ミリセントの狂気
モニカ「ねえアンタさ、コサックダンスなんてどこで覚えたの?」
ミカエル「ん、近所のコサックのおっさんが教えてくれた」
モニカ「近所のコサックのおっさん」
ぽろり、と彼女の手から刀が零れ落ちた。
セシリアに銃を向けていたスペツナズの兵士たちが、予想外の事態に目を丸くする―――先ほどまで一進一退の攻防を繰り広げ、互いに譲れぬものを懸けて殺し合っていた相手が、それもあのセシリアの複製が自ら武器を手放すなど、いったいどういう了見か。
そしてそれは、リキヤも同じだった。
彼の目には、セシリアの複製は完全な”物の怪”として映っていた。
母の最期は、確かにこの目で見た。手足を失い、車椅子生活を余儀なくされた本物のセシリア。しかしその気になれば義手と義足の移植も可能であったにもかかわらず、敢えて彼女はそうしなかった。
結局、武器を手に戦う事をやめたのだ。
だからもう二度と、武器を手に出来ない身体でいる事を良しとした―――それ自体が、自分自身に対する罰であったのである。
そんな母を、自らを罰するどこか厭世的な振る舞いを見せた母の姿を間近で見ていたからこそ、リキヤは母がどういう人間だったのかが分かる。
テンプル騎士団や戦場では確かに力の象徴であったのだろう。刀を振り上げ兵を鼓舞すれば皆士気が上がり、敵からすればまさに伝承に伝わる魔王の如き脅威として映ったに違いない。
しかしそれでも、そんな女でもリキヤの前ではそれ以前に1人の”母親”だったのだ。
幼少期から復讐に取り付かれ、戦う事しか知らなかった不器用な女が、壊れかけの世界で手にした我が子という最期の希望。世界へ漕ぎ出していく我が子に幸あれと、戦いしか、破壊しか知らない身でできる限りの事をした―――彼女なりのベストを尽くし、そしてそれを悔いたからこそ己を罰し、二度と戦場に立つ事は無かったセシリア。
だからこそ、そんな母の姿が目に焼き付いているからこそ、武器を手に戦場に立ち、己の理想のために敵を屠っていく無慈悲なセシリアというものが受け入れられない。
母と同じ姿、同じ声でありながら、リキヤにとってそれは全くの別物であり、母とは認められぬ物の怪でしかなかったのだ。
これもきっと何かの奇襲のつもりではないか。武器を落としたふりをして油断させ、奇襲する算段ではないか―――そう思い、困惑こそすれどリキヤはセシリアからAKの銃口を決して放さなかった。
いくら刀を手放したとはいえ、あの物の怪がセシリアと全く同じスペックなのであれば―――その戦闘力は徒手空拳でもスペツナズの分隊など容易く蹂躙するレベルのものである。
そんな中、いち早く銃口を下げた兵士が居た。
リキヤの隣で銃を構えていた、パヴェルその人だった。
「父さん?」
「……」
何も言わず、彼も構えていたAK-15を投げ捨てた。
それだけではない。RSh-12やPL-15の収まったホルスターも、そしてカランビットナイフ”初月”の収まった鞘まで取り外し、文字通り丸腰になるや、そのままゆっくりとセシリア目掛けて足を進める。
何を、と出かけた声を、後方から肩に置かれたアクーラ1―――カリーナの手が制止する。
「……黙って見てなさいな」
「しかし」
「多分、愛を誓い合ったからこそ分かる事……なんだと思う」
短く告げ、部下の兵士たちに目配せするカリーナ。周囲でAKやPKPを構えていた兵士たちが続々と銃を降ろし、丸腰でセシリアに近付くパヴェルの姿を固唾を呑んで見守り始める。
最愛の妻、その似姿に歩み寄るや、パヴェルはそっと雪の上に落ちた刀を拾い上げ、その辺に投げ捨てた。
「……もう、やめよう」
セシリアの肩は、小刻みに震えていた。
なぜ震えているかは、足元の雪に滴り落ちている熱い雫を見れば分かる。
「セシリア」
震える息遣いが、彼女の返答だった。
「俺たちの戦いは……もう、終わったよ」
永い、永い戦いだった。
物心ついた時から、傍らには銃があった。
扉を開けた先には、戦場があった。
子守歌のように、悲鳴と銃声がそこにあった。
憎しみを糧に、地獄を進んだ。
仲間の命と、自分の肉体と……大切なものをいくつも失った。
けれどもそんな地獄も、もう終わる。
終わらせなければならないのだ。
終止符を打つために必要なのは、まずは銃を置く事である。
それに気付いたのが、他でもないセシリアではないか。
俺たちの戦いは終わった―――その言葉が合図であったかのように、セシリアの身体から力が抜けた。
慌てて彼女を抱きとめるパヴェル。まさか、と慌てて脈を確認した彼は、しかし妻の似姿にまだしっかりと脈がある事を確認して安堵するや、衛生兵を呼んだ。
PKPブルパップと一緒に衣料品の入ったバックパックを背負った衛生兵が傍らまで駆け付けるや、バックパックから取り出した器具で何かのチェックを開始する。少なくともパヴェルが現役だった頃には存在しなかった装備だ。
複数のセンサー部とスマホほどの大きさのモニターで構成されたそれを用いてセシリアを素早くスキャンするや、衛生兵(どうやら女性のようだ)は少し驚いた様子で報告した。
「……どうやらこの複製体、一種の記憶制限を掛けられていたようです」
「記憶制限?」
「はい。同志団長の記憶をそのまま再現してしまえば切り札としての運用に支障が生じる。だから一部の記憶に制限を掛けていたようで……先ほどのタンプル砲の発射を見て、芽生えた罪悪感が引き金になり、制限が外れてしまったものと思われます」
「命に別状は」
「ありません。ただ……記憶喪失などの症状が懸念されます」
「……」
彼女は、本物のセシリアではない。
教会で、大勢の仲間たちに祝福され、神父の前で互いに愛を誓い合った伴侶ではない。あくまでも彼女の姿で、彼女の声で喋り、彼女の記憶と人格を宿しただけの別人、複製に過ぎないのだ。
けれども―――なぜ。
なぜ、こうも胸が痛むのだろうか。
最愛の彼女はもうこの世にはいない。その事を理性では理解しているのに、迸る感情がそれを全力で否定している。
「……命があるだけまだいい。必要な処置を頼む」
「了解です」
「各員は周辺を警戒。リキヤ、母艦に敵艦に突入した部隊の回収を打診してくれ」
「分かりました」
これでいい。
タンプル砲の発射は防げなかったが、それでもクレイデリア全滅という最悪の結果は回避された。
後はミカエルが―――彼女たちが、ミリセントとの戦いにケリをつけるだけだ。
「勝てよ、ミカ」
ドフンッ、と重々しい轟音が腹の奥底まで響き、衝撃波が空間をびりびりと揺るがす。
クソデカ花火の炸裂にも似た感覚だが、しかしそれが火薬を用いた夜空の芸術などではなく、たった2人の人間が、互いに振るった全力の右ストレートをぶつけ合った結果だなどと誰が信じるだろうか。
外殻で覆った拳と拳が、真っ向からぶつかり合った結果―――その余波で周囲のモニターは割れに割れ、配管はへし折れ、ケーブルは断線して悲鳴にも似たスパークを発する。
ミリセントとクラリスの激突。やはり純粋な力での勝負であればクラリスに軍配が上がるようで、彼女と拳を突き合わせたミリセントの右拳から、砕かれ剥離した蒼い竜の外殻が血飛沫と共に舞い散った。
ぐらり、と体勢を崩すミリセント。右拳を砕かれたとなっては先ほどまでの流麗な二刀流など使えないだろうが、しかしそこで彼女も執念を見せる。
床に突き刺さった自分の剣を咥えて引き抜くや、左手と口に咥えた剣の二刀流で戦闘を続行したのである。
「!」
その執念に、クラリスも気圧された。
追い詰められた獣というのは本当に危険である。
強敵に生命を脅かされ、逃げ道も断たれた獣は、しかし生への強烈な執着を見せる。生きるために、死を回避するために、いわゆるリミッターを全て外して死に物狂いで最期の反攻を試みるのだ。
それは人間も変わらない。もう後がない、文字通りの背水の陣ともなれば逃げ場はなく、死中に活を見出すしかなくなるのである。そのような状況に追い込まれ腹を括った人間ほど恐ろしいものはなく、それを真っ向から撃ち破るというのは至難の業だ。
とはいえ、ミリセントの場合は覚悟だとか死中に活だとか、そんな崇高なものとは思いたくないのだが。
光の輪を連続で放つイルゼ。3つの輪がフリスビーさながらにミリセントへと飛んでいくが、彼女はそんな攻撃すら意に介さない。
元々、光属性の魔術というのは回復や状態異常の解除、一時的な防御力UPなどのバフに特化した術が多い。光属性魔術の使い手に回復魔術師が多く、総じて戦闘向きではないと評価される所以である。
彼女が信仰するエレナ教も例外ではない。メインは回復や防御強化などの魔術であり、攻撃魔術はというと対アンデッド用に特化したものか、そうでなくとも自衛用、あるいは敵を怯ませ追い払うといった攻撃性に乏しいものばかりがずらりと並んでいる。
ミリセントはそれを看破したのだろう―――躱すまでもない、と。
実際、今のタイミングでの魔術攻撃はクラリスへの反撃阻止を企図したものである事は明白だ。ミリセントに回避行動か防御態勢を取らせ、クラリスへの追撃を断念させるというイルゼの目論見は、しかし回避も防御もせず、大したダメージにもならない魔術を背中で敢えて受けるという強気の選択をしたミリセントによって砕かれてしまう。
光の輪を背中に受けたミリセントがうめき声を上げ、剣の柄を咥えた口から微かに血を吐き出す。致命傷にならないにしてもダメージはあったらしく、一瞬、ほんの一瞬だけ彼女の足取りに不安定さが垣間見えた。
それを見逃すシェリルではない。
ホルスターから引き抜いたグロック17のブレースを展開するや、腕を固定した状態の正確な射撃でミリセントの頭に9mm弾を見舞ったのである。
9×19mm弾、それも装薬に魔力を添加した”複合装薬”を用いた事で弾速と威力がさらに向上したそれが、ミリセントのこめかみを豪快に殴りつけた。
しかしミリセントもただでは被弾しない。シェリルの発砲を察知するや瞬間的に被弾の想定される部位に外殻を展開、ヘッドショットをギリギリのところで防ぎ切る。
とはいえ衝撃までは殺せず、大きく頭を揺らすミリセント。
クラリスへの追撃に遅延が生じた隙に、俺も反撃を開始。剣槍を操作してミリセントに突っ込ませつつ、錬金術で彼女の足元に槍衾を生成。それと並行して拡散雷球を3連発、攻撃をとにかくばら撒いてミリセントに息つく暇を与えない。
剣槍の一撃を左腕の剣で弾いたミリセントだったが、しかし直後に牙を剥いた錬金術の槍衾には反応できなかった。足元の床が変形、魔力を用いた物質変化により何の変哲もない床が剣山のように無数の槍を突き出してきたのだからたまらない。
足元から牙を剥いた奇襲―――それを受け、ミリセントが目を見開いた。
ドッ、と肉を差し穿つ嫌な手応え。
クラリスに砕かれた右の拳―――拳だけでなく骨も逝っているのだろう、ぶらぶらと揺れるだけだったその右腕の肘の辺りに、槍衾のうちの1本が深々と突き刺さり貫通していたのである。
ちょうど関節の内側から反対側へ、ど真ん中を抜けるコースで、だ。肉だけを削いだわけではなく、あれは間違いなく骨諸共やっている。
槍衾に右腕を縫い付けられ、ミリセントの顔が苦痛に歪んだ。
そこに立て続けに着弾する拡散雷球。蒼い電撃の球体が着弾、電気爆発を連鎖的に引き起こして、散布界に捕らえられたミリセントの身体を蒼い電撃たちがヘビのように苛んでいく。
声にならない悲鳴と、血の焦げる臭い。
投降しろ、ともう一度呼びかけようとしたその時だった。
ブチン、と肉の千切れる音。
槍衾に右腕を縫い付けられていたミリセントが―――トカゲが尻尾を切るように、自ら右腕を引き千切ったのである。
元々、骨まで砕かれ肉と骨だけで繋がっていた右腕を更に槍で貫通されたのである、いつ千切れてもおかしくない状態だったのだろう。あのまま縫い付けられて集中攻撃を受けるよりは、という苦渋の決断だったとは思うのだが、しかしそれにしては全く躊躇を感じさせない行動に、何とも言えぬ狂気を感じた。
ミリセントの戦う動機は、自分の中にある『強いセシリア』の尊厳のため。
けれどもその『強いセシリア』というのは、セシリアという人間の一面でしかない。全体像をはっきりと俯瞰できていないから解像度が低いし、所詮は自分に都合の良い妄想と何も変わらないのだ。
しかしそれでも、ここまでくれば本物ではないか。
―――そんな評価を、しかし俺はすぐに取り下げる。
こんなものが本物であってたまるか。
こんな奴に譲歩してたまるものか。
片腕を失いつつも叫び声を発しながら突っ込んでくるミリセントをAK-19のフルオート射撃と剣槍の操作、錬金術による槍衾の召喚で迎え撃つ。
左手を振り払って弾丸を弾き、身を捩って剣槍の突撃を紙一重で躱し、足元から放たれる槍衾の合間を縫って突っ込んでくるミリセント。何度攻撃を繰り返しても彼女を捉える事は出来ず、ついにミリセントの肉薄を許してしまう。
「ミカ!」
「ご主人様!」
振り下ろされるミリセントの剣。
咄嗟にAKを投げ捨て、振り下ろされた剣を決死の覚悟で真剣白刃取り。
剣身が纏う断熱圧縮熱で手のひらが焼け、まるで赤々と燃え盛る鉄板を押し付けられているかのような苦痛に身体中が悲鳴を上げるが、歯を食いしばりながら目を見開いてミリセントを睨み続けた。
こんな奴のつまらない理想のために、犠牲になるつもりは毛頭ない。
「―――」
ドフ、と腹に感じる鈍い痛み。
ああ、蹴りを喰らったな―――やけにスローモーションになって見える視界の中、他人事のようにそう思えた。
ホムンクルス兵の本気の蹴りを喰らって、常人の肉体が無事で済むはずもない。内臓の破裂まではいかなくとも、肋骨は何本もブチ折れ、内臓はその衝撃に悲鳴を上げ、目の前にチカチカと輝く星が顔を出す。
暴力的な運動エネルギーに突き飛ばされ、そのまま壁をぶち破ってふっ飛ばされる俺。何度も背中に激しい痛みと苦痛を感じながらも、しかし意識だけは手放さなかった。
こんな奴を、ミリセントを好き勝手にさせていたら―――この世界も、いずれは……。




