スナネコVSジャコウネコ
憲兵「なんか今日運ばれてくる犯人が全員尻を負傷してるんだけどコレ何」
今思えば、本当に遠くまで来たものです。
黄金の雷をその小さな身体に纏い、ゆっくりと歩みを進めるご主人様の姿を思いながら、ついつい出会ったばかりの頃のご主人様を重ねてしまいます。
あの頃のご主人様は戦い方も覚束なくて、軟禁されていたが故に外の世界を書物や記録でしか知らず、けれどもどこか厭世的な雰囲気を漂わせた不思議なお方でした。
魔物相手に武器を向けるのはともかく、人を相手に銃を向ける事にすら躊躇し、周囲を掠める凶刃や銃弾にすら脅え、人を意図せず傷付けてしまえば罪悪感から嘔吐してしまっていたほど気の弱かったお方が―――クラリスがしっかり守らなければ、とメイドとしての役目を常々認識させられるほどだったあのお方が、しかし今はどうでしょうか。
害獣だの矮小な獣だの、そのような侮蔑の言葉とはこれ以上ないほど遠い場所に立っているではありませんか。
その身に纏う風格は大英雄の末裔を名乗るに相応しく、歩く姿は百獣の王に勝るとも劣らぬ威厳に満ちています。
やはりこのお方こそ、クラリスが仕えるべき人でした。
「クラリス」
「こちらに」
ご主人様が何を欲しているか、すぐに理解できました。
背負っていた楽器を収めるようなケースを取り出して、ロックを外します。
中に収まっていたのは柄を縮めた状態の、大剣とも大槍ともとれる変わった武器。
それがまるで見えざる手に掴まれたかのように宙にふわりと浮くや、縮められていた柄が展開、大槍のような姿へと変貌を遂げつつ、主たるご主人様の傍らで浮遊を開始したのです。
「……ありがとう」
「ご主人様―――必ずや、勝利を」
「―――ああ」
俺は勝つよ―――黄金の瞳は、力強くそう告げていました。
当然です。クラリスのご主人様は誰にも負けません。
あのお方こそが、最強なのです。
ロングスカートの裾をつまんで一礼し、そっと後ろへ下がりました。こう見えて身体は頑丈なクラリスですが、傍らにクラリスがいてはご主人様も気兼ねなく戦えないでしょう。
ご主人様―――どうか、お気をつけて。
700年の歳月を生きてきた伝説の暗殺者を名乗るだけあって、その眼光は今まで見てきた何よりも鋭かった。
そういった威圧感に慣れていない常人であれば、目線が合ってしまっただけで身体をその場に縫い付けられてしまうような、そんな錯覚に陥る事であろう。
今思えばそれこそが一種の篩なのだろうな、とミカエルは他人事のように思った。
この程度の威圧感で金縛りに遭うようでは戦う資格はない、という一種の試金石。
そしてそんな威圧感に晒されながらも、特に何とも思わなくなった自分の変化にもまた、ミカエルは驚いていた。ハクビシンの獣人であるが故に根は臆病で、そうでなくとも元々の人格が―――転生前から臆病で気の小さい性格だったから、こういう殺気や威圧感には耐えられなかっただろう。本来であればハサン・サッバーフというアサシンとこうして真っ向から対面する資格すらないのかもしれない。
そんな臆病者をこうして1人の戦士たらしめているのは、これまで歩んできた旅路の最中に乗り越えてきた試練と仲間たちのサポート、そして何より仲間を守らんとする使命感ゆえなのだろう。
だからミカエルは一歩も退かないし、一片たりとも譲るつもりはない。
相手が膝を折れと迫ってくるならば、毅然と立ち向かうのみだ。
鋭い眼光が重なり合い―――2人は同時に動く。
無数に展開された磁界の花道を急加速し、赫く焼けた穂先を持つ螺旋状の鉄杭―――”煉獄の鉄杭”が放たれる。レールガンと同様の原理で急加速したそれは命中すれば不老不死の怪物たるハサン・サッバーフを一撃で屠る事が可能な最強の矛であり、ハサンがこの世で最も恐れるものだ。700年間、ずっと誤魔化し続けてきた”死”という概念が自分に覆い被ってくるわけなのだから。
だが、ハサンも百戦錬磨の暗殺者である。
確かに恐ろしい攻撃ではあるが、当たらなければどうという事はないのだ。
それにミカエルはあくまで普通の獣人、ハサンのような不老不死ではない。その心の臓を短剣で一突きにするか、あるいは首を引き裂けばそれで事足りる。
まさに殺るか殺られるか―――やり直し無し、誤魔化し無し、容赦無しの短期決戦。
紙一重で煉獄の鉄杭を回避するハサン。衝撃波と風圧に小柄な身体をやや煽られバランスを崩しながらも踏ん張り、埃の堆積した床を蹴って跳躍。人間の腕ほどの太さもある鎖で吊るされた坩堝の上まで驚異的な脚力で跳躍するや、反撃にナイフを投げ放ちつつ隣の坩堝へと飛び移り、そこから天井を毛細血管さながらに這い回る配管の上に着地。気配を消しながらも縦横無尽に駆けまわる。
飛んできた投げナイフは、しかしミカエルの眉間に突き刺さるよりも先にぴたりとその動きを止めた。
磁力の海の中で反発を受け、完全に運動エネルギーを使い果たしたハサンの投げナイフ。それだけならばまだ雷属性魔術の範疇であるが、更なる変化が生じたのはその直後である。
ぐるり、とゆっくり旋回しながら、使い古された投げナイフの形状に変化が生じる。
形状が崩れ、大きく膨張し、オリーブドラブの色彩が特徴的なロケット型の姿へと変貌していったのだ。周囲に転がる屑鉄の内のいくつかも取り込んで―――やがてナイフだったそれが、1発のRPG用の対人榴弾へと姿を変えた。
錬金術の真髄は、物質の”書き換え”にある。
元々、錬金術は屑鉄を黄金へと変えるために試行錯誤を繰り返してきた術であり、最初から物質構造や性質の書き換えを前提としたものだ。
何の価値もない屑鉄を、古代の皇帝すら唸らせる黄金へ変貌せしめる奇跡の業。
ならばそれは、屑鉄を暴力の化身たる兵器に変貌させる事もまた可能である、と考えるのが道理であろう。
特に、訓練や実戦で何度も分解結合を繰り返し、構造や原理を頭に焼き付けるほど使ってきた代物であればなおさらである。
対人榴弾が、先ほどの煉獄の鉄杭同様に磁界の中で加速。ハサンが飛び移ったであろう配管の群れの中へと撃ち込まれ、そこで炸裂する。
老朽化の著しい配管群は暴力的な爆風と衝撃波、周囲に散弾さながらに飛び散る破片にあっさりと屈し、音を立てながら瓦解を始めた。
降り注ぐ瓦礫や破片を足場にして跳躍を繰り返しつつ、ハサンはその破壊力に目を見張る。
いったい何をしたのか―――大砲でも撃ち込んだとでもいうのか。
いや違う―――錬金術だ。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフが修めた錬金術。あれだけ豊富な魔力があるのである、それらを動員すればどんな兵器だろうと生成可能なのであろう。
火力では完全に向こうに軍配が上がっている―――この一戦でハサンが優位に立つには、気配遮蔽を生かして相手の認識外から奇襲を仕掛ける事だ。
幸い、ミカエルの火力は恐ろしいがハサンの居場所を正確に掴んでいるとは言い難い。大まかな場所へ、加害範囲の広い兵器を撃ち込んで炙り出そうとしている意図が透けて見える。
ならば逃げ場を失い飛び出すのは愚の骨頂。あくまでも相手の射線から外れる事を第一に考えて立ち回れば、必ずや好機は訪れる。
このハサン・サッバーフを完全に見失った時―――それがミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの最期だ。
戦いの指針を頭の中で決定したのと、衝撃的な光景が視界に飛び込んできたのは同時だった。
「―――!?」
製鉄所の床一面―――何かの見間違いか、錯覚か、はたまた幻覚の類かと、思わず我が目を疑った。
床一面にびっしりと、迫撃砲の砲身が生えているのである。
ソ連製82mm迫撃砲『BM-37』―――二脚、底盤、砲身で構成されたオーソドックスなそれが、砲口を製鉄所の天井へと向けた状態で静止していたのだ。
この世界では遥か未来、我々の世界からすれば過去の遺物とも言える第二次世界大戦時の迫撃砲ではあるが、しかし旧式とはいえその破壊力だけならば現代でも通用するレベルだ。それだけでも十分なのに、ハサンの視界に入っただけでもざっと20~30門もの迫撃砲が砲口を向けているとなれば、狙われた相手は生きた心地がしないであろう。
ボボボンッ、とそれらの迫撃砲が一斉に火を噴いた。
本来、迫撃砲は山なりの弾道で相手の頭上から砲弾を落下させ加害する、比較的短距離の兵器である。山なりの弾道を描く関係上、相手への水平射撃は一切考慮していない事が多く、もちろん屋内での砲撃などもってのほかだ。発射すれば砲弾はたちまち天井へと激突してしまう。
だが相手が天井に潜んでいるならば、その限りではない。
ミカエルが錬金術で生成したBM-37迫撃砲は合計37門。それらが一斉に火を噴くや、天井にぶら下がっていた坩堝も配管も関係なしに榴弾で吹き飛ばしていった。
眼下から迫る情け容赦のない迫撃砲の効力射に、さすがのハサンも逃げ場を失った。乗っていた坩堝が迫撃砲の破壊力と数の暴力に砕け散り、足場を求めて踏み締めた右足が空を切る。
ビッ、と金属片がハサンの頬を切り裂き、周囲に玉のような血飛沫が舞った。
(しまっ―――)
いまので位置が割れた―――確信すると共に飛来する、螺旋状の鉄杭たち。爆風を突き破ってくる煉獄の鉄杭、総数37本。
「―――ッ」
歯を食いしばり、喉から唸り声を発しながらもシャムシールをくるりと回し、直撃コースにあった1本を受け流した。金属片と火花が散り、熱された金属特有の悪臭が鼻腔の奥を刺激していく。
―――危なかった。
直前にまで迫った”死”に、ハサンの心臓はバクバクと悲鳴を上げていた。
理性では冷静さを保っているように思えるが、しかし700年ぶりの死との対面に身体が怯えている。頭の中では冷静な暗殺者としての理性が支配しているが、しかし身体はその限りではないのだ。
冷静な理性と怯える肉体、そんな二律背反の上に成り立つ危うい自我。自らの精神と肉体の乖離に驚きながらも、ならばとハサンはミカエルの頭上へ躍りかかった。
落下していく坩堝の破片や配管の一部を足場代わりにして鋭角的な軌道を描き、ミカエルへと猛禽さながらに急降下していく。その奇襲に気付いたミカエルがバックジャンプ、手にした銃身長20インチのAK-19で(※自分用に用意したロングバレルモデル)を構え迎撃するが、銃口の向きと目線から大方の弾道は読める。
シャムシールを曲芸のように回し、直撃コースにある弾丸だけを弾いて直角急降下。艶の無い黒い切っ先をミカエルへと向けるや脳天から串刺しにしようとするハサンだが、最終加速をするべく踏み締めた配管の一部に不快な感触を覚えた。
「―――!」
すっかり風化し、いつ崩壊してもおかしくない配管の一部。
錆び付き穴だらけになったそれが―――ハサンの踏み締めた場所から、ちょうど煉獄の鉄杭を生やしていたのである。
螺旋状の穂先にぶち抜かれた足の甲が、ぼろりと崩れた。
まるで押し寄せる波が砂の城を崩していくかのように、右足の指が、足の甲が、足首が、ぼろぼろと崩れ始める。
必死に再生を念じても、不老不死を由来とする再生は始まらない。
「―――ええい!!」
ズッ、とシャムシールの刃が膝の裏へと食い込んだ。そのまま力任せに振るい、文字通り死者の世界へと片足を突っ込んだ右足を切断する。
空中で脱落した右足はそのまま灰へと姿を変え、消えていった。
片足を失う激痛に歯を食いしばりつつ、己の血に塗れたシャムシールを振るうハサン。しかし苦痛の中で振るったその一撃はミカエルの首へと届くよりも先に、従僕さながらにその周囲を舞う剣槍に阻まれる。
ギャリッ、と硬い手応えに、ハサンは歯を食いしばった。
一本だけとなってしまった足で踏ん張りながらもシャムシールを振り上げ、振り払い、時折刺突を交えて果敢にミカエルへ挑みかかるハサン。しかしどういう軌道で剣を振るっても、フェイントを交えても、搦め手で攻めてもその尽くを剣槍に防がれてしまい、ミカエルに傷一つ付ける事が出来ない。
「!」
突き出されたAK-19の銃口。慌てて首を倒して5.56mm弾を回避したところに、左斜め上から叩きつけるように振り下ろされた剣槍が牙を剥いた。
ドッ、と右肩に感じる重々しく、それでいて鋭い痛み。
足一本では踏ん張る事も出来ず、断罪者の前に首を垂れる罪人さながらに膝をつくハサン。
その眉間に、ミカエルが左手で持つPAK-9の銃口が突きつけられた。
「……何か、言い残す事は」
「……一つ教えてくれ」
手からシャムシールを離し、苦痛に抗いながらも声を絞り出す。
「それだけの力を……一体何に使うつもりだ、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ……?」
「仲間のため、領民のためだ」
即答だった。
それだけの力があるならば、もっと上を目指せるはずである。世界征服とまではいかなくとも、むしろ逆にイライナがノヴォシアを併合して一大帝国へ成り上がる事だって出来る筈だ。今の彼女には、それができるだけの力も人望も資金も、そしてその背景もあるのだから。
しかし敢えてそうは言わず、仲間のため、領民のためと言い切った彼女の瞳に迷いはない。
大義を成したならばそれ以上は求めない、という謙虚さがある。
ちらりと手放した剣を見た。
黒く、艶の無いシャムシール。何度も銃弾や破片を弾いたその剣身には放射状に亀裂が生じており、次の一撃で砕け折れてしまうであろう事は明白であった。
勝敗は明らかだ―――自らの敗北を、700年の歳月で初めての敗北を知ったハサンは、口元に笑みを浮かべた。
「―――その理念、見失うなよ」
往々にして、権力者はその力に溺れる。
自分の欲望を叶えるに十分すぎる権力は、人間の心をゆっくりと侵していくものだ。もしどこかで道を踏み外すような事があれば、ミカエルもそうなってしまうかもしれない。
お前はそうなるな―――今まで手にかけてきた為政者とは根本から違う、ここまで誠実な人間の心を目の当たりにしたハサンはそう言い残し、逃れ続けていた史の運命を受け入れた。
床から伸びた煉獄の鉄杭が、背中からハサンの心臓を一突きにする。
身体中が灰へと姿を変え、この世から消えていく最期の一瞬まで―――ハサン・サッバーフという1人の男は、その口元に浮かべた笑みを、清々しい目つきを変える事は無かった。
「―――ありがとう」
床に堆積した灰の山と、彼が遺した一振りのシャムシールを見下ろして、ミカエルは一言礼を述べる。
自分と仲間に刃を向けた理由を赦す事は出来ないが、しかしハサンという1人の人間に対しては、700年もの時の中を駆け抜けた1人の男に対しては、畏敬の念を抱かずにはいられない。
あわよくば、700年ぶりの眠りが安らかであらんことを。
パヴェル「……俺もう絶対アイツと喧嘩しねえ」




