『今度こそは、必ず』
パヴェル「双子キャラは片方が欠けて曇り始めてこそ完成する」
ミカエル「唐突な性癖開示やめろー???」
もし履歴書の特技を記載する欄があったら、「機械いじりと料理と人殺し」って書くだろう。
御社に入社した暁には、この殺戮のスキルを使って出世街道を駆け上がり、いつまでも後進に道を譲る気のない老害の、レーズンの如くしわくちゃになったケツをC4で吹き飛ばして頂点に君臨したいです、と。これくらいの熱意があれば採用してくれる企業は世界のどこかに1つくらいある筈だ。
そういうわけで、また1人殺した。
肉を裂く手応えすら感じなかった。息子に託したナイフの代わりに自作したカランビットナイフを逆手持ちで振るい、空振りしたかな……と手応えの無さを危惧するほど軽い手応え。しかしその恐竜の爪のように湾曲した鎌の如き刃は暗闇から飛び出してきた暗殺者の喉をこれ以上ないほど深く切り裂いていて、鉄臭くそれでいて熱い飛沫を飛び散らせていた。
現役の頃、よくクレイデリアの左翼系メディアの記者に意地悪くこう質問されたものだ。
―――『血で汚れた手で娘を抱く事に抵抗はありませんでしたか?』と。
だから俺は、わざとらしく義手を外してこう返してやった。
―――『あいにく脱着可能なので、汚れたら交換してるんです。便利でしょう?』と。
まあ、当たり前だがその手の罪悪感なんて感じた事は生まれてこの方一度もない。仲間が死んだ時……家族や戦友と死別した時は、そりゃあ悲しんで涙を流す。戦死した戦友がクレイデリアの国旗を掛けられた棺と共に帰国した時は、共にその喪失感と悲しみ、復讐心を仲間と共有し合ったものだ。
結局のところ、殺しという行為に慣れてしまった―――最適化してしまったのだ。もうどうしようもなく、後戻りも出来ないほどに。
そういうわけで、別に敵の死体が一つ増えたところで何とも思わない。ああ敵が減った、そんな事より夕飯何にしよう……その程度の感覚しか頭の中には無い。
首を傾け、後方から投擲されたナイフを回避。一瞬でも反応が遅れていれば後頭部を刺し穿っていたであろうそれを紙一重で回避しつつ、ショルダーホルスターに収まっていたマカロフ(これ俺の手には小さくて使いづらいんだよな)を一瞬で引き抜いてノールックで撃ち返す。
どさり、と眉間を撃ち抜かれた人間が倒れる音がした。
一応ちらりと振り向いて撃破確認。案の定教団所属と思われる暗殺者で、黒装束に黒い仮面を身に着けていた。闇に溶け込む事を優先した装備だ。
さて、これからどうするか。
マカロフをホルスターへと戻し、カランビットナイフのリングに人差し指を通してくるくる回転させながら、一旦冷静になって考える。
仲間たちは分かれて街の散策をしている。ミカとクラリスはリガロフ家の屋敷で姉と話をしている頃だろうし、心配なセシールとシズルについてはシェリルとシャーロットという、旅団の中でも最高クラスの戦力が行動を共にしている。
ホムンクルス兵の主席と次席のコンビだ。それがどれだけの戦闘力を持つか、俺はよく知っている(昔組んでたホムンクルス兵のジェイコブも第97期生の首席だった)。
こっちは心配しなくても良さそうだが……しかし参った、教祖様を討とうにも、今の俺には切り札がない。
―――煉獄の鉄杭。
相手が不老不死だろうと無限に近い再生能力を持っていようと、そんな理屈の一切合切を無視して一撃で死に至らしめる……文字通りの”不死殺しの一撃”。
元々は製造手段も限られていた事から数に限りがあり、テンプル騎士団を率いているであろうセシリア用に1本、それから万一教団と敵対した際にハサンを討つために1本、それから予備の杭を何本か用意していたのだが、今となっては人工賢者の石による量産も可能となり何本でも用意できる。
が、今日は教団と敵対するために来たわけではない。手切れ金も用意し、穏便に事を済ませるべく準備をして別れ話を切り出しに来たのだが……よもやこんな事になるとは。
まあいい、自分の想像力不足を言い訳にしたところで状況は好転しない。今はとにかく状況を整理しよう。
ハサンの狙いはミカと、それからミカのとこの長女の2人。いずれも一筋縄ではいかない相手だが、しかしそれは真っ向からやり合えばの話。人間誰しも隙は生じるものだ。
寝ている最中や食事中、用を足している最中など……生きて呼吸している以上、そういった生理現象は切っても切り離せない隣人のようなものであり、その最中はこれ以上ないほど大きな隙となる。ましてや自分たちに刺客が差し向けられている事を知らない状況では、いつその命を刈り取られてもおかしくはない。
それに俺は、あのハサン・サッバーフという男を知っている。
700年以上生きたスナネコの獣人であり、正真正銘の不老不死。どれだけ切り裂いても、焼き尽くしても次の瞬間には傷口を再生させて平然と生き返り、そして老いもしない。”死”という概念をものの見事に切り離した化け物だが、しかし俺と奴は互いに互いを迂闊に裏切れない関係にあった。
ハサンは不老不死であり死なず、それでいて自身も優れた暗殺者だ。その気になれば俺を殺す事も出来ただろうがそれをしなかったのは、アイツらにとって俺は資金調達源として有用であったという事以外にも―――煉獄の鉄杭を持つが故に、ワンチャン不老不死をワンパンで殺せる可能性があったからに他ならない。
切り札たる煉獄の鉄杭が、一種の抑止力となっていたのだ。
そして俺も資金を提供し、時折連中の仕事を手伝う見返りにテンプル騎士団に関する情報を受け取るという共生関係を築いていたからこそ、今まで辛うじて協力体制を維持する事が出来た。
しかしテンプル騎士団が崩壊した以上、もうその必要はない。
俺からすれば協力する旨味がなくなったわけだし、ハサンからすれば俺はあの不老不死を覆しかねない危険因子。飼い慣らせなくなるならば殺そう、という発想に至るのもまあ道理とは言える。
そんなハサンは、兎にも角にも冷徹で厳格な人間であったと知られている。
暗殺者として教団の団員には置き手を守るよう厳命しており、それに背いた者は血の繋がった実の息子であろうと容赦なく処刑したとか、そういう逸話が現代に至るまで団員の間で噂として流れているほどだ。
それでいて目標達成のためには手段を選ばない―――そういう人物像から想像するに、俺の始末は部下に任せて真っ先にミカかアイツの姉さんを消しに行った可能性が高い。
先ほどから俺に幹部ではなく一般階級のアサシンや見習いばかりけしかけてくるのは足止めのためか。
ミカの救援に行くべきか、それとも……。
「―――仲間の心配より、家族の心配をした方がいい」
凛とした声と共に姿を現したのは、狼の獣人の幼子を抱いた狼の獣人の女性だった。
ホッキョクオオカミの獣人なのだろう。頭髪は純白で、狼特有の形状のケモミミがある。どこか気怠そうではあるが眼光は鋭く、少しでも目を逸らせばたちまち喉を切り裂かれてしまいそうな、得体の知れない威圧感がある。
「スミカ」
教団のナンバー3、スミカ。
彼女には今まで色々と助けられた。彼女の連れている狼の獣人の仔、”グレイル”も一緒ということもあって、一時期教団内部では『グレイルはカーネルとスミカの仔』だなどと噂話を流された事もあったが……。
お前もか、と身構える事はしなかった。
彼女からは敵意を感じない。
第一、もし彼女が俺を消すためにここまでやってきたのだとするならば、ああやって目の前に姿を現す前にやられていた筈だ。
ナンバー2とナンバー3の間には隔絶した実力差があるだなんて言われているが、言わせてもらえば彼女は十分に恐ろしい。
ミカも大概だが、彼女は別のベクトルで相手にしたくないアサシンと言えるだろう。
「なんだ、お前は俺に味方してくれるのかい」
「お前を殺す気にはなれない。それより、ネロがお前の娘たちを狙っているぞ」
「―――そうかい」
すっ、とスミカはキリウの旧工業区の方を指差した。
「行け。私はお前が成した事が何を生むのか―――それを闇から見届ける」
「……礼を言う」
脳裏に浮かぶ家族の顔。
心を壊された妻と、右腕しか残らなかった愛娘の遺体。
守れなかった夫婦の未来。
それを―――今度こそは。
ぎり、と歯を食いしばりながら、陸上の短距離ランナーの如く全力で駆け出した。邪魔な木箱や積み上げられた樽は体重と体格を生かしたタックルでぶち破り、路地で寝転がっている浮浪者は飛び越えて、片側3車線の車道をそのまま全力疾走で横断。トラックのドライバーにはクラクションを思い切りならされたが、構いはしない。
二度も失ってなるものかよ。
次こそは、必ず。
「わぁ……♪」
キリウの大通りを見て、セシールは闇色の瞳を輝かせた。
煌びやかな大通りに並ぶ露店や喫茶店、片側3車線の車道を行き交う車列に列を成す買い物客たち。いたるところで車のクラクションや客引きの声が響き、大都会特有の喧騒に包まれたそこは、彼女にとってはまさに楽園のようだったのだろう。
セシリアという人格を消去し、新たに芽生えたセシールという人格にとって、今日が初めての外出だ。今まではパヴェルに家で読み書きを教えてもらい、家事の手伝いや畑仕事ばかりの毎日を送ってきたからなのだろう。大都会特有の喧騒も、買い物客が成す雑踏も、狭い世界しか知らない彼女の目には新鮮に映ったに違いない。
「シェリルシェリル! あれはなんだ!?」
「あれは綿飴ですね」
「ワタアメ!?」
「美味しいですよ。甘くてふわふわで。食べます?」
「たべるー!! シズルも食べるか!?」
「あうー!」
「ふふっ、分かりました」
いいのかー、と目を輝かせるセシールの無邪気さに振り回されるシェリルではあるが、しかし不思議と苦ではない。
むしろ歳の近い妹が出来たような感じがして、微笑ましさすら覚えていた。
無理もない話である。シェリルたちホムンクルス兵は、セシールの原型となったセシリアの祖先をその原型とした存在だ。遥か祖先の複製と、その末裔の複製ともなれば血縁者も同義であり、近しい何かを感じてしまっても無理はない。
財布を取り出し、綿飴を売っている露店の店主に170ライブルを支払うシェリル。受け取った綿飴をセシールに渡すと、彼女は目を輝かせながらそれを受け取って勢いよく齧りついた。
「いただきまー!!」
「ふふっ、そんなに焦らなくても綿飴は逃げませんよ」
「んー!!」
未知のふわふわの食感と砂糖の甘さに、訪れた至福の一時を噛み締めるセシール。口の中で溶けていく綿飴と、それに反比例して増えていく甘さが脳天にまで突き上げてきて、セシールは無邪気にただただ悶えた。
腕の中にいるシズルも物欲しそうに小さな手を伸ばしてくる。それに気付いたセシールは小さくちぎった綿飴をシズルに食べさせると、小さな角の生えた彼女の頭を優しく撫でる。
偽物のセシリアの予備として使い潰される筈だった儚い命たちなのだ。このくらい自由に生きたっていいだろう―――セシールの無邪気な振る舞いを微笑ましく見守っていたシェリルだったが、しかし彼女に訪れる至福の一時も長くは続かない。
どん、と彼女にぶつかる人影。その人影は彼女の手から零れ落ちた綿飴を掴むなり、さながら煙のように雑踏の中へと姿を消していった。
「あー!! 私のワタアメが……!」
「あー……仕方ありません、もう1つ買ってあげますから」
「やだ! 取り返す!!」
「え、あぁっ、いけませんセシール―――」
制止の言葉も、しかし一度火がついてしまったセシールには届かない。
シェリルが大慌てで手を伸ばそうとするが、しかしその手がセシールの肩口を掴むよりも遥か先に彼女は全力で駆け出していた。それこそ歩道の、整然と舗装された石畳を叩き割り、抉ってしまうほどの勢いでである。
ドン、と空気の弾けるような音を発しながら雑踏を割らんばかりの勢いで走り始めるセシール。歩とにぶつかるよりも効率がいいと本能で理解したのか、最寄りの街路樹の幹を蹴って大きく跳躍するや、そのまま大通りに軒を連ねる建物の壁面を走って綿飴泥棒の後を追う。
もちろん、腕の中にシズルを抱きかかえたまま。
恐ろしいまでの身体能力に、シェリルは唇を噛み締めながらも慌てて後を追った。
記憶を失い、セシールと名付けられた幼い人格が生じているとはいえ、その身体は彼女らが”同志団長”と呼んでいたセシリアのものだ―――それも、よりにもよって若さに満ち溢れていた全盛期のものである。
いくら次席の成績で訓練課程を終えたシェリルの足でも、壁面を全力疾走するセシールには全く追い付けない。
その差はぐんぐん開いていき―――やがてセシールの遥か後方へと、シェリルの姿は消えていった。
しかしそんな事にもセシールは気付かない。
彼女の頭の中は綿飴の事でいっぱいだった。
せっかく美味しい綿飴を楽しんでいたのに、それをいきなり現れて盗んでいった。それが許せない。
だから追いかけて捕まえて怒ってやるのだ。そしてごめんなさいと言わせてやるのだ。
そんな憎たらしい不届き者を追いかけていたセシールは、やがて全く見覚えのない場所に居る事に気付いた。
「あれ……?」
「ぴぅ……」
そこはもう、買い物客で賑わう大通りなどではなかった。
買い物客どころか人っ子一人誰としていない、人の気配すら感じない廃墟の敷地内である。カビと埃に塗れた停滞した空気が、微かな風に運ばれてセシールの鼻腔へと入り込んでくる。
「ま、迷子になっちゃったのだ……!?」
「あうぅ……!」
「シズル、どうしよう……」
「あうー……」
そこで、セシールは思い出した。
ポケットの中にスマホが入っている。中には血盟旅団全員の連絡先が記録されているが、その一番上には彼女たちの保護者であり父親代わりでもあるパヴェルへの連絡先が分かりやすいところに登録されているのだ。
外出する前、「何かあったらパパに連絡するんだぞ」としつこいほど念を押されたそれを思い出し、セシールはスマホを取り出しながら後ろを振り向いた。
後ろには、短剣を手にした黒装束の暗殺者が立っていた。
「―――ぇ」
誰、と問う暇もない。
ぎらりと黒光りする漆黒の短剣が、無慈悲にも振り上げられて―――。
ドッ、と肉に突き刺さる音と共に、血飛沫が迸った。




