リーファの告白
ミカエル「ぴえー!!!」
ハサン「にゃあああ!!!」
ポコポコポコポコ
クラリス(ああ……毛玉が2つモフり合ってて幸せですわぁ)
古来より、不老不死は多くの為政者の夢だった。
国王であれ皇帝であれ、如何に強大な権力を手にした人間であろうと必ず受け入れなければならないものがある。
肉体が天寿を全うし、その魂を天へと返還する瞬間―――すなわち”死”である。
死は生命の終焉であり、新たな生命の誕生のために必要な最終工程。地球という惑星に生命が誕生してから―――いや、この宇宙に”生命”という概念が誕生した瞬間から粛々と繰り返されてきた、決して覆されることのない円環。
不老不死とはすなわち、その円環に逆らう事に他ならない。
しかし無理もない話だ。一大帝国を築き上げ、官民を一声で意のままに操る事が出来る権力とはまさに甘美であり、一度手にしたそれを手放す事など到底できないものだ。
それはチャン・リーファという1人の少女―――皇帝の血脈、その末席に連なる彼女もまた痛いほど理解している。
「……」
小さな瓶に収めた灰を見つめながら、リーファは目を細めた。
ハサン・サッバーフ―――700年の時を生きた暗殺者の頭目であり、文字通りの不老不死。100年の歳月を経ても老いとは無縁であり、死に至る傷を受けても瞬時に再生し立ち上がるそれこそ、偉大なる中華帝国の皇帝が欲する力に他ならない。
だがしかし、その皇帝も―――まともに顔も見た事のない皇帝も、そう長くない。
病床に臥し死を待つのみとなった、老いさらばえた父の望む者はただ一つ。
この広い世界のどこかにあるであろう、不老不死になる方法のみ。
だからそのために、皇帝の子供たちは皆旅に出た。
父の欲する不老不死を、そのための方法を持ち帰るために。
そして今、24番目の妻に産ませた3番目の娘であるというリーファはそれに近付いている。
(……こんなものが、不老不死であるものか)
ミカエルが倒したというハサン・サッバーフだったものを見つめ、リーファは思う。
不老不死とは決して滅びぬ生命である筈だ。この世界に生まれ、そして天寿を全うして死にゆく円環から外れた存在であるべきであり、しかし不老不死たるハサン・サッバーフはこうして死んだ。700年の歳月を生きておきながら、しかしついにその円環から逃れる事は出来なかった。
果たしてそんな不完全なものを、不老不死と呼んでよいものか。
『公主(姫様)』
音もなく背後に姿を現した虎の獣人―――”劉”の方を振り向くや、リーファはそっと彼にハサンの灰が収まった小瓶を渡した。
『這是仙丹的殘存……皇帝陛下一定會很高興的(これが不老不死の残滓……皇帝陛下もさぞお喜びになるでしょう)』
『……嘿、劉(ねえ、劉)』
『是的、公主(はい、姫様)』
『我想知道不朽是什麼?(不老不死って何なのかしら?)』
胸に抱いた疑問を、長年仕えてくれた家臣に打ち明けると、劉は少し驚いたような表情を浮かべた。
『這人自稱長生不老、結果卻死了。這很奇怪吧?這很奇怪、不是嗎、一個永遠不會死的東西卻被一根木樁殺死了……永生不應該是永遠不會死的東西嗎?(この男、不老不死を名乗っておきながら死んだのよ。おかしいわよね、決して滅びぬ存在がただの一本の杭で殺された……不死とは決して滅びぬ存在ではなかったの?)』
不死を名乗っておきながらあっさりと滅んでしまう不老不死がおかしいのか、それとも本来死なない筈の不老不死を殺してしまう煉獄の鉄杭がおかしいのか。
決して死なぬ術を見つけたところで、結局はその不死を殺す術もまた生じてしまう。生と死、生命の円環は光と闇のように決して切り離せない存在であり、結局はイタチごっこに終始してしまうのではないか―――そう思うとこれまでの苦労が全て無駄に終わるような気がして、リーファは激しく困惑した。
『這是我不能大聲說出來的事情(これはあまり大きな声では言えぬ事ですが)』
廃工場の中、誰にも見られていないかを確認するなり、劉はそっとリーファに真相を告げる。
『陛下駕崩只是時間問題。宮中已開始商議、將由其長子長善繼任為下一任皇帝。據宮醫所說、陛下的生命只剩下10天了……(陛下の崩御も時間の問題です。既に宮廷内では、長子である”長善”様を次期皇帝に、という方向で話が進んでいます。宮廷医師の話では、陛下はあと10日の命であると……)』
『嗯、如果一切順利的話、大概就是這樣。我哥哥很聰明、而且以民為本。最重要的是、他是皇帝血脈最親近的人……(まあ、順当にいけばそうでしょうね。兄様は聡明で民の事を第一に考えておられる。そして何より皇帝に最も近い血筋となれば……)』
『但是、公主、您來到這片埃萊娜的土地並不是徒勞無功的(しかし姫様、あなたがこのイライナの地にやってきたのは決して無駄ではありませんよ)』
『謝謝你、劉。對了……你媽媽怎麼樣了?(ありがとう、劉。ところで……お母様は元気かしら?)』
『是的、我很好(ええ、お元気ですよ)』
中華に残してきた母の事が、以前から気がかりだった。
このイライナの地にやってきたのは、元はと言えば不老不死となる手段を見つけて帝国へ持ち帰るため。それを皇帝に献上した暁には、24番目の妻に産ませた3番目の娘という末席中の末席であろうと、次期皇帝として取り立てられる事になるであろう。
宮廷側からも半ば見放された逆境からの一発逆転。
しかし……最近ではその、最初に抱いていた決意も揺らぎつつある。
皇帝に拘らなくても良いのではないか。
血眼になって竜の血を探し求め、持ち帰る必要などないのではないか。自分よりも遥かに優れた次期皇帝候補はたくさんいて、仮に自分が皇帝となったところで扱いが変わるかと言われればそうでもないのは明白だ。いきなり表舞台に飛び出してきた末席の娘など、すぐに存在を妬む家臣たちに矛を向けられる。
そしてそれは、側近である劉や母にも及ぶであろう―――むしろそれこそが、リーファが一番恐れている事ではないか。
ミカエルや他の仲間たちとの旅で毎日を過ごす間に、そう思えるようになってきた。
そして劉から告げられた、皇帝崩御の可能性と宮廷が長子を次期皇帝にと持ち上げているという話を聞き、その決意は崩れつつある。
『…………如果我父親過世、我希望你帶我母親去伊萊娜。這裡沒有宮廷的束縛、也不會缺糧。不過冬天確實很冷(……もし父上が崩御なされたら、お母様をイライナへ連れてきて。ここには宮廷のしがらみも何もないし、食料に困る事もない。冬はだいぶ厳しいけれど)』
『明白了、公主(かしこまりました、姫様)』
近いうちに、”姫様”ではなくなる。
だからその呼び方もいずれは……そう思い振り向いた先には、しかしもう既に見知った虎の獣人である劉の姿は無かった。
何とも行動が早い、と家臣の仕事の早さに苦笑いしながら、リーファは廃工場を後にする。
実質的に、劉に預けたハサンの灰は宮廷に対しての”手切れ金”となるのであろう。不老不死は確かに存在する、という証明にはなるかもしれない。
背伸びをしながら廃工場から出たリーファ。この錆びれた廃工場の敷地を出たら、姫様としてのリーファではなく冒険者としてのリーファに戻らなければならない。そしてそっちの方の顔が、これからのリーファの本当の顔になるであろう。
さようなら、姫様。
今までの自分の顔に別れを告げながら一歩を踏み出すと、すぐ近くからライターで煙草に火をつける音が聞こえてきて、リーファは心臓が凍り付くような錯覚を覚えた。
ふう、と錆び付いたフェンスに背中を預けながら煙草の煙を吐き出し、傍らにCS/LR4(※7.62×51mm弾を使用する中国製スナイパーライフル)を立てかけたカーチャと嫌でも目が合った。
よりにもよって一番、そういう勘が鋭い相手とのエンカウント。
生きた心地がしない、とはまさにこの事か。
苦楽を共にした仲間だから見逃してくれる―――とは、思わない。
「……どうだったの、祖国のお友達とのおしゃべりは」
「盗み聞き、趣味悪いヨ」
「お生憎様、昔からこうなの」
携帯灰皿にトントンと煙草の灰を落とし、カーチャは煙を吐き出した。
内ポケットから取り出した煙草の箱から2本目を引っ張り出し、7.62×51mm弾の空薬莢で自作したと思われるトレンチライター(※彼女はパヴェルほどのヘビースモーカーではない)で火をつけ、暮れていく空を見上げる。
「ただまあ、何か隠し事があるならミカに打ち明けておいた方がいいわよ。穏健な彼……彼女でも、さすがに隠し事をするような人間を信用しないだろうし」
「そう……ネ。決心ついたらそうするヨ」
皇帝の継承者争いから事実上脱落し、異国の地へと移住する事となるだろう―――そうなる前に、ミカエルには本当の事を打ち明けておいた方がいいかもしれない。
彼女は受け入れてくれるだろうか、という心配が込み上げてきたが、しかしすぐにミカエルへの信頼がそれを抑え込んだ。
受け入れてくれる筈だ―――慈悲深い彼女であれば。
舐められてるな、というのが今回の一件の率直な感想だった。
テンプル騎士団に暗殺教団、これで俺たちと敵対した組織が2つも崩壊に追いやられ、帝国としてはイライナ独立のための実力行使の手段をほぼ全て失った事になる。
最終手段は軍隊の動員であるが、それを選べば呼応して国内で共産主義者が動くのは必定だ。イライナ方面に軍隊を投入しつつ国内の動乱を抑え込む力は、今のノヴォシアにはない。
二方面での出血は、衰退しつつある帝国にトドメを刺す無慈悲な一撃となるであろう。
だからそうなる前に、暗殺者まで動員して俺たちを討とうとした―――今回の一件で帝国の焦りが垣間見えたような気がする。向こうも余裕が無いのであろう。
戦闘に使ったAK-19のレシーバーカバーを装着し分解整備を終えてから、背もたれに背中を預けて息を吐いた。
今の立場になってから、溜息が増えたような気がする。
それもそのはず、リュハンシク城の城主だけでなく最東端の領主まで勤めなければならず、その重責はこれまでの非ではない。俺には些か荷が勝ち過ぎているのではないか……みんなと一緒に旅をしていた頃ならまだ気楽だったのだが、と思いこそしたがそんな無責任な事も言ってられない。
カフェインでもキメようかしら、とクラリスを呼ぼうと思ったところで、ドアをノックする音が聞こえてきた。
クラリスのノックとは違う。彼女のはもっとこう、静かに撫でるような感じのノックだ。自分の来訪を注げ、しかし必要以上に大きな音を出して主人の気分を害する事のないような絶妙な力加減。
しかし今の来訪者は、そんな配慮が見受けられない。
新人のメイドか、それ以外か。
「誰か」
『ダンチョさん、ちょっと話あるヨ』
珍しい来客だった。
いいよ、と返答を返すや、ドアを開けて入ってきたのはやはりリーファだった。
リガロフ家の屋敷のシャワー室を借りたのだろう。いつもお団子みたいにしている白い髪(パンダの獣人だからなのか黒いところも見受けられる)を降ろした彼女というのもなかなか珍しい。
手にはお盆を持っていて、その上には2人分のマグカップが乗っていた。香ってくるのは紅茶ともコーヒーとも違う―――ジョンファのお茶なのだろうか。
ウーロン茶的なやつかな、と思いながら彼女の差し出したマグカップを礼を言いながら受け取ると、リーファは「ここ、座るヨ」と言いながら椅子を引っ張ってきてその上に腰を下ろした。
珍しいね……とは、言わなかった。
いつも俺の部屋にやってくるリーファの顔には仲間との生活を心底楽しんでいるような笑みがあった。遊んでいる最中の子供を思わせるような、裏表のない無邪気さは彼女のチャームポイントのようなもので、見ているこっちも元気を貰う事なんて珍しくなかった。
それがどうだろう―――今の彼女の顔は真剣そのものではないか。
内に秘めた何かをさらけ出そうとしているような、そしてそれを打ち明ける決心をしたような真面目さが、その瞳の奥に宿っているように思える。
「ワタシ、ダンチョさんに嘘ついてたネ」
「嘘?」
「……リーファは農民の子、違う。本当は中華帝国の皇帝の娘、その1人」
唐突に突きつけられた言葉に、理解が追い付かなかった。
言われてみれば、他の仲間がその出自をはっきりさせていた中でただ1人、彼女だけはその背景がはっきりと見えていなかったような気がする。農民の子で、イライナには仕事を求めてやってきたと聞いていたが……それ以上は踏み込まなかった。
必要以上の詮索は相手に失礼だというマナーが、それ以上の詮索を許さなかったのだ。
「皇帝の……娘?」
「うん。でも24番目の妻に産ませた3人目の娘、末席も末席ヨ」
「それでも皇帝の血脈に連なる凄い人じゃないか……ぶっちゃけ、公爵でもこうして接してるのが無礼なんじゃないかって恐れ多い感じがしちゃって」
「ああ、いいヨいいヨ、いつも通りに接するネ」
大事なのはそこじゃないヨ、と続け、リーファは手元のマグカップに視線を落とした。
褐色の、しかし澄んだお茶の表面には、窓の向こうから覗く満月が映り込んでいる。それは流れてきた雲に呑まれ、黄金の輝きを陰らせつつあった。
「……皇帝、病で死の淵ネ。だから不老不死の秘薬探すため、子供たち世界中に飛んだヨ」
「リーファもその1人って事?」
首を縦に振り、彼女は息を吐いた。
権力者というのはやはり、不老不死を求めがちなのだろう。それも広大な国土を版図に収める大帝国の皇帝ともなれば分からなくもない―――死とはすなわち生命のリセット、積み上げてきたものを全て手放す瞬間に他ならないからだ。
「竜の血、それ使えば父上も不老不死なると思った」
「それは……やめた方がいい」
声が震えた。
竜の血―――あれは少なくとも、彼女が求めている不老不死の秘薬などではない。
「あれは呪いをもたらすものだ。必ずしも人が望んだ結果をもたらすものじゃあない。何年、何十年、何百年……それこそ末代にまで牙を剥く危険なものだよ」
「そう、だからやめた。不老不死なんてまやかし」
「……」
「不死の暗殺者、死んだ。不死の筈なのに死からは逃れられなかった」
死とは生とを結ぶ円環だ。
生命が滅ぶことなくいつまでも生き続けていれば、新しい命が増えるばかりになって世界は飽和する。それを防ぐための死であり、故に世界は生と死で絶妙なバランスの上に成り立っている―――そう考えた思想家は誰だったか。
だから完全な不老不死というものは存在しないのだろう。あくまでも、死というその瞬間を先送りにするだけで。
「父上、あと10日の命ヨ。崩御したら兄様次の皇帝なるネ」
「そうしたら……君はどうなる」
分かっている―――次期皇帝の候補から外れた者とその一族がどうなるかは。
皇帝に選ばれた者と親密な関係を築いていればまだ情けをかけてはもらえるだろうが―――24番目の妻から生まれた3番目の娘、末席の末席ともなれば兄からの寵愛など受けられる筈もない。
何人もいる子たちを競わせるような真似をしていた以上、それに敗れた子たちは落ちぶれていくのみだろう。貴族や王族の権力争いというものはそういうものだ―――リガロフ家の場合はだいぶマシだったけれど。
「姫様じゃなくて、ただのリーファになるネ」
「……」
視線を窓の外に向けた。
窓の向こうの満月は、完全に雲に隠れていた。
「―――なら、イライナに居ればいい」
「嘘ついてた女居てもダンチョさんいいのか?」
「確かに嘘をついてたけど、ちゃんと打ち明けてくれたじゃないか」
顔を上げたリーファの瞳を真っ直ぐに見つめながら、言葉を紡ぐ。
一切着飾らない、本心を。
「そのまま嘘をつき続ける人より、よっぽど信頼できる」
違うかい、と言葉を続けると、リーファは笑みを浮かべた。
『謝謝你、邁克爾(ありがとう、ミカエル)』
「ん」
そこまで話が進んで、やっと俺は貰ったお茶に口を付けた。
紅茶ともコーヒーとも違う独特の香りと心地よい苦味。渋みは無く、思ったよりもすっきりして飲みやすい味わいに、自然と俺も笑顔になった。
窓の向こうの満月。
雲に隠れていたそれが再び顔を出し、黄金の輝きを放ちながら俺たちを見守っていた。
カーチャ「ただまあ、何か隠し事があるならミカに打ち明けておいた方がいいわよ。穏健な彼……彼女でも、さすがに隠し事をするような人間を信用しないだろうし」
ミカエル「待ってお前なんで言い直した?」
カーチャ「さあなぜかしらね???」




