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独立宣言

クラリス「ご主人様に騙されたので今度帰ってきたら徹底的に搾り取ろうと思ってますの」

ミカエル「ヒッ」

クラリス「三人目! 三人目頑張りましょうご主人様! 目 指 せ 百 人 ! ! 」



 1894年 5月5日


 イライナ 首都キリウ








 イライナの国旗の青は、どこまでも続く雄大な大空を。


 イライナの国旗の黄は、どこまでも続く広大な麦畑を。


 そして国章たる三又槍は軍事力の象徴として。


 イライナの国旗にはそういう意味があるのだと、初めて聞かされたのは旅の途中―――ミカ姉が読み書きのお勉強の合間に教えてくれた事だ。


 あの頃はまだ、皆と楽しく暮らす事が出来ればそれでいいと思っていた。雨風を凌ぎ、パンでお腹を満たせればそれで幸せだと。


 けれども今は違う。


 知識を得、旅を経験して視野を広げる度に”真の幸福とは何か”、”真の自由とは何か”を考えるようになった。


 イライナの歴史は繁栄の歴史―――そして屈辱に塗れた、隷従の歴史。


 公国の象徴である青と黄を配したドレスに身を包み、イライナハーブで編んだ花冠を身に着け、護衛官たちを引き連れて私は歩いた。車を降りてからキリウの国会議事堂に入るなり、この日のために集まってくれた貴族たちが拍手で出迎えてくれる。


 一糸乱れぬ動作で銃を抱え、通路の両脇にずらりと並ぶ儀仗兵たち。左右からはカメラのフラッシュがひっきりなしに投げかけられ、イライナが新たな一歩を踏み出さんとするこの日を全国に報じようと、新聞記者たちが私の姿をフィルムに収めんとする。


 メインホールに足を踏み入れるなり、大きな拍手が私を出迎えた。


 緊張する―――願う事なら今すぐ帰りたいけれど、でもこれは私にしかできない事。


 この身体の中を流れる、大昔から脈々と受け継がれてきたキリウ大公の血。お母さんがその命と引き換えに守ってくれたこの命を、祖国へ還す時だ。


 ちらり、と視線を隣に向けた。


 他の護衛官とは異なる、斑模様の迷彩服。バイザー付きのヘルメットと、背中に背負った大きな盾。腰には同じく大きな警棒が収まった鞘があって、手には使い慣れたAKがある。


 お兄ちゃんだ。


 私を守るため、血反吐を吐く思いでアナスタシアさんの訓練に耐え抜いたお兄ちゃんは、護衛官としての訓練で優秀な成績を残し、他の候補者を押し退けて”主席護衛官”の地位を欲しいがままにした。


 今では皆が彼をこう呼ぶ―――【黒獣(コクジュウ)のルカ】と。


 ミカ姉に続く新たな英雄に見守られ、私は壇上へと上がった。


 イライナに栄光を(スラヴァイライニ)、のコールがメインホールに満ちる。ひっきりなしに響く大歓声とカメラのフラッシュ、それらが収まるのを待ち、私はマイクに向かって言葉を紡ぐ。


 侵略者から押し付けられた言葉ではなく、自分たちの母語で。


 祖先から受け継いだ、自分たちの言葉で。


「Пані та панове, дякую вам за те, що зібралися тут сьогодні. Я Нонна І. Я спадкоємиця крові великого князя Кіріу(紳士淑女の皆様、本日はお集まりいただき感謝いたします。私はノンナ1世。キリウ大公の血を受け継ぐ者です)」


 独立宣言の練習は何度もこなした―――原稿を見なくても、必要な文言が、要点が、全てすらすらと頭から流れ落ちてくる。


「Наша історія в Елейні — це історія процвітання, благословенного рясними врожаями, і рабства, заплямованого кров’ю та приниженнями. Втрата нашої землі, власності, суверенітету і навіть власної мови досі свіжа в пам’яті всіх елійців(我らイライナの歴史は、豊富な作物に恵まれた繁栄と、そして血と屈辱に塗れた隷従の歴史であります。大地を奪われ、財産を奪われ、主権を奪われ、そして自らの言葉までもを奪われた事は、全てのイライナ国民にとって記憶に新しい事でしょう)」


 この独立宣言をすれば―――ノヴォシアと戦争になる。


 アナスタシアさんはそう言っていた。


 そしてミカ姉はその侵略を水際で食い止めるため、子供たちと妻を逃がしただ1人、最東端たるリュハンシクの城に残っている、と。


 心配だけど、ミカ姉なら守り抜いてくれる―――そしてまた、あの可愛らしい笑顔を見せてくれると信じて、私も今やるべき事をしなければ。


 この声が、この言葉が、イライナを隷従の鎖から解き放つのだから。


「Але вам більше не потрібно цього дотримуватися. Настав час розправити крила та злетіти до свободи. Щоб успадкувати традиції та культуру, передані від наших далеких предків, я вирішив стояти тут сьогодні за підтримки моїх хоробрих товаришів, щоб відбудувати та проголосити сильну націю, вільну, процвітаючу, права якої ніхто не може порушувати(しかしもう、それに従う必要はありません。我らはその翼を広げ、自由に飛び立つべき時がやってきたのです。遥か祖先から受け継いだ伝統と文化を継承し、自由で繁栄に満ち、何人たりとも我らの権利を侵す事の出来ぬ強い国家を再建するため、そしてその宣言をするため、私は今日、勇敢な同志たちの力を借りてここに立つ決心をいたしました)」


 しん、と議事堂が静まり返る。


 息を呑んだ。


 言葉がこんなにも、こんなにも重く感じる事が果たしてあっただろうか。


 お兄ちゃん、ミカ姉……そう声を発していた言葉から溢れ出んとするこの言葉が、けれどもずっしりと水銀のように重く感じられる。


 歴史に残る言葉、遥か後世まで刻まれる一言。


 それを発する前に、息を吐いた。


 堂々としなければ。


 今日、この瞬間から私はノンナ1世―――このイライナ公国を背負って立つキリウ大公として、世界に名乗りを挙げるのだから。


 



「Цим я оголошую про постійну та незворотну незалежність Елайни від Новосіанської імперії та заснування князівства Елайна в ім'я Нонни I та моїх предків!(私は今ここに、ノヴォシア帝国からの永久的かつ不可逆的なイライナの独立と、そして、ノンナ1世と祖先の名の下に、イライナ公国の建国を宣言します!)」





 会場が、湧いた。





 万雷の拍手と大歓声。





 私の言葉が―――歴史を動かした瞬間だった。

















 独立宣言に拍手で応じながら、私はそっと隣にいるヴォロディミルに小さな声で言った。


 さあ始まるぞ、と。


 新たなイライナの歴史が。


 そして血に塗れた、新たな門出が。


 踵を返し、ステージの袖口から離れつつ、ヴォロディミルに問う。


「リュハンシクの状況はどうか」


「現時点ではまだ戦闘は始まっておりません。が、この独立宣言がノヴォシアの知れるところとなるのも時間の問題でしょう。イーランドやアスマン・オルコ、ドルツ諸国や新生グラントリア帝国のメディアも来ています」


「いずれにせよ万全の準備を。リュハンシク、ズムイ、ロネスク、マルキウ4州の守りは絶対に突破させてはならん」


「心得ております。既に4州への鉄道輸送の準備は万全、現時点で動員できる兵士も最大限確保しています」


「想定される彼我の戦力差は」


「甘く見積もって8対1……しかしノヴォシアにとってイライナは文字通りの生命線、いわば臍の緒です。最悪の場合、極東の戦力をそっくりそのままこちらに引き抜く可能性も」


 ノヴォシアのはかりは、極東よりもイライナの方が重いと断じるだろう。


 イライナは全土が穀倉地帯であり、化石燃料も鉱物資源にも富み、何より帝国時代に工業化政策の一環として巨額の投資を行ってきた地域でもある。独立されればそれらの投資が無駄になるうえ、食糧事情がたちどころに厳しくなるのは必定。国民の不満も頂点に達するだろう。


「倭国の動きは」


「奉天を突破後、そのまま旅順へ雪崩れ込む構えのようです。それと北方でもサハリン(樺太)へ攻勢を開始したとの事……あのサムライ共、どさくさに紛れて領土拡大を」


「我らにとって害とならぬのならばそれでいい。それに第一、この戦で帝国が倒れても次に誕生するのは社会主義国家だ……ここで大きな爪痕を残せるならばそれに越した事はあるまい」


「同感です」


 そう、この戦いは序章に過ぎない。


 イライナ独立の暁には、すぐ隣に誕生するのはノヴォシアの国土をそのまま受け継いだ社会主義国家だ。新たなイデオロギーで門出を祝うのは良いが、それはそっくりそのままノヴォシアが抱えている問題まで継承するという事を意味する……とりわけ食糧問題は無視できないだろう。


 一応は独立に協力してくれた礼として食料の輸出は行うが、それだけでは飽き足らない筈だ。


 権力の座に、それも暴力と血に塗れた拳で権力を手にした者の欲には底がない。いずれは”偉大なる強いノヴォシアの再建”を名目に、イライナへ手を伸ばしてくる可能性は極めて高い。


「……私は、きっと地獄に落ちるのだろうな」


「何をおっしゃるのです」


 ミカを、弟妹達を前線に配置した事に、今でも後悔の念を覚える。


 仕方のない事だ、その存在自体が抑止力となるのだから―――そんな合理的な理由が声高に主張をするが、本心では分かっている。合理性、政治的判断。そんな小綺麗な言葉で表面だけを厚く塗り固めただけの詭弁に過ぎない事は。


 だからきっと、私は地獄に落ちるのだろう。


「貴女はご立派に、公爵としての責務を全うなされております」


「ありがとう、ヴォロディミル」


 ともあれ、胸を張ろう。


 地獄に落ちようが天に召されようが、そんな事は関係ない。


 このアナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァを待ち受けるのが地獄の業火だろうと、血肉を渇望する亡者の群れであろうとどうでもよい。


 私は成すべき事を成す―――そして胸を張って地獄でもどこにでも征こう。


 行き先がどこであれ、私の歩みは絶対に止められない。


 何人たりとも、絶対に。


















 ―――ついにこの時が来た。


 イライナ独立宣言の報を聞いた皇帝カリーナは、不機嫌そうに目を細めるや、ぎり、と音がするほど歯を噛み締める。


 よりにもよってこのタイミングで。


 ノヴォシアが極東で敗北を続け、当初の目論見が微塵も達成できていない状況で―――兵站に負担がかかり、動員できる人員にも制限が生じているこの状況で、イライナは独立を宣言した。


 なんたる傲慢か。


 ノヴォシア帝国の庇護を跳ね除け、しかし工業化に伴う投資とその恩恵ばかりを受け取って、何一つ恩を返さぬまま新たな国家としての道を歩もうとしている―――そんな不誠実な事など、断じて許されぬ。まかり通っていい筈がない。


 帝国の庇護がなければ、畑を耕す事しかできぬイライナの民など、今頃他国の侵略に呑み込まれ、領土の一部と化していたに違いない。それを防ぐために帝国の版図として迎え入れてやったというのに……両国の歴史を思えば思うほど、皇帝カリーナの胸中には無礼極まりない振る舞いに対する怒りが込み上げていった。


「陛下……いかがいたしましょう」


「……マズコフ・ラ・ドヌーの部隊は」


「既に二個大隊が集結しております。場合によっては西部軍区から追加動員も可能です」


「よろしい、直ちにイライナに投入可能な全戦力を差し向けよ。あの無礼極まる分離主義者共を討つのだ」


「はっ、直ちに」


 ついに始まる。


 のちの世に『イライナ独立戦争』として記されることになる、両国の未来をかけた一戦が。









  










 西部軍区に動きあり、という情報は、リュハンシク城地下の中央司令部に入るなり内部でキーボードを叩いていたオペレーターの女性型戦闘人形(オートマタ)が告げた。


 正面のメインモニターには、ドローンが撮影している西部軍区を出撃する侵攻部隊の動きと、イライナの防衛ラインの様子がそれぞれ個別のウィンドウに表示され、リアルタイムで更新され続けている。


「西部軍区、マズコフ・ラ・ドヌー駐屯地より飛竜部隊が出撃。対消滅爆弾の携行を確認」


 映像がズームアップされる―――ズミール、という品種の戦闘用飛竜。その鞍に跨る竜騎兵(ドラグーン)と、鞍の両側面に吊るされた対消滅爆弾の威容がアップで映し出され、ミカエルの代役としてここにやってきた俺は目を細めた。


 そうか、そこまでやるか。


 対消滅爆弾―――核兵器級の戦略兵器で、お互いが滅ぶまでのパイ投げ合戦がお望みなのか、カリーナ氏は。


 マイナス50000ミカエルポイントくらいの減点だ。これは許しがたい。


「リュハンシク飛行場、迎撃隊出撃。国境を越え次第撃て」


「了解」


「全機甲師団、出撃用意。砲兵隊の状況はどうか」


「既に配置についています。現在”侵攻破砕線”に照準を」


「よろしい。砲撃準備体勢のまま待機―――さて」


 ふう、と息を吐いた。


「GB-621」


「はい、閣下」


「音楽が聴きたい。ベートーヴェンの”歓喜の歌”を」


「はい、直ちに」


 指令室内にゆったりと流れる伴奏―――少ししてから、ドイツ語の歌唱が始まる。


 薄暗く、オペレーターがキーボードを叩くばかりの音が響く指令室内部に流れ始める荘厳な調べ。不思議とこんな殺風景な場所でも、礼拝堂のように思えてしまうから不思議である。


「ノヴォシア軍、国境を越えます」


「―――全軍攻撃開始。侵略者どもを弁えさせろ」


 命じ、そっと座席から立ち上がった。


 指令室内の壁面、穿たれたスリットから溢れていた蒼い光が、戦闘態勢を意味する紅い光に変色していく。空中に投影される立体映像表示も『мирний час(平時)』から『Під час бою(戦闘中)』に切り替わり、まあ俺たちみたいな機械ではなく人間だったら緊張感の一つでも覚えているのだろう。


 だが俺たちは機械だ。それ以上でも以下でもない。


 与えられたタスクを、プロトコルに従って淡々と処理するだけのお人形―――それだけである。


 でも、それでも。


 ミカエルの人格を宿している以上は、アイツの感情を植え付けられている以上は、俺はどうしても機械らしくは振舞えない。


 機械でありながら奇怪な存在、それが俺だ。


「さあ、謳えよイライナ」


 立ち上がるなり、小さな両手を広げた。





「英霊と精霊と神の御名の下に―――打ち震えんばかりの歓喜を!!!!!」












 1894年 5月5日 11:37





 ノヴォシア、イライナに全面侵攻





 イライナ独立戦争、開戦




なんでノヴォシア世界大戦も始まってないのに崩壊のカウントダウン始まってるんです?

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― 新着の感想 ―
来るべき時が来ましたか…自国の食料生産を担う人々から文化も尊厳も奪い、奴隷のように扱うなんて無理があるんですよツァーリ。まして今のノヴォシアは自業自得で陸軍も海軍も壊滅状態。共産主義者たちも元気一杯な…
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