中華戦線1894
アズラエル「ねえパパ?」
ミカエル「んー?」
アズラエル「核は持ってて嬉しいコレクションじゃないんだよ?」
ミカエル「やめなさい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
『奮起吧、帝國的子民們!現在、正是我們用鮮血築就長城的時候!(立ち上がれ、帝国臣民たちよ! 今こそ我らの血で長城を築くのだ!)』
中華帝国皇帝、出撃する兵士たちに向けての演説より
1894年 4月17日
中華帝国 遼寧省郊外
それまで、戦場とは勇気を示す場という認識が確かにあった。
神話の英雄たちがかつてそうしたように、熾烈を極める戦の場で己の勇気を示す。そして敵を打ち倒し、勇者として故郷へと凱旋するのだ―――自分も祖国の英雄となる事を夢見て出征した兵士たちは、しかし現実を見せつけられる事となる。
この世の地獄とは、まさにこの事だろう。
放棄した塹壕には、無数の死体が転がっている。
ノヴォシア軍の軍服に身を包んだ兵士の死体があれば、その兵士に銃剣を突き立てた格好で息絶えたジョンファ軍の兵士の死体もある。砲弾で手足を吹き飛ばされた死体に首から上がない死体、頭が割れた死体、腹が裂けた死体。
誰一人として同じ死に方をしていない。
まるでそれこそが多様性、己たちの個性であるとでも言っているかのように、多種多様な死に方をしている死体の山。
ここには英雄も、そしてその英雄たちが示した勇気もクソもない。
ただただ弾丸が、砲弾が、資金が、資源が、そして何より人の命が、毎日毎時間毎分毎秒、笑えるほどごっそりと浪費されるだけの無残極まりない死の大地だ。
そしてここで死んでも、祖国に殉じた英雄として祭り上げられる事もない。
ひたすらに淡々と、紙の上にインクで殴り書きされる死者たちの統計に組み込まれていくだけなのだ。
あれではどれが誰の死体なのか、全く見分けがつかない。
あそこに転がっている腕は、脚は、腸の切れ端は、いったい誰のものなのだろう。埋葬するからにはしっかりと五体満足で、遺族に見せられる状態に整えてから埋葬してやって欲しいものだが、しかしここに送り込まれた兵士たちにはもうヒトとしての尊厳もない。
自分たちが掘り進めた塹壕が、そっくりそのまま墓穴となった。
「Эй, дай мне сигарету(なあ、タバコくれよ)」
「Ничего не осталось(もう無いよ)」
敵の砲撃が終わり、安堵しつつも隣で水冷式機関銃へと伸びる弾薬のベルトを支える助手に支給品の煙草を要求する機関銃手だが、ぴしゃりと返ってきたのは絶望を煽るのに十分すぎる一言だった。
酒とニコチン、あるいはチョコレートは、苛酷な戦場に身を置く兵士たちの良き隣人だった。アルコールにニコチン、甘味料のもたらす快楽は一時とはいえ辛い現実を忘れさせてくれる。
特にタバコは一部では健康被害を訴える声が叫ばれているが、兵士たちにとっては知った事ではない。数十年先の健康問題よりも、数分後、一瞬後……いや、いつ死ぬかも分からない今の状況の方が恐ろしいのだ。遥か先の健康より、今の生の方がずっとずっと価値があるのである。
補給物資の数が減り始めて今日で1週間。趣向品の在庫は底を突き、食料も安物のパンと、スープとは名ばかりの塩と胡椒を水で煮込んだだけのお湯くらい。殺した敵の持ち物から干し肉でも出てきた時には分隊員全員で奪い合いが始まる。
パン、とどこかで銃声が聞こえてきた。おそらく前方の塹壕で動く何かを見つけて撃ったのだろう……早くも死体がゾンビ化したか、あるいは敵の生き残りがいたかは定かではないが、彼らにはどうでもいい事だった。
こんな戦争を早く終わらせて、故郷にいる娘に会いたい―――そう思うノヴォシア兵たちは、しかし確かに迫りくる雄叫びを聞いた。
ジョンファの銅鑼の音を合図に、地鳴りのように響いてくる足音と兵士たちの雄叫び。遥か塹壕の向こう、霧の立ち込める地平線の向こう側から響いたそれは、時間が経つにつれてどんどん近付いてくる。
「Всем войскам приготовиться к огню!(全部隊、射撃用意!)」
指揮官の怒鳴り声に背筋を伸ばされる感覚を覚えながら、機関銃手は目を細めつつコッキングレバーを引いた。ベルトに連なる弾薬の初弾が薬室へと送り込まれ、いつでも撃てる状態となる。
周囲でもコッキングする金属音が聞こえ、そこにライフルマンたちの息遣いがアクセントとして散りばめられた。
異国の地で死んでたまるか。
絶対に生きて帰るんだ。生きて娘の誕生日を祝うんだ。
必ず、何があっても。
絶望の中でも折れそうになる心を支える、芯さながらの固い決意。
次の瞬間、それが折れた。
「Ах, нет. Боже...!(ああ、なんてこった。神様……!)」
隣にいる機関銃の助手が、力のない声で呟きながら目の前で十字を切る。
霧の向こうにうっすらと見えたのは、ジョンファ軍の歩兵部隊だった。
黄金の龍が描かれた紅い旗を持つ兵士を先頭に―――単発型の銃剣付き小銃や旧式のマスケット、レバーアクションライフル、挙句の果てには戦国時代の刀剣といった雑多な装備で武装した無数の兵士たちが、大地を埋め尽くさんばかりの勢いで押し寄せてきたのである。
それはまるで、兵士の津波の如しだった。
勝てる筈など無いと分かっていた。
ノヴォシアは高を括っていた―――ジョンファは帝国の中に名を連ねてこそいるものの、今となっては軍備の近代化に遅れ、過去の栄光に縋る斜陽国家に過ぎぬと。
遥か昔、極東の島国からの使いに「日没する国」と揶揄された事が、今になって現実となったのである、と。
確かにそれはそうかもしれない。
崩御した先代皇帝の後継者争いで疲弊し、人心も離れ、西欧諸国からの抑圧と搾取に苦しんだジョンファには、北方の大国たるノヴォシアを相手に出来るだけの力は無かったのかもしれない。
しかしそれでも、彼らは立ち上がった。
祖国を、故郷を守るため。
雑多な銃器や、埃をかぶっていた刀剣を家から持ち出し、志願した民兵たちも戦力として組み込んで、遼寧省奪還のために反転攻勢に挑んだのだ。
戦力差はノヴォシア軍2万に対し、ジョンファ軍2万3千。
防衛線を破るには心許ない戦力ではあるが―――結局のところ、彼らは目覚めさせてしまったのだ。
”眠れる獅子”を。
「為了我的主人!衝鋒! !(我が君の御為に! 突撃!!)」
雄叫びを上げ、銅鑼を打ち鳴らし、大地を踏み締める音を高らかに響かせながら突撃するジョンファの兵士たちを、しかし無慈悲にも水冷式の重機関銃が豪快に薙ぎ払っていく。
近年実用化に成功した無煙火薬と、それを使用した新兵器―――最新の兵器を多数保有するノヴォシア軍に対し、ジョンファ軍の装備は雑多な銃器と刀剣のみ。
それを兵士の士気だけで何とか補おうとしているという有様だった。
8mm弾に穿たれて、兵士たちが次々に倒れていく。
小銃を装備した歩兵の小隊にも匹敵する火力が、大刀を手に切りかからんとしていた兵士の胸板を、側頭部を無残に砕いて黙らせる。頭を砕かれ崩れ落ちる兵士だったが、しかしその後方から現れた兵士の放った弾丸が、重機関銃の射手の眉間をヘルメットもろとも撃ち抜いた。
火力に綻びが生じた瞬間をジョンファ兵たちは見逃さない。火力の落ちた地点に熾烈な銃撃を加えるや、刀剣を装備した兵士がその突破口から果敢に飛び込んでいく。
たちまち塹壕の中は敵味方が入り乱れての乱戦となった。
そこかしこで聴こえてくる、ノヴォシア語とジョンファ語の悲鳴に罵声、銃声、刀剣を振り下ろす音。
馬乗りになったジョンファ兵がその辺の石でノヴォシア兵の頭を動かなくなるまで何度も殴りつけ、しかし仲間を救わんと後方から襲ってきた兵士の銃撃に倒れていく。
大熊の獣人兵士が唸り声を発しながら大刀もろともジョンファ兵を八つ裂きにし、返り血を浴びながら歩兵の一団に突進。銃撃をその身に浴びながらも暴れまわり、ジョンファ兵たちの腹を裂き、首を刎ね、手足をへし折り身体を砕く。
あの大熊の獣人兵士を何とかせねばと、ボルトアクション式の単発小銃に徹甲弾を装填した兵士が銃口を向ける。
しかしその指先が引き金を引く前に―――視界の端で、ぎらりと何かが光った。
錯覚か、それとも日の光か―――いや、そのどちらでもない。
どちゅ、と湿った尾と共に、鋭利な何かがその兵士の命を無残にも刈り取った。
「……!」
近くにいた兵士が目を見開き、口をパクパクさせながら視線をゆっくりと上に向ける。
そこに、巨大なカマキリの怪物がいた。
アリクイを思わせる頭に6本の針のような脚。華奢で関節部がシーリングされた両腕の先端には、獲物を捕らえる鎌よろしく鋭利な大型ブレードが搭載されている。
兵士の姿を認めるや、アリクイのような頭に搭載された複眼型のセンサーが紅い光を放った。
「一個怪物……一個螳螂怪物!(化け物……カマキリの化け物ぉっ!)」
半ば狂乱状態になりながら、手にした小銃の引き金を引いた。
撃針が11mm弾の雷管を穿ち、黒色火薬を燃焼させる。吐き出された大口径のライフル弾は硝煙を濛々と吹き上げながら躍り出るや、カマキリの化け物―――ノヴォシア軍の放った戦闘人形の頭部を打ち据えたが、それだけだった。
カンッ、と車に小石を投げつけるような音と共に弾丸が弾かれてしまい、カマキリ型の戦闘人形は首を傾げる。
歯をガタガタと鳴らしながら後退った。
震える手でボルトハンドルを引き、ベルトから引っ張り出した弾丸を薬室へと込めるが、しかし恐怖で振るえ覚束ない装填が終わるよりも先に、振り下ろされた大型ブレードが全てを終わらせた。
脳天から又下まで、それこそ手にした小銃ごと縦に両断された兵士が、ずるりと左右に分かれて崩れ落ちていく。
戦場に現れたカマキリ型の戦闘人形はその1体だけではない。
塹壕の後方から続々と、紅い複眼型センサーを爛々と輝かせながら、腹を空かせた捕食者さながらにジョンファ軍の兵士たちへと襲い掛かり始めたのである。
悲鳴を上げた兵士たちが必死に銃撃で応戦するが、黒色火薬を使用する旧式の単発小銃では、アップデートを重ね改良された戦闘人形を止めるには火力も貫通力も足りな過ぎた。
針のような脚で踏まれて串刺しにされ、薙ぎ払ったブレードで腰から下を真っ二つにされ、背を向けて逃げようとするその背中を刺し貫かれ地面に縫い付けられてしまう兵士。
涙を流しながらの命乞いも、しかし相手が機械であるが故に聞き入れられる事は無い。
霧の立ち込める戦場が阿鼻叫喚の地獄と化したのは、それからすぐの事だった。
「……酷い有様だ」
頑張って掘った1人用塹壕に迷彩ネットを張り、そこから潜望鏡を出して観察しながら、思わずそう呟いてしまった。
ミカ達が領主としての仕事をこなす裏で、ノヴォシアの動きには常にアンテナを張っていたし、その周辺諸国の情報も可能な限り仕入れていたから、ジョンファの内情も把握している。
衰退の一途を辿り、『大陸の病人』とまで言われているノヴォシア帝国がこうも圧倒的な軍事力を振るえているのは、ただ単にジョンファの軍備近代化が遅れに遅れているからである。
ボルトアクション小銃に水冷式重機関銃、そして死を恐れぬ機械の兵器こと戦闘人形の集中投入。更には塹壕まで構築して待ち構える彼らを、雑多な銃器と博物館にあるような刀剣、それからノリと気合いだけで何とかしようというのは到底無茶な話だ。
とはいえジョンファも狡猾だ。今こうして前線に出されているのは民兵や辺境に駐留しているような二線級、あるいは三線級の兵士たちであり、帝国からすれば失っても痛くも痒くもない戦力である。
それでいて肝心な精鋭部隊はしっかり温存しているのだ。この無謀な攻勢は、あくまでも相手の防衛能力がどの程度のものかの判定と、ノヴォシア軍に弾薬や物資の浪費を強い、あわよくば人的損害も与えてくれればそれでよいという”捨て駒部隊”なのだろう。
哀れなものだ。
ウチのミカなら絶対やらない戦術だ。アイツはそういう人命を使い捨てにする事を前提とした作戦は絶対に選ばない。
武器を捨て、降伏の意思を見せたジョンファの生き残りの兵士が、しかし戦闘人形に無残にも首を刎ねられる瞬間を直視して顔をしかめながら、そろそろ俺も退散するかと荷物をまとめ始めた。
その辺のスクラップと謎技術で造った特注品の潜望鏡には録画機能もある。さっきの戦闘は全て映像に収めたし、十分に戦地の偵察という任務は果たしたと言えるだろう。
早いところ帰ろう。あまり家を空けているとセシールとシズルが餓死してしまうかもしれない。
荷物をバックパックにまとめ、その場から去ろうとした俺に襲い掛かってきたカマキリ型の戦闘人形がいたので、とりあえず懐に潜り込んでRSh-12を2発ほど叩き込んで黙らせてから、俺は帰路についた。
「……家帰ったら夕飯何作ろ?」




