悪魔の選択、再び
ミカエル「ん?」
アナスタシア「どうした?」
ミカエル「結婚の話してた時、姉上俺の事男として認識してませんでした???」
アナスタシア「ソンナコトナイヨ」
ミカエル「……?」
アナスタシア「ソンナコトナイヨ」
ミカエル「もしや女扱いしてるのわざとだったり?」
アナスタシア「いやそれはガチ」
号泣ミカエル君「な゛ん゛だ゛よ゛も゛ぉ゛ぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
イライナ公国時代に首都として栄えたキリウの街中は、まるでもう既に帝国から独立したかのような雰囲気に包まれていた。
帝国の公用語と定められ、イライナ地方にもそれを公用語とするよう強要されているノヴォシア語は全くと言っていいほど聞こえて来ず、街中の客引きや商品の宣伝に聴こえてくる言語はどれもイライナ語―――起源を同じくするがノヴォシア語とは異なる別の言語である。
それだけじゃない、街中には公然とイライナ公国時代の国旗がはためき、街の片隅では酔っぱらい達がアコーディオンの音色に合わせて、今となっては歌う事を禁止されているイライナ公国時代の歌を熱唱する。
帝国からの命令をあからさまに無視するその姿勢にはノヴォシアに対する彼らなりの復讐心や憎悪が見え隠れするが、それ以上にこれだけ蔓延する独立の機運を全くと言っていいほど抑え込めていない辺り、帝国の弱体化は相当深刻なようだと実感する。
ポケットからトレンチライターを取り出して、葉巻を口に咥え火をつけた。
セシールとシズルはカーチャに預けてきた。シェリルとシャーロットも一緒なので、まあ彼女の護衛にはちょうどいいだろう。本当ならあの娘×2を俺が父親代わりとして手の届くところで見守ってやるべきなのだろうが……生憎、今はちょっとやる事がある。
キリウの西へと足を進めるにつれて、公国時代の首都としての華やかさは鳴りを潜めつつあった。古びた建物が目立つようになり、ボロボロの服に身を包んだ住人が余所者に対し敵意の滲んだ視線を向ける。部外者は誰も信じない―――そんな彼らの心の声が聞こえてくるような、そんな気がした。
傷痍軍人なのだろうか。スラムの入り口の道端に、布切れを敷いてその上に座り込みながら、『Я ризикував життям, щоб боротися за свою країну(私は祖国のために命懸けで戦いました)』と殴り書きされたプラカードを持っている。
同じ軍人の端くれとして、国のために命懸けで戦った彼らには敬意を表さずにはいられない。
国のため、家族のために命を懸けて職務を全うし、傷つき軍を離れれば転落あるのみ……そんな哀れな事が許されていい筈がない。彼らにはもっと良い待遇があって然るべきなのではないか。
財布からライブル紙幣をいくつか取り出し、彼の目の前に置かれている缶の中にそっと入れた。
すっかり痩せこけた顔がこっちを向く。
「ありがとう……」
掠れた声でいう彼の肩を軽く叩き、その場を後にした。
傷痍軍人に対しての待遇は、義手や義足、身体の機械化などの技術が発達していた事もあってテンプル騎士団は特に手厚かった。戦傷保険に加入してさえいれば無償で義手や義足の移植を受けられ、保管加入していなくても組織が補助金を出してくれるので、所得の低い家庭の兵士でも失った手足の代わりを簡単に手に出来た。
傷痍軍人の選択肢は2つ。失った身体の一部を機械化し戦線に復帰するか、引退し他の道を歩むか。もちろん強制ではなく本人の意向が最優先され、専属の技師と心理療法士、リハビリのトレーナーまで派遣されてくるほどだ。
軍事主義国家だった事もあり、クレイデリアは特にそういうところに気を使っていたし、祖国のために身を捧げた軍人には敬意を表すべきという空気を国中に醸成していた事もあって、少なくとも軍人を『人殺し』呼ばわりする自称平和主義者はそれほど多くなかった。
戦地で身体を張る兵士こそ平和の尊さを最も知る存在である。そんな彼らに対し平然と心無い言葉を投げかける自称平和主義者は本当に何なのだろうか。
……いかんいかん、クソみたいな事を思い出した。
フェンス越しに反戦を訴えてくる市民団体に対し、何も言い返せず涙を流す負傷兵に肩を貸していた時の記憶がフラッシュバックする。
嫌な記憶を頭の奥底へと押し込めて、路地の中へと進んだ。
人気のない、昼間でも薄暗い路地の一角。この辺で良いよなと思いつつ、壁に背中を預けてニコチンの恵みを享受すること5分と少し。今夜の夕飯はシュクメルリにでもしようかな、とチキンの値段について考え始めたその時だった。来訪者が現れたのは。
「久しぶりですね、”大佐”」
「マリク」
現れたのは僧衣に身を包んだホワイトタイガーの獣人だった。人間にケモミミと尻尾を生やしたような第二世代型ではなく、より骨格が獣に近い第一世代型である。
彼―――マリクは俺の隣にやってくるなり、いきなり話を切り出した。
「関係解消がお望みだと」
「……まあ、そんなところだ」
葉巻を携帯灰皿に押し込み、ポケットからもう1本葉巻を引っ張り出すと、マリクは「マジかお前」みたいな顔でこっちを見てきた。
アルコールとニコチンとAKは俺の人生である。これを阻むという事はパヴェルさんへの宣戦布告と心得よ。
「分かるだろ、お前なら」
「我ら”暗殺教団”に協力していたのはあくまでもテンプル騎士団とやり合うため。そして彼らが斃れた以上、協力関係を維持しておく必要もない。そういう事ですね」
「話が早くて助かる」
元々、俺がコイツら暗殺教団に接近したのは情報のためだ。
暗殺を生業とする暗殺教団。そのネットワークは世界中に広がっており、自前の諜報網を構築するよりはこいつらと協力関係を築いた方が手っ取り早い―――そう判断したからこそ彼らに接近したわけだが、それももう終わりだ。
目的であるテンプル騎士団の打倒は達成された。強盗の資金洗浄も自前で出来るほど、今の俺たちは大きくなっている。これ以上彼らと組んでいる理由は無い。
もちろん、使うだけ使って後はハイさよなら……なんて自分勝手な事をするつもりも無い。
「”それ”は」
「巣立つ鳥は後を濁さないもんだ」
そうだろ、と言いながら手に持っていたブリーフケースを差し出した。
パチン、と指を鳴らすマリク。それに応えるように暗闇の中から黒いフード付きの装束に身を包んだ暗殺者が音もなく現れるや、俺の持っていたブリーフケースを受け取って中身を検め始めた。
少し大きめのブリーフケースの中には、隙間なくぎっしりと札束が詰め込まれている。もちろん上だけ本物でその下は偽物なんて事はない。敵に対する仕打ちなら徹底的にやるが、味方や世話になった相手にはキッチリと誠実に対応するのが俺のやり方である。
「なるほど」
札束の一つを手に取り、マリクは息を吐いた。
「手切れ金、というわけですか」
「まあ……そうなるな」
「……」
ブリーフケースを部下の暗殺者に預けたマリクに、俺は腰に提げていた黒いジャンビーヤを差し出した。
中東に伝わる伝統的な短剣。極めて大きく湾曲した鞘が特徴的なそれには『2』と数字が刻まれている。
それは俺が、教団内でナンバー2の地位に収まっている証―――だがそれも今日までだ。
「世話になった」
「……残念です、貴方ほどの逸材が教団を離れる事になろうとは」
「願わくば、戦場で敵として出会う事が無いよう祈りたいものだ」
「そうですね。正直、貴方を敵に回すのはこちらとしてもぞっとしない」
こちらへ、とマリクは踵を返した。
「”教祖様”もおいでです。最後に挨拶くらいは」
「ああ、そうするよ」
短くなった葉巻を足元に投げ捨て、踏み躙って火を消してから、マリクの後に続いた。
「大佐」
「んあ」
「そんなに身構えなくてもいい。別にあなたを消すつもりなんてありませんよ」
視線で気付いたのか、と少し感心したが、しかしマリクは一度もこっちを振り向いていない。後頭部に目でもあるのかとちょっと気味が悪くなったが……。
それにしても屋根の上に3人、少し距離を置いて後方に2人の暗殺者を配置し俺を見張らせておいて、「身構えなくてもいい」というのは少々無理がある。まあ半端な気配の消し方から見るなり、特に屋根の上に居る3人は見習いか経験の浅い若手なのだろうが。
マリクに案内され、スラムの奥にある錆び付いた鉄柵を乗り越えた。そのまま石の階段を降りて下水へと入り、薄暗く饐えた臭いのする道をただただ進んでいく。
歩くこと3分、左の壁にこれまた錆び付いた扉が見え、マリクはその奥へと進んでいった。
心配するな、身構えるなとは言われたが、正直言って信用ならない。
最悪の場合は……腹を括ろう。
コツコツと歩く音を響かせながら進んだ先にあったのは、暗殺教団のエンブレムが描かれた垂れ幕だった。
彼ら暗殺教団は決まった本部を持たない。各地を転々としながら”仕事”に精を出す、一種の遊牧民のような存在だ。そういう意味では冒険者と同じような存在ではある。
今は本部がキリウだった、という事だ。
扉をいくつか潜り、錆び付いた梯子を上ったり下りたりと迷宮のような構造の通路を抜け、会議に使うのであろう円卓の置かれた広間を通り過ぎて、一番奥にあった扉の前でマリクは立ち止った。
扉の左右には鉄製の巨釜が置かれており、中では香木が燃やされている。やはりここを本部とする以上、下水の悪臭は何とかしなければならない存在だったようだ。なら他のところにしろよとは思ったが……まあいい物件が見つからなかったのだろう。そういう事にしておこう。
どうぞ、と促され、俺は扉をノックした。
『どうぞ』
「……」
ガチャ、と扉を開けた先には、敷布の四隅にお香を焚いた巨釜を配し、その周囲にロウソクを何本も立てた状態で瞑想する”教祖様”こと『ハサン・サッバーフ』の姿があった。
暗殺教団の頭目、ハサン・サッバーフ―――見た目は身長150㎝ほどの小柄で、中性的な容姿の少年だ。やや斑模様の入った砂色の頭髪からはスナネコの耳が伸びていて、口の中に並ぶ牙はネコ科の動物のように鋭い。笑みを浮かべると悪戯好きの少年あるいは少女のように見えるが、しかし愛らしさよりも威圧感の方が勝るのは、暗殺教団という”力こそすべて”を是とする組織の頭目ゆえであろう。
身体的特徴から何となくミカの奴に似た印象を受けるが、しかしアイツはこんなどす黒い奴ではない。ミカが慈愛と恵みをもたらす日の光であるならば、コイツは殺意と威圧感に満ちた闇そのものだ。
有史以来、あらゆる歴史の分岐点で暗躍したという中東地域の秘密結社にして暗殺組織、”暗殺教団”。実に700年間も続く教団の歴史の中で、創設から今日までトップとして君臨し続ける得体の知れない指導者……それが、このハサン・サッバーフである。
その容姿は、700年を経ても変わっていない―――”不老不死である”という話もあるが、いったいどういうカラクリなのか。
「茶を飲みに来た……というわけではないな」
「……アンタらとの関係を終わらせに来た」
「ふむ」
目を開けた。
ハサンが瞑想を終えるや、周囲で光を灯していたロウソクたちの火が一斉に消えた。
「教団を抜けたい、と」
「そういう事だ」
「そうか……残念だ」
本当に残念だと思っているのだろうか―――このハサンという男の言葉を聞く度に、いつもそう思っていた。どこか厭世的な感じがして、当事者というよりは第三者、あらゆる言葉が他人事のように聞こえる。
俺が抜けたところで大した損害にはならないだろう。使い勝手のいい駒が1つ減った、くらいのものだ。
「つい先ほど、教団に大口の依頼が舞い込んでな」
「最後にそれを手伝え、なんて言わないよな」
「それは貴様が決める事だ」
そう言いながら、ハサンは敷布の上で分厚い本を読み始めた。
「……仕事って、どんな」
「ノヴォシア帝室かあら極秘の依頼だ」
―――まさか。
ノヴォシア帝室、という時点で嫌な予感しかしなかった。
連中が、落ち目にある帝国の連中が世界最強クラスの暗殺組織に大金を叩いて迄やらせたい仕事など、1つしか思い浮かばない。
「アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァとその末妹、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの暗殺の依頼が来ている」
ハサンの口元が、三日月のように歪んだ。
さあ、選べ―――言外にそう言葉を突きつけられ、息の詰まる錯覚を覚えた。
コイツらがミカの命を狙っている―――アイツを、俺たちにとっての希望を。
「仕事を受けるならばまだ貴方は我らの味方」
後ろに立つマリクが、ゾッとするほど冷たい声で言う。
「しかしここで教団を抜け、リガロフ家に与するというならば―――」
「残念ながら貴様も我らの暗殺リストに載るというわけだ、大佐」
さあ、どうする―――詰め寄るように言葉を続けたハサンを睨み、拳を握り締める。
「無論、貴様が家族ごっこに興じているあの2人の娘も……」
「子供たちには手を出すな!」
アイツらは関係ない、と絞り出すように言葉を続ける。
記憶がフラッシュバックした―――守り切れなかったかつての我が仔の姿、『パパ』と呼ぶ幼い声。この世に生を受けてわずか5年で摘み取られてしまった小さな命。俺たち夫婦の未来、夫婦の希望、生きる縁……。
分かっている、あれがもう二度と戻らないという事は。
そして今の関係が、セシリアの複製と築いている関係が、その通りの”家族ごっこ”に過ぎないという事も。
「さあ、選べ」
ゆっくりと立ち上がりながら、ハサンは俺に決断を迫る。
「仲間を裏切り家族を守るか、仲間と家族ともども死ぬか。選択肢は二つに一つだ」




