傷だらけの背中
スターリン「イライナでのミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの任期はすさまじいものです」
レーニン「ふむ」
スターリン「同人誌に抱き枕カバー、タペストリーにアクリルスタンド。オタク御用達のグッズが大量に出回っており、それらの収益はイライナ独立派の資金源にもなっているようです」
レーニン「連中はうまい事広告塔を手に入れた……か」
スターリン「ご存じの通り、我々の懐事情も厳しいものがあります。よって、我らノヴォシア共産党も活動の普及と宣伝を兼ねた広告塔が必要かと」
レーニン「……ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの人気はその容姿と性格だと聞いたが」
スターリン「はい。ミニマムサイズで良い香りがしてあの性格です。優しく、そして時折突き放すようなメスガキじみた発言がいい塩梅になって人気となっているようで。調査ではイライナの青少年の実に7割がミカエルに性癖を破壊されたと」
レーニン「……で、我々の広告塔には誰が?」
スターリン「アイツとかいいんじゃないですかね」
食事中トロツキー「……ん、ちょっと待って???」
「セシールを見失った?」
《はい……面目ありません、私がついていながら》
《今、ドローンで空から追ってるけど……見当たらないねェ》
《同志大佐曰く”整地でのセシールの足の速さはおよそ140㎞/h”だそうで》
在来線区間走ってる時の秋田新幹線とか山形新幹線より速くて草。
いや、草生やしてる場合ではない。
突然襲い掛かってきた暗殺者たちに加えて仲間たちの分断、状況は確実に悪化している。敵対勢力を分断しての各個撃破は数的不利に立たされてる場合では正気を見出すための策と言えるものであり、それが真っ向からの戦闘を必ずしも想定するものではない、不意討ちによる暗殺を企図したものであるというのであれば、とにかくこの状況は拙い。
《ミカ、そちらも襲われたそうですが……怪我は?》
「俺もクラリスも無事だ。襲ってきたアンポンタンも尋問して情報を吐かせた」
錬金術で作ったトゲトゲ棍棒を使い、ボコボコにして情報を吐かせたうえでメス堕ちさせられ気絶している暗殺者を爪先で蹴飛ばしながら、得た情報を仲間たちと共有する。
「連中は”暗殺教団”とかいう、暗殺を生業とする組織だそうだ。標的は俺と姉上、依頼人は皇帝陛下……」
《珍しいですね、舞台裏で暗躍するような連中があっさり情報を吐くなんて》
「まあ……そうだな。人間誰しも嫌がる事を全力でやられたら何でも吐くさ」
《具体的には……ああ、いえ。聞かないでおきましょう》
「ともあれ今は分断していると危ない、各個撃破される恐れがある」
《ですね、合流しましょう》
「そっちは? 近いのか」
《こちらは今、旧工業区の近くに》
「分かった、合流しよう。シャーロットも合流してくれ、ただし引き続きドローンでの索敵を継続頼む」
《ん、了解した》
「目印は……そうだな、旧製鉄所の煙突が見えるか? あの目測で50mくらいはありそうな、微妙に縞模様になってるヤツ」
《待って……あー、ハイ》
「その足元付近で合流しよう。どうせ人気も無いだろう、お友達の飛び入り参加も自由だ」
ターゲットのうちの1人が俺という事は、暗殺者の襲撃がこれで終わり……というわけではないのだろう。襲撃は継続すると思われる。
ひとまず合流して、それから一緒にセシールを探す事になる。セシールはシズルを抱えて綿飴泥棒を追ってどこかへと凄まじい速度で走っていったそうで、旧工業区方面に向かったとの事だ。幸い近いので、合流後にセシールを探しても遅くはない筈である。
セシールと無事に合流したら彼女をシェリルとシャーロットに任せ、俺は引き続き暗殺者共の遊び相手を継続……か。長い一日になりそうだ。
標的には姉上も含まれているようだが、あの人に関しては問題ないだろう。はっきり言って負ける気がしないし、これまで自信を狙った暗殺を7度も退けているのだというから驚きだ。
それも護衛を下がらせ自分1人で、である。リガロフ家の女は化け物か。
クラリス、と一声かけてサプレッサーを外すように指示。先ほどは下水道内という銃声が反響しやすい場所での戦闘だったため、銃声が反響してお互いの声が聞こえない、指示が確認できないという最悪の事態を回避するためにサプレッサーを装着したが、今度は逆だ。
むしろ銃声が、こっちに合流のために向かっているであろうシェリルとシャーロットに対する目印になってくれる。
サプレッサーを外すや、足元で転がっている暗殺者が吐き捨てるように笑った。
「……お前じゃあ、”教祖様”には勝てない」
「誰だ」
「あのお方には”死”という概念がない……せいぜい絶望の中で削り殺されろ」
「……不老不死だとでも?」
トッ、と音もなく飛来した投げナイフが、負け惜しみを漏らす暗殺者の眉間に突き刺さった。
刃渡り20cm弱、投擲用のナイフとして見れば大柄なそれは根元まで眉間に突き刺さっていて、その切っ先が頭蓋をぶち抜き脳にまで達し、彼を即死せしめているのは一目瞭然だった。
いったい何が起こったのか分からない―――もし使者と対話する術があったのならば、彼の魂は相当困惑している筈だ。生と死の境界線、その気配すらも認識する事が敵わずに、名もなきメス堕ち済みの暗殺者は黄泉の国へと旅立っていった。
全く気配がしなかった―――いったいどこから、何者なのかと後ろを振り向くよりも先に、俺とクラリスは同時に左右へバラけるように走り出していた。
相手から攻撃が飛んできたという事は、既にこちらは相手に捕捉されている上に攻撃の射線も通っているという事だ。そんな状態で悠長に後ろを振り向き相手の姿を探すというのは素人のやる事で、生き残るために今するべき事は遮蔽物の影に隠れて射線を遮り、反撃の機を窺う事である。
スライディングするようにレンガの壁の影に滑り込む俺を追うように、トッ、トッ、とナイフの突き刺さる音が背後から追ってくる。
遮蔽物の影に滑り込み、呼吸を整えた。
息が上がる―――じりじりと肺を押し潰すかのような圧迫感。
もちろんそれは今の全力ダッシュとスライディングで疲れたとか、そんな事が原因ではない(その程度だったらパヴェルにスタミナ不足と判断されスクワット300回を言い渡される)。
―――強者特有の威圧感。
無意識のうちに目を見開き、ケモミミを立てていた。両足もすぐその場から動けるよう爪先立ちになっているのも、ハクビシンの獣人としての本能なのかもしれない(ハクビシンは天敵が多いのだ)。
絶対に勝てない捕食者を前にした時のような強烈なプレッシャーに押し潰されそうになりながらも、さてどうするかと生き延びるための案を頭の中で検討し始める。
相手の気配はしなかった。そして現在進行形で、相手の気配は全くと言っていいほど拾えない。
確実にそこに”居る”事は分かるのに、しかし気配はしない。
先ほどの投げナイフの攻撃も、初撃で俺を狙う事も出来ただろう。気配も拾えない完全なステルス状態からの奇襲……それも自らの存在を相手に知らせる事になる貴重な最初の一撃を敢えて部下の口封じに費やしたのは、情報漏洩を恐れての事かもしれないが、それとは別に俺程度の相手であればいつでも殺せるという自信の表れでもあるのだろう。
いずれにせよ、相手の気配が拾えないというのはかなり痛い。常にどこから飛んでくるかも分からない先制攻撃に晒される事を意味しているからだ。
この戦い、攻撃の主導権は相手にある。
「―――なるほど、良い判断だ」
石畳をブーツで踏み締める音。
錯覚か、それとも何らかの魔術やそれらの類の妖術でも使っているのか、声や足音すらも、まるで洞窟の中で反響するかのように小刻みにリフレインしている。そのせいでどこから聴こえる声なのか、どの方角から聴こえる音なのかが判別できない。
「ここまで生き延びてきただけの事はある」
「―――お前が”教祖様”か?」
「いかにも」
距離を詰めてきているのだろう―――殺気が、どんどん濃密になってくる。
「我が名は”ハサン・サッバーフ”」
ハサン・サッバーフ。
前世の世界にもそんな名を持つ人間がいた。確か遥か昔、大昔の中東に―――。
中性的な、まるで女性の声優が少年の役を演じているような、それでいて貫禄に満ちた声でハサン・サッバーフと名乗った”教祖様”は死刑を宣告する。
「我が名を冥途の土産に持っていけ、ミカイール」
死の刃が差し穿ったのは、大きな背中だった。
いつもミカエルが、セシールが―――それ以前にも彼と死別した愛娘が、妻たちが見守ってきた傷だらけの背中。家族や仲間の運命を背負い、祖国の運命を背負い、己の運命すら背負った大き過ぎる背中。
そこに今、新たな傷が刻まれた。
「ぁ……」
慣れ親しんだ匂いだ。
タバコと火薬、そして微かにアルコールが滲んだ、不健康を地で行くような匂い。それは死の淵を常に綱渡りで、そして全身全霊の全力疾走で突っ切ってきた男の存在証明とも言えた。
自分の家族、現時点では父親代わりとなっている男の匂い。
血が通わぬが故に冷たく、硬く、けれども誰よりも熱い魂を宿した大きな腕に抱かれて、セシールは自分から消し去った筈の過去の人格の記憶、そのフラッシュバックを垣間見た。己の遺伝子に刻まれている、その根底に根差した記憶。己という人間を語る上では決して欠かせない半身の如き男の温もりを、確かに思い起こしていた。
闇色の右目を見開きながら、セシールは唇を震わせる。
「ぱ……パヴェル……?」
「ハッ……無事……だな?」
背中を大型のダガーで深々と貫かれ、口からオイル混じりの血を滴らせながら、パヴェルは機械の両腕で家族を力強く抱きしめた。
そこにはもう、かつて復讐のためだけに戦った”ウェーダンの悪魔”の面影は―――ない。
今の彼は1人の男で、1人の父親だった。
「なん、で……」
「……我が子の心配をしない親がいるかよ」
彼の背中をダガーで穿った暗殺者が飛び退くや、後方から新たにボルトアクション式の単発中を装備した別の暗殺者たちと、彼らを束ねる教団の幹部―――”ネロ”が姿を現す。
片膝をつき、一斉に射撃体勢に入ったのを見るセシール。目を見開きパヴェルに逃げるよう促すが、それよりも早くボルトアクション式小銃が火を噴いた。
ドパパパン、と黒色火薬で放たれた弾丸がパヴェルの大きな背中を幾度も穿つ。その度に彼は身を震わせたが、しかし愛娘たちを守るべく一歩も動かない。
ぽた、と滴り落ちたオイル混じりの血が、セシールの頬に禍々しい色彩を刻んだ。
「俺……今度こそ守るからさ……だから」
少しだけ顔を離し、パヴェルは笑った。
「だから泣くな、セシール。せっかくのいい女が台無しだ」
指先で彼女の目元に浮かんだ涙を拭い、頭の上にそっと手を置く。
「いいか、3つ数えたらあっちの物陰に走って、目を瞑って耳を塞いで、好きな歌を口ずさんでろ。歌い終わる事には全部終わらせる」
できるかな、と念を押すように問うと、セシールは唇を震わせながらも首を縦に振った。
(―――いい子だ)
セシールと、彼女が抱きかかえるシズルにかつての愛娘の面影を重ねながら、パヴェルは目を細めた。
これまでの人生でどれだけこの手を血に染めてきたか。それを想えば、あの時娘を失い、妻の心を壊されたのはある意味で因果応報、これまでの行いのツケが回ってきたのかもしれない。
しかし今ばかりは、かつてウェーダンの男と呼ばれた男は神に感謝していた。
あの時の無念を晴らすチャンスを、もう一度だけ与えてくれたこの奇跡に。
1つ、2つ、3つ。
数えるなり、セシールは言いつけ通りに脇目も振らずに走り出した。踏み締めた地面を陥没させるほどの脚力で急加速、一気に120㎞/hほどの速度に達した彼女の姿が、濛々と立ち昇る土煙と共に廃工場の物陰へと消えていく。
「أطلق النار!(撃て!)」
ネロの号令で、銃口を一斉に土煙の向こうのセシールの背中へと向ける暗殺者たち。
如何にテンプル騎士団最強の団長、その複製とはいえ人格は別物だ。子供のように無邪気で、疑う事を知らず、そしてその精神は戦に対し徹底的な不適合を見せている。
だから殺すのは容易い。如何に肉体が凶刃でも、中身が幼い娘同然では……。
だが、しかし。
―――それは標的が彼女だけであった場合の話だ。
ドン、と土煙をぶち抜いて、180㎝の巨漢が躍り出る。
先ほどまでの愛娘に見せる父の顔から打って変わって、土煙の中から躍り出た速河力也の表情は悪鬼羅刹の―――いや、違う。今の彼にそんな禍々しいものなど微塵も残っていない。
父の顔、というのは間違いではないだろう。
しかし今の彼が見せるそれは、身を挺して愛娘を守らんとする父の―――1人の戦士と化した父の顔だった。
銃士隊を率いるネロは、銃剣を装着したAK-19を手に突っ込んでくるパヴェルの背後に揺らめく黒い影を確かに見た。
セシールと瓜二つな、しかし彼女と比較すれば遥かに大人びた、隻眼の女の幻影。
かつての彼が生涯の伴侶とし、しかし戦争によって死別する事となった、パヴェルが愛した女―――セシリア。
次元の壁を越え、死別してもなお、その残留思念はずっと夫と共にあったのだ。
セシリアの幻影に見守られたパヴェルは、もう止まらない。
慌てて彼に銃口を向けた暗殺者の喉元に銃剣を深々と突き立てて、AKのストックに膝蹴りを叩き込んでさらに深く差し穿つ。
ぶびゅ、と鮮血が溢れ出る湿った音と共に銃剣の切っ先とAK-19のマズルが後頭部、脊髄を躱すコースで顔を出すや、その背後で小銃を構えていたアサシンを睨んだ。
ひっ、と喉が鳴った頃には、5.56mm弾の礫が彼の眉間を撃ち抜いた。一度、二度、三度。立て続けの被弾で頭の右半分が欠け、白い骨片とピンク色の脳味噌の破片が周囲に飛び散る。
AKから手を離し、ショルダーホルスターから引き抜いたマカロフをガンマンさながらの早撃ちで7連射。7発の弾丸全てが暗殺者たちの眉間を撃ち抜き、撃たれたという事を知覚させる間もなく絶命せしめる。
弾切れになったマカロフを投げ捨てたパヴェルへ、唯一の生き残りとなったネロが歯を食いしばりながら迫った。
手には中東の刀剣”シャムシール”がある。
大きく湾曲した白銀の刀剣を閃かせて迫るネロ。
しかしそれを振り下ろすよりも先に―――大口径の大型リボルバー”RSh-12”の銃口が、ネロを睨んでいいた。
「Прощай, ублюдок(あばよ、クソッタレ)」
ドカン、と爆発するような銃声―――いや、もはや砲声と言うべき轟音が迸り、12.7×55mm弾がネロの眉間を穿った。
近距離において相手のボディアーマーを貫通する事を企図した大口径の弾丸は、まともな防具もない生身の人間を撃ち抜くには、あまりにも強力であり過ぎた。
ヘラジカを容易く絶命させるヒグマの如き一撃はネロの上顎から上を大きく抉り飛ばすや、周囲に血肉の雨を降らせた。
銃声の残響が遠来のように遠ざかっていく中、傷だらけのパヴェルはRSh-12をくるりと回してホルスターに収め、葉巻を咥えて火をつける。
煙を吐き出しながら、空を見上げた。
これ以上ないほど晴れ渡った青空―――これほどまでに澄み渡った空を、彼は見た事が無い。




