機械のハートは止まらない
ハサン「終わりだミカエル!」
ミカエル「ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ミカエル「……こんな事もあろうかと、懐に同人誌を仕込んでおいたのさ」
クラリス「さすがですわご主人様!」
ハサン(コイツ……シリアス展開を一瞬でギャグ展開にしやがった)
「大佐!」
血まみれになりながら一服を決め込むパヴェルの元へと駆け寄ったシェリルは、間近で彼の姿を見るなり安堵した。
大きな背中にはナイフで突き刺されたような痕や銃弾で撃たれた痕跡が散見され、加えて上着にはたっぷりとオイル混じりの血が滲んでいるものだから、もしや時すでに遅し……という最悪の展開が頭を過ったものだが、しかし間近で見れば服に穿たれた傷や風穴の向こうに覗く身体の傷はすっかりと塞がっていて、既に治療済みである事が分かる。
とはいえ、生身の人間であればそれでよい――-生まれつきの、両親から授かった本来の身体を持つ普通の人間であれば。
パヴェルは違う。戦争で失った身体の部位を機械で補ったサイボーグのような存在であり、今では身体の実に8割が機械となっている。
肉や臓器、血管などの損傷は元通りに出来ても、体内の機械部品はそうはいかない。回復アイテムたるエリクサーや治療魔術は有機物には作用しても、無機物には決して作用しないのである。
しかしこうして平然と、いつもと同じ銘柄の葉巻を口に咥えて、ライターオイルがたっぷり入るからという理由で12.7mm弾の空薬莢を改造したトレンチライターで火をつけているところを見ると、特に大したダメージを受けたわけでもないらしい。
そんな堂々たる振る舞いに、シェリルは割と真面目にヒグマのようだという感想を抱いた。生半可な狩猟用ライフルでは仕留める事すらできないほど堅牢な、さながら巨人の如き野生の魔獣。
数多の武勲を重ねたクレイデリアの国民的英雄の顔に、しかし以前のようなどす黒いものは感じない。
まるで憑き物がすっかり落ち去ったような、清々しい横顔をしている。
「大佐、お怪我は?」
「ああ、なんとか」
葉巻を咥えて笑みを浮かべながら、彼は傍らでわんわん泣いているセシールの頭を優しく撫でた。
普段はあんなにも凛々しく、大軍を率いてその先頭に立つ姿が実に様になる女帝と評していたセシリアが、まるで迷子の状態から親と再会した子供のように泣きじゃくる姿は何とも言えぬ違和感を抱かずにはいられないが、それも仕方のない事だ。肉体年齢は17歳相当でも彼女の中に芽生えた新しい人格はまだ幼児とそう変わらない精神年齢なのである。
だからなのだろう、いつもよりもパヴェルの背中が大きく見え、それもあって父親のような振る舞いに思えるのは。
「シャーロットは?」
「ミカの加勢に」
「……そうかい」
トントン、と携帯灰皿に灰を落としながら、パヴェルは煙を吐き出した。
「ミカの相手はおそらく”教祖様”だ」
「……教祖様?」
「聞いて驚くな、700年生きてるガチの不老不死だ」
「……冗談でしょう?」
パヴェルの言葉に、シェリルは困惑する。
当たり前の話である。この世界の人間の寿命は長くとも概ね100歳程度。もちろんそれは長生きした例であって、実際の平均的な寿命は50~60歳と大きく落ち込む(未発達な医療や食糧事情が大きく関係している)。
そんな世界で700年も生きるなど、いったいどんな相手なのか。
シェリルやパヴェル達の世界には存在したエルフのような、長寿の種族であるというのであればまだ分かる。彼らは500年や1000年は当たり前のように生きる事で知られており、そもそもの時間感覚が人間のそれと大きくかけ離れているのは有名な話だ(だから100年前の事を「この前」と表現する事も珍しくない)。
それはさておき、原則としてこの世界には獣人しか存在しない。
それ以外の種族が存在するというのであれば、歴史の裏側で暗躍していたごく少数の魔族か、そもそも異世界からこの世界にやってきたシェリルやパヴェルといった異世界人という稀有な例ばかりであり、教祖たるハサン・サッバーフもそういう類の人間なのではないかとシェリルは勘繰ってしまう。
「ハサン・サッバーフはスナネコの獣人だ。この世界の獣人と特段変わったところはないよ」
「ではなぜ700年も?」
「―――”竜の血”を浴びたのだそうだ」
竜の血。
エンシェントドラゴンのような古い竜が流す血。通常状態では単なる血液にほかならず、一般的な飛竜のそれと大きな差はないが、しかしエンシェントドラゴンが相手に対し強い怨念を抱いた瞬間に、その身体から流れ出る血液は高純度の呪いと化す。
草木を枯らし、森を焼き尽くし、生き物に触れればその生命をたちまちのうちに吸い尽くし、あるいは末代まで続くという決して解除不可能な呪いを刻み込む、危険度測定不能レベルの超危険物。
今でもノヴォシア領の一部がズメイの身体から溢れ出た竜の血により汚染されているのは有名な話であり、ミカエルが以前遭遇した魔物の身体を持つ獣人の”ヴァシリー”の一件もこれに端を発するものだ。
「竜の血……確か高純度の呪い、でしたっけ」
「ああ。そんな劇物を全身に浴びたそうでな、呪いの影響で”死ねない身体”になっちまったんだそうだ」
竜の血による肉体の変質。
身体の細胞は決して老いず、傷は瞬時に塞がり、その回数に上限など存在しない文字通りの不死身。
病でも、独でも、剣でも、炎でも、雷でも、銃弾でも、ありとあらゆる方法で殺しても死なず、次の瞬間には何事も無かったかのように起き上がっては涼しい顔をする”死ねない男”。
それがハサン・サッバーフという、暗殺教団の教祖の素顔である。
ハサンはその呪いを逆手に取った。
死ねないというのであれば、永遠に歴史の裏側で暗躍すればよい。時間という人生のタイムリミットが消失した事を逆手に取ったハサン・サッバーフは、歴史の転換点となった過去の事件の裏側で常に干渉し、物事を自分の意に沿うように捻じ曲げてきたのである。
だからこそ―――唯一、”不死を殺す”事ができる術を持っているパヴェルを恐れた。
彼の持つ切り札、不死殺しの一撃こと煉獄の鉄杭はそんな約束された永遠の命を一撃で灰燼に変えてしまう恐るべき代物であり、故にこそハサンはパヴェルを最大限に警戒していた。
かつて彼が、自らの全てを奪った”勇者”という転生者を屠るために手にしていた切り札が、異世界の地においてこれ以上ないほどの抑止力として機能したのである。
「ミカはそんな危険な奴の相手を!?」
「そうだな」
「大佐、悠長に一服キメてる場合ではありません。すぐに加勢を」
「……いや、大丈夫だろ」
「ですが!」
不老不死―――相手を殺す術がない以上、ミカエルに勝ち目はない。
それだけではない。700年という、人間の尺度では気の遠くなるような時間の中で研鑽を積み重ねてきたハサンの技は、並の暗殺者とは格が違う。
7世紀にも渡る膨大な時間の中で、技量を研ぎ澄ましつつも時代に合わせてアップデートを繰り返してきた熟練の業―――常人では決して得る事は出来ない”膨大な経験”という要素は最強の矛として、そして決して滅びぬその肉体は最強の盾として機能するのだ。
如何に雷獣の異名付きでも、勝てるはずがない。
「―――錬金術の本質は”物質の書き換え”だ」
ぽつり、とパヴェルが呟いた言葉に、シェリルは急に何を言い出すのかと訝しむような顔になった。
「屑鉄を黄金に、泥水を清水に。物質構造を書き換え、形状のみならずその性質すらも書き換えてしまう奇跡。それが錬金術だ」
「大佐、その……話が見えて来ないのですが」
不老不死の相手の話をしているというのに、なぜいきなり錬金術の話になるのか。
それは確かに、ミカエルは錬金術師でもある。習得するまでの難易度が高く、これを修め錬金術師を名乗る人材の希少さは有名な話だ。習得に魔術適性が一切要求されない事からその入り口は広く、しかし習得迄の過程で多くの人間がふるい落とされていった。
「俺は一度、アイツにスタウロスを渡している」
わかるか、と続けたパヴェルの言葉を聞くまでもなく、シェリルはその発言の意味を理解した。
錬金術の本質は物質の書き換えである。
つまり対象となる物質の組成さえ理解する事が出来れば―――あとは最小限の魔力とその辺の手頃な物質だけで、極論ではあるが何でも作れるのである。
「まさか」
「ありゃあ俺から言わせりゃ最大限の譲歩だ」
短くなった葉巻を携帯灰皿に押し込み、パヴェルはミカエルの勝利を確信するように言った。
「もう、ミカは誰にも手を付けられねえくらいに強い」
キュロロ、と怪鳥のような音が聞こえた直後だった。
製鉄所の天井、度重なる雨風と積雪で劣化し一部が崩落、ここからでも青空が拝めるような大穴をすり抜けるように、黒く塗装された”何か”が勢いよく突入してきたのである。
それはさながら、驚異的な視力で地を這う獲物に狙いを定めた猛禽類の狩りを見ているようで、目の前に立っている最大の脅威にばかり注意を向けていたハサンは空という未知の領域から襲来した新たな脅威に反応する事が出来なかった。
怪音にハッと顔を上げた頃には、彼の紅い瞳を機械の瞳が―――サーマル、暗視、X線、魔力の4つのモードを切り替え可能な高性能カメラと複合センサーを内蔵したそれが、じっと見つめていたのだ。
シャーロットの手によって改造された自爆ドローン『スイッチブレードSP』が、真上から突入してきたのである。
いくら気配を消す事が出来る伝説の暗殺者でも、機械であるが故に気配がせず、殺気もない、血の通わぬ殺戮マシーンの気配までは感じ取れない。咄嗟に回避しようと踏ん張る足に力を込めるが、身体が動き始めた頃にはスイッチブレードSPの自爆装置が動作、内蔵された高性能炸薬を点火させ、その身に秘めた破壊力を解き放っていた。
シャーロットが改造したスイッチブレードSPは、対人戦闘を想定した『タイプ1』と対戦車戦闘を想定した大型の『タイプ2』に大別される。いずれも試験運用中の兵器だが、悪辣な事にハサンに牙を剥いたのは対人用のタイプ1の方だった。
貫通力はないものの、爆風と周囲に飛び散る微細な破片、そして対象の身体切断を企図して封入されたピアノ線が周囲に拡散し敵兵を加害する兵器である。
そんなものを至近距離で浴びたのだからハサンが無事である筈もない。
スナネコの獣人だったものが周囲に飛び散った。ケモミミの一部やダガーを握ったままの手、どこかも知れぬ肉片に骨の切れ端。黒く炭化した人体のパーツが飛び散る中、すたんっ、と音を立てて軽やかに着地したのは、まさにこのドローンを使役する張本人であった。
サブボディに意識を憑依させたシャーロットである。
「やあやあミカエル君、随分と楽しそうな事をしているじゃあないか♪」
「楽しそうってお前、命狙われてるんだぞこっちは」
「クックック、極限状態も楽しめる余裕を持てば人生楽しくなるものだよ」
「うん、俺にはきっと一生辿り着けない極致だわソレ。異論の余地なし」
「……で、ここ”やったか?”って言うべきところかな?」
「そう言いたいのは山々だが……」
ずる、と肉を引きずるような音と共に、濛々と立ち昇る煙の向こうで形の欠けた人影がゆらりと立ち上がる。
腹からロープのような腸が飛び出し、肋骨は剥き出しになって、手足の一部は千切れ首から上がない無残な姿。常人であれば死んでいると考えるのが当たり前であり、生きている余地など微塵もない。
だが―――彼は、ハサン・サッバーフは生きている。
飛び出した臓物がずるずると腹の内に収まっていき、千切れた手足は断面から生えていく。爆風とピアノ線で捥ぎ取られた首も同様で、もぞもぞと断面から肉の塊が生えたかと思いきや、それが急速にハサンの頭を粘土細工のように形作っていった。
煙の中から一歩を踏み出したハサンの姿は、無傷も同然だった。
―――不老不死。
事前にパヴェルから聞かされていた話だ。彼が籍を置く組織、暗殺教団のトップであるハサン・サッバーフは”不老不死”である、と。
どういう経緯でそのような身体になったのかは不明であるが、しかしミカエルたちの目の前に立つそれは700年もの歳月を生きた正真正銘の不老不死であり、今を生きる文字通りの化け物であった。
「なるほど、見た事のない兵器だ」
面白いものを使う、と興味深そうに言いながら首を鳴らすハサン。口の中に残った血反吐を床に吐き捨てた彼の背後から、煙を突き破ってクラリスが飛び出す。
パヴェルが造り上げた2本の剣を連結させた彼女が躍りかかる。剣を勢いよく振り下ろすが、しかしその切っ先が捉えたのは小柄なスナネコの獣人の柔肌などではなくコンクリートの床だ。
彼女なりに気配を消し、完全な奇襲のつもりで放った一撃ですら、ハサンにはお見通しだったのである。
しかしクラリスの連撃は終わらない。
そこからまるで刀剣を用いた舞踏の如く、流麗な連撃を矢継ぎ早に繰り出し始めたのである。遠心力を利用した横薙ぎの連撃。時に速く、時に遅く、踏み込みが浅いと思いきや次の一撃は深く鋭く、メリハリのついた怒涛の連撃は受ける側に油断を許さない。
それらを掻い潜り、あるいは引き抜いた中東の刀剣『シャムシール』を使って受け流し、攻撃の合間に反撃を試みるハサン。
最強の暗殺者と自分のメイドが互角にやり合っているのを見てクラリスの強さを再認識しつつ、ミカエルはどうにか援護できないかと隙を探り始める。
しかしそんな彼を止めたのは、一瞬だけ合ったクラリスの紅い瞳だった。
ここはクラリスが―――爬虫類を思わせる彼女の紅い瞳が、そう告げている。
時間を稼ごうというのだ。
彼女もホムンクルス兵の端くれ―――ここにシェリルではなくシャーロットが加勢に来た意味を、何となく察したのだろう。
シャーロットに手を掴まれるや、ミカエルはそのまま廃工場の中に横倒しになり放置された巨大な坩堝の影へと連れ込まれた。
「不老不死……サンプルとして欲しいが、まあそんな余裕はないだろうね」
「何だよお前、いったい何を―――」
シャーロットの唐突な行動が、ミカエルの言葉を遮る。
いったい何を思ったか―――坩堝の影に彼女を連れ込むなり、シャーロットは上着のボタンを外し始めたのである。そのまま白衣をアレンジしたような上着とインナーを脱ぎ捨て、ついには真っ白な肌を露にしながら、異性同性構わず視線を釘付けにしてしまう大きさのバストを重そうに包み込む黒いブラジャーのホックまで外し始める。
「おいおいおい!」
戦闘中だぞ、と言いかけたミカエルだが、彼女のさらなる行動が抗議の言葉を許さない。
懐から取り出した小型のナイフの刃を、胸板に走らせたのだ。
すっ、と食パンのように切れていくシリコン製の人工皮膚。
その下から人工筋肉が、人工血液の通う人工血管が覗き、人間の胸骨を模したフレームの奥から―――白い輝きを発する機械の部品が姿を現す。
「前に言ったよね、ボクの身体は”超小型の対消滅機関で動いている”と」
以前、フィールドワークの最中にそう言われた事を思い出す。彼女のサブボディは、胸に埋め込まれた超小型の対消滅機関が生み出す莫大な電力で稼働しているのだと。
「小型とはいえ対消滅機関の端くれ、電力は相当なものだ」
「待て……おい、シャーロットお前……まさか……!」
どこか諦めを宿した、しかし希望を捨てていないような笑みを浮かべ、シャーロットの赤い唇が言葉を紡いだ。
「―――さあ、ボクの身体を使いたまえよ」




