除染作業
クラリス「なんかクレイデリアの100年史が公開されたので、悪ノリしてご主人様の100年史を作ってまいりましたわ」
ミカエル(アレ悪ノリできる中身じゃねーだろ……)
ミカエル「マジで? どれどれ?」
1995年
ご主人様、未だ身長150㎝を堅持
デスミカエル君「 も や す 」
クラリス「そんなっ!?」
安全確保の知らせを受け、遅れて作戦展開地域にやってきた”MT-LBu”のハッチから身を乗り出したカーチャは、眼前に広がる荒涼とした大地を見渡し息を呑んだ。
ゲレノロネスク郊外に広がる恒久汚染地域が今の姿になったのは、50年ほど前であるとされている。
下級冒険者の一団が死体の処理を怠った事が原因であるが、当時の憲兵隊がパトロールをサボるという職務怠慢、加えて当時の隠蔽体質が被害を一気に拡大させる最悪の結果を招き、ここにあった農村は壊滅。無数のゾンビが徘徊し、風向きによっては腐敗の瘴気の一部が都市部にまで達するという大惨事となった。
原因を作った冒険者パーティーは即座に死刑、事件を隠蔽し被害を拡大させた憲兵隊関係者は全員人権を剥奪、奴隷に身を堕としたとされている。
しかし罪人に然るべき罰を加えたところで、故郷を追われた人々は納得するはずもない。
彼らはただ、故郷に帰りたいだけなのだ。
兎を追った山と、小鮒を釣り喜んだあの川がある故郷に。
今は地図から表記が変わってしまったかつての故郷、わが家への帰還を渇望した彼らの願いは、半世紀という長い時を経て叶おうとしている。
ガスマスクがしっかり装着されている事を確認しつつ、カーチャはサポートドローンを飛ばした。MT-LBuのハッチから身を乗り出してハンドサインを出し、兵員室に待機している歩兵たちを降車させる。
降車した兵士たちが一斉にMT-LBuの牽引するカーゴの方へと向かい走り始めた。制御パネルのロックを外してハッチを解放、戦闘人形の兵士がシステムを立ち上げていく。
MT-LBuの車体後部に牽引しここまで持ってきたそれは、榴弾砲や工作機材の類ではない。
対消滅機関だ。
触れた物質をその組成に関係なく消滅させてしまう、旧人類が秘匿していた”対消滅エネルギー”。物質を消滅させる際に生じる超高熱を用いて蒸気を作り、タービンを回すというメカニズムのそれは現在、血盟旅団の列車やリュハンシク城の動力源として運用されているほか、テンプル騎士団では空中戦艦の動力として活用されている。
ヴゥン、と重々しい駆動音を発しながら対消滅機関が立ち上がる。
ここに対消滅機関を牽引してきたのは他でもない、ミカエルが恒久汚染地域を根本から”再構築”するのに使用する莫大な魔力を賄うための外部電源として利用するためだ。
とはいえ対消滅機関は扱い方を誤ればエネルギーが暴走、周囲の物体を呑み込んで消し飛ばし、巨大なクレーターを穿つ危険性を常に孕んでいる。平和利用のための動力機関であっても、1つのミスで意図せぬ大破壊をもたらす恐れがあるのだ。
だから対消滅機関の運搬と運用を命じられた時、カーチャは一番の貧乏くじを引いたと思った。
一応、対消滅機関にはエネルギーの活性化を抑制するための不活化剤のカプセルが取り付けられているし、シャーロットの手によって安全装置が幾重にも用意されている。が、それでも周囲の物質を消し飛ばす恐るべきエネルギーという事実は変わらない。
戦闘人形たちの作業を見守っていたその時だった。
サポートドローンからの映像を受信していたスマホが振動したかと思いきや、画面に映る1体のゾンビをハイライト表示していたのである。
(撃ち漏らし?)
先陣を切って突入した討伐隊の撃ち漏らしであろう。
躊躇する事なく、背中のスナイパーライフル『CS/LR3』を取り出して構える。
中国製のボルトアクションライフルであるCS/LR3は、中国独自規格の5.8×42mm弾を使用する。アサルトライフルや機関銃にも用いられる事のある弾薬で、弾速が速く弾道も真っ直ぐであり命中精度にも優れるが、元々がアサルトライフル用の弾薬であるため長距離狙撃には辛いものがある事、加えて5.56mm弾や5.45mm弾と比較しタンブリングを引き起こさないため、ソフトターゲットへの殺傷力に関しては不安が残る。
しかしそれでも度重なる改良を受け威力の増大と対応火器を増やしてきたそれは十二分に優秀な弾薬と断ずることができるだろう。狙撃にも制圧射撃にも適応可能な万能選手である。
CS/LR3を構え、チークピースに頬を当てながら息を吐くカーチャ。スコープの揺れが収まり、周囲の音の一切が彼女の知覚から排除される―――不要な情報を無意識のうちに脳がシャットアウト、必要な情報だけに感覚を特化させているのだ。
引き金を引いた。
薬室の中で目覚めた5.8mm弾が、装薬により薬莢から押し出されライフリングの刻まれた銃身内を駆け抜けていく。螺旋状の溝により回転を付与され、長い銃身内で十分な加速を得た一発の弾丸が銃口から躍り出たかと思うと、およそ300m先を徘徊していたゾンビのこめかみを正確無比に撃ち抜いた。
バキャッ、と風化した頭蓋骨の一部と干からびた肉を撒き散らし、頭を撃ち抜かれたゾンビが地面に倒れたまま動かなくなる。
「……撃ち漏らしよ、ミカ」
《ん、すまん。被害は?》
「ないけど次は気を付けてよね?」
《ああ、悪かった》
「それと、こっちは”外部電源”の準備ができたわ」
《ん、今行く》
通信を終え、ボルトハンドルを引いた。
いずれにせよ、ミカエルの理論通りに事が運べばこの恒久汚染地域は今度こそ地図から消える事になるだろう―――大地から腐敗の瘴気は完全に取り除かれ、再び緑が芽吹く。
この一大事業に、イライナ全土が注目しているのだ。
ライフルをクラリスに預け、息を吐いた。
既に数名の兵士が送電ケーブルを手に、ミカエルの傍らに集まっている。
呼吸を整え、息を吐く。
これからこの身体に推定で60~70万kwの電力を浴びる事になる。それを余さず魔力に変換、己の肉体に取り込んで、その豊富極まりない魔力全てを錬金術に動員、大気中及び地中の汚染物質を取り除く……。
理論的には可能だし、小規模ではあるが部屋の中で実験した。恒久汚染地域から持ち帰った20gの土を遮蔽容器から取り出して、土と汚染物質に分別する事には既に成功している。
それの大規模バージョンだ。消費する魔力の量は膨大だろうが、この”外部電源”を用いる事さえできれば越えられないハードルでは断じてない。
息を吸って、息を吐く。
フィルター越しの呼吸音。先ほどまで緊張で高鳴っていた鼓動は、もう聞こえない。
「―――やってくれ」
「いきます」
数名の兵士がミカエルの小さな身体に送電ケーブルを押し付けるや、対消滅機関の操作パネル付近に居た兵士がレバーを下げた。
瞬間、蒼い光が視界を包み込んだ。高圧電流の濁流、とも言うべきか。生半可な絶縁体など瞬時に絶縁破壊し、人体などあっという間に発火させてしまう高圧電流の塊が、それこそジェットコースターさながらにミカエルのミニマムサイズの身体に流れ込んできたのである。
落ち着いて電流を受けながら、とにかく魔力へと変換していく。雷属性に適性を持つが故に出来る事だ。彼女にとって電撃は脅威ではなく、エネルギーを得るための”資源”であり”隣人”なのである。
ぶわり、と身体の中が膨らむ感覚を覚えると共に、周囲を散っていたスパークが赤みを帯びた蒼から眩い黄金へと変わっていった。
あれほどまでに荒々しかった電撃が、しかし今はどうだろうか。身体を突き破らんばかりの獰猛さがあったそれは今や、まるで絶対強者に飼い慣らされたライオンのように従順で、ミカエルの力の一部と化している。
前髪の一部と眉毛、睫毛といった体毛の白い部分が黄金に変色した状態―――暫定的に【雷獣モード】と呼んでいる姿になった事を確認するや、送電作業を行ってくれた仲間たちに礼を言いながら前に出た。
一歩一歩、汚染された大地をしっかりと踏み締める。
バヂッ、と一際大きなスパークが体外へと漏れ出た。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという人間の肉体の上限値を遥かに超えた魔力量だ。身体に収まりきらない分の魔力が、こうしてスパークとなって体外へ漏れ出ているのである。
つまり時間が経過すればするほど弱体化していく―――悠長にやっている暇はない。
立ち止まり、まるで子供を抱きしめようとする母親のように両手を広げた。
ごう、と風が薙ぐ。
ミカエルの背中を固唾を呑んで見守っていたクラリスは、ガスマスクのレンズ越しに目を見開いた。
荒れ果て、腐敗に塗れ、二度と緑が咲き乱れる事など無いであろう汚染された大地―――しかしミカエルの立っている場所のすぐ近くの地面に、確かに緑が芽吹いているのである。
早送りを見ているように、ミカエルの足元で芽吹いた草花が顔を出す。やがて蕾が伸び、鈍色の雲の切れ目から覗く太陽へ向かって白い花を開いた。
一歩、また一歩。
ミカエルの踏み締めた場所を中心に、次々に緑が芽吹いていく。
いや、踏み締めた場所だけではない。
彼女が足跡を刻んだ場所を震源地とするかのように、草花が凄まじい速度で生い茂り、恒久汚染地域の大地を埋め尽くしつつあるのである。
瞬く間に恒久汚染地域の一角が、その辺の平原と似通った草原へと変えた。
鈍色の雲が、晴れる。
雲の裂け目から顔を出した太陽の放つ光を一身に浴びながら、汚染された大地を歩くミカエル。
その姿はまるで、神話の時代の英雄そのものだ。
物質の変換―――魔力を用いて神々や英霊の奇跡を再現するのが魔術なのであれば、錬金術は魔力を用いて物質の根本的な構造を書き換える術だ。屑鉄は黄金へ、淀んだ沼は澄んだ水へ……物質構造の書き換えによる錬金術の行使は、兎にも角にも有効活用できる幅が広い。
だからそれは1人の錬金術師が、そして人類の英知が見せた神話の如き光景だった。
一歩、また一歩。
草花が芽吹き、荒れ果てた大地が再び肥沃な大地へと―――実に半世紀の時を経て、元の姿へと戻っていく。
まさか、と思いクラリスはガスマスクを外した。
「あっ、クラリス―――」
シェリルが慌てて咎めるが、しかしそれは杞憂に終わる。
胸いっぱいに空気を吸い込み、彼女は自分の抱いた直感が決して外れていなかったことを理解した。
―――空気が吸える。
恒久汚染地域の空気は腐敗に満ちている。吸い込めばたちまち肺が腐り果て、そこから腐敗が全身へと広がってゾンビ化してしまう恐れがあるため、恒久汚染地域ではガスマスクの着用が必須なのだ。
しかし、今はどうだろうか。
草木が生い茂り、雲も晴れ太陽の光が降り注ぐ大地。再び本来の姿を取り戻しつつあるのであれば、その大地を流れる空気もまた再び澄み切ったものに戻っているのではあるまいか。
その予感は、見事に的中していた。
不純物のない、澄み切った美しい空気。
彼女を見て、シェリルもモニカも恐る恐るガスマスクを外した。
「これは……」
「え……ミカの奴、本当に……?」
段々と広がりゆく緑の大地。
既に春の暖かな風の中で、ミカエルの手により息を吹き返した大地では様々な色の花が咲き乱れつつある。
鳥の鳴き声に、クラリスたちは顔を上げた。
普段であれば決して恒久汚染地域に寄りつく事のない鳥たちが、ひとまず成長に一段落付いた木の枝に降り立っては仲間たちと共にさえずる声を響かせ始める。
死んだ大地が蘇る瞬間。
まさに神話の一幕であった。
「はぁ~……コイツは驚いた」
草花で覆われた大地をブーツで踏み締めながら、隣にやってきたパヴェルが言った。
作業開始から30分―――増幅分の魔力はすっかり抜け落ち、足りない分は自分の魔力で辛うじて賄ったものの、おかげで魔力欠乏症の初期症状が出始めている。
乱れる脈を深呼吸で何とか鎮めながら、パヴェルの差し出してくれた水筒を受け取り水を飲んだ。
「たった30分で恒久汚染地域を1つ潰しやがった」
「……この調子だ」
水筒を彼に返し、口元の水を拭い去ってから顔を上げる。
「この調子で行けば……すぐにイライナは元通りになる」
汚染を止められず、やむを得ず放棄する羽目になった恒久汚染地域はこの国にまだまだ残っている。そういった場所を回り、汚染を取り除いていけばそこに住んでいた人々も故郷に戻れるようになるし、食料生産量も増え方向へと転じてくれる筈だ。
「次、どこだっけ?」
「その前にミカ、お前は少し休め」
「……」
つー、と鼻から流れ落ちてきた真っ赤な血を拭い、「……それもそうか」と考えを改める。
急いては事を仕損じる、とはよく言ったものだ。焦って恒久汚染地域を回っていたら、イライナが本来の国土を取り戻す前に俺がぶっ倒れてしまう。
だが今回の除染作業は紛れもなく大成功だ。
この活動を最終的には全土に広げていく事が出来れば―――イライナの未来は、きっと安泰である筈だ。
100年先、その遥か先の未来まで。
※この雷獣モードのミカエル君ですが、実はゾンビズメイ戦で一瞬だけこの姿になってます。




