お兄ちゃんズがやってきた
インターネットの無いこの世界で情報を得る手段といえば、まあ新聞やラジオであろう。前世の世界であればパソコンを開いたり、スマホを使ってインターネットニュースを見る事もあったし、SNSで色々と世界の事を知る事も出来た(偽情報も多かったけど)。
しかしこっちの世界にはインターネットも無ければスマホもない。パヴェルが似たようなのを作ったけれど、機能はかなり限定的だ。
というわけで、こっちの世界では相変わらず新聞やラジオが重要な役割を果たしている。
「ご主人様、コーヒーをお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
ミルク多め、砂糖多めの甘ったるいコーヒー。これを飲まなきゃ一日は始まらない。糖分とカフェインはミカ君の友達なのだ。
朝食の代わりに持ってきてくれたピロシキの皿も受け取って、熱々のそれに小さく齧りついた。油で揚げられた心地良い食感と香ばしさがあっという間に脳まで届き、エンジンがかかるような感覚を覚えた。
クラリスが部屋の前の小さなポストから新聞を取って渡してくれる。礼を言いながら新聞を広げ、コーヒーの入ったマグカップを片手に新聞記事へと視線を向ける。
【キリウ法務省、イサーク・キーロヴィッチ・オゼロフ氏を逮捕。脱税及び麻薬取引の疑い】
【インペラアトリッツァ・カリーナ級戦艦、二番艦が進水式。艦名は『インペラートル・アレクセイ』に決定】
ん、キリウ法務省って兄上のいるところじゃあないか。気になったので記事を読んでみるが、どうやら三日前にキリウで脱税と違法品の密輸の容疑をかけられていた大貴族であるイサーク・キーロヴィッチ・オゼロフの屋敷に、法務省の実働部隊【執行部】が家宅捜索に入ったらしい。
んで、それで大貴族が逮捕か……最近この手のニュースが多い。大きな権力があるからと言って、法に触れるような行為は絶対ダメなのだ。貴族とか大貴族とか、特権を持ってるような身分の皆さんにはぜひ自らの行いを顧みてほしい。
え、ミカエル君だって強盗やってるじゃないかだって?
バ レ な き ゃ 犯 罪 じ ゃ な い ん だ よ 。
まあそういう事だ。矛盾してる? 知らん、人間誰もが矛盾を抱えて生きているのだ。
ジリリリン、とホームにある電話が鳴るのがここまで聴こえた。冒険者向けのレンタルホーム、そこを使用している冒険者と円滑にコミュニケーションを取るために駅が設置した電話ボックスだ。
誰だろうな、と思いながら立ち上がろうとすると、既にクラリスが外に出て受話器を取っていた。
『はい、血盟旅団……え、ああ、はい。ご主人様……ミカエル様はこちらの列車に。ああ、はい、はい。かしこまりました。道中お気をつけて』
いったい何の用件だったのだろうか。このクッソ寒い中、相変わらず防寒着も無しにメイド服姿で外に出て戻ってきたクラリスは、いつもと変わらぬ表情で俺の隣に座り、温かいコーヒーを飲み始める。
「用件何だったの?」
ピロシキをもぐもぐしてからコーヒーを口へ運びつつ問いかけると、クラリスはさらりと、まるで何の変哲もない会話のようにあっさりと、しかしミカエル君にとっては衝撃以外の何物でもない事を告げた。
「お兄様方がザリンツィクにやって来るそうですわ」
「ブフォッ!?」
衝撃のあまりコーヒーを盛大に吹き出してしまう。「大丈夫ですかご主人様!?」と心配そうにクラリスがハンカチで拭いてくれるが、大丈夫ではない。いや、コーヒーではノーダメージだ。ただ、その……え、兄上たち来るの? マジで?
いやいやいや、待て待て待て。え、何で?
「え、何で? なんでお兄ちゃんたち来るん?」
「例の計画について綿密な話し合いがしたいそうで……電話で話すより、3人で集まって直接話し合いをした方が円滑なコミュニケーションが取れる、と法務官より直々に」
しかも電話かけてきたのマカールじゃなくてジノヴィの方かよ。よりにもよって話の分かるマカールじゃなくて融通が利かない方の兄貴から電話とは、なんてこったい。
「ええと……断った方が良かったでしょうか?」
「いや、兄上たちの申し出を無下にもできないし、おもてなしの準備をしなきゃな……とりあえずこの件は皆に話しとこう」
「かしこまりました」
そうかそうか、お兄ちゃんが来ちゃうのか……しかもダブルで。
マカールはまだ分かる。屋敷に居た頃から何度も話をした相手だから、どういう性格なのかということもこっちは把握している。だがしかし、長男のジノヴィの方はというと……。
ぶっちゃけ、一回も話をしたことがない。声は聞いた事はあるし、顔も部屋の中から外を見た時に剣術の鍛錬をしている姿を見たことがあるから知っている。でも屋敷を出て法務省に就職してからはどうなってるのか全然わからん。
まあ、あっちは家督継承候補の中でも二番手という才人だ。それに対しミカエル君は家督継承権のない庶子、家からの扱いが違う。
あっちは多分、俺の声を聞いたことがないどころか顔すら知らないだろう。そのレベルである。
さてさて、そんなんでうまくいくのか……というか緊張してきたな、大丈夫かコレ。
まともに話もしなかった兄なので、どんな性格の人なのかもいまいち分からない。屋敷に居た頃であれば寡黙で才能溢れる兄上という感じだったんだが、噂じゃあ法務省に入ってからは氷のように冷たい、一切情け容赦をかけない法務官になったという。
え、何それ怖くない???
本当に大丈夫なんだろうか……ミカちゃんは不安である。
白く、白く、どこまでも続く雪雲の空。微かに空いた雲の切れ目から差し込む日の光に照らされながら、1体の飛竜がザリンツィクの空を舞う。
鋭い牙の並ぶ口と、視線の先にある全ての生物を本能的に畏怖させる鋭い眼光。灰色の外殻と鱗はあらゆる攻撃を受け付けぬほどの強靭さを誇り、その身体を動かす屈強な骨格と筋力は、その攻撃力の高さを保証する。
まさに食物連鎖の頂点に君臨するに相応しい生物、それこそが飛竜である。
しかしそれは野生の飛竜、というわけではなかった。
強靭な外殻の上に装着された金属製の防具から分かる通り、獣人たちに飼い慣らされた飛竜である。防具には帝国騎士団の紋章や帝国の国章が描かれており、一目でその所属がどこなのかを知る事が出来た。
地上からの誘導に従い、飛竜を巧みに降下させていくのは、飛竜の背中でその手綱を握る法務官ジノヴィ。防寒着と目を保護するためのゴーグルを装着した彼の後ろに、弟のマカールも飛竜に跨った状態で乗っている。
確かに冬場は列車や車が通行できない程の積雪のせいで帝国のあらゆる流通はストップするが、それはあくまでも地上の乗り物の話。空を飛んでいくことができる飛竜であれば、雪などそもそも関係ないのだ。
ザリンツィク守備隊の飛行場へと降り立つと、武装した数名の騎士たちが出迎えてくれた。
「長旅お疲れ様です」
「ああ、こちらこそ急な連絡ですまない」
敬礼しながらそう言い、ジノヴィは飛竜の背中から降りた。ここまで乗せてきてくれた飛竜の頭を撫でると、すっかりヒトに慣れた飛竜は嬉しそうに喉を鳴らす。
飛竜の調教には本当に手間がかかるのだ。野生の飛竜を捕獲したところで調教する事は不可能であり、卵から孵ったばかりの雛の段階からヒトに慣らさなければ、こうして獣人を乗せて空を飛ぶ事などあり得ない。
兄に続いて飛竜から降り、飛竜に積み込んできた荷物を持つマカールも、内心では兄の多才さに驚愕していた。
魔術の才能、特に氷属性に高い適性を持ち、剣術でも姉であるアナスタシア程ではないが優秀な成績を収めるジノヴィ。マカールも何度か手合わせしてもらったことがあるが、手も足も出なかった。5秒も立っていられればいい方で、気が付けば目の前に地面があった、という事など当たり前だったのである。
更に勉強でも常に優秀でテストでは百点満点は当たり前。魔術でも適性の高さに頼ることなく、常に自分でより効率的な魔術の運用方法を、教本を何度も読み込んでは実践していたのをマカールは知っている。天才と努力家が組み合わさればどうなるか、という疑問を体現しているのが、このジノヴィという男だ。
それに加えて飛竜まで乗りこなすとは、一体どこで覚えたのだろうか。
騎士団が用意してくれた車の運転席に乗り込み、マカールはエンジンをかけた。ドルンッ、とエンジンがかかり、うっすらと雪の積もった道を騎士団所有のセダンが走っていく。
「ラジオでもかけましょうか」
「好きにしろ」
スイッチを入れると、聞こえてきたのは随分と陽気な音楽だった。アメリア合衆国で流行っている”ジャズ”という音楽らしい。どこか悲しげで儚い曲調のものが多いノヴォシアにはない陽気さで、これもなかなか悪くない……そう思っているマカールに、助手席に座るジノヴィは心配そうに問いかけた。
「……なあ、マカールよ」
「何です、兄上」
「ミカエルってどんな奴だ?」
「話の分かる奴ですよ。礼儀正しくて……庶子だとは思えないくらいマナーを弁えてます」
「そうか」
才能溢れるリガロフ家の長男と、存在しないという扱いになっていた末っ子の庶子。関わり合いが今まで無かったのだから、初めて会う弟の事が気になるのも仕方ないだろう。
仕事一辺倒で冷徹な男、というイメージを持たれがちのジノヴィであるが、実はただ不器用なだけなのかもしれない。実の兄の意外な一面を目の当たりにしたマカールの口元に、微かに笑みが浮かんだ。
「……なあマカールよ」
「なんです」
「ミカエルってどんな顔なんだ?」
「女っぽい顔ですよ。というか女です、最早」
「ん? だってお前は弟って」
「ええ、弟です。その……”アレ”が生えた女だという認識でOKだと思いますが」
「アレが生えた女」
気のせいだろうか、マカールの脳裏にはジト目で『誠に遺憾であります』と抗議してくるミカエルの姿が思い浮かんだが、誤りではないだろう。そういうものだ。
「髪の色は」
「黒です。前髪の一部だけ白いんですぐわかります」
「ん、金髪じゃないのか」
「金髪なのは俺たちだけですよ。ミカエルはほら、母上じゃなくてレギーナっていうハクビシンのメイドから生まれた奴なので」
「そうなのか……てっきりミカエルもライオンの獣人かと」
ミカエルはハクビシンの獣人である。だからライオンの獣人として生まれ、鬣を思わせる金髪のジノヴィやマカールとは違い、彼だけは黒髪なのだ。
しかもハクビシンの獣人は貴族としてはあまり好まれない。畑を荒らし屋根裏に住み着く害獣、というイメージが強いためだろう。だから貴族の婚姻では敬遠されがちで、勇ましいライオンや虎といった肉食獣の獣人が好まれる傾向にある。
「……なあマカールよ」
「なんです」
「ミカエルの奴、この土産で喜んでくれるだろうか」
不安そうな声で後部座席を振り向くジノヴィに、マカールは苦笑いで応えるしかなかった。
一度も顔を見たことも、声すら聞いた事の無い末っ子との面会。せめて兄らしいことをしてやろうと意気込むのは良いのだが……不器用にも程があるというものだ。
バックミラーには、後部座席にどっさりと積み上げられた紙袋が見える。どれもこれもキリウ市内にあるお菓子の袋だ。菓子パンにスイーツ、中にはちょっと高級なケーキまで。それらに紛れている袋には紅茶が入っている。
「その……ミカエルは甘いものが好きと聞いてな」
「ええ」
「ぶっちゃけどれがいいのか分からないから、市内にある甘いものを一通り買ってきたのだが」
「不器用が過ぎますね兄上」
「喜んでくれるだろうか」
「ドン引きすると思いますよ」
そんな会話をしている間に、車は交差点を過ぎてザリンツィク駅へと差し掛かりつつあった。ここが工業の街だからなのか、駅の天井には工場の煙突や歯車を模したオブジェが置かれており、駅前にある凍てついた噴水の台座もまた歯車を模した形状となっている。
そこからぐるりと駅の裏側へと回り込み、駐車場へセダンを停めた。エンジンを切って大量の荷物をマカールに持たせ、駐車券を受け取るジノヴィ。普段は冷静な彼の顔にも、生まれて初めて対面する弟に拒絶されないかを心配するかのような表情が浮かんでおり、マカールは苦笑いが止まらなかった。
それにしても、重い。菓子パンやスイーツやケーキが中身だというのに、この重さは何なのか。線路を横断する歩道橋の階段を上りながらマカールは思う。まるで幼少の頃、剣術の師範から渡された鍛錬用の重りのようだ。
本人から聞いた話では、ミカエルが率いる冒険者ギルド『血盟旅団』の列車が停車しているのは17番ホーム。確かにこれ見よがしに17と記載された看板のあるホームには、4両の客車や貨物車両を牽引した大きな機関車が停車している。
大型の蒸気機関車はノヴォシアでは珍しくないが、あそこまで巨大なものは見たことがない。一体どこで調達したのか、暇があったらミカエルに聞いてみよう―――そう考えているうちに、ジノヴィとマカールの2人は17番ホームへと降り立っていた。
やはりザリンツィクも雪がすごい。脹脛の辺りまでを余裕で呑み込む積雪の量に驚愕するが、そんな量の雪にもめげずにホームの雪かきを行う小さな人影が目について、ジノヴィは感心した。
あんなに小さな子供でさえ雪かきを頑張っているのだ、自分も負けてはいられない。
そう思いながら、ジノヴィはその小さな人影に声をかけた。
「やあ、君」
「はい?」
雪かきをしていた小さな人影―――身長150㎝くらいの黒髪の少女が、きょとんとした表情で顔を上げた。
ジノヴィの顔を見た途端に目を見開く少女と、その少女の顔を見た途端に吹き出しそうになるマカール。そんな2人にも気付かずに、ジノヴィは淡々と少女に問いかける。
「血盟旅団の列車はこれか?」
「え、ええ」
「なるほど。君は血盟旅団所属なのかな?」
「はい」
「そうか、では早速で悪いが……法務省から来たジノヴィ・ステファノヴィッチ・リガロフだ。私の弟―――ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフに会いたい。彼を呼んでくれ」
すると小柄な黒髪の少女は近くの雪の山にスコップを突き立て、頭に被っていたウシャンカをそっと手に取る。
露になるのは一部が白い前髪と、猫の耳に近い形状のハクビシンの耳。
「あの……ミカエルは自分です」
「そうかそうk……えっ」
今度はジノヴィが目を丸くする番だった。
「ミカエルです。初めまして、ですね。兄上」




