閑話 自由の極致
リキヤ「賠償金の支払いに関してですが」
ミカエル「はい」
リキヤ「 ミ カ エ ル 君 の 同 人 誌 2 億 冊 で い か が で し ょ う か 」
ミカエル「 現 物 で 支 払 う ん じ ゃ ね え 」
テンプル騎士団叛乱軍 鎮圧から3日後
ノヴォシア帝国 イライナ地方 リュハンシク州
リュハンシク城 地下大規模研究区画
「大佐」
移植したばかりの正規仕様の義手の感触を確かめていたところに声を掛けたのは、相変わらずサイズの大きな白衣に身を包んだシャーロットだった。傍らにはスマホサイズのモニターを吊り下げたサポートドローンが、番犬さながらに尽き従っている。
まるで科学という魔法を使いこなす魔法使いのようだ。
パヴェルは彼女の方に視線を向けるなり「……結果は?」と急かすように問う。
他でもない、セシリアの複製体の事だ。他のホムンクルス兵のように複製しながらも、しかし固有の人格は与えず徹底的な記憶操作と洗脳を施した、”造られたセシリア”。
今も彼女はシャーロットの研究室で、眠り続けている。
「結論から言うと、やはり記憶操作の痕跡がありました」
単刀直入に言いつつ視線をサポートドローンへ向けるシャーロット。視線を感じ取ったか、それとも脳波による命令を受けたのか、小さなサポートドローンはパヴェルの傍らまで音もなくふわふわと飛ぶや、ぶら下げたミニモニターの明度を上げて見やすいように画面を表示する。
そこに映っていたのはセシリアの、彼女の複製体を検査した結果だった。
パヴェルはホムンクルスや記憶操作といった技術に疎いため門外漢でしかないが、しかしそこに表示されている検査結果がいずれも予想の数段上を行く悪いものである、という事は推し量る事が出来る。
「加えて洗脳、あるいは暗示で彼女は自分自身を他ならぬ同志団長だと思い込んでいたようです」
「……本物のセシリアなら、俺はともかく間違っても我が子に刃を向けるような事はしない」
「でしょうね」
妻の苦悩を間近で見て来たからこそ、パヴェルには分かる。
セシリアが、いったいどれだけ夫との間に子をもうける事を渇望していたか。
しかし彼女の身体は、長きに渡る戦いとそれに最適化するように変異した影響を受け、女性としての―――母親としての機能を大きく欠いていたのである。
そんな中でも治療を受けつつ、時には教会へ足を運び、とにかく打てる手は何でも打った。縋れるならば何にでも縋った。そしてそんな妻を、いつもパヴェルは傍らで支えてきた。
それほどまでに苦労してやっと授かった、ただ1人の息子なのだ。如何にイデオロギーが真逆で敵対関係にあったとはいえ、苦労して生んだ我が子にセシリアが刃を向ける筈がない。
だからパヴェルはそれをセシリアではなく、『物の怪』と断じたのである。
「実際、記憶操作は先代団長のものをベースとしていたようですが、かなりの改変……というより、意図的な欠落が見られるのです」
「意図的な欠落?」
「たとえば……その、お子さんを苦労して生んだ事や、それだけの苦難の末に生んだがゆえの愛情……と言うべきでしょうか」
何とも言いづらそうな、というよりは理解できない分野を何とか無理をして説明しているような話し方に、しかしパヴェルも納得する。
シャーロットを始めとするホムンクルス兵たちに、【親】という概念は存在しない。
彼女たちは皆、オリジナルとなったタクヤ・ハヤカワの細胞を培養する事で誕生し、培養液で満たされた機械の子宮から、機械の臍の緒に繋がれた状態で生まれてくるのだ。
だから生まれてきた我が子と一対一で向き合い、目一杯の愛情を注ぐ【親】という概念を知らず、その多くが親子という概念を持つ人間などの他種族の子を羨ましがることがあるという。
親がどういうものなのか、我が子に対しどういう感情を抱くのか、シャーロットは理解し切れていない。
だが、その説明でもパヴェルにとっては十分だった。
あのセシリアの複製体からは、我が子に対する”愛情”という部分がごっそりと排除されていたのだ―――斬首作戦を発動するであろう本部の部隊と遭遇した際に、作戦遂行の障害とならないように。
「……何という事を」
親にとって”子”とは何か。
それはまさしく愛の結晶であるが―――それ以上に、親から見れば子は”希望”であり、”未来”だ。
生物学的に見れば、一族のDNAを未来に残すための次世代の個体でしかないが、しかし親子の間にはそんな合理的解釈だけでは理解できない概念が存在する。
愛情という、合理性からはこれ以上ないほど程遠い概念が。
そこが欠落していたからこそ、誕生したのは歪な内面を持つセシリアの複製であり、結果としてパヴェルはそんな歪な産物を”物の怪”と断じた。
「……彼女の今の状態は」
「命に別状はありません。ですが……本能的な防御反応なのか、脳が記憶を意図的に消去する可能性が極めて高い、という事は言っておきます」
「記憶を?」
傍らを飛ぶサポートドローンの映像が切り替わった。
「彼女の頭の中で、セシリア・ハヤカワの人格の複製ではなく、1人のホムンクルスとして生じる筈だった”新しい自我”が芽生えつつあるようです。しかし一つの独立した人格が成立するには、既に乳歯のように立ち塞がる複製された人格が邪魔になる。だから一時的に意識をシャットダウンして頭の中で旧い人格の消去と新しい人格への移行を行っているのでしょう」
「じゃあ……次に目覚めた時、彼女は……」
「……きっと、大佐の知っている先代団長ではないでしょう」
寂しくはあった。
妻の顔、妻の声、妻の仕草。
その全てがほぼ完璧に再現されていて、まるで幸せだったあの頃に戻ったかのようだった。
死別し、次元の壁を隔て、二度と再会の叶わぬ最愛の妻。
それは一夜の夢のようで……。
しかし、夢は必ず覚めるものだ。
「……そうか」
「どうします。今から突貫工事で記憶調整を行えば、記憶の欠落はあれど人格は先代団長のものを維持できる可能性がありますが」
「いや」
息を吐き、パヴェルは首を横に振った。
「セシリアは死んだ」
本物のセシリア・ハヤカワという女は、世界のどこにもいない。
きっと今頃、他の使者たちと共に気楽に過ごしているのだろう。あらゆる重圧から解放され、死者としての安らかな眠りを得たのだと、そう思わずにはいられない。
「あそこにいるのは何者でもない何者か、だ」
「―――”自分が誰でもないのなら、誰にだってなれる”」
過去の自分の発言を丸ごと引用したシャーロットに、パヴェルは少し驚いた。
元はと言えばもう1人の妻、サクヤに向けた言葉だった。それをなぜこの少女が知っているというのか。
だがしかし、まさにそういう事だ。
誰でもない、何者でもない存在であるというのであれば、他人には決して持ち得ない権利がそこで生じる。
つまるところ『誰でもない』のであれば、逆に『誰にだってなれる』のだ。
そこに”何者であるか”と、存在を縛る出自も背景もない。
あるのはただ、”なりたい自分になる”という権利、自由の極致のみである。
「だから彼女もそうすればいい。自分がなりたい”誰か”になればいい。誰になろうと、それは自由だ」
すいません、今回ちょっと短めです。
最初はこの話カットするなり手早く済ませようと思ったんですが、勿体無さすぎたので閑話という形で短くまとめました。




