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最大の譲歩

クラリス「ん~もふもふ~♪」

ミカエル「クラリス?」

クラリス「もふ?」

ミカエル「ハクビシンって凶暴な動物なんだよ?」

クラリス「もふぅ」


ミカエル「あまり見くびってると食べちゃうぞ?」


クラリス「 む し ろ 本 望 ! ! ! 」


ミカエル「 む し ろ 本 望 ! ? ! ? 」



 ふう、と息を吐いて呼吸を整える。


 体内の酸素を使い果たした空気を吐き出して、新鮮な空気を改めて身体に取り込む―――薩摩の道場で教わった事だ。疲れて息が上がった時こそ所構わず息を吸おうとするのではなく、落ち着いて深呼吸をするのだ、と。


 身体中の疲労が静かに抜けていくのを感じながら、範三はそっと大太刀【宵鴉ヨイガラス】を腰に提げた鞘に収めた。


 範三の身長は186㎝にも達する。パヴェル以上の巨漢であり、骨格が獣に近い第一世代型の獣人である事もあって筋骨隆々。秋田犬の獣人に恥じぬ体格の彼には大太刀も少し大きめの刀程度のサイズ感でしかない。


 パチン、と鞘の中に大太刀を収めるや、改めて周囲を見渡した。


 キリウの高級住宅街から少し距離を置いた場所に居を構えるリガロフ家。公爵家であり大英雄イリヤーをその祖先に持つ一族にふさわしい威容の屋敷、その広大極まりない庭には黒装束の暗殺者(アサシン)たちが横たわっていて、一流の石工を雇って作ったのであろう噴水の周囲にある石像の足元では、現在進行形で暗殺者(アサシン)の上に馬乗りになったリーファが執拗に顔面に掌底を打ち込んでいる。


「り、リーファ殿? その辺にしておいた方が……」


「ん、仕方ないネ」


 顔中にパンダの肉球の形をした痣をこれでもかというほど刻まれ、気を失ってしまった暗殺者の上からやっと降りるリーファ。パキ、と肩を鳴らしながら背伸びをする彼女の容赦の無さに引きながらも、一応周囲への警戒は怠らない。


 暗殺者(アサシン)がミカエルとアナスタシアを狙っている、という情報はシャーロットを介して瞬時に血盟旅団全員へと共有された。モニカとカーチャがミカエルたちの援護に向かい、残った範三とリーファ、それからイルゼはリガロフ家の屋敷へと向かい警備に当たったわけであるが、その判断はやはり正しかったのかもしれない。


 イライナ独立派の頭目であるアナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァを闇に葬るべく差し向けられた暗殺者(アサシン)たちをこうして迎え撃つ事が出来たのだから。


「これで7人……リーファさん、範三さん、お怪我は?」


 リーファに殴り飛ばされ、範三に大太刀で峰打ちされて気を失っている暗殺者(アサシン)たちを当局へ突き出すべく、彼らが目を覚ます前に両手両足をロープで縛ってきっちり拘束するシスター・イルゼ。


 それもナイフで切断され脱走されるのを防止するため、ロープで縛ったうえで手錠や番線でも手足をしっかり押さえておく用意周到ぶりに範三は更に引いたが、それ以上に恐ろしいのは先ほどの戦いでイルゼが振るっていた得物である。


 ―――金属製の釘バットだ。


 いったいどうやったのか、アルミ製のバットに釘を打ち込んで、それだけでは飽き足らずチェーンまで巻いた殺意MAXの鈍器。本来は野球に使うスポーツ用の道具だったそれは、殺意の具現の如く禍々しい姿へと変貌を遂げている。


 おまけに『Wer sich der Heiligen Elena widersetzt, muss sterben(聖女エレナに逆らう者は皆死ぬがよい)』と、血で書き殴ったような一節(エレナ教の経典からの引用ではないと信じたい)まで金属釘バットに刻まれている有様だ。


 気のせいか、イルゼの身体から赤黒いオーラのようなものも見える……気がする。


(……イルゼ殿を敵に回したら死ぬ、拙者の本能がそう告げておる)


 世の中、敵に回してはいけない人間というのは必ず存在するものだ。


 このギルド全員に当てはまる事だが、間違いなくイルゼはその筆頭だろう―――リーファと範三の共通認識である。


 念のため、自衛用にとG3A4も携行していた筈なのに流麗なバット捌きで暗殺者(アサシン)たちを裁いていく姿には未知の恐ろしさすら覚えたものだ。


 イルゼが縛り上げた刺客たちを抱え、噴水の前にまとめているところに姿を見せたのは、今やこのリガロフ邸の主となったアナスタシアその人であった。


 百獣の王、ライオンのたてがみを思わせるウェーブのかかった金髪を揺らし、一歩一歩足を進める仕草にすら歴戦の猛者の風格が漂う。夫であり副官であるヴォロディミルや数名の兵士を従えて歩くその姿は、まさに上に立つ運命の元に生まれてきた人間なのだと思わずにはいられない威厳がある。


 真っ赤な瞳で庭の中を見渡すや、両手を後ろで組み口元に笑みを浮かべるアナスタシア。よくやった、と言いたげな表情ではあるが、しかしどこかオモチャを取り上げられた子供のような不満げな雰囲気が漂っているのは、自らの命を狙ってやってきた刺客たちを自分の手で返り討ちにするつもりだったからに他ならないのだろう。


 大義を成し遂げる人間というのは、往々にして頭のネジがいくつか外れているものだ―――逆に言えば、それくらいでなければ大義など成し得ないものなのかもしれない。


「ご苦労だった」


「アナスタシア殿」


「全部で7人か?」


「はい、そのようです」


「ふむ……たった7人程度の刺客で事足りると見られたか。このアナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァの命、()()()()()()()()()()()()


 範三も、アナスタシアがどれだけの強者なのかはミカエルの話で聞いている。


 政治の面においても、軍の将としても、そして1人の兵士として見ても決して右に立つ者が存在しない文字通りの最強。生まれながらにしてリガロフ姉弟の中でも最優で最高の素質に恵まれ、それでいて努力を怠らず、遥か手の届かぬ高みだけを見つめて研鑽を積んだ天才であり努力家。


 両親という枷から解放された彼女を止められる者は、もうこの世界のどこにもいない。


「ともあれよくやってくれた。コイツらは尋問した後、マカールに処理させる」


「尋問……ですか」


「うむ」


 ヴォロディミル、と夫を呼ぶや、ヴォロディミルは眉ひとつ動かさず棘だらけの棍棒のようなものを取り出した。


「パヴェルから()()()()()()()を聞いてな」


「「「あっ」」」


 これ聞いちゃダメなやつだ―――トゲトゲ棍棒、尋問、パヴェルという3つのワードだけでそれを感じ取る範三、リーファ、イルゼの3人は静かに一歩後退る。


 とにかく、彼女の手に落ちる(そしてメスにも堕ちる)事になる暗殺者(アサシン)たちが不憫でならなかった。

















 ドン、と空気が弾けるような波動を、その場にいたクラリスとハサン、そして遠く離れた場所からブローニングM2での狙撃を行っていたモニカとカーチャも確かに感じ取った。


 実際に風が吹いたわけでも、すぐそばで何かが爆発したわけでもない。


 大気中に生じたそれの正体は、魔術に多少の心得や知識がある者であればすぐに理解できた。


 ―――唐突に出現した、膨大な魔力。


 波動の余韻に遅れて、ピリッ、と微かに肌が痺れる感覚を覚えたハサンは、それを雷属性の魔力であると看破しながら発生源を振り向いた。


 かつては製鉄所だった工場の内部。溶けた鉄を注ぐ坩堝(るつぼ)が今もなお無造作に佇む広間の一角、その坩堝のうちの1つが唐突に崩れたかと思いきや、ただの屑鉄へと姿を変えていき―――背後から現れた小柄な人影に、その道を譲る。


 身長は150㎝ほどと小柄で、顔つきは中性的。研鑽を積んだ戦士とは思えぬほどその容姿は幼く、傍から見れば子役の役者かモデル、あるいは貴族の子供のようにも思えるが、白銀から黄金へと変色した瞳が発する眼光は歴戦の戦士のそれだ。


 ハクビシンの獣人―――ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフが、黄金の雷を纏って戦場に再び姿を現したのである。


 ジャコウネコ科の一種、ハクビシン(白鼻芯)はその漢字表記が示す通り、眉間に白い体毛が生えているのが外見上の大きな特徴だ。その遺伝子を持つハクビシンの獣人たちも同様で、個人差はあるものの例外なく前髪の一部や睫毛、眉毛などの一部の体毛が真っ白に染まっている。


 だがしかし、今のミカエルはどうか。


 白かった頭髪や一部の体毛は、しかし身に纏う雷と同じく黄金に変色しており、周囲には絶えず同色のスパークが散っている。


 近付くだけでたちまち感電―――いや、いかずちが落ちてくるのではないか、と思ってしまうほどの想定外の魔力量に、しかしハサンは表情を全く変えない。


 700年の歳月で、()()()()()()()()()()()()は何人も葬ってきた。


 魔力適性S+の逸材や、適正と魔力量が一致しない”クロスドミナント”の魔術師。確かに手強く恐ろしい相手ではあったが、例外なくハサンの凶刃の前に倒れ伏し、その屍と暗殺実績は彼が今まで通ってきた道の一部となった。

 

 確かに余りあるほどの魔力を身に宿し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ほどの魔力量は驚異的であり、それを攻撃に総動員されたらと思うとぞっとしない。


 が、しかし。


 ハサン・サッバーフは、不老不死だ。


 如何に(いかずち)に打たれようとも、身体中の血肉を焼き焦がされようとも、決して死ぬ事はないのである。


 ほんの一瞬、あるいは少しの間、常軌を逸した苦痛を味わうだけだ。


(しかし……なんだこれは)


 目を細め、訝しむようにミカエルを見た。


(魔力量が一気に跳ね上がった……奴がクロスドミナントであるという情報は無かった筈だが)


 原則として、魔力量は魔力適性の丈に合うレベルとなっている。


 例えばSランクの適正を持つ魔術師であれば上級魔術を連発するのに支障がないほど豊富な魔力量を誇り、Dランクの落ちこぼれであればそれ相応の少ない魔力量しか持たない。


 しかしごく稀に、Sランクの適正を持っておきながら一度の魔術の発動だけで枯渇してしまうほどの魔力量しか持たぬ者や、Dランクでありながら無尽蔵に近い魔力量に恵まれた者も現れる。


 そうした適性と魔力量が一致しない魔術師を【クロスドミナント】と呼ぶのだ。


 ミカエルの適正は、事前情報ではC+(以前まではCだったが信仰心により多少の補正がかかった模様だ)であると聞いている。


 だがしかし―――この魔力量と、そして全身で感じるこの威圧感は、決してCランク相当のそれではない。


 魔力量どころか、適性まで変動していると見るべきか。


「……貴様、何をした」


 シャムシールをくるりと回し、切先をミカエルへと向けながら問うた。


「……何をしたと聞いているのだ、ミカエル(ミカイール)!!」


「……仲間が、助けてくれた」


 視線の先―――屑鉄と化し崩れ去った坩堝の向こうには、コンテナにもたれかかるようにして座り込んでいるホムンクルス兵の姿がある。


 胸は裂けており、その内には紅く脈打つ臓物や血肉ではなく―――精巧に人体を再現した機械の部品(パーツ)と、弱々しい光を放つ超小型の対消滅機関がある。


「仲間が身を切ってまで与えてくれた、お前を倒すチャンスだ」


 すっ、と手を伸ばすミカエル。


 かつて坩堝だった屑鉄が、まるで磁力に拾い上げられるかのように浮遊を始めた。そのまま見えざる手に掴まれたサイズも疎らな屑鉄たちがミカエルの頭上で収束、融解を繰り返し、形状も性質も全く異なる別の物に”再構築”されていく。


 ―――それは、1本の”杭”だった。


 黒く、捻じれ、そして先端に行くにつれ溶けた鉄の如く赤く染まっている禍々しい鉄杭。


 ハサン・サッバーフが最も恐れたもの。


 ぶわり、と顔中に脂汗が浮かぶのを、ハサンははっきりと知覚した。


 この世界でただ一つ、ありとあらゆる不死を死に追いやる『不死殺しの一撃』。


 





「―――だから俺はその期待に応える、それだけだ」






 

 屑鉄から生み出した煉獄の鉄杭(スタウロス)を頭上に呼び寄せるや、ミカエルはその穂先をハサンへと向けた。


















「まったく……遠慮なくごっそり持って行ったものだねェ……」


 体内のコンデンサに貯蔵していた電力までごっそりと持って行かれた事を確認しながら、しかしシャーロットは動かなくなったサブボディに意識を憑依させつつ満足していた。


 これでいい。


 電力が再充填されるまでは、予備電源が生み出すなけなしの電力で最低限の機能維持(生命維持)を行う他ないが、しかしこれだけの対価を支払った意味はあった。


 黄金の雷を纏い、ついにはテンプル騎士団でも大量生産は困難を極めたが故に少数生産に留まった一撃必殺の鉄杭、煉獄の鉄杭(スタウロス)を錬金術で生み出すに至ったミカエルの後ろ姿を見つめ、シャーロットは口元に笑みを浮かべた。


 ミカエルがこの次元まで至った事は、薄々察していた。


 そしてパヴェルが、保存していた自分の切り札―――煉獄の鉄杭(スタウロス)を触媒用として彼女に譲渡して、ミカエルもその構成物質や比率などの詳細なデータを理解するに至っていた事も。


 物質の形状変化だけではなく”性質変化”までもを修めたミカエルにとって、一撃必殺の煉獄の鉄杭(スタウロス)の譲渡は最大限の譲歩。


 それはまさしく、『相手をワンパンできる兵器を無尽蔵にその場で生産、即投入可能』になる事を意味するからである。


 




 もう、誰もミカエルに手を付けられない。






 文字通りの”最強(チート級)”の力を、彼女は手にしたのである。



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