旅順要塞攻防戦
1894年、5月。
南下政策の一環としてジョンファの東部3省へ侵攻したノヴォシアは、しかし極東3国の予想外の抵抗とジョンファの人海戦術に出血を強いられ、ついに旅順要塞と帝国本土を繋ぐ臍の緒である奉天を失陥。
補給線を完全に断たれ、旅順要塞は孤立無援の状態と化した。
頼みのバルチック艦隊も壊滅し、港に迫るは倭国の誇る連合艦隊。
そして陸からは、ジョンファ、コーリア、倭国の3ヵ国軍が進撃を続ける。
極東戦争において最も凄惨で、最も熾烈を極めた一戦―――”旅順要塞攻防戦”が、幕を開けようとしていた。
1894年 5月7日
極東連合軍、旅順要塞へ進撃
旅順要塞攻防戦、始まる
『進めど進めど、見ゆるは戦友の屍ばかり。敵地より放たれし機銃掃射、さながら雷雨の如し』
『죽음은 무섭지만, 그러나 아이의, 그리고 손자의 세대에까지 문제를 남겨 버리는 편이 나는 무서운(死は怖いが、しかし子の、そして孫の世代まで禍根を遺してしまう方が私は恐ろしい)』
『我們的腳步、我們的犧牲、我們的血、將匯聚成守護未來的長城。為了我的後代、我願意犧牲生命(我らの一歩が、我らの犠牲が、我らの血の一滴が未来を守る長城となるだろう。子孫のための死ならば本望だ)』
極東連合軍兵士たちの手記より抜粋
ぐう、と腹の音が鳴る。
さて、最後に握り飯を食ったのはいつだったか……そんな事をぼんやりと考えながら、何気なく彼は空を見上げた。
鈍色の雲の天蓋が一面に広がり、日の光を覆い隠してしまっている。晴れ空に浮かぶ雲の一片であるならばまだ綿あめのようにも見えて愛嬌があろうものを、こうもびっしりと空を覆い隠しているようでは憎たらしい事この上ない。
下手をすれば今日が自分の命日にもなりかねないのだ。死ぬならば太陽の下で死にたいと考えていた彼は、しかし故郷たる蝦夷に残してきた家族の顔を思い起こし首を小さく振った。
戦場での死は武士の誉れ。しかし生きて再び蝦夷の大地を踏み、母上に孫を抱かせてやるのも親孝行というものだ。
ならば生きて帰らねばなるまい。決意と覚悟に腹を括る彼の傍らでは、部下たちが突撃前の一服を決め込んでいるところだった。
「少尉、”雪船少尉”」
「ん」
「少尉殿もどうです、冥途に煙草は持っていけませんぜ」
彼―――雪船少尉は首を横に振った。
生憎、彼に煙草を吸う習慣はない。
「いや、俺は遠慮しておく」
「そうですかい」
「しかし少尉殿、そんな難しい顔で何を見ておるんです?」
「突撃経路の再確認をな。あそこの鉄条網が邪魔になりそうだが……」
「生真面目なもんですなぁ少尉殿」
部下に茶化されながらも、雪船少尉の観察眼は鋭さを増していった。
雪原の狩人、エゾクロテンの獣人として生まれた彼は、本能的に分かるのだ―――狩る側の立場だからこそ、どういう位置取りが狩りにおいて最適か。どういう立ち回りが狩られ易く危険なのかを。
「……ハナの奴ならもっといい具合に……いや、アイツなら突っ込みそうだ。力押しで」
「ハナ? もしや少尉殿、国に女が?」
「たわけ。ハナは俺の妹だ」
「妹……ああ、そういえば仰っていましたな。剣術と魔術を引っ提げて世界を旅している妹がいる、と」
「ああ。時折実家にも便りが届くが……どうやら仲間には”しゃもじ”と呼ばれているらしい」
なにゆえしゃもじなのだ、と手紙を読む度に考えるが、しかし今となってはどうでもいい事だ。
「昔な……兄上とハナと一緒に3人で山を歩いていた時、大熊に襲われた事があってな」
「はぁ。少尉殿は蝦夷出身でしたな」
「ああ」
「……それで、どうなったのです?」
軍曹に話を急かされるなり、雪船少尉は聞いて驚くなよと言わんばかりの顔で、さらりととんでもない顛末を口にした。
「襲ってきたその熊をよりにもよってハナが撃退したんだ。信じられるか、まだ3歳の妹が鍛錬用の木刀で熊の眉間を一突きだぞ?」
今でも当時の話は鮮明に覚えている。
山で熊に襲われた際、長兄と自分はその威容に腰を抜かしてしまいまともに動けなくなってしまった。剣術の鍛錬を積み、それなりに身体は鍛えていたつもりではあったものの、しかしそれはあくまでもヒトという枠組みの中だけでの話だ。
大自然の脅威、とりわけ食物連鎖の中にダイレクトに立たされれば、ヒトとは何とも脆弱なものである。獣の如き爪も、牙も、大地を駆ける脚すらも持たぬ非力な存在。
熊の咆哮一つでそれを痛感し腰を抜かしてしまう有様だ。
何とみっともない事か。
何と情けない事か。
されどそんな兄二人を他所に、熊に猛然と躍りかかったのはまだ3歳だったしゃもじこと雪船ハナであった。
いったいどこで身に着けたのか―――3歳児とは思えぬ鋭い踏み込みと勢いを乗せた刺突は、熊を殺すまでには至らなかったもののその身に恐怖を刻むには十分に過ぎたらしい。
一撃を受けた大熊は危険を悟るや、負け惜しみのように一声唸ってから再び森の中へと姿を消していった。
今思えば、あの熊による襲撃事件が今の雪船家の上3人の運命を大きく変えたと言ってもいいだろう。
その一件で自分に剣術の才能がない事を悟った長兄は刀を置き家業を継ぐ道を選び、次男である少尉はもう妹に守られなくとも良い力を手にするため鍛錬を続け、更なる高みを目指し士官を目指し今に至る、というわけだ。
「3歳で熊を?」
「……今でも信じられんが、事実だ」
「……おっかない妹さんですな」
「ああ。だがあれだけ強いなら安心だ……まったく、今はどこで何をやっているのやら―――」
総員突撃用意、という号令が、雪船少尉の話を遮るように塹壕に響き渡った。
間もなくだ―――戦が始まる。
この極東戦争を終わらせるための最後の一戦が。
「突撃用意。各員着剣」
「各員着剣」
着剣、という復唱が続き、配下の兵士たちが鞘から引っ張り出した銃剣(他国のものと比較すると短刀に近い形状をしている)を小銃の着剣装置に装着。ぐらつきが無い事を確認するなり、両手で小銃をしっかりと抱え息を吐く。
友軍の砲撃が始まった。
後方に展開している榴弾砲―――ジョンファ、倭国、コーリア3ヵ国の砲兵隊、合計にして実に1500門もの榴弾砲が立て続けに火を噴いたのだろう。その光景は想像する他ないが、さぞ火山の噴火に勝るとも劣らぬ熾烈極まりないものに違いない。
ドン、と土が派手に舞い上がり、爆炎が曇天へと駆け上っていく。
これで少しは敵に被害が出てくれれば、と思ったところで、塹壕から大隊指揮官が立ち上がった。
白髭が特徴的な獣人の大隊指揮官は腰の軍刀を引き抜くなり、砲撃の降り注ぐ未完成の旅順要塞を睨み、切先を要塞へと向ける。
「―――上様の御為にッ!! 突撃ぃッ!!!」
突撃、と連鎖する命令を雪船少尉も復唱し、首に下げていたホイッスルを派手に吹き鳴らした。どこかで突撃喇叭の音が響き、塹壕から倭国兵たちが一気呵成に飛び出してゆく。
目指すは旅順要塞―――ノヴォシア遠征軍が立て篭もる、彼らの最後の拠点。
「行け行け行けぇッ! 止まるなぁッ!!」
軍刀を掲げ、小隊の兵士たちを鼓舞しながら雪船少尉も旅順要塞へ続く斜面を全力で突っ走る。
しかし未完成とはいえ、要塞と冠するだけあってその反撃は熾烈を極めた。
鉄定命に塹壕、それらと巧妙に組み合わせた重機関銃と軽機関銃の無慈悲な弾幕に、先に突っ込んだ兵士が1人、また1人と射抜かれて倒れていく。
雪船少尉の小隊よりも前を走っていた旗振り役の兵士の頭が唐突に爆ぜる。8mm弾の弾幕をよりにもよって頭に受けたのだ―――鉄砲で撃たれたカボチャよろしく頭が砕け、ピンク色の脳味噌の破片と頭蓋の欠片が周囲に飛び散る。
足が竦みそうになるのをぐっと堪え、兵士が取りこぼした旭日旗を拾い上げる。
旭日旗を部下に任せ、戦死した仲間の死体を踏み越えながらとにかく進んだ。
(窮鼠猫を噛むとはこの事か!)
ノヴォシアは劣勢―――その情報は倭国軍を大いに奮い立たせたが、しかし旅順要塞からの反撃は、とてもではないが死にかけの帝国のそれとは思えないほど苛烈極まりない。
向こうも腹を括ったというのか。もはや祖国への帰還はならず、ならば敵を1人でも多く道連れにしてやろうと、我が骨を埋めるは異国の戦地ぞと覚悟を決めたとでもいうのか。
手負いの獣ほど恐ろしい相手はいない―――つまるところ、そういう事である。
「!」
砲撃で穿たれたクレーターに一時的に身を隠した雪船少尉は、信じられないものを見た。
赫く、赫く、溶鉄の如く燃え盛る大太刀を左手一本で振るう隻腕の兵士が、重機関銃の弾雨の中を躊躇もせず、ただその顔に獰猛極まりない笑みを貼り付けたまま突っ込んでいく様を。
その身に纏う軍服は、確かに幕府陸軍のものだ(見間違いでなければ軍帽は海軍のものだった)。
―――負けていられない。
友軍の兵士の勇猛さに奮い立たされ、クレーターを後にした。
姿勢を低くして弾幕を掻い潜り、塹壕へと肉薄する。唐突に目の前に現れた倭国軍の士官にノヴォシアの機関銃手が驚いて銃口を向けるが、もう遅い。軍刀の刃が閃くや、ヒグマの獣人の首が宙を舞った。
振り払ったまま一歩を踏み出し、拳銃での応戦を試みる機関銃の助手の喉へ切先を突き入れる。まるで溺れているような、何か液体が泡立つ音を発しながら助手は倒れ、何度か痙攣してから動かなくなった。
塹壕はまだまだ、十重二十重に展開している。
要塞攻略戦は始まったばかりだ。
こんなにも楽しい事が、果たしてあっただろうか。
重機関銃もろとも機関銃手を斬り殺しながら、旅順要塞攻防戦に飛び入り参加した速河力也は笑みを浮かべていた。
刃が肉を断つ感覚が、斬られた敵兵の断末魔が、そしてすぐ傍らに感じる死の気配がこんなにも甘美で、こんなにも蠱惑的で、こんなにも魂を歓喜に打ち震わせるものであるとは。
きっとこれが、この血の滾る感覚こそが戦乱の世を駆け抜けた武士たちの追い求めたものなのだろう。
徳川による太平の世。戦国乱世が遥か昔の歴史と化し、己の力を持て余す毎日を送っていた力也であったが、そんな彼だからこそ戦場という場所は追い求めていたものの具現と言えたのかもしれない。
「Красный демон!(赤鬼だ!)」
「Стреляй, стреляй! Останови этого монстра!(撃て、撃て! あの怪物を止めろ!)」
返り血に塗れ、立ち塞がる兵士を全て斬り殺し、その返り血を浴びさらに赤く身を染めていく隻腕の怪物。
明らかに他の倭国兵とは異質なそれに機銃を射かけるノヴォシア兵であったが、しかし力也が身の丈にも達する大太刀を振るった次の瞬間には、その首は胴体から切り離されていた。
更なる鍛錬により、彼の振るう斬撃の速度は推定でマッハ9にまで達していたのである。
断熱圧縮熱で刀身が紅く染まるどころか、振るうたびに衝撃波まで発するそれは、空振りするだけでも人体を切断するに十分な衝撃波を放つ恐ろしい殺人剣へと昇華していたのだった。
塹壕を掘り返さんばかりの勢いで要塞の斜面の一角を削り、突破口を作り出す力也。続け、と他の兵士たちに背中で語りながら、我先にと塹壕の中へ突入していく。
敵の姿を認めるなり、力也は大太刀を投げ放った。
ごう、と大気を裂く音を発しながら真っ直ぐに飛んでいった大太刀が3人のノヴォシア兵の身体を貫通。じゅう、と肉の焦げる音を高らかに響かせて、3人の兵士を瞬く間に絶命させる。
襲い掛かってきた兵士の銃剣突撃を裏拳で弾き飛ばし、そのまま敵兵の顔面に全体重を預けた左の正拳突き。ぐしゃあ、と鼻の骨どころか顔の骨が砕け、顔面が陥没する感触を感じながらも殴り飛ばし、あろう事か素手で敵兵を殴り殺す力也。
血に塗れつつ左目を紅く爛々と輝かせ、牙の生えた口から吐息をゆっくりと吐き出す彼は、確かに赤鬼に思えた―――酒を飲み、力のままに暴れ、全てを破壊していく伝承上の怪物に。
ヒグマではない、”鬼”だ。
戦に取り付かれた、決して止まらぬ鬼だ。
唸り声を発しながらノヴォシア兵に飛びかかる力也。振るった拳で敵兵の脳天をヘルメット諸共陥没させ、突き刺さったままの大太刀を強引に掴んで薙ぎ払う。団子よろしく串刺しにされていた敵兵の死体が砲丸のように飛んでいき、白兵戦に備えていた兵士たちに激突した。
ドッ、と右の背中に感じる焼けつくような痛み。
振り向くと、そこには煙をたなびかせた小銃を持つノヴォシア兵がいた。
「―――ハハッ」
笑えてしまう。
ああ、今のは死ぬところだった。
もう少し狙いが逸れていれば、危なかった。
だが残念……まだ、生きている。
「いいぞ、殺してみろ」
「Монстр ...!(化け物め……!)」
「殺してみろォ!!」
ドン、と思い切り振り下ろした大太刀で敵兵を両断。
返り血を浴び、そのまま前に出る。
大太刀を振るって敵兵を斬り殺し、その隙を狙ってスコップ片手に突っ込んできた兵士に強烈な上段回し蹴り。側頭部を捉えたそれは、しかし常軌を逸した脚力と遠心力により人の範疇を超えた威力と化していた。
ぶちん、と蹴りの直撃に耐えかねた敵兵の首がすっ飛んでいく。
そのまま大太刀を地面に突き立て、力任せに振るった。
衝撃波に押される形で土が、土中の礫が散弾と化し、向こうの塹壕で防衛体制に入る兵士の一団を豪快に薙いでいく。
塹壕を1つ潰し、2つ潰し、既に1個中隊に匹敵する数の兵士を殺しておきながら、しかし力也の戦いぶりに陰りは見えない。
戦場こそが―――彼にとっての”故郷”なのだ。
戦闘シーン視聴中ミカエル君「」
ガクブルミカエル君「……え、自分あんなのと下手したら戦わされるんスか???」
ナレーター「 そ う だ よ (無慈悲)」




