姉上の話
壁穴ミカエル君「 挟 ま っ ち ま っ た 」
※ハクビシンは『自分の頭が入るくらいの穴なら通り抜けられる』らしいです。
「「「「「お帰りなさいませ、ミカエル様」」」」」
昔では考えられない光景だ。
こうやって、エントランスに屋敷のメイドや執事たちがずらりと並んで俺を出迎えてくれるなんて、少なくとも姉上が家督をあのクソデブチビ薄毛ゴミクズレーズンジジイから奪い取り、屋敷の権力構造を一新するまでは有り得ない事だった。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは存在しない仔。ご主人様と卑しいメイドの間に生まれてしまった不貞の証で、一族の恥部であり忌み子。そんな認識が屋敷の使用人にまで浸透していたものだから、誰も俺を気に掛ける事なんて無かった。
挨拶もせず、目も合わせずに無視するのはまだ良い方で、わざと聞こえるように陰口を叩くメイドもいるのが当たり前。幼少の頃からそんな扱いを受けてきたので、ミカエル君のメンタルはオリハルコン並みの硬度を誇ると言っても過言ではないだろう。もちろんHPは9999でカンスト、全ての攻撃にダメージ99.99%カットの防御スキル付きという防御全振りメンタルである。
しかし、それが今ではどうだろうか。
姉上が権力を握り家督を完全に自分のものとして以降、屋敷の中の雰囲気はがらりと変わった。俺は一族の5番目の子として正式に迎え入れられたどころかリュハンシク州の領主にまで任命されたのだから、本当に人生何があるか分からない。昔の俺に言ったら「んなわけねーだろハゲ」ってガチトーンで言われること間違いなしである(それだけセンシティブな部分だったのだ)。
あのガチ屑クソデブチビ薄毛産業廃棄物レーズンジジイとバチクソ汚物腐乱済み消費期限切れレーズンババアだけでなく、俺に対し陰口を叩いていたメイドや執事たちも屋敷から姿を消した。両親に対しては明確に追放した姉上だったが、使用人たちには『お前たちは引き続き父上と母上にお仕えするように』と名目上仕事を斡旋、しかしその実態は同じく追放に近しいもので、そういう事後処理もあって今の屋敷に居る使用人はほぼ全員新顔だ。
少なくとも、昔の俺を知っているメイドはクラリスくらいのものだろう。
お出迎えありがとう、と使用人たちに応じると、片眼鏡を付けたメイド長が一歩前に歩み出るや、ロングスカートの裾をつまみ上げながらお辞儀をした。
「長旅お疲れ様です、ミカエル様」
「うん、ありがとう」
「アナスタシア様は3階の執務室でお待ちかねです。ご案内いたします」
「ありがとう、よろしくお願い」
「こちらです」
さーて、ちょっと緊張してきた……。
一族内での結婚ラッシュ直後での、冬季封鎖明けを待っての呼び出し。それが何を意味するのか―――もう嫌な予感しかしない。
そしてそういう嫌な予感というものは、特に嫌がる事に関しては面白いくらい当たるのだ。
だいたい、リュハンシクとキリウの間は電話線が通っているので、何か用事があるのであれば電話を使えば事足りる。ノヴォシア側に傍受されて困る事であれば手紙なり使いを出せばいいし、最悪の場合はイライナ語を使えばいい(ノヴォシア人でイライナ語を理解できる人間は数が少ないのだ)。
自分たちの言葉を押し付けるだけ押し付けて、他人の言葉を理解しようとしなかったツケを支払わせてやる良い機会と言えるはずだが、しかし敢えて呼び出しての対面で話をしたいというのだから、その内容は他人に聞かれて困る事か、俺の人生を大きく左右する内容である事は間違いない。
そして消去法で考えていくと、テンプル騎士団叛乱軍の脅威が去り、後ろ盾を失い急激に弱体化したノヴォシア帝室が武力に訴えてくる可能性は低く、他人に聞かれて困る事―――イライナ独立についての計画を今話す必要性はあまり考えられない。カーチャとパヴェルが網を張っててくれている諜報網にノヴォシアの軍事侵攻の予兆は確認できていない事からも明らかだし、こっちは時間が経てば経つほど有利になるのだから。
となると、話の内容は俺の人生を左右する事……これ一択になる。
やっぱり結婚だよな、結婚だよな……公爵家で今年ついに20歳を迎える三男が未だ未婚なんて公爵家的にはメンツが立たないし、これからイライナ独立の中心的存在として貴族連中をグイグイ牽引していかなければならないリガロフ家としてはそういうところに特に気を遣わなければならない筈だ。
あのクソッタレガチ屑ド底辺アルティメット産業廃棄物汚泥レーズンジジイが家督を持っているのであれば「じゃあいっそ一族諸共滅亡しやがれ」と火炎瓶片手に吐き捨ててやるところであるが、しかしそういう話を切り出そうとしているのは紛れもない姉上その人である。普通、貴族の中では唾棄すべき存在の庶子である俺を取り立てて正式に三男として迎え入れ、今の地位まで押し上げてくれた人だ。何か目に見える形での恩返しをしたいし、結婚が一族のためになるというのであれば俺も腹を括ろう。
などと覚悟をキメながら階段を上がり、踊り場に差し掛かったとその時だった。
踊り場に敷かれている絨毯の上にきらりと光る金属片のような物が見え、俺は頭で考えるよりも先に駆け出した。
「ご主人様?」
「まさか……まさか、そんな……!」
床に落ちていた金属片―――針金の切れ端を拾い上げ、目を見開く。
「兄上……兄上……!?」
間違いない、この針金は……兄上の、ジノヴィ兄さんの……!
「兄上、なんでこんな……こんな無残なお姿に……!」
俺のせいだ……俺の……!
「兄上……兄上ッ、兄上ぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「何やってんだお前」
階段の上、3階の廊下から響くちょっと冷たい声。
迫真の演技から一瞬で切り替え真顔で視線を上げた先には、え、お前何やってんのと言わんばかりの顔をしたジノヴィ兄さんと、その左腕にしがみついては頭の上から大量のハートマークを飛ばしまくっているサキュバスのエレノアの姿があった。
結婚した、という話は本当のようで、2人とも薬指には白銀に輝く結婚指輪がある。
「ああ、お久しぶりです兄上」
「うん久しぶり、お前何さっきの」
「顔色が良さそうで何よりです。エレノアも元気そうで」
「うふふ♪」
「待ってお前何さっきの」
「いえいえ、兄上の事ですからその……肉食系の奥さんに、ね……言わせないでくださいよもう」
そう、兄上の顔色は良い。
てっきりどこかの某ドーベルマン獣人の某ロイド兄貴のように毎晩搾られ一睡もさせてもらえず、毎晩毎晩ベッドを軋ませた果てについに針金になり果ててしまったんじゃあないかと心配していたのである。トイレットペーパーの次くらいには。
だから再会したジノヴィ兄貴も針金化してるんじゃないかと思ったがそんな事はなく、相変わらずすらっとした長身と無駄のないスタイルを堅持している。
待て、相手サキュバスだぞ? 男性を搾る事に関しては右に出る者がいないガチの魔族だぞ?
「ああ……お前さ、彼女がサキュバスだってこと言ってなかっただろ俺に」
「すいません、真面目に伝え忘れてました」
「びっくりしただろお前、いきなり尻尾と翼と角生やして跨ってきたんだから」
「びっくりしたで済むんですかソレ」
「うふふ、ダーリンったら毎晩凄いのよ。あんなに逞しくて……もうこの人なしじゃ生きていけないわ。私を満たしてくれるのはダーリンしかいないの」
「……嘘、連勝中ですか兄上」
「敗北を知りたい」
うそーん……。
てっきり搾られて針金になってるかと思ったら逆にサキュバスわからせてるとか何だこの人。ジノヴィ兄貴のジノヴィ兄貴ってそんなに強かったのか……誤算だった。
「というか兄上も帰省してらっしゃったんですね」
「マカールも来てるぞ」
「え、じゃあ姉弟全員集合って事ですか」
「ああ。後で挨拶しておけよ」
「ええ。遅れましたが兄上、ご結婚おめでとうございます」
「おう、ありがとう」
「ミカこそこんな素敵な相手を紹介してくれてありがとう♪」
「お、おう……」
そう言うなり、兄上とエレノアは廊下の向こうへと歩いていった。
どうやら予想以上にエレノアは兄上にべた惚れしているようで、お尻から伸びている悪魔の尻尾が兄上の腰回りに巻き付いていた。全身全霊でもうこの人は絶対放さない、という重すぎる愛を表現している。
「なんだか、予想外でしたわね」
「うん」
「私、てっきりジノヴィ様受けのエレノア様攻めな展開を予想してたんです」
「奇遇だねメイド長、俺もそう思ってた」
まさかジノヴィ兄貴のジノヴィ兄貴がそこまで凶悪だとは、この雷獣のミカエルの眼を以てしても見抜けなかったか……。
でもまあ、パ ヴ ェ ル に は 負 け る だ ろ 。
パヴェルさんのパヴェルさんはサキュバスが泣いて逃げるサイズらしいぞ(※本人談)。
そんなこんなで姉上の執務室の前まで来てしまい、扉の前で息を呑むミカエル君。多分今の俺、目を丸くしながらケモミミをひょこっと立てて戦闘モードになってると思われる。
「それでは私はこれで失礼いたします、ミカエル様」
「うん、ありがとうメイド長」
さて、と。
「頑張ってくださいまし」と隣で励ましてくれるクラリス。気のせいか、彼女の瞳が肉食獣のそれになっているような気がするのは気のせいだろうか。いや気のせいじゃないな、気のせいじゃないだろう。絶対そうだ、きっとそうだ。
息を吐き、ドアをノックした。
『入れ』
「失礼します」
扉をゆっくりと開け、中に足を踏み入れた。
清掃業者でも雇ったのか、前に来た時よりも部屋の中が綺麗になっている。
まあそれはさておき―――夫兼副官であるヴォロディミル氏を傍らに従え、執務室の机の上で腕を組みながら真面目な表情で待っていたのは、やはりアナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァその人だった。
平常心平常心、と自分に言い聞かせながら姉上の前まで進むなり、先に口を開いた。
「姉上、遅れましたがご結婚おめでとうございます」
「ああ。ありがとう」
「お祝いの品につきましては列車に積んで持って参りましたので後ほど」
「うむ。いきなり呼び出して申し訳ないな」
「いえいえ、他ならぬ姉上の声がかかったとなれば当然です」
それで、と言葉を続けた。そろそろ本題に入りましょうか、と言外に告げると、姉上は小さく頷き視線をほんの一瞬だけヴォロディミルに向けた。
小さく一礼し、部屋を出ていくヴォロディミル。夫婦になったとはいえ職場では上官と副官の関係、上下関係はしっかりしているというわけだ。仕事にはプライベートを持ち込まず、プライベートには仕事を持ち込まない。メリハリのある線引きの徹底はさすがは姉上といったところか。
「―――なあミカ、今年の9月でお前も20歳だ。早いものだなぁ」
「ええ。幼い頃がつい最近の事のように思えます。本当に早いものです」
世間話……ではないだろう。
こんな紅茶でも飲みながらするような話を、わざわざキリウまで呼びつけてするはずがない。それも対ノヴォシアの最前線から、だ。
「お前もそろそろ、身を固める準備をするべきだと思ってな」
「……はい、薄々そんな感じがしていました」
やっぱり。
まあそうだよな、それが道理だ。
貴族……それも公爵家の息子ならば、19にもなったならばそろそろ身を固めるのが当たり前である。そういう姉上たちも20歳を過ぎてからの結婚となったわけだが、あれは結婚相手をバチクソ汚泥産業廃棄物レーズンババアが選り好みに選り好みを重ねた結果遅れただけであり、相手の家柄や権力に拘泥しなければ姉上や兄上たちももっと早く結婚していてもおかしくなかったはずである(姉上が権力を掌握してから結婚ラッシュとなったのがその証拠と言っていい)。
姉上や兄上と来て、残るはこの俺、ミカエル君ただ1人。
「どうだ、誰が良い……とか決めてたりするのか」
「いやぁ……それがみんな素敵な女性ばかりで」
「ふふっ、まあそうだな。お前の周りには良い女が居すぎる」
先ほどまでの厳格な表情はどこへやら、口元に柔和な笑みを浮かべながら、姉上は椅子に背中を預けた。
「私はあのクソババアとは違う、お見合いの強要はしない」
『ヴォアアアアアアアアアアアア!!!』
『ダーリンどうしたの!?』
なんだろ、隣の部屋から”お見合い”という単語に反応し発狂する兄上の声が。
あの人まだお見合い恐怖症治ってなかったのか……人の心に消えない傷をつけたレーズンババアの罪は重い。パンに練り込まれて給食にでも出されてると良い。
「……なんだ今の」
「魂の叫びですね」
「……この壁後で防音にしようかな」
「その方が良いですよたぶん」
ただまあ、どこぞの某レーズンババアと違ってお見合いで好きでもない相手を押し付けてくるレーズンババアと比べると、姉上の話は随分と温情だ。自分たちは好きな相手と結ばれたのだからお前もそうしろ、ただできるだけ早く……というのが姉上の話の内容だろう。
まあ本当にそうだ、お見合いを強制されまくった兄上よりははるかに……。
『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!』
『ダーリンしっかりして!』
「すいません姉上ちょっと」
「うん」
失礼しますね、と踵を返すなりドアを開け、つかつかと廊下を進んで隣の部屋のドアをぶち開けた。
「人の思考を読んでまで発狂してんじゃねーよバーカ!!!!!!!」
アナスタシア「どうだ、誰が良い……とか決めてたりするのか」
ミカエル「いやぁ……それがみんな素敵な女性ばかりで」
アナスタシア「ふふっ、まあそうだな。お前の周りには良い女が居すぎる」
クラリス(クラリスの事ですわね)
モニカ(あたしの事よね?)
イルゼ(私の事かも?)
リーファ(ワタシの事ネ、間違いないヨ!)
カーチャ(……私?)
シェリル(私ですね間違いない)
シャーロット(ボクだね100%そうだ)
パヴェル(俺の事かな?)←!?
範三(きっと拙者の事でござろう)←!?




