うが、それは()()()ミカの意思か? それとも貴様の意思か?」


《―――()()、と言うべきでしょうな》


 本物と何一つ変わらない声に声音―――強いているならばやや斜に構えているような感じが見え隠れするが、しかし紛れもなくミカと話をしているような錯覚に陥りそうになる。


《私は偽物ですが、同時に本物でもあります。本物に万が一の事があれば私がミカエルになります。逆もまた然り》


「どういうことだ」


《私たちは2人でミカエルなのです。これ以上は機密に関わりますので言えませんが》


 どうかご理解を、と続ける影武者の言葉に、アナスタシアは目を細める。


 理には適っている―――確かにこのまま戦闘を継続すれば、燃料も砲弾も尽きていくだろう。そうならないために攻撃のペースを緩める必要も出てくるかもしれないが、そうなれば相手の思うつぼだ。


 戦争とは限られたリソースで行わなければならず、猛烈な勢いで消費されていくリソースの負荷に耐えかねた方が負けるという事は、これまでの歴史が証明している。


 そうならぬための工夫が必要になってくるのだ。


 しかしアナスタシアが恐れているのは、過度にノヴォシアを刺激する事である。


 完全に理性を失い、国力を総動員した全面戦争を仕掛けてきたらどうするつもりか―――そうなれば、これまで綿密な計算の上に成り立たせてきたイライナの優位性が揺らぐことになりかねない。


《姉上、ご決断を》


「……その越境攻撃とやら、軍事施設のみに狙いを絞る事は可能か」


《ええ、可能です。民間人に使者を出す事なく、軍事施設のみを攻撃するとお約束いたします》


「……よろしい、越境攻撃を許可する」


 溜息の後に下された決断に、その場に居合わせたヴォロディミルが息を呑んだ。


「ただし標的は軍事施設のみ、これは絶対条件だ。いいな」


《承知しました。では、私はこれで》


 ブツン、と途切れる直通電話。


 受話器を戻し、アナスタシアは椅子に座り込んで溜息をついた。


 20分足らずの戦闘で侵攻軍を国境の向こう側へと放逐した、それはいい。


 問題はその勢いでの戦闘がどれだけ続くかという事であり、それはアナスタシア自身も懸念していた事だ。今のはその懸念に対する解答に過ぎない。


 いずれにせよ、これで戦争は新たなフェーズへ突入するであろう。


 誰も予想のつかない、混沌(カオス)という次のフェーズに。

















 開戦20分での惨敗という事実は、ノヴォシア侵攻軍の兵士たちの心を折るに充分であった。


 未だかつてこのような事があっただろうか―――歴史を顧みれば、兵力差や指揮官の采配により短期決着と相成った事例は数えきれないほど存在する。しかし開戦僅か20分で、それも単純な真正面からのぶつかり合いで終わるという今回の事例は史上初ではないだろうか。


 マズコフ・ラ・ドヌー駐屯地まで逃げ戻ってきた兵士たちの瞳からは、すっかり光が消えていた。


 殺される、殺される……うわ言のように繰り返す兵士たちの様子を、これから出撃する第二陣の兵士たちは驚愕したような目で見つめるばかりだ。


 精強極まりないノヴォシア軍の兵士をこうまで追い詰める兵器が、イライナには存在する―――その事実は既に第二陣の兵士たちの士気にまで、暗い影を落としていたのである。


「第一陣は20分で敗北したらしい」


「仕方がない、相手はあの”雷獣”だ……英雄の子孫だぞ、勝ち目がない」


「生き残れるのか、俺たち……」


 そんな彼らの傍らを、普通の兵士たちとは異なる服装の兵士たちが進んでいった。


 ノヴォシア軍のトリコロールカラーの軍服の上に、蒼いケープを纏った兵士たち―――”魔術兵”たちだ。国中から集め、そこから更に選抜した優秀な魔術師だけで構成されているノヴォシアの切り札である。


 彼らの登場に折れかけた兵士たちの士気は上がり方向へと転じたが、しかしそれは裏を返せば切り札を出さなければならないほど追い詰められている事の証でもある。


「ヘマすんなよ、アンドレイ」


「はい、軍曹」


 入隊したての若手魔術師―――アンドレイは、返事を返すなり息を呑んだ。


 学術都市(アカデムゴロドク)にある”帝国魔術学園”を無事に卒業したアンドレイ―――C組という可もなく不可もない適性のクラスだった彼とその同級生たちがこのイライナ戦線へ引き抜かれてきたのは、腕を見込んだからという理由だけではないだろう。


 ―――彼らは一時期、リュハンシクを守るミカエルと同級生であった。


 短い期間ではあったが苦楽を共にした学友―――それを前線に出す事による、ミカエルに対する心理的動揺を狙った配置転換であるという事は、アンドレイもアレーナも、そして他の元クラスメイトたちも薄々感じていた事であった。


(よりにもよってミカと戦うなんて……)


 学園で見せつけられた圧倒的な力を思い起こし、息を呑む。


 あれから5年―――その間もミカエルは努力を続け進歩しているのだろう。あの頃とは比べ物にならないほどに。


 しかしアンドレイ達にも譲れぬものはあるのだ。


 これも祖国のため―――故郷(ふるさと)のため。


















「―――イライナ公国宰相、アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァ公爵よりお許しが出た」


 リュハンシク城地下の中央指令室で立ち上がるなり、ルシフェルはミカエルと変わらぬ声で宣告した。


 意見具申が通った―――ノヴォシア帝国本土に対する越境攻撃が許可された。これでもう相手が殴って来るまで待つ必要はなく、イライナ攻撃の気配ありと見做せば先制攻撃が可能となる。


「これよりリガロヴァ宰相の命令に基づき、ノヴォシア帝国本土に対する越境攻撃を開始する」


 ―――オリジナルならば、きっとこうする。


 そういう確信がルシフェルにはあった。


 なぜならば、自分はミカエルだから。


 思考パターンに精神構造、声に顔、細かな仕草から趣味趣向に至るまで、ありとあらゆる生体データを参考に再現された完全なるミカエルのコピー。だからこそ、もし本物のミカエルが極東に行かずここで指揮を執っていたならばどうしたか、という事も想像がつく。


 本物とそう変わらぬ思考回路で決断を下すなり、ルシフェルは告げた。


「第一攻撃目標、マズコフ・ラ・ドヌー駐屯地。第二攻撃目標をマズコフ・ラ・ドヌー鉄道網、第三攻撃目標をノヴォシア帝国軍最高司令部(スタフカ)に設定」


 黒い瞳を細め、ルシフェルは宣告する。


 侵略者たちへの死を。



















「―――戦略兵器”イライナの槍”、起動」







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― 新着の感想 ―
ルシフェル君って最前線で投入されている戦闘車両や航空機同様、アナ様にとっては理外の存在なんですよね。文字通り異世界の技術で構築されたなにか。それが末弟そっくりに振る舞いいざとなれば自分がミカエルになる…
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