メスガキ☆コサックダンス
その光景に、誰もが希望を捨てた。
咆哮する巨砲―――そこから躍り出る、1発のミサイル。
ラグビーボールにも似た防護カプセルに覆われたそれが、爆発的な加速を得ながら急上昇。天高く舞い上がるや、ぱっくりと裂けた紅い次元ゲートへと真っ直ぐに伸びていく。
「そんな」
リキヤもパヴェルも、そして彼らと交戦中のセシリアでさえもその手を止めた。
止められなかった―――つまりはそういう事である。
イコライザーを乗せたミサイルが発射されてしまった以上、もう止める術はない。願わくば弾頭が不発で終わってくれる事を祈るばかりだが、その可能性は小数点とゼロの遥か彼方であろう。
もう、止められない。
あの一撃で世界は―――大勢の人間が死ぬ。
「終わりだ……何もかも」
雪の上に膝をつきながら、1人のスペツナズの隊員がそんな言葉を漏らす。
彼にも家族がいるのだろう。そうでなくとも友人が、同僚が、向こうの世界には何人もいる筈だ。その中でホムンクルスの血を引く者だけが選ばれ、脳を破壊されて死に至る。
そんな大災厄が世界規模で起こるのだ。世界経済や秩序は麻痺し、徹底的な大虐殺の後に訪れるのは世界規模の混沌、暴力が全てを支配する無秩序状態である。
8割の人間を間引いた先にあるのが、本当に正しい世界なのか。大虐殺の果ての繁栄などあっていいのか。
リキヤはこれ以上ないほどの怒りを込めた眼差しを、刀を手にしながら空を見上げるセシリアに、自らの母の複製へと向けた。
こんな事を母が、本物のセシリアが望んでいる筈がない。
確かに本物のセシリアが歩んだ道は、数えきれないほどの屍と怨嗟で彩られているのだろう。そしてそれは決して許される事ではなく、彼女の遺族が永い時の中で生産していくべき罪なのだろう。
しかし―――それでも彼女は、決してここまではやらなかった。
リキヤの前で見せた彼女の振る舞いは、帝国軍が恐れた”魔王”などではなく、たった一人の母親だった。
お前は違う、断じて違う―――お前はヒトの皮を被った物の怪だ。お前は母の皮を被った正真正銘の悪魔だ。湧き水のように彼女を詰る言葉が渦を巻き、怒涛の感情となってリキヤの身体を突き動かす。
かつて復讐に生きた父、力也と瓜二つの憎悪に塗れた顔。
此方を振り向いたセシリアが浮かべた表情は、困惑だった。
紫色の瞳が、困惑に揺れる。
やってしまった、取り返しのつかない事をした―――彼女の眼はそう訴えていた。
(なぜ)
これが望んでいた事ではないのか、と、今度は息子が困惑に瞳を震わせる。
自分のした事なのに、なぜ。
どうして、そんなにも後悔に塗れた顔をするのか。
自分のやった事を今になって痛感したとでもいうのか。もしそうならばなおの事許しがたい―――その程度の覚悟で、これだけの事をしでかしたという事なのだから。
「お前……お前ぇっ!」
怒りに両肩を震わせて、リキヤはパヴェルの制止を振り切るようにPL-15拳銃を構えた。
その直後だった。
次元ゲートをくぐり、クレイデリアへと向かった筈のミサイルが―――遥か空の向こう、成層圏の遥か彼方で起爆して、真っ赤な炎の華と化したのは。
「……ぇ」
声にならない声、とはまさにこの事なのだろう。
先ほどまでの勝ち誇ったミリセントの表情はどこへやら、今となってはぽかんと口を開けて目を丸くし、受け入れがたい現実に脳の処理能力がキャパオーバーを起こしているような、そんな有様だった。
イコライザーを乗せたトーポリMが次元ゲートへ飛び込む瞬間までは彼女は勝利を確信していただろうし、俺も皆の期待に応えられなかったうえ、パヴェルの故郷を救えなかった絶望感に打ちひしがれていた。
もう駄目だ、全て終わりだ―――きっと誰もがそう思っていたに違いない。
メインモニターに投影される映像が切り替わり、次元ゲートへ飛び込んでいくミサイルからの映像が映し出される。
血のように紅く、まるで人体をナイフでぱっくりと切り開いたような次元ゲートの中へと飛び込んでいくイコライザー。
映像にノイズが走る。おそらく、次元を跨いだせいで映像が一時的に受信できなくなってるのだ。あのゲートの内側はどの世界でもない場所なのだから。
しかし次に映像が回復した瞬間、モニターに視線を向け事の顛末を見守ろうとしていた俺たちは度肝を抜かれた。
―――ただ1人、きっとこの結末を知っていたであろうシャーロットを除いて。
映像に映ったのは、宇宙だった。
クレイデリアの首都『アルカディウス』ではない。
どこまでも続く暗黒の海原。遥か彼方に去り行く満月を頂いた星空は今なお眩く、星の一つ一つがまるでダイヤモンドのよう。
ガスと岩と鉱物、そして空間を飛び交う宇宙線。暗黒に満ちた凍てつく海から地球のように蒼く美しい星が生まれ、そこに生命が生まれ、やがてはヒトが生まれたのも、天文学的な確率の下に生じた奇跡なのかもしれない。この大宇宙からすれば我々はどうしようもなくちっぽけな存在なのだ。
そんな宇宙に今、新しい恒星が生じようとしている。
「え……ぁ……いや、待て……こんなのおかしい、そんな筈は……!」
やっと思考が現実を受け入れようとしているか―――それが故の拒否反応なのだろう。手から剣をこぼれ落とし、両手で頭を掻きむしるようにしながら取り乱した声を発するミリセント。かつ、かつ、とかつては壁だったサブコントロールルーム内の床を踏み締めて、メインモニターの映像を目を見開きながら見届けんとする。
やがてミサイルはラグビーボールのような防護カプセルから分離。ロシアが製造した大陸間弾道ミサイル”トーポリM”と、その弾頭部に搭載されたイコライザー本体の威容が露になる。
分離したカプセルの残骸を置き去りにしながら突き進んだミサイルが、次の瞬間爆発した。
それと同時に映像が途切れ、艦首に存在するのであろう船外カメラからの映像に切り替わる。
役目を終え、治癒されていく傷口のように閉じていく次元ゲートの遥か彼方。
徐々に日が昇り、闇色の空が本来の蒼さを取り戻しつつある未明の空。
藍色の空の彼方で、ここからでもはっきり見えるほどの光が生じた。
恒星の瞬きにも見えるが、光り方が違う。恒星であるならばもっと継続的に光るが、その空に生じた光は一瞬だけ強い光を放つや、それっきりだった。光も余韻も瞬く間に萎み、成層圏の遥か彼方、冷たく宇宙線の飛び交う暗黒の海原へと溶けていく。
それがトーポリMに搭載され、タンプル砲から発射された皆殺しの一撃によるものだと、俺たちはすぐに理解できた。
「あ……ぁ、あ……?」
掠れたような、声未満の音を発しながら床に膝をつくミリセント。
彼女からすれば、今まで積み上げてきた努力が全て水泡に帰した瞬間だ。例えるならばプレイ時間が2000時間を超えるほどやり込んだゲームのセーブデータが消失し、これまでの努力が全てリセットされた時にも等しい虚無感が今、彼女を苛んでいる事だろう。
まあゲームという身近な遊びの道具で例えたわけだが、彼女の場合はレベルが違う。
理想のために全てを投げ打ち、「この命、祖国に捧げると決めたその日からとうに捨てている」とまで言うほどの覚悟だったのだ。それが全て無駄になった虚無感と絶望は、察するに余りある。
とりあえず煽る準備はしておこう、と頭の中でこたつから顔を出した二頭身ミカエル君ズが提案してくる。俺ちょっと考えたんだけどコサックダンスで相手の周りをぐるぐる回りながらざーこざーこ連呼するの効くと思うんだけどどうだろう?
などと傷口に塩を……いや、塩では生易しいので豆板醤を塗り込むような人の心がない所業を心の中で思い描いていると、映像にノイズが走った。
《―――絶頂からどん底に突き落とされる気分はどうだい、同志ミリセント?》
「その声……貴様かァ、シャァァァァァァァロット!」
ノイズが晴れるや、リュハンシク城の地下にある彼女の研究室の中、大きな椅子に座りながらスナック菓子を齧り、膝の上に城で保護している……というかなんか勝手に住み着いたハクビシンを3匹くらい乗せて撫でまわしながら、彼女にしては珍しいスマイルを浮かべている彼女の姿がモニターに映し出される。
いつもはこう、目に光がないというか目つきがガンギマってるというか、ハイライトが入ってないような感じの眼なんだけど、今だけは違う。キャラデザ担当者か作画担当者が変わったのか、それとも目が輝くほど清々しい気分なのだろうか―――いつもは目つきがアレで目元にクマがあり、不健康の極み&陰キャレベル999みたいな感じのシャーロットが、今ばかりはラノベの3巻目、アニメ1期の終盤くらいで登場しそうなヒロインを思わせる美少女に見える。
あれ、コイツってこんな可愛い奴だっけか。
《ミカ、シャーロットは可愛いですよ》
「あ、ハイ」
だから当たり前のように心を読んでくるのやめてもろて。
シェリルに注意されている間に、モニターの中のシャーロットは肩に乗ってきたハクビシンの幼獣に猫じゃらしを振って遊び相手になりながら、怒り狂うミリセントに残酷な事実を突きつけた。
《どうせ他人を陥れてニチャア……って感じのスマイルを浮かべるのが日課のキミの事だ、こういうシステムトラップも仕込んでるだろうと思ってね。直前に転移座標を衛星軌道上に書き換えさせてもらったよ》
「書き換えた……あの短時間に……?」
《おや、忘れたのかい? この計画のために転移制御システムのソフトを組んだのが誰なのかを》
どんどん顔が青くなっていくミリセントを尻目に、シャーロットはまな板みたいな胸を誇らしげに張った。
《ミカ、シャーロットのまな板はあれはあれでいいものですよ》
《ちょっと話こじれるから静かにしててくれるかな?》
《あふん♪》
通信で悶えないでもろて。
何だ今の声。淡々とした声で『あふん♪』ってお前、ギャップが。
《ええと、ゴメン何の話だっけ? スーパーの卵の値引きの話だっけ?》
「ふざけるなよ貴様! 転移座標を書き換えたなど……貴様が離反した後にシステムは厳重に暗号化したのだぞ!? それをあんな短時間で―――」
《ハッ、暗号化? あれで???》
バリッ、とスナック菓子を鋭い牙で噛み砕くシャーロット。
先ほどまでの美少女感はどこへやら。目からハイライトが消え、何故か目元にクマが浮かび、ああいつものシャーロットだと謎の安心感を覚える雰囲気を纏いながら彼女は口端を三日月みたいに吊り上げた。
ホムンクルス兵特有の、鋭くギザギザな牙が口の中から覗く。
《あんなもの、幼年教育の算数と何も変わらないねェ!!》
結局のところ、ミリセントの対策も全て無駄だったのだ。
何しろ相手はテンプル騎士団叛乱軍の頭脳にして技術主任のシャーロットである。戦闘人形の製造から人工賢者の石の精製、各種プログラムやソフトウェアの作成までもを1人でこなし、叛乱軍の技術面を実質的に1人で支えていた文字通りの天災である。
そんな彼女を離反させてしまった挙句、その身柄を”それなりの設備と資金、それから何よりネット環境を持つ組織”に押さえられてしまった結果がコレだ。
「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
《リガロフ君、言ってやると良い。彼女にふさわしい言葉がある筈だ》
やってやるか、仕方がない。
リクエストされたならば俺も一肌脱がなければ、と前に出るや、申し訳程度の電磁防壁を周囲に展開しながらミリセントの周りをコサックダンスでぐるぐる回り始めた。
「ざーこざーこ♪」
「……ッ!?」
ミリセントが鬼の形相でこちらを睨み、銃口を向けてきた。
とりあえず怯まず続けよう、レスバは度胸と引き際が命である。
「今まで莫大な資金と時間をぉ、計画のために割いて来たのにぃ♪ 寝食を惜しんだ渾身の一撃、空振っちゃってだぁぁぁぁぁっさ♪」
「こん……のッ、害獣ゥ!!」
ガンガン、とPL-15が火を吹いた。
しかし9×19mmパラベラム弾の貫通力はたかが知れている。申し訳程度の電磁防壁に捕らわれるや、自分の身体を起点にドーム状に展開したそれの輪郭をなぞるように滑り、受け流されていく。
とりあえずマガジン使い切るまでは煽ろう、多分そのくらいがちょうどいい。
「おねーさん顔真っ赤☆ 顔面ハバネロ♪」
「黙れ、貴様に何が分かる!?」
「おねーさんが計画をしくじるざこざこおねーさんって事くらい?」
視線を仲間たちの方へと向けると、クラリスもイルゼもシェリルも、全員必死に笑いをこらえていた。俺と視線が合うと吹き出しそうになるからなのだろう、必死に目を合わせないよう下を向いたり横を向いたりしながら、不自然に肩をプルプル震わせている。
そりゃあそうだ、こんな致命的な傷口に豆板醤を塗り込むような真似は一生に一度だけにしたい。さすがに相手が可哀想になるから。
「仲間には離反されてぇ、味方にも退艦されてぇ♪ 頼れる仲間は機械のお人形さんだけ♪ 友達いないの? ぼっちなの? 本当に人望ないの? その程度の器量でよくこんな計画完遂できると思ったねぇ? 頭の中お花畑? ラフレシアでも咲き乱れてんの?」
ミリセント、ついにキレた。
喉が爆発するんじゃないかと思ってしまうほどの叫び声を発し、鞘から抜きはらった剣を振り下ろしてくる。
イリヤーの時計に時間停止を命じ、コサックダンスを中断して即座に離脱。直後、背後で床が派手に砕ける轟音が響き、爆発でもしたかのように破片がパラパラと周囲を舞った。
「貴様……許さんぞ、貴様だけは……ッ」
「わーおバチギレ」
煽り過ぎたかな、と反省したその時だった。
シャーロットが映っていたメインモニターの映像が、何の前触れもなく切り替わる。
彼女に代わってモニターに映し出されたのは―――テンプル騎士団の黒い制服に身を包み、大きめの軍帽を被ったホムンクルス兵だった。
やや年老いたようにも見えるそのホムンクルス兵が、怒り狂うミリセントを見下ろすなり口を開く。
《―――ミリセント、こんな事はもうやめよう。降伏したまえ》




