『雷帝』
モニカ「範三、アンタこういうの好きでしょ?」
フリスビー「やあ」
範三「ふっ、モニカ殿……某は犬の獣人といえども鍛錬した身。その程度の犬用玩具に精神統一を妨げられる事などわんわんわんわんわんわんわんわん!!!!!!!!」
《おはようございます。本日は荒れ模様、真冬ではありますがイライナ南部やノヴォシア西部では落雷警報も発令されており、帝国気象庁は安全のため不要不急の外出を控えるよう帝国臣民の皆様に―――》
ラジオから流れてくる音声を聞き流しながら、レギーナは鍋の蓋をそっと開けた。熱々の湯気が溢れ出てくる鍋の中には蕎麦の実で作ったカーシャ(※蕎麦の実を使ったお粥)が収まっていて、ニンニクの香りが食欲をそそる。
カーシャはノヴォシア帝国において朝食の定番だ。レギーナも幼い頃から母のカーシャを食べて育ってきたし、彼女の息子のミカエルも同じだった。キリウの屋敷で食事すら用意してもらえなかった当時のミカエルの食事を準備していたのは、メイドのレギーナの仕事だった。
隣にある小鍋も開け、中身のカーシャをチェック。サリエル用の、特に柔らかく煮た専用のカーシャ。愛娘が少しでも喜んでくれるよう、こちらは牛乳を使って作っている。
皿に盛りつけるなり、ナイフでバターをカット。大きなバターの塊を添えたカーシャをテーブルへと運んでいくと、テーブルで待っていたサリーが小さな足で床を踏み締めながら、窓の方へと歩き始めた。
「あら、サリー?」
「うー」
いつもならばバターの香りを嗅ぎつけるなり大喜びではしゃぎだすものだが、今日ばかりは様子が違う。
家の東側にある窓にしがみつくなり、遥か彼方の空の中―――東の果てにあるノヴォシア方面に漂う雲の塊を指差し始めた。
黒ずんだ不気味な雲が、時折光を発している。
稲光だ。
「ごろごろー」
「え、雷?」
「ごろごろ、にーに」
にーに―――ミカエルの事を、サリエルはそう呼んでいる。
まだ1歳になる前から、本能で理解していたのかもしれない。母と似た雰囲気のこの人が自分の血を分けた兄なのだ、と。
ミカエルは今、イライナ最東端のリュハンシク州の領主に就任したとレギーナは聞いている。既にリュハンシク城からリガロフ家の家紋入りの封筒に入った手紙と現金の仕送りが何度も届いていて、サリエルの養育費を含めミカエルからの仕送りにかなり助けられている。
息子が立派に育ってくれた事には安心しているが、しかし些か立派に育ち過ぎたせいもあり、最近では母の手の届かない高みにまで上り詰めてしまった事に寂しさを感じているレギーナである。
サリエルが眺めているのは、そんなミカエルがいるであろうリュハンシクの方角だ。
「サリー……あなた」
愛娘の傍らにしゃがみ、優しく頭を撫でた。
柔らかくふわふわの髪と、その中から伸びる小さなハクビシン獣人のケモミミ。幼い頃のミカエルにそっくりな、けれども少し癖のある感触に懐かしさも覚えるが、しかし驚くべきはその認知能力であろう。
ここからリュハンシク州まで700~800㎞も離れているのである。当たり前だが目を凝らしても見える筈など無く、向こうで何が起こっているのかなど、このアレーサからでは知る術はない。
しかし―――サリエルは、”何か”を感じている。
母であるレギーナには持ち得ない感覚で、”何か”を。
「……いったい何が見えてるの、サリー?」
「にーに、ごろごろー」
母の問いに、しかし愛娘は答えてくれない。
窓の遥か向こう、雲の合間に時折生じる稲光を追うかのように、窓の表面をまだ小さな指先がなぞる。
向こうにいるであろう、息子の事がレギーナは心配になった。
心配せずにはいられなかった。
「ミカ……」
少しだけ、ほんの少しの間だけ、夢を見ていた気がする。
黒海を一望できるアレーサの丘の上。市街地から少し離れた場所にひっそりと建っている母の実家で、母さんとお祖母ちゃんと、それから妹の4人で一緒に食事をする夢だ。
食卓に並んだのは幼少の頃から母さんがよく作ってくれたカーシャ。ニンニクを少し多めに入れているからなのだろう、他のところのやつと比べるとピリッとした刺激が強くて、それでいて母さんは俺の分にいつも大きめのバターを入れてくれていた。
サリーも母さんの手料理食べてるんだろうな……またいつか、ご馳走してもらいたいものだ。パヴェルの作ってくれる料理も絶品だけど、時折いわゆる”お袋の味”というやつが恋しくなる。
けれども、もちろんそれは夢だ。
溶けたバターと絡めた熱々のカーシャを木のスプーンで口へと運んだが、それが俺の口に入るよりも先に短く幸せな夢は覚めた。
そして思い出す―――俺は今、何をしているのかを。
少なくともまだ生きているという事は、さっき見た夢は走馬灯などではなかったのだろう。
「……ゴフッ」
咳き込むと、喉の奥から熱くて鉄臭い何かが込み上げてきた。たまらず吐き出すとやはりそれは赤黒い血で、折れた肋骨の何本かが内臓を傷付けたり、突き刺さった結果によるものであると察しが付く。
腹の中で、まるでナイフに差されたような鋭い痛みが連鎖している。何をされたか、とまだ本調子ではない頭に回転を強いて思い起こしていった。
手のひらに残る火傷の痕―――そうだ、ミリセントの剣を真剣白刃取りで受け止めて、その隙に思い切り腹を蹴られて壁をぶち破って……。
「あー……クソ」
―――立てない。
歯を食いしばり、腹の中で暴れ回る激痛に耐えながらポーチの中をまさぐった。メディカルポーチの中からエリクサーの入った金属製の容器を引っ張り出し、乱暴に蓋を開けて中の錠剤を5、6粒くらいまとめて口の中へと放り込む。
血と混ざり合った鉄臭い唾液と一緒に飲み下し、呼吸を整えつつハンカチを二枚重ねにして畳んでから口に咥えた。
もぞもぞと腹の中で何か、蟲やネズミでも這い回っているような感覚。折れた肋骨が内臓から抜け、再生途中だというのに新たな激痛が生じる。当然ながら内臓から折れた骨が抜けているわけだからその痛みは想像を絶するレベルのものなので、絶叫したり歯を食いしばり過ぎて歯が砕けてしまわないよう口に咥えるためのハンカチを用意しておくのが好ましい……と冒険者の教本にも記載があった。
やっぱりそうだった。傷口の治療や応急処置にも清潔なハンカチ(できればガーゼ)は役に立つのでいつも肌身離さず持っていいるのだが、よもや教本通りの状況に直面してしまうとは。
実際、ハンカチが無かったらマジで奥歯が砕けていたかもしれない。そのレベルで歯を食いしばり、とにかく押し寄せてくる痛みに必死に耐えた。
いったい何度、意識を手放しそうになった事か。
何時間にも感じられる長い時間が過ぎ、額にびっしりと浮かんだ脂汗がやっと引いてくる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
腹から痛みが消え、やっと周囲や今の自分の状況を確認する余裕が出てくる。
とりあえず傷は完治、手足も無事で五体満足。魔力、体力共に戦闘続行に支障なし……しかしAK-19を喪失したのは痛いので、メニュー画面を召喚して何か使えそうなライフルを選択しておく。
フルサイズライフル弾を使うAK-308もいいが……と思ったところで、何気なく、本当に何気なく視界に中国のライフルが飛び込んでくる。
これなら銃剣ついてるしワンチャンあるよな、と思いつつ『63式自動歩槍』を召喚。カスタマイズでマガジンを20発入りから30発入り(56式と同じもの)に変更し予備マガジンも用意、チェストリグのポーチにマガジンを差して銃剣を展開、ミリセントとの再戦に備える。
「……そういやあここっていったい」
出来立てほやほやの革命的63式自動歩槍を革命的に肩に担ぎながら革命的に後ろを振り向くと、やっと自分が今いる場所がどこなのかを革命的に……あ、ハイすいません、とにかく現在位置をやっと把握する。
ゴウン、と重々しい駆動音を発しながら稼働を続ける大型の機械たち。中央部には円筒状の大きな機関(動力炉か?)らしきものが横倒しになった状態で据え付けられており、装置の表面にあるスリットからは白い光が漏れている。
以前、これと似たものを見たことがある。
あれは確か……そうだ、列車の機関車のメンテナンスの時だ。パヴェルとルカの2人でメンテナンスをしていた対消滅エンジンもこんな形状だった気がする。
もしあれが対消滅エンジンという事は、俺はサブコントロールルームから機関室まで吹っ飛ばされたって事か? 何枚も壁をぶち破りながら。
「……マジで?」
よく背骨折れなかったな、とは思う……折れずに済んだのはきっとアレだろう、慎重を伸ばそうと牛乳や煮干しを過剰に摂取するという無駄な努力の賜物だろう。おかげで身長は1ミクロンも伸びず骨だけ異様に頑丈になったというわけだ。クソがつくほど笑えねえ。
そこで、脳裏に電気が走った。
対消滅エンジンが生み出す電力量は莫大の一言だ―――それこそ、その発電効率は原子力以上であり、列車に積まれているサイズの対消滅エンジン1つで原子力空母2隻分の電力を余裕で賄えるほど、とパヴェルが豪語している(つまり列車で対消滅エンジンを使うのは電力を持て余しているという事でもある)。
じゃあ―――そんな圧倒的な電力を、己の魔力として取り込んだらどうなるか。
ごく、と生唾を呑んだ。
はっきり言って未知の領域、失敗したら身体が破裂しそうだが―――しかし。
やってみる価値はある、と思う。
剣と大型マチェットの刃が、真正面からぶつかり合った。
ミリセントとの鍔迫り合いに持ち込んだシェリル。両腕と両脚に力を込め全力で踏ん張りつつ、目の前に迫ったミリセントの鬼気迫る顔目掛けて嘲りの言葉を飛ばす。
「ふっ……同期の首席だったあなたも、随分と落ちぶれたものですね」
「黙ぁぁぁぁぁぁぁれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
どん、と一気に踏み込むミリセント。辛うじて彼女の攻撃を抑え込んでいた均衡が崩れ、シェリルが押し負ける。
後方に下がりつつマチェットを右手一本に任せ、振り払われるミリセントの剣戟をひたすら受け流す。上へ、下へ、左右へ、斜めへ―――ほんの一瞬でも気が抜けない、それでいて受け流す角度を誤ればたちまちマチェット諸共へし折られ、叩き斬られてしまうであろう緊張感。
しかし同時に、シェリルはミリセントの動きの変化に確信を抱いていた。
(やっぱり―――感情に任せて攻撃が単調に)
いつものミリセントであればこうはならなかっただろう。
仮にもフライト140主席である。緩急のメリハリをつけた攻撃にフェイントを交えた変則的な一撃、そしてこちらの予想の裏を掻く奇襲。それらを一瞬のうちに繰り出してくるのである。剣術の訓練では何度もその一瞬で大量の選択肢を押し付けられ、泣きを見せられた事か―――訓練兵だった頃のシェリルにとって、ミリセントはまさにはるか上の手が届かぬ存在だったのである。
しかし今はどうか。
攻撃はどれもこれも力任せで、普段の冷静なミリセントの持ち味だった”技”の多彩さが殺されている。フェイントもない、緩急もない、こちらの裏を突く心理戦をする素振りも見られない。ただただ激情のままに剣を振るい、雄叫びをあげ、暴れ回るだけの狂戦士でしかない。
だが、それでも。
(やはり強いですね、貴女は)
今の彼女は右腕の肘から先が千切れている。
ミカエルの錬金術による攻撃で、だ。
奇しくもシェリルもそうだ。かつてシャーロットと共に血盟旅団に戦いを挑んだ際、ミカエルの雷属性魔術で右腕の肩口から先をごっそりと持っていかれており、今の右腕は義手となっている。
それはさておき、左手一本でこれなのだ―――利き手ではない腕一本での剣捌きがこの域まで達しているのである。これが万全な状態で、冷静なミリセントを相手にする羽目になっていたらと考えると背筋が冷たくなる。
ガンガンガン、と至近距離でグロックを連射。3発すべてがミリセントに着弾し、肩口、腹、左の太腿を撃ち抜くが、しかしどれも致命傷には至らない。
激しい戦闘で分泌されたアドレナリンが痛みを薄れさせているのもそうだが、それ以上にホムンクルス兵の肉体が頑丈なのだ。せめて眉間に撃ち込むか、フルサイズライフル弾を撃ち込まない限り一撃での制止は期待できない。
「クラリス!」
「参りますッ!」
シェリルと入れ替わりで今度はクラリスが吶喊。連結させていた剣を分離、両手に握ったそれを振るいミリセントに挑みかかる。左右から挟み込むように、それが受け流されれば勢いを乗せた回し蹴りを挟んだ薙ぎ払い、刺突連打、体重を乗せた袈裟斬りに回転斬り。体重を乗せ、それでいてスピードを損なわない流麗な連撃を、しかしミリセントは受け止めて反撃を差し込んでくる。
予想以上のしぶとさに、クラリスは唇を噛み締めた。
ミカエルを傷付けられた怒りはもちろんある。が、しかしここで感情的になっては彼女と同じだ。同じ土俵で勝負するより、感情のまま突っ込んでくるミリセントを理性と冷静さで受け流した方が優位に立ち回れる―――そう理解しているが、しかしその理性は何かのきっかけではちきれてしまいそうなほど危ういバランスの上で成り立っていた。
バッ、と右腕を唐突に薙ぎ払うミリセント。
ミカエルにより切断された右腕の断面。そこからシャワーのように迸った血飛沫が、クラリスの目を塞いだ。
(しまっ―――)
「クラリスさん!!」
ガガガガ、とAPC9Kのフルオート射撃でミリセントの接近を阻むイルゼだが、しかし隙を晒した相手を前にミリセントは止まらない。
脇腹や右の肩口に9×19mmパラベラム弾を撃ち込まれてもなお、ミリセントは前に出た。次こそは確実にその首を刎ね飛ばさんと、怨嗟を乗せた禍々しい刃がクラリスに迫り―――。
カッ、と黄金の閃光が、全員の視界を埋め尽くした。
「「「「!?」」」」
バリッ、とスパークの弾ける音―――空気の焦げる臭い。
ぼとん、と剣を握ったままのミリセントの左腕が、床の上を転がった。
両腕を切断される激痛に、しかしミリセントは苦しむ暇もない。
彼女にとっては最大級の脅威が―――そしてクラリスたちにとってはこれ以上ないほどの希望が、そこに佇んでいたのだから。
「―――俺の仲間に何をする」
そこに佇んでいるのは、紛れもないミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフその人だった。
身体中に黄金に輝く雷を纏い―――特徴的な白い前髪や眉毛、睫毛といった体毛の一部もまた、電撃と同様に黄金に染まった姿で。
それだけではない―――帯電する黄金の前髪から覗く瞳は、刃のような銀色から黄金へとその色彩を変えている。
そしてその頭上に頂くのは、時折黄金のスパークを発する”天使の輪”にも似た光の輪だ。
「ご主人……様……?」
「あの姿は……いったい……?」
周囲を舞う黄金のスパークに彩られ、頭上に光の輪を頂くその姿は―――紛れもない”大天使”のそれだった。
「いい加減終わらせんぞ、オイ」
63式自動歩槍
冷戦中、中国で製造されたアサルトライフル。当時中国軍に採用されていたSKS(56式)とAK(56式)の統合を目指し、両者の利点を取り入れる形で設計、開発が行われた。
使用弾薬はAK-47と同じく7.62×39mm弾。近距離から中距離での射撃で真価を発揮するが、しかし曲銃床であるが故にフルオート射撃時の反動制御が困難である事、重く銃身が長いため取り回しに難がある事、当時の工作精度及び材質、品質管理の不徹底などの問題が重なり信頼性に問題があったとされている。
通常は20発入りマガジンを使用するが、小改造すればAK用マガジンも使用可能。銃剣付き。
総じて傑作とは言い難い小銃であるが、後発となる81式自動歩槍の原型となっており、こちらはアサルトライフルとして十分な性能を発揮している事から、63式は決して単なる駄作として終わったわけではない事をここに明記しておく。
中国の銃っていいよね。
良いって言え(56式突きつけながら)




