尊厳シールド
パヴェル「へいらっしゃい」
ミカエル「チャーシュー麺大盛りとライス、それから餃子セット。飲み物はウーロン茶で」
パヴェル「はいよー」
食事中ミカエル君「うまうま」
発狂リーファ「 ダ ン チ ョ さ ん ア ン タ 正 気 か ! ? ! ? 」
↑
麺(主食)+米(主食)+餃子(主食)という炭水化物の暴力にカルチャーショックを受けるリーファ氏
※日本ではおかず扱いの餃子ですが、中国では主食だそうです。
「ミカの奴め……派手にやってるな」
パパン、パパパン、と聴こえてくる銃声に、時折鉄骨が破断するような重々しい音が遠雷のようなアクセントを刻む。
実家の長女が暗殺者に命を狙われているという知らせと、旧工業区で大きな音がする、あるいは何かが倒壊するような音が聞こえるという周辺住民からの通報が相次いだのは5分前の事だ。
以前までの、相手からの賄賂を平気で懐に押し込み事件をもみ消すような、腐敗に塗れた憲兵であれば通報を聞くだけ聞いて形だけのパトロールをし、何もありませんでしたと言う報告で済ませていただろうが、しかしアナスタシアが実権を握ったイライナの中枢キリウでそのような真似は許されない。
私腹を肥やす事にばかりかまけて憲兵としての職務が疎かになっているような老害は、アナスタシアが一族の家督を継承し実権を握った際に行われた聖域なき大規模組織改革の際に尽く一掃された。
有事の際にも重い腰を上げない怠け者はその首を切られ、残されたのは大量の空席だ。
マカールはその無能な老害たちが遺した席を、さながらシンデレラのように駆け上がっていった。政敵も居なければライバルも邪魔者も居ない、昇進が約束された大躍進。
揺るぎない正義感と誠実さ、そして実績を兼ね備え頭角を現したマカールが、イライナ国家憲兵隊の長官という重役に就いたのは、ある意味では既定路線だったのだろうが、タイミングの良い異例のスピード出世は長女アナスタシアからの贈り物だったのだろう。
長官という座に腰を据えても、しかしマカールのやる事は変わらない。
現場第一主義だ。報告だけが飛んでくる会議室で全てを決めるなど誤りでしかない―――それが彼女の、マカール・ステファノヴィッチ・リガロフという憲兵のこだわりだった。
「ああ、キミ」
ロープの張られた規制線に近付こうとするや、生真面目な若い憲兵に呼び止められた。
「ダメじゃないか、子供が入ってきちゃ。ここは俺たち憲兵隊が―――」
目の前に立ち塞がった若い憲兵を威圧するように、マカールの隣に控えている副官―――そしてその薬指に白銀の結婚指輪を煌めかせた、妻のナターシャが眼光を鋭くする。
「あなた、上官の顔も分からないの?」
「え、上官って―――」
冗談でしょ、と続けた若い憲兵の言葉が、視線を肩の階級章へ向けると同時に途切れる。
左肩には、通常決して現場に出張ってくる筈のない役職である長官を意味する階級章が確かにあった。
見間違いか、と目を擦りながらマカールの顔を覗き込む憲兵。まだ信じられない彼のために憲兵手帳を取り出して証明写真を提示して、やっとその若い憲兵は決して嘘などではないと―――憲兵に憧れた子供がコスプレしてやってきたわけではないのだと理解した。
「し、失礼しました!!」
「分かればよろしい。任務ご苦労」
(嘘だろ……こ、こんな子供が?)
子供、と言われるのも無理はない。
全体的に顔の輪郭がやや丸く幼い顔立ちをしているのは、マカールとミカエルの共通の特徴である。それに加えて身長155㎝、透き通るような白い肌にややウェーブのかかった金髪、人形のように華奢な手足に中性的な顔つき。それは治安維持のため第一線で命懸けの職務を遂行する憲兵というよりは、神話に登場する天使のようにも見える。
どうせそんな事を思われているのだろうな、と若い憲兵の心の中を見透かしてちょっとジト目になりながら、マカールはナターシャを伴って規制線を潜り抜けた。
「お疲れ様です長官!」
「状況は」
「はっ。旧工業区で銃声や崩落を確認したという通報は既に32件に上っており、今なお憲兵隊本部には通報が続いているそうです」
「……まあ、だろうな」
滅多に人が寄り付かないとはいえ、治安の良いキリウの旧工業区で騒ぎがあるとこれだ。
あの廃工場が連なる場所でいったい何が起こっているのか―――アナスタシアや血盟旅団のスタッフから聞いた情報を統合すれば、自ずと現地の状況が見えてくる。
ミカエルだ。
アナスタシアを狙った暗殺者の一味とミカエルが、旧工業区で戦っているのだ。
憲兵隊を動員し加勢に駆け付ける、という選択肢は確かにある。キリウは治安の良い街とはいえ、魔物やどこからか現れたゾンビの群れの襲撃を受けないという保証はない。それに有事の際は軍に次ぐ準軍事組織として機能する事も想定されているため、憲兵隊の武装は一般的な警察組織と比較すると重装備となっている。
加えて、憲兵の中には元冒険者や傭兵、従軍経験者も少なくはない。練度に関してもキリウ憲兵隊の実に7割が、祖国イライナの方の守護者たらんとマカールが手塩にかけて育てた精鋭たちだ。
しかしそれでも―――今踏み込めば、ミカエルの足手まといになる。
遠く離れたロネスク州の地からでも、実の妹の活躍は耳にしていた。魔術だけでなく習得の難しい錬金術までもを修め、リュハンシクの地で魔物の襲撃を再三にわたって退け、ノヴォシア側から”串刺し公”の異名で呼ばれるほどの実力者となったミカエル。
かつて姉弟の中で最も非力で矮小だった彼女は、今やイライナを代表する英雄として頭角を現している状態なのだ。
もう、あの頃の彼女ではない―――薄暗い部屋の中に幽閉されていた、忌み子と呼ばれていたあの頃のミカエルとは違う。
ならば今、最も彼女のためになる選択肢は部下を率いて加勢に馳せ参じる事などではない筈だ。
「ナターシャ、旧工業区から半径2㎞を直ちに封鎖しろ。野次馬や部外者を一歩たりとも敷地内に入れるな」
「はい、直ちに」
踵を返すや傍らに停車しているパトカーの後部座席に向かい、メモ帳から切り取った紙切れに鉛筆を走らせるナターシャ。マカールの命令内容をすらすらと書き記すや、それを後部座席の中に置いてある鳥篭の中のハトの足に結び付け、空へと羽ばたかせた。
情報伝達手段として、伝書バトは有用だ。
電話もない、モールス信号を相手に知らせるための設備もないとなれば、伝令を走らせるか伝書バトに頼るほかない―――無線という概念がない世界の情報伝達手段としてはメジャーな方だ。
空へと飛んでいったハトの後ろ姿を見つめながら、マカールは末妹を想う。
―――舞台は整えてやった。
後は、ミカエルの実力次第。
「うまくやれよ、ミカ……!」
飛んできたナイフが、しかし柔肌を刺し穿つよりも先に、まるで滑るかのように受け流されてあらぬ方向へと飛んでいく。
周囲にドーム状に展開した磁力の防壁による効果だ。弾丸や矢、投げ槍に刀剣に至るまで、磁力に反応する物質で構成された攻撃の尽くを反発させ受け流す、雷属性の魔術が織り成す防御魔術。
どこから飛んできたかも分からぬ投げナイフの攻撃を凌いでやった―――それは良いが、しかし1ミクロンたりとも喜べる状況ではない。
相変わらず教祖様ことハサン・サッバーフの気配は全く感じない。今の攻撃にしたって、いきなり何もない空間からナイフが飛んできたようにしか思えないのだ。気配がしない、殺気もしないともなれば常に磁力防壁をドーム状に展開して身を護るほかないのだが、しかしこれがなかなか魔力を食う。
磁力防壁の展開中は常に魔力を消費していくのだが、これに加えて攻撃を防いだ瞬間にも魔力の消費が発生している。
しかもその際に消費する魔力は、受けた敵の攻撃力に比例して増大していくというおまけ付きだ。だから常時磁力防壁を展開して引きこもっていればいいじゃん、という結論にはまず至らない。
ハサンもそれが目的なのだ。こうやって俺に磁力防壁を常時展開せざるを得ない状況を作り出し、消耗を強いてから動けなくなったところを確実に殺すつもりに違いない。
「クラリス、敵の気配は」
《全くわかりません……臭いも音も全く拾えないのです》
「クソ……なるほど、暗殺教団の首領を名乗るだけの事はある」
この高度な気配の隠匿技術に加え、殺気すら感じさせない、それでいて確実に急所を狙ってくるナイフの投擲。
そしておそらく、ハサン・サッバーフは再生能力持ち。
そういう相手とは戦った事があるが……しかし姿すら捕捉できず、気配も拾えず、そもそも攻撃を一発でも当てる事が難しい相手が再生能力持ちとは、レギュレーション違反も良いところなのではないだろうか。
長期戦は避けたいところだが、しかしこうも消極的な攻撃で、されど気を抜く事が許されないような状況を作り出されれば相手の土俵に乗って戦うしかない。
―――普通に戦えばそうだ。
勝機がないわけではない―――上手く行けば、もしかしたら相手を一撃で倒せる可能性はある。
だが、そんな隙を相手が与えてくれるとも思えない。
それに。
「ッ、またか!」
ぐんっ、と磁力に絡め取られてあらぬ方向へ飛んでいくダガーにビビりながら、俺はすぐに遮蔽物の影から飛び出した。
常時強いられる魔力消費に加え、休む事も許されない頻繁な移動。体力も火力も、それこそ切り詰めた貯金を少しずつ消費していくかのようにジリジリと削り取られていく。
―――敵は俺しか攻撃していない。
標的があくまでもこのミカエル君だけで、他に用が無いというのであればまだ分かる。それにしたって攻撃は消極的であるものの徹底して俺を狙っていて、先ほどから一撃たりともクラリスに牙を剥いた試しがない。
おかげでクラリスは索敵に専念させる事が出来ているが―――しかしそれも、いつまで続くか。
「はぁっ、はぁっ」
呼吸が乱れ始める。
じんわりと滲んだ汗が玉のような雫となって、額から頬へと流れ落ちていった。
俺の魔術敵性はC+―――魔力量は原則として適正に比例し増減する(適正と魔力量が一致しない者が稀に現れるが、これらは”クロスドミナント”と呼ばれる)。C相当となれば可もなく不可もなく、といった塩梅のランクだが魔力量も同じようなもので、魔力の発動に影響はないが特段多いとかそういうこともない、というレベルでしかないのだ。
このままでは、やがて魔力が枯渇する。
魔力欠乏症で死ぬか、それとも卑劣な暗殺者の手にかかって息絶えるか。
何とも不名誉な二者択一だな……えぇ?
だがしかし、そのどちらも俺の性には合わない。
意を決し、セレクターレバーを弾いた。
かつては製鉄所として機能していたであろう廃工場の一角。現役当時は溶けた鉄を貯め込んでいた巨大な坩堝の影から飛び出すや、先ほどダガーが飛来したと思われる方向へ向けてAKのフルオート射撃を見舞った。20インチのロングバレル内で十分な運動エネルギーを得た5.56mm弾の群れが飛来、キャットウォークや配管の束などを打ち据え金属音を幾重にも響かせるが、しかし相手に当たったという手応えはまるで感じない。
呼吸を整えた。
今度は左側、ちょうど屑鉄を乗せるトロッコのある辺りからダガーが飛来し磁力防壁で跳弾。
銃口をそちらへと向けた瞬間、微かに埃が舞ったのを確かに見た。
埃の飛び方から相手の移動先を予測、引き金を引く。
ドパパパパン、とAK-19のフルオート射撃が牙を剥いた。STANAGマガジン底のスプリングが5.56mm弾たちを押し上げて、撃発位置へと戻った薬室の中へと矢継ぎ早に押し込んでいく。コッキングレバーが激しく前後し、役目を終えた空薬莢が排出される度に拡散範囲を絞られたマズルフラッシュが迸った。
どさり、と何かが倒れる音。
やっt
トッ、と胸に何かが刺さる音。
え、磁力防壁は?
「ぁ……?」
呆然としながら、視線を胸元に落とした。
そこには確かに、1本のダガーが突き刺さっている。
しかもそれは、よく見ると今まで弾いていたような金属製のダガーではない。
木製だ―――硬い木材を限界まで鋭く研ぎ、上から何か薬液を塗布して硬化させた木製のダガーだ。
どうやら俺は最初から、ハサン・サッバーフの術中に嵌っていたらしい。
ダガーの投擲による攻撃で消耗を強いる作戦だというのは布石だ。本命はそうやって攻撃の回避が疎かになり、長期戦を恐れて積極的な反撃に打って出たタイミングで、隙を見てこの木製のダガーを叩き込むというのがハサンの作戦。
「そんな……」
《ご主人様ぁっ!!》
ぐらり、と視界が揺れた。
ああクソ……俺、ここで死ぬのか……。
まだまだ……やり残した事、たくさん……。
「……」
確かに、これまで仕留めてきた標的とは一味違う敵だった。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという大物に対し、700年生きたハサン・サッバーフが下した評価がそれだ。連射可能な未知の銃器(パヴェルの持っていたものと同じだ)も脅威ではあるが、立ち回りはパヴェルのそれに似て意外と堅実で、思いのほか博打に打って出る事もない。
手札と自分の置かれた状況を弁えたうえで、教科書をベースとしながらも自分の経験を交えた手堅い立ち回りをする―――パヴェルを師として迎え、戦い方を学んだだけの事はあるようだ。
だが、いずれにせよコレでおしまいである。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは死んだ。
確実に仕留めた事を確認するため、せめて首でも刎ねていくとしよう―――そう思いながら、さながら影のように黒く、それでいて艶の無いダガーを抜き払うハサン。
あのメイドに合流されると厄介な事になる。勝てない事はないが、怒りに燃えた従者というのはどこまでも厄介だ。下手をすれば地の果てまで追ってくるだろうし、将来的な禍根ともなろう。
今ここで速やかに、ミカエルの首を刎ねて標的の片割れの討伐成功とするべし。
長年の経験がそう謳う。
本能に従い、ハサンは仰臥するミカエルの傍らに立った。
そして逆手に持ったダガーを、ミカエルの首元へと振り下ろして―――。
「 つ か ま え た 」
ガッ、と眉間を鷲掴みにする小さな手の感触。
耳元でささやかれたミカエルの声。
馬鹿な、と目を見開いた頃にはすでに遅く、ハヂン、と蒼い閃光が閃いていた。大蛇の如くうねるスパークが身体中を舐め回すように駆け巡り、体内を確かな熱が突き抜けていく。
生きたまま焼かれるような苦痛に絶叫こそしなかったものの、それよりも仕留めた筈の標的に反撃されるといいう前代未聞の経験に、ハサンの頭の中は激しく混乱していた。
有り得ない。
確実に心臓を突き刺したはずである。なのになぜまだ生きている―――起き上がって、あろう事か魔術で反撃してきたのか。
「ぐっ!」
ガッ、とミカエルの脇腹に蹴りを叩き込んで距離を取るなり、ミカエルは上着の中から何かを取り出した。
それは木製のダガーが突き刺さった状態の―――同人誌。
表紙にはミカエル本人と思われるハクビシン獣人の男の娘が、粘液まみれにされながら無数の触手に絡みつかれているえっちなイラストが描かれている。
「貴様……なんだそれは」
「見て分からないか、えっち本だ」
次の新刊の献本貰った、と続けながら、ダガーの致命的な一撃から身を守ってくれたせいぜい15ページ程度の同人誌を投げ捨てた。
「馬鹿な……そんなペラッペラの本で身を守れるはずがあるまい」
「馬鹿はお前だ、知らないのか?」
にい、と口元に笑みを浮かべ、ミカエルは何故か死んだ目で告げた。
「この15ページに作者の性癖がぎっしり詰まってるんだ。その密度は弾丸をも防ぐ」
「お前は何を言ってるんだ」
「そして何より」
ミカエルの口元から、笑みが消えた。
「軽んじられ、長年破壊されてきた俺の尊厳がダガー程度で貫けるはずがないだろう?」
言っている事の意味は分からないが―――謎の説得力のような物を感じ、ハサンは身構える。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ―――こいつは得体の知れない相手だ、と。




