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黒幕の名、黒幕の顔


 永い永い冬が終われば、新たな生命が生まれ来る恵みの季節が訪れる。


 年が明け、全ての生命に過酷な試練を課すノヴォシアの冬にも終わりが見え始めた。とはいっても気温の低さに積雪量は相変わらず殺人的で、毎朝の除雪作業は欠かせない。先週なんか雪の重さで家が潰れ、40代の労働者が3人ほど天に召されたというニュースが新聞やラジオでの話題として取り上げられ、シスター・イルゼが目を瞑りながら十字を切る姿が脳裏に焼き付いている。


 雪解けの季節まであと2ヵ月。これさえ終われば苛酷な冬ともおさらばだが、雪解けが始まったら始まったで別の問題も出てくる。


 ノヴォシアの春は別命”泥濘の春”とも言われる。今まで凍結していた大地が雪解けにより泥濘と化し、引き続き車やら馬車の往来に深刻な影響を及ぼす。それにこの時期だけ活動する魔物も現れるのでまあ地獄だ……何だこの世界、人類に厳しすぎる。


 まあいい、とりあえず雪解けまでの辛抱だ。列車の往来が再開できるようになったらザリンツィクを出て、アレーサに向かうとしよう。レギーナは元気だろうか。


 火炎放射器のストックを脇に挟みつつ、燃料供給弁と酸素供給弁のバルブ閉鎖を確認。火皿に点火用の火薬を充填して銃口から残った火薬を全て注ぎ、右の親指で火打石フリントのついた撃鉄ハンマーを起こす。


「いくぞー!!」


 スラムで除雪作業中の人たちに向かって声を張り上げると、スコップで地道に雪かきをしていたスラムの住民たちが手を振り返してきた。


 射線上に人がおらず、可燃物も存在しない事を確認してから酸素供給弁と燃料供給弁を解放。銃口付近に設置されたノズルから霧状の燃料が噴射されたのを確認してから、手にした火炎放射器―――イライナ・マスケットを改造したものの引き金を引いた。


 カチンッ、と撃鉄ハンマーが振り下ろされ、生じた火花が火皿の中へと飛び込む。火皿の蓋が閉鎖されると同時に点火用の火薬が点火、パシュッ、と小さく弾けるような音を立て白煙が噴き上がる。


 引き金を引いてから少々のタイムラグを挟み、ドパンッ、という炸裂音が響いた。火皿に充填された点火用の火薬が燃焼し、それがついに銃身内部に充填された黒色火薬へと達したのだ。


 このようにマスケットの発砲の際は引き金を引いてから、実際に火薬が点火され発砲へ至るまでにタイムラグがある。これも命中率を下げる要因の一つだったのではないかと言われているが実際どうなんだろうね。まあコレ火炎放射器だから関係ないけどさ……。


 銃口から溢れ出た燃焼ガスが燃料に引火、マスケットを改造した小銃が読んで字のごとく”火を噴いた”。着火された燃料が雪へと降りかかり、その高温で溶かしていく。


 ノヴォシアの冬に欠かせない除雪用の機材だ。意外かもしれないが、資金に余裕のある家庭では必ずと言っていいほど常備されているのがこの火炎放射器である。古い個体や払い下げられた個体がこういった火炎放射器に改造され、格安で民間にも販売されるのである。


 もちろん、騎士団でもこれを魔物掃討用の兵器として運用しているし、冒険者の中にもこれを武器として使う物好きもいると聞く。


 が、武器として見るとなかなか微妙な性能だ。射程距離は短いし、一度着火して放射を止めるとまたマスケット同様のまったりした再装填リロードが必要になる。おまけに背中に背負った酸素ボンベと燃料タンクに攻撃を喰らおうものならばあら不思議、ドキッ☆ノヴォシア冬の花火大会の幕開けである。もちろん特等席での見物ができるという特典付きだが、命で代金を支払う羽目になるので少々見物代は高くつく。


 放射が終わり、燃料の悪臭が晴れていくと、そこには雪の消え失せた地面が広がっていた。水分すら残らぬ乾燥した地面―――しかしこれも、明日になればまた凍てつき雪に覆われるだろう。


 それでも、こうした除雪作業は決して無意味ではないのだ。雪に埋もれ、凍えていく命を守る事に繋がっているのだから。


 空っぽになったタンクを背負いながら、燃料供給弁と酸素供給弁を閉鎖。過熱した銃身を雪に突っ込んで冷却して振り向き、スコップを手にしたスラムの人々に向かって大きく手を振った。


 さて、もう一息―――というところで、降り注ぐ雪の向こうからライトが近付いてくるのが見えた。血盟旅団のブハンカだ。ルーフラックに木箱を満載し、雪道の中をよろつきながら走ってくるバン。スタイリッシュさはないが、いかにも軍用車といった武骨さがあるし、丸みを帯びたライトがなかなか愛らしい。


 邪魔にならないところに停車したブハンカから降りてきたのは、防寒着姿のシスター・イルゼとモニカだった。後部座席やルーフラックに積んだ木箱を下ろし、それの蓋を開けて中身をスラムの人々に配り始めている。


 ああ、食料か。


 依頼をこなして得た資金を使い、こうして買い込んだ食料の一部をスラムの人々に提供するようにしている。安い賃金で働く労働者ならばまだしも、日雇いの仕事をするのがやっとのスラムの人々からすれば、このノヴォシアの冬はいくら何でも苛酷すぎた。エレナ教のように弱者救済を掲げる教会も炊き出しを行ったりするけれど、それでも全く追い付いていないのが現状であり、毎年スラムに住む人々は命を落としている。


 そんな彼らの死は、議会の報告する死者数にカウントされることはない。


 その傲慢さには腹が立つ。ノブレス・オブリージュもクソもない。今のこの国、特にノヴォシア地方の貴族にはそういう権力を振るう連中しか残っていないのが実に嘆かわしい。共産主義者ボリシェヴィキに革命を起こされ吊るされても文句は言えないぞこれじゃあ。


 と、一応は貴族生まれのミカエル君は憤る。庶子だけど。家督継承権ないけど。


「いやあミカエル君、いつも手伝ってくれてありがとう」


「いえいえ、お気になさらず。もう少しの辛抱ですよ」


 食料と毛布を受け取り家へと戻っていくスラムの住民の肩を優しく叩いて見送ると、ブハンカの方でモニカがこっちを呼ぶ声が聞こえた。


「ミカ、ちょっと!」


「待って、今行く」


 燃料と酸素のホースを銃本体から外し、ブハンカへと駆け寄った。雪まみれのブハンカの中はもう空っぽだ、積み込んできた物資はあっという間に全部無くなってしまったらしい。


「どうした」


「パヴェルが呼んでるわ。”例の件”で」


「……分かった。列車に戻ろう」


 子供にお菓子を配っていたシスターに手を振ると、彼女はニコニコする子供の頭を撫でてからこっちに戻ってきた。


 シスター・イルゼがウチのギルドにやってきてからというもの、スラムの子供たちにも笑顔が増えた。綺麗で優しくて、いつもお菓子を持ってきてくれるシスターはスラムの子供たちの人気者なのだそうだ。ケガも病気もあっという間に治してくれるシスターがいる、という噂を聞きつけてわざわざザリンツィクの反対側にあるスラムから老人が訪ねてきた時はびっくりしたものである。


 例の件―――次の強盗の件だろう。


 助手席に座りながらカーラジオを付けた。色々とチャンネルを回してみたが、音楽をやってるのが1つしかなかったので大人しくそれにする。できればポップスとかジャズとか、なんかノリのいい音楽が聴きたい気分だったのだが、流れてきたのはクラシック。チャイコフスキーの『スラヴ行進曲』だった。


 こっちの世界にも偶然同じ曲が存在したのか、それともこっちにやってきた別の転生者が広めたものなのか。謎は尽きない。


 ザリンツィクの17番ホームが見えてきた。ガスマスクを付けた小さな人影が火炎放射器を使って除雪作業中だったようだが、ブハンカを発見してからすぐに火炎放射を止め、こっちに手を振り始める。


 ルカだ。相変わらずあいつ髪がもっふもふなんだけど何なの。


 最後尾の格納庫のハッチが開き、その中へとブハンカを進めていくモニカ。やがて薄暗い格納庫の中にブハンカの車体が完全に収まると、彼女はエンジンを切って車から降りた。


 助手席から降り、オイルの香りが充満する格納庫の中へ降り立つ。


 パヴェルの奴、ついに赤化病の一件の黒幕を掴んだのだろうか。


 1号車の1階にあるブリーフィングルームへ向かうために、3号車にあるパヴェルの工房へ足を踏み入れたその時だった。


 ヒュンッ、と目の前を何かが通過していったかと思いきや、ドスッ、と重々しい音を立て、ミカエル君から見て左側にある壁に何かが突き刺さった。


「……へ?」


「うおっ! ああ、すまねえ。ケガは無いか?」


 突き刺さっていたのはワイヤーと繋がった……金属製の小型アンカーのようだった。コンクリートだろうとぶち抜きまっせと言わんばかりに鋭い切っ先は深々と壁に刺さっていて、あんなのが人体に命中しようものならまあ、ケガじゃあ済まないだろう。


 何やってんだコイツ、危うくミカエル君死ぬところだったんよと抗議するように睨みつけると、パヴェルは申し訳なさそうに頭を下げながら、今しがたアンカーを発射した装置を作業台の上に置いた。


 小型のクロスボウとワイヤーを巻き付けたリールを一体化させたような、変わった装置だった。何のための装備なのかは不明だが、結構サイズが小さいので服の袖の中に仕込んだりできそうだ。


「それで、話って?」


「ああ、貴族連中の尻尾を掴んだぞ。がっちりとな」


 来いよ、と言いながら立ち上がり、ブリーフィングルームへと向かって歩き始めるパヴェル。俺とモニカ、そしてシスター・イルゼの3人は、真面目な表情を浮かべたまま彼の後についていく。


 この1件、シスター・イルゼにとっても無関係ではない。ザリンツィクの赤化病、特効薬の転売、そしてアルカンバヤ村の全滅……無関係に見えるこれらの事件には黒幕がいる。何らかの目的で俺たちを消そうとする”組織”、そしてその傀儡くぐつと成り果てた貴族たち。彼らはもう十分奪っただろう。そろそろ奪われても良い頃だと思うがね。


 ブリーフィングルームでは既にクラリスが機材の準備をしていた。俺がやって来るなりぺこりとお辞儀をした彼女は、手慣れた手つきで立体映像投影装置の電源を入れた。


 血盟旅団のロゴマーク―――剣を咥えたドラゴンが翼を広げるアニメーションが表示され、システムが凄まじい速さで立ち上がっていく。1と0の羅列が一瞬表示されたかと思いきや、複数のウィンドウが表示され、そこに貴族と思われる初老の男性たちの顔写真やザリンツィクの地図が表示された。


「【ヴラジーミル・エゴロヴィッチ・バザロフ】。ザリンツィク議会の重鎮で、今回の赤化病蔓延計画の指揮を執った主犯格だ」


「いったいどうやって突き止めた?」


「屋敷に潜入したり、関係者の弱みを握って色々な」


 怖いわコイツ。やり方が共産圏のスパイみたいになってるんだけど何なのコイツ。本人は元日本人を自称してるけど元KGBとかそんなじゃないよね、違うよね?


「冬を乗り切るためとはいえ……口減らしのために疫病を蔓延させるなんて、人のやる事とは思えません」


 隣で静かに憤るのはシスター・イルゼ。この男に対する憤りは皆も同じだが、弱者救済を掲げるエレナ教のシスターである彼女からすれば、弱者を切り捨て甘い蜜を啜るような真似をするこの男が許せない、というのは分かる。


 確かにそうだ、こいつはクソ野郎だ。


「もちろん屋敷の警備は厳重なんでしょ?」


「そりゃあもう、ちょっとした要塞みたいだった」


 モニカの問いに応えながらパヴェルはリモコンを操作し、ウィンドウを切り替えた。そこには屋敷の見取り図と兵士の巡回ルート、センサーの設置位置が詳細に書き込まれており、盗みに入る際には役に立ちそうだが……その厳重さには息を呑んだ。


 そりゃあ工業都市ザリンツィクの大貴族ともなれば警備は厳重だ。盗人どころかネズミすら入り込む余裕はない。最新の魔力センサーに強力な武器を身に着けた警備兵、そしてザリンツィクで量産されているカマキリのような戦闘人形オートマタ。盗みに入る難易度は今までの比ではない。


「こりゃあ盗みに入るのは難しそうだな」


「……ええ」


 隣で複雑そうな返事を返すシスター・イルゼ。彼女には既に、俺たち血盟旅団の”裏の顔”―――強盗団であるという事も話してある。


 そりゃあ最初に話した時はびっくりされたが、弱者には決して手を出していない事、そして貧しい者からは決して奪わない事、むやみやたらに殺しをしない義賊であることを話したら納得してもらえた。


 とはいえ、やっている事は完全に法に触れる事。グレーゾーンを当たり前のように踏み越えている。いくら相手が血も涙もなく、権力に溺れた貴族であろうとも、盗みが許容されるわけではない。


「それだけじゃあない。仮に盗みに入って制裁したとしてもだ、コイツの事だから後から税率を引き上げるなりして住民から搾取を続けるだろう。宝物庫の中身を荒らしてこの街を去っても、多分何も変わらない」


「そうですわね……年老いた尻を退けていただきましょう」


 そう言いながらこっちを見るクラリス。彼女が何を言いたいのか、俺には分かる。


「そういや、ミカの兄貴は憲兵だったな」


「ああ」


 そう、マカールの出番だ。


 俺の1つ歳上で、憲兵隊の隊長となったマカール。リガロフ家の次男で優秀な男だが、上の姉弟たちが優秀過ぎるのと父親の都合に振り回されて苦労している兄である。


 彼にこの疫病蔓延の証拠を提出すれば、バザロフは終わりだ―――とは思うのだが、そう簡単に行く話でもあるまい。


「でも、憲兵で手が出せるとは思えない」


 呟くと、シスター・イルゼ以外は腕を組みながら目を細めて頷いた。


「なぜです?」


「貴族ってのは色んな所に影響力を持ってるんだ。ちょっとした賄賂アメ弱み(ムチ)をちらつかせるだけで、その気になれば憲兵だって抑え込める。そうやって罪を揉み消す貴族も居るんだ……大貴族となれば、その影響力も絶大だよ」


「そんな……!」


 残念だが、これが現実なのだ。


 こういう不正をせずにきっちり責務を果たしている貴族の方が少数派マイノリティという有様を見れば、帝国がどれだけ腐敗しているか窺い知れるというものだ。


「もっと”上”にタレコミでもするか」


 もっと上―――その言葉にいち早く反応したのはクラリスだった。


「まさか法務省に?」


「ああ」


 幸い、そこにも知ってる顔は居るのでね。


 一度も話した事はないが。


 リガロフ家の長男―――ジノヴィ・ステファノヴィッチ・リガロフ。


 【法務官ジノヴィ】の力を借りるとしようか。




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― 新着の感想 ―
[一言] 長男完全に忘れてた(うちの兄貴も影薄いからよく忘れる)
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