天照、吶喊ス
パヴェル「何か知らんけど極東の俺が何かやらかしそうな気がする」
ミカエル「極東の俺 is 何?」
ナレーター「答えは本編で」
「Mr. Hayakawa, that's way too much!(ミスター・ハヤカワ、いくらなんでも無茶だ!)」
イーランドから派遣されてきたベイカー中佐が悲鳴じみた声を戦艦『天照』艦橋の発令所で張り上げるが、無理もない事だった。
艦橋から一望できる、背負い式に搭載された2基の30.5㎝連装砲。それと全く同じ配置の物が官局の左右から煙突にかけても装備されており、更には後部甲板にも同じく背負い式に30.5㎝砲を2基、合計で8基16門も搭載した、火力に特化した戦艦というのがこの新造戦艦”天照”の実態であった。
当然、船体もそれまでの戦艦より大きなものとなり、全長はのちの金剛型戦艦より長大な240mにまで達している。それをイーランド製の試作型蒸気タービンで十分な機動性を確保しつつ、不要な装甲を可能な限り削って軽量化するというかなり極端な設計となっている。
攻撃力、速度に優れ、これだけの重装備でありながら速度は破格の27ノット。建造を担当したペンドルトン・インダストリーが技術の粋を尽くして生み出した野心作と言っていいだろう。
そんな天照の向かう先に見えるのは、ノヴォシア帝国海軍バルチック艦隊の複縦陣。
立ち昇る黒煙はさながら怒り狂う龍の如しであり、ここから見えるだけでも戦艦は20隻に迫る程―――それもノヴォシア帝国海軍の象徴、インペラトリッツァ・カリーナ級戦艦を旗艦に頂く艦隊である。文字通りの最高戦力といってよい。
そんな大艦隊のど真ん中に、天照ただ1隻で突っ込めというのである。
「Retract this order! This is suicidal!(命令を撤回してくれ! 自殺行為だぞ!)」
「Don't worry too much, Lt. Colonel Baker(そんなに心配なされるな、ベイカー中佐殿)」
常軌を逸した命令に目を丸くするベイカー中佐に、しかし発令所に陣取る隻腕の男―――速河力也大佐は飄々と返す。
イーランドでの生活や食文化、そして何よりイーランド語にも慣れた彼の流暢な返答に、ベイカー中佐は発しようとしていた言葉を呑み込んだ。
―――この男はいったい何を考えているのか。
彼に与えられた任務はそもそも、天照を軍港たる浦賀まで回航することである。元々のスケジュールでは浦賀で最終調整を施したのち、出撃する連合艦隊の旗艦として倭国海での決戦に臨む予定となっていたが、バルチック艦隊の進撃が予想以上の速度であった事から三笠が引き続き総旗艦とされたという経緯がある。
つまるところ、あくまでも回航が最優先目標であり戦闘が目的ではないのだ。
なのにこの男は、敵艦隊を見るや獲物を見つけた猟犬の如く、その喉笛に飛びかからんとしている。
速河力也という男がどういう男なのか、ベイカー中佐は噂程度には聞いていた。
曰く『生まれる時代を間違えた男』。
その気質は、とりわけ”戦い”に関しての考え方はかつての戦国乱世の侍に近しいものであり、戦で死ぬ事こそ最高の名誉と捉え、強敵との死闘にこそ生きる意味を見出すような、ある意味で”戦国乱世の擬人化”と言っていい。
天照回航の任務にあたり、艦を動かしている人員の7割は倭国から派遣されてきた海軍士官や水兵たちだ。もちろんペンドルトン・インダストリーの技術スタッフやイーランド海軍の乗員も乗り込んでいる(ベイカー中佐もその中の1人だ)。
「If I were to flee before the enemy, I would be laughed at by the heroes and great warriors sleeping in the underworld. I don't want to be that way(敵を前に逃げ去ったとあっては、黄泉の国で眠る英雄豪傑に笑われる。俺はそうはなりたくない)」
「But, Colonel...!(しかし大佐……!)」
「Stay calm and collected, Lieutenant Colonel. If you freak out, the soldiers will too(そこでどっしり構えていればいい、中佐。狼狽えていては兵の士気にかかわる)」
若干の倭国訛りがあるイーランド語で言い切るなり、彼は声を張り上げた。
「これより本艦は単独で敵艦隊へ突入、敵艦列の分断を試みる!」
常軌を逸した命令―――本当にやるのかと困惑するイーランド側の乗員に対し、倭国側の乗員はやる気だった。
彼らにとってこれは一世一代の大舞台である。太平の世が続き、徳川幕府が海外への扉を解き放った事で訪れた列強国との軍事競争。この狭い島国で燻っていた闘志を解き放つにはまたとない機会である。
狂っている、という感想をベイカー中佐は抱かずにはいられなかった。
「狙うは敵旗艦ただ一隻。我らが戦艦”インペラトリッツァ・カリーナ”の首を討つ!」
その宣言に、倭国の水兵たちが声を張り上げて応じた。
「主砲1番から6番、砲戦用意! 最大戦速!」
「Seriously?! You're actually going to attack head-on like this?! We're hopelessly outnumbered!(ほ、本当にこのまま突っ込むんですか!? こっちはたった1隻だけなんですよ!?)」
「Keep your head, Lieutenant Colonel Baker. Death comes to us all. It's just a matter of when, and that's war for you(狼狽えるな、ベイカー中佐。死ぬ時はみんな死ぬのだ。それが早いか遅いか、戦争とはそういうものだよ)」
速度を上げた天照の周囲に、たちまち水柱が屹立する。
砲撃だ。天照の吶喊に気付いたバルチック艦隊からの砲撃の矛先が、天照にも向けられているのだ。
「副長、砲撃は距離4000……いや、3500まで引きつけろ!」
「はっ! いやぁ、面白くなってまいりましたなァ大佐!!」
「まだまだこれからだぞ!」
ドン、と水柱が吹きあがり、土砂降りさながらに前部甲板へと降り注いだ。
海水を浴びた前部甲板の第一、第二砲塔が、雲の切れ間から差し込む日の光を浴びて刃さながらにギラリと輝く。
「距離5000!」
「敵旗艦特定! 真正面、インペラトリッツァ・カリーナです!」
観測員の報告を受けるなり、力也は首に下げていた双眼鏡を覗き込んだ。
立ち昇る黒煙と鋼鉄の艦列のど真ん中―――黒を基調としつつ、黄金をアクセントに加えた優美な色彩の、しかし兵器特有の武骨な戦艦の艦列の中にあってただ1隻だけ、白鳥を思わせる白亜の大戦艦がその中に威容を連ねている。
戦艦インペラトリッツァ・カリーナ。
皇帝カリーナの名を冠した準ド級戦艦にして、ノヴォシア帝国海軍の力の象徴。
あれを見事討ち取る事が出来れば、黄泉の国に眠る英雄豪傑も喝采で祝福してくれよう。
「距離4000!」
「左舷、至近弾」
「狼狽えるな、敵艦隊は東郷提督に頭を押さえられてるんだ」
至近弾で激震する艦橋の中でも、速河力也は揺るがない。
さながら樹齢1000年を数える大木の如く、仁王立ちでどっしりと構えている―――その口元に、獰猛極まりない好戦的な笑みを浮かべながら。
脳裏にイーランドで帰りを待つ妻子の顔が浮かぶ。
ここでノヴォシアの艦隊旗艦を討ち取ったとなれば、妻子にいい土産話になるだろう。
その時を心待ちにしながら、彼はその時を待った。
「―――距離3500!」
「主砲斉射ァ!!」
「撃てぇぇぇぇぇい!!」
砲術長が伝声管に向かい、腹の底から声を張り上げた。
その直後だった。
巨人の剛腕の如く仰角を上げた30.5㎝砲6基、合計12門の主砲が一斉に火を噴いたのは。
砲口から炎が迸ったその時、全ての”音”という音が消えた。
まるで世界から音という概念が根こそぎ拭い去られ、全てが無音へと回帰したかのよう。
天照が誇る30.5㎝砲の斉射は、それほどまでに熾烈だった。
「Что это за линкор?! Откуда взялся этот линкор?!(何だあの戦艦は!? どこから来た!?)」
「Считается, что это новый линкор, который строила империя Эланд!(イーランドが建造していたという例の新造戦艦です!)」
見た事も無い戦艦だった。
従来の戦艦は、前部甲板と後部甲板に大型の主砲を1基ずつ搭載し、船体両舷に副砲をびっしりと搭載するという設計が主流である。主砲は大型ではあるが取り回しに難があり、砲塔とそれに伴う弾薬庫、揚弾機といった設備が大規模になってしまうため、どうしても搭載できるスペースや重量に制限が生じてしまう。
しかしあの戦艦はどうか。
副砲を全廃し大型の船体を持ち、その余裕のあるスペースとペイロードが許す限りの主砲を大量に搭載している。
前部甲板に2基、船体両舷に背負い式に2基、そして後部甲板にも背負い式に2基……単純計算で言えば戦艦4隻分の火力を持っている、という事になる。
「Цельтесь в этот линкор и сокрушите его!(あの戦艦を狙え、叩き潰せ!)」
「В атаку! В атаку!(撃ち方始め、撃ち方始め!)」
インペラトリッツァ・カリーナに搭載された合計4基の30.5㎝砲が重々しく旋回するや、小癪にもバルチック艦隊の側面を単独で突こうとする乱入者に対し砲撃を開始する。
正面の艦隊に砲撃できない鬱憤を晴らさんと言わんばかりの猛攻だ―――インペラトリッツァ・カリーナの周囲に展開する他の艦も砲撃を始め、接近中の新造戦艦の周囲がたちまち水柱に包まれる。
戦艦7隻、巡洋艦4隻の集中砲火を受けながらも、しかし敵の新造戦艦は止まらない。
至近弾こそ出ているが、命中弾が出る気配が無いのだ。
命中しなくとも、あれだけの猛攻に晒されれば士気も挫けて然るべきである。後続の艦がいるのであれば話は別だが、あの艦は単艦―――たった1隻だけなのだ。支援してくれる友軍もなく孤立無援の状態で、しかしそれでも突っ込んでくる姿にヴルジノフ提督は言いようのない不気味さを感じた。
「Почему, почему мои атаки не достигают цели?! Расстояние меньше 5000!(何故だ、何故こちらの攻撃が当たらんのだ!? 距離は5000未満だぞ!)」
「Ветер дует в сторону вражеского корабля!(風向きが敵艦に向かってるんです!)」
ハッとした。
正面の倭国連合艦隊に対し、バルチック艦隊は向かい風である。
そしてその後方、バルチック艦隊からすれば4時の方向から突っ込んでくる新造戦艦に対してバルチック艦隊の位置は風上だ。
自分たちの発する黒煙が風にさらわれ視界が悪化し、よりにもよって新造戦艦に対する正確な観測射撃が出来ないのである。
天は我らを見放したというのか―――そんな思考が頭の片隅に滲み、しかしヴルジノフ提督は頭を振る。
艦隊指揮官が狼狽してなんとするか。
ここであの艦を見せしめに叩き潰し、然る後に陣形を再編。せめて敵艦隊と同航戦に持ち込むことができればまだ勝機は―――。
ズン、と重々しい振動と共に、鋼鉄の引き千切られるような轟音が発令所にまで届いた。
ヴルジノフ提督の座乗艦である旗艦インペラトリッツァ・カリーナに、新造戦艦の砲撃が牙を剥いたのである。
敵旗艦に命中との一方に、戦艦天照の艦橋内では歓声が上がっていた。
麗しい姿の白亜の大戦艦に一番槍として手傷を与えた―――のちの世に誇れるほどの大戦果と言っていいだろう。
艦橋後部、ちょうどマストのある辺りから爆炎を吹き上げて、戦艦インペラトリッツァ・カリーナの巨体が激震する。艦隊全体が狼狽えたように見えるが、しかし旗艦を守らんと複数の駆逐艦や巡洋艦が天照の前に立ちはだかってくる。
「艦首魚雷発射管、1番から4番! 目標、前方の敵巡洋艦!」
ごごん、と喫水線の下、大剣を思わせる衝角の付け根に配置された4基の魚雷発射管がそのハッチを開く。
「撃てぇい!」
力也が声を張り上げた。
圧縮空気で艦から放出されたイーランド製新型対艦魚雷は、艦の外に躍り出るや二重反転スクリューを回転させ、真っ白な線を海面に描きながら扇状に突き進んでいった。
それが魚雷による攻撃だと気付いた敵巡洋艦が慌てて進路を変更するが、もう遅い。
天照に対し横腹を晒していた事も災いし、3本の細い煙突が特徴的な敵巡洋艦はその船体に4つの水柱を大きく屹立させると、鋼鉄の裂ける音を高らかに響かせ、断面を晒しながら海中へと没していった。
乗員たちが漂う海面のすぐ脇を、しかし天照は脇目も振らずに突っ込んでいく。
「前方に敵駆逐艦!」
旗艦を守ろうというのだろうか。
戦艦1隻を食い止めるにはあまりにも非力な速射砲を果敢に放ちながら、1隻の駆逐艦が天照の前に立ち塞がる。
数発の砲弾が天照を掠め、艦橋の右舷に位置する第三砲塔に砲弾が着弾したが、駆逐艦の小口径砲では戦艦を傷付けるには至らない。ギュォォンッ、と耳を聾する音を響かせながら弾かれ、海の彼方へと消えていった。
「構わん、駆逐艦ごと粉砕せよ!」
「主砲1番から6番、目標敵旗艦!」
「総員衝撃に備え!!」
大剣のような衝角が、果敢に立ち塞がった駆逐艦”ブイヌイ”の右脇腹を無慈悲にも刺し貫く。
ギギギ、と装甲の奏でる悲鳴。竜骨の破断する、艦艇の断末魔。
駆逐艦程度の質量では全長240mの戦艦の突進を受け止められる筈もない。さしたる抵抗にも延命措置にもならず、真っ二つにされた哀れな駆逐艦ブイヌイは艦首と艦尾を天に向け、乗員諸共対馬沖の海へ沈んでいった。
「―――撃てぇ!!」
ドドドンッ、と主砲が咆哮する。
放たれた12発の砲弾が、手傷を負い副砲での反撃を試みる白亜の大戦艦の船体を盛大に殴りつけた。前部甲板、煙突、右舷の副砲群に砲弾が殺到し、ノヴォシア海軍の力の象徴として北海に君臨していた大戦艦が火達磨になる。
しかしそれでも、敵旗艦は沈まない。
「錨降ろせ!」
「ぇ……はっ!」
錨降ろせ、と復唱する副長の声。
火花を散らしながら、大型の錨が海中に投下される。
砲撃を終えた天照の30.5㎝砲群が再装填のため、仰角を下げ始める―――そうしている間にも、散々殴りつけられたインペラトリッツァ・カリーナの前部甲板と後部甲板に背負い式に装備された30.5㎝砲塔たちが旋回、至近距離にまで飛び込んだ天照を轟沈せしめんとその砲口で睨みつけてくる。
「Mr. Hayakawa, dodge!(ミスター・ハヤカワ、回避を!)」
「No problem, everything will be fine(問題ない、万事上手く行くさ)」
天照に照準を合わせた戦艦インペラトリッツァ・カリーナの砲口から、今まさに砲撃が放たれようとしたその時だった。
ぐんっ、と天照の船体が、唐突に大きく揺れた。
先ほど投下した左舷の錨によるものだ―――そのまま直進すればインペラトリッツァ・カリーナの真正面を掠める航路だった天照だが、しかし投下した錨に引っ張られる形で大きく艦尾を右へ突き出す格好で、それこそドリフトをするかの如く左へ急旋回してみせたのである。
戦艦が、それも全長240mの重量級の戦艦がそんな挙動をする等誰も考え就く筈もない。インペラトリッツァ・カリーナの主砲斉射は虚しく空を切り、天照が残した航跡を水柱で攪拌するに留まった。
突然の急旋回に投げ出され、発令所の中をゴロゴロと転がる航海長と副長。
そんな中でも仁王立ちで踏み止まる力也の眼光は、インペラトリッツァ・カリーナのみを捉えていた。
「撃てぇッ!!」
腹の奥から絞り出した声。
天照に搭載された主砲が一斉に放たれ、至近距離で発射されたその全てが―――白亜の大戦艦に突き刺さった。
パヴェル「 ね ? 」
白目ミカエル君「」




